侮れない中国TPP「300日計画」

侮れない中国TPP「300日計画」 習主席と李首相も連携
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK212C30R20C21A9000000/

『中国が環太平洋経済連携協定(TPP)への加盟を正式に申請した。一見、唐突にみえる習近平(シー・ジンピン)政権の行動だが、その裏には300日にわたる周到な計画と準備があった。日本政府には米国不在となったTPPを苦労してまとめあげた成功体験がある。しかし、中国の戦略的な動きを十分、把握したうえで、先回りできなければ、かつての大きな功績も雲散霧消しかねない。

中国はバイデン米大統領がTPP復帰を目指すと予測していた(20日、ニューヨーク)=AP

「(2020年11月中旬までに)米大統領選でバイデンの当選が確実になり、東アジアの地域的な包括的経済連携(RCEP)も妥結した時点で、21年秋を目指すTPP11への加盟申請計画が(中国)指導部内で大筋、共有された」。中国の対外経済政策に詳しい信頼できる関係筋はこう明かす。

バイデン政権に先手、NZとシンガポールに照準

この計画の肝は、新型コロナウイルス禍を克服したバイデン政権が22年にはTPP復帰に動く可能性を考え、その前の21年9月、または10月に中国が先手を打つべきだという政治判断だった。

国家主席の習近平が20年11月20日、オンライン開催だったアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で「TPP11参加を積極的に考える」と公式に表明する直前、正式申請に向けた「300日計画」が始動していたことになる。ここにはTPP加盟に意欲をみせる台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)民主進歩党政権をけん制する思惑もあった。

中国の全人代の閉幕式を終え、李克強首相(右)と言葉を交わす習近平国家主席(3月11日、北京の人民大会堂)=共同

中国トップの表明は唐突ではなかった。対外経済政策としては、RCEP交渉を仕切った首相の李克強(リー・クォーチャン)ときちんと連携がとれていた。李は、習発言に先立つ20年5月の段階でTPP参加に「中国は前向きで、開放的な態度だ」と話していた。

習と李をつなぐキーマンは、習が信頼する副首相の劉鶴(リュウ・ハァ)と、商務省の次官で国際貿易交渉代表の兪建華である。司令塔は国務院(政府)に置かれ、重要事項を判断する際は必ず会議が開かれた。

「300日計画」の最初の標的はニュージーランド(NZ)だった。同国はTPPに発展した原協定の4当事国(ほかはシンガポール、ブルネイ、チリ)の一つで、現在も大きな役割を担っている。域外国が加盟意思を通知する際の寄託国で、中国が正式な加盟を申請した先もNZだ。21年のTPP委員会の議長国である日本ではないのもポイントだった。

中国は何かと関係がギクシャクしていたNZとの意思疎通を重視する方向にカジを切っていた。習によるTPP参加検討の表明から間もない21年1月には、NZ側のメリットが大きい2国間の自由貿易協定の改定に署名した。中国との関係が悪化してゆくオーストラリアとは対照的な対応なのが興味深い。

シンガポールのバラクリシュナン外相(右)と会談する中国の王毅・国務委員兼外相(シンガポール、13日)=AP

加盟申請直前の最後の根回しは、やはり原協定当事国のシンガポールだった。同国が22年にTPP委員会の議長国になることを見越した接触でもある。国務委員兼外相の王毅(ワン・イー)は9月中旬、シンガポールを訪問。現地報道によれば、外相会談で中国のTPPへの興味に対して「歓迎する」という言葉をシンガポール側から引き出した。

決め手はアフガン情勢

原協定4当事国のうち、ブルネイとチリは国内手続きが未完了である以上、中国としていまの段階でできる根回しは果たしたことになる。中国は、マレーシアが中国加盟に向けた交渉を支持したように、東南アジアの多くの国は交渉入りに反対しないとみている。驚くのは中国側が「最終的には日本も中国の交渉入りに真っ向から反対できない」と読んでいることだ。

中国にとってTPP加盟申請は国際政治・経済戦略上、主導権を確保するための重要な手段である。英国に加盟申請で先を越されたとはいえ、時期の設定は中国の命運に関わる。そして9月中旬の正式申請に至る最後の決め手は、アフガニスタン情勢だった。

中国指導部は、アフガンからの米軍撤収に伴う混乱でバイデン米政権にTPP早期復帰を考える余裕がまだないと分析。20年からのスケジュールに沿い、11月にオンラインで開かれる予定のAPEC首脳会議の前に手を打った。

ここで問われるのは、習政権として、高いハードルを課すTPPに入るために徹底的な国内改革に踏み切る用意があるかどうか、である。

「皆、誤解している。(中国の)国内政治情勢を考えればいま、直ちに真心を持ってTPPに入る気などさらさらない。ギリギリの交渉をする用意もない。そもそも交渉入りさえ全加盟国の同意が必要なのだ。仮に交渉入りしても、肝心な部分はズルズルと引き延ばしになる」。中国の「本気度」に疑問を呈する識者の声は、一面の真実を言い当てている。

ここ数年、中国ではTPPの方向性とは逆の施策が次々と打ち出された。大きな国有企業同士の合併は典型例だ。民間の大企業には独占禁止などを理由に罰金を科したり、分割を迫ったりしているのに、国有企業への補助金問題には手がついていない。

1990年代からの世界貿易機関(WTO)加盟交渉は、国有企業を中心とした国内改革と同時進行の国運をかけた真剣勝負だった。今回のTPP加盟申請にはそこまでの覚悟がみえない。中国は、TPPが志向する企業や個人による国境を越えた自由なデータの流通には否定的で、国家安全を理由に規制強化に動いている。この流れで、9月にはデータ安全法を施行した。

TPPに反対してきた左派を利用する矛盾

習近平が進める「左旋回」の路線、統制強化を支える有力なグループは左派だ。過去、彼らは一貫してTPPに反対してきた。国有企業への補助規制といったTPPの規則は「主権の侵害につながる」という理屈だった。

全国政治協商会議の閉幕式に臨む劉鶴・副首相(左)と習氏(2019年3月、北京)=横沢太郎撮影

対外強硬策が特徴の「戦狼外交」を支持してきた中国内の学者らもTPPを「新型資本帝国統治」につながると批判してきた経緯がある。政治情勢を考えれば、いま中国がTPPに名乗りを上げるのはある種の自己矛盾だ。

一方、別の関係者は「(TPP加盟申請は)中国はあくまで『市場経済国家』としてとどまる、という(国の)内外へのアピールでもある」と指摘する。急激に社会主義へ傾斜する中国に疑問の目が向けられているのを強く意識した防御的な行動でもあるというのだ。

習近平がトップとしての続投を目指している2022年以降、さらに次の次の共産党大会がある27年まで見据えれば、TPP加盟申請と今後の交渉が国内改革へのテコに使える場面が出てくるかもしれない。

様々な側面を持つ中国のTPP長期戦略は決して侮れない。9月末の自民党総裁選を経て誕生する日本の新たな首相は就任早々、政治・経済両面で中国にどのように対処するのか決断を迫られる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』