首相退陣、勝負を分けた3つの瞬間

首相退陣、勝負を分けた3つの瞬間
Angle 吉野直也
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA251H60V20C21A8000000/

『菅義偉首相が自民党総裁選への出馬を見送り、退陣する。2020年9月16日に政権が発足してから1年足らず。この1年を振り返ると勝負を分けた瞬間が3つあった。

1つは衆院解散の判断だ。日本経済新聞社の世論調査で、発足直後の内閣支持率は74%と発足時で過去3位という好スタートを切った。同年11月までは60%近い高支持率を保った。その頃までに解散していれば、過去の支持率と獲得議席を照らし合わせても、自民党が単独過半数を維持できる可能性が高かった。

08年に麻生太郎首相は就任直後の衆院解散をためらい、結局、09年衆院選で民主党に政権交代を許した。菅首相は自民党選挙対策副委員長としてその過程をつぶさにみていたはずだが、教訓は生かされなかった。

模索した9月中旬の衆院解散は反対され、それを覆す体力は政権に残っていなかった。衆院選で信任された政権と、そうでない政権は自民党の国会議員や国民の受け止め方も違ったものになる。信任を得ていれば、人事で自らの意向を反映しやすくなるためだ。

現在と比べると新型コロナウイルスの新規感染者数が少なかった20年秋ごろに解散してまず4年の時間を確保していれば、衆院選への不安心理が底流にある今回の政局の様相は根本的に異なっていた。衆院選と総裁選をセットで考える戦略が解散の判断を鈍らせる結果となった。

2つ目はコロナ対策だ。切り札と位置づけたワクチン接種は出遅れた。自衛隊の大規模会場の設置や職場での接種で巻き返したが、そのさなかに職場接種が滞った。

逆に政府のコロナ対策に不安が広がった。追い打ちをかけるように新規感染者数が拡大。最後と繰り返していた緊急事態宣言は7月12日に東京都への4度目の適用に追い込まれた。
東京五輪・パラリンピック開催が支持一色にならなかったのも誤算だった。五輪後の上昇を描いていた内閣支持率は、開くことそのものの賛否が割れ、上がらなかった。

3つ目は8月22日投開票の横浜市長選だ。盟友の小此木八郎前国家公安委員長が出馬し、首相が全面支援したにもかかわらず、落選した。首相の地元での敗北で求心力は一気に落ちた。次期衆院選の「顔」として戦えないとの認識が支配的となった。地元での選挙に深くかかわったことが裏目に出た。「地元」「選挙」は政治家の力の源泉である。

自民党は29日に新総裁を選出する。コロナ対策を巡って縦割り行政の壁やデジタル化の遅滞が政策の遂行を阻む実態が鮮明になっている。国と地方の関係など日本の統治の問題も浮かび上がる。自民党の「表紙」をかえたところで、これらの問題が解決するわけではない。

米中対立が及ぼす東アジアの緊張など日本を取り巻く外交・安全保障の環境も厳しい。自民党総裁選はこうした現実を直視し、日本の針路を骨太に論じてほしい。

吉野政治部長と高橋哲史経済部長が自民党総裁選、衆院選とその後の経済・外交の行方を展望するライブ配信イベントを27日18時から開きます。お申し込みはこちらです。
https://www.nikkei.com/live/event/EVT210820001

政治部長(政治・外交グループ長) 吉野直也
政治記者として細川護熙首相から菅義偉首相まで14人の首相を取材。財務省、経済産業省、金融庁など経済官庁も担当した。2012年4月から17年3月までワシントンに駐在し、12年と16年の米大統領選を現地で報じた。著書は「核なき世界の終着点 オバマ対日外交の深層」(16年日本経済新聞出版社)「ワシントン緊急報告 アメリカ大乱」(17年日経BP)。

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