「独中蜜月」の虚実 習体制へ深めた疑心

「独中蜜月」の虚実 習体制へ深めた疑心 
風見鶏 欧州総局編集委員 赤川省吾
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR010ER0R00C21A9000000/

『ドイツ海軍のフリゲート艦バイエルンは8月、インド洋に入った。さっそく海上自衛隊と共同訓練し、在日ドイツ大使館が「対日連携を強化」とツイートした。

同艦はグアムなどを経て11月に日本に至る。「この航海は我々がインド太平洋地域に真剣に向き合おうとしているとのメッセージ」。ベルリンの執務室に電話をかけるとジルバーホルン国防政務次官は力説した。

先んじて軍艦を日本に送った英仏と異なり、ドイツはインド太平洋に領土はない。それでも遠いアジアに海軍を展開するのはメルケル首相らが中国への懸念を深めているからだ。
対中政策の潮目は7~8年前に変わっていた。

2014年、南シナ海で中国と対立する東南アジアにメルケル氏は接近し、各国首脳との会談を重ねた。外交・安全保障政策では中国と距離を置く――。その一歩を踏み出したのだ。
次にドイツ外務省が組織再編に動き、日韓豪などの担当部署を新設。中国以外のアジア太平洋に目配りする体制を整えた。

さらに閣僚の外遊で中国優先をやめた。18年、与党重鎮アルトマイヤー経済相はアジアの初訪問先に日本とインドネシアを選んだ。

ドイツは重要閣僚の外遊で中国優先をやめた(2018年の訪日中、ドイツ企業関係者らと打ち合わせをするアルトマイヤー経済相=左から2人目)
約1週間のアジア歴訪に同行取材中、政府専用機の大臣執務室で食事しながら2人きりで話し込む機会があった。印象的だったのは「日本は価値観をともにする戦略的なパートナー」と何度も繰り返したこと。中国からの招待には、あえて応じなかった、という。

なぜドイツは段階的に中国離れを図ったのか。

中国と深く交流するというドイツの対中政策の指針は胡錦濤(フー・ジンタオ)国家主席と温家宝首相の胡・温体制の時期に確立した。メルケル首相が政策決定した、とされる。
その指針が12年、習近平(シー・ジンピン)体制発足で揺らぐ。「対話で民主化支援」などの欧州流は通じない。「一帯一路」で欧州を切り崩すなど覇権主義がちらついた。懐疑心を強めたドイツは軌道修正したものの、急ハンドルは避けた。

「ドイツ外交は継続性を重んじる。政策を急転換するわけにはいかなかった」。独紙の元北京特派員で、今は企業経営者向け中国情報誌チャイナ・テーブル編集長というドイツ屈指の中国通、フィン・マイアーククック氏は指摘する。

日本は最近まで「ドイツと中国は蜜月」とみていた。なぜ見誤ったのか。

まずドイツの中国離れがゆっくりで、変化に気づかなかった。つぎに日独のすきま風で目が曇った。安倍前政権の発足当初、ドイツは財政政策や歴史認識で立場の異なる日本を公然と批判。その姿勢が「親中」との印象を強めた。

しかも外交対話にこだわる欧州流はデカップリング(分断)をいとわない米国流と温度差がある。「国際社会では時に対立もやむを得ない。ただし非常に丁寧に、できれば外交的に共通の利益を探るべきだ」と社会民主党のシャーピング元党首は取材に語った。

アフガニスタンの駐留失敗で欧州は自信を喪失した。しばらく対中批判を手控えるかもしれない。それでも誤解は禁物だ。対中政策は警戒モードで「輸出に響くから何もしない」という事なかれ主義ではない。

26日はドイツ議会選。次期政権は人権重視だろう。先取りするように財界は中国などの強権国家を非難する声明を発した。「いまの時代は何も言わないことがリスク」との声が独企業から漏れる。翻って日本は強権国家にどう向き合うのか。決断の時が迫る。(欧州総局編集委員 赤川省吾)』

[FT]世界経済のけん引役から外れる中国(社説)

[FT]世界経済のけん引役から外れる中国(社説)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM0298W0S1A900C2000000/

『パンデミック後の世界経済の停滞は、もとより避けられなかった。経済活動の回復は段階的に進むことが多く、起きるのは一度限りだ。ロックダウン(都市封鎖)後の経済再開の勢いは猛烈だが、それが繰り返されることはない。多少の規制緩和をしても再開時のような景気押し上げは望めない。それでも、最近の主要経済指標の軟化は懸念材料だ。感染力の強いインド型(デルタ型)変異ウイルスの拡大やサプライチェーンの問題だけでなく、中国経済の減速を反映している。

8月の財新製造業購買担当者景気指数は中国の生産活動の縮小を示している=ロイター
2008年の金融危機後は、政府の景気刺激策を受け、工業化を進めた中国が急速に成長し、世界経済の回復を助けた。20年には再び中国の鉱工業生産は急回復し、世界でもまれな経済成長を実現した。ところが今、その復調の勢いに陰りが見えている。以前から懸念されていた消費者や企業の債務問題が再浮上しているうえ、中国共産党の政策の優先順位が変容していることが背景にある。

中国メディアの財新と英調査会社IHSマークイットが1日発表した8月の製造業購買担当者景気指数(PMI)は、世界各地でロックダウンが始まった20年4月以来初めて好不調の境目である50を割り込み、生産活動の縮小を浮き彫りにした。この民間版PMIは、中国経済の実態を示す指標として注目度が高い。

中国経済を減速させているマイナス要因には他国に通じる部分もある。デルタ型ウイルスの感染拡大により、中国の多くの地域でロックダウンや移動制限が再導入された。サプライチェーンの問題からメーカーは受注増に対応し切れなくなっている。半導体やコンテナが世界的に不足しているうえ、主要製造拠点であるベトナムで感染が拡大し、工業生産の足かせになっている。

米国でも、デルタ型の広がりが経済減速の原因になっている。感染者数が増える中で、消費意欲が低下しているためだ。欧州では、サプライチェーンの乱れがインフレにつながっている。欧州連合(EU)統計局が先日発表したユーロ圏の7月の物価上昇率は、ほぼ10年ぶりの高水準を記録した。比較対象の前年同月の物価が異常に低かったせいもあるが、部品の供給不足でメーカー各社の生産が進まなかったのは中国と同様だ。

この他、中国独自の要因もある。債務問題に加え、長年の住宅ブームが終わる可能性が懸念されている。同国の不動産開発会社の中で最も重い債務を抱える中国恒大集団は、債務不履行(デフォルト)の危機にある。中国の不動産業者は軒並み、利払い負担の増加に直面している。中国共産党が昨年、経済の不動産への依存度を下げ、不動産開発会社の借り入れを制限する政策に転じたことが影響している。

概して、中国政府はかつての成長最優先の政策から転じ、IT大手による支配や、貧富の差の拡大など、放縦な資本主義の手綱を締めようとしている。それも理解できなくはない。例えば、アルミニウムの減産は政府が環境対策を強化した結果とされる。だが、中国の方針転換は、中国が世界経済にとって、08年の金融危機後のような成長エンジンにはならないことを意味する。世界は今、中国に代わる景気けん引役を探す必要に迫られている。

(2021年9月2日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

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中国、米に圧力緩和要求

中国、米に圧力緩和要求 気候変動巡る協議終了
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM037PE0T00C21A9000000/

『【北京=羽田野主、ワシントン=永沢毅】米中高官による気候変動を巡る協議が3日までに終わった。中国の天津を訪れたケリー米大統領特使は中国側に気候対策の強化を求めた。中国側は共産党幹部が入れ替わり応対し、米国の対中圧力の緩和が先行すべきだと主張する異例の展開となった。

バイデン米政権で気候変動を担当するケリー氏は8月31日に天津を訪問、9月3日まで滞在した。中国は共産党序列7位の韓正(ハン・ジョン)副首相や中国外交担当トップの楊潔篪(ヤン・ジエチー)中国共産党政治局員、王毅(ワン・イー)国務委員兼外相がそれぞれオンラインで協議に臨んだ。

米国務省報道官によると、ケリー氏は二酸化炭素(CO2)排出削減に向けた「追加措置」を要請した。ロイター通信によると、ケリー氏は一連の協議後、電話で記者団に、気候危機は政治的な問題ではないとして、中国に温暖化対策で「最高の目標」を追求するよう促したと説明した。対話の継続で合意したことも明らかにした。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、ケリー氏は中国の排出削減を加速して早ければ50年に排出量の実質ゼロを達成すべきだと訴えた。

中国国営中央テレビによると、韓氏は「気候変動への対応は中米協力の重要な一部で、信頼を前提とすべきだ」と話した。米国が先に関係改善に動くように対応を求めた。楊氏も「米国の内政干渉で中米関係はひどい困難にあっている」と批判した。王氏は関係悪化の原因は米国にあると主張した。』

アフガンで地位固めたい中国

アフガンで地位固めたい中国 J・スタブリディス氏
元NATO欧州連合軍最高司令官
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD3156M0R30C21A8000000/

『英国とロシアは19世紀、アフガニスタンを巡り、「グレート・ゲーム」として知られる覇権争いを繰り広げた。地政学的な競争は、アフガンの戦略的な位置付けと、同国が現在のインドやパキスタンに影響を及ぼす可能性を意識していた。英国も旧ソ連もやがて、「帝国の墓場」と呼ばれるアフガンからの撤収を余儀なくされた。

現在、米国が訓練したアフガン政府軍のあっけない崩壊やイスラム主義組織タリバンの勝利、米側の撤収を受けアフガンは2001年に戻ったかのようだ。当時は、(女性の就労などの基本的人権を侵害するような)厳格なイスラム主義者が統治していた。何かが変わり、新たなグレート・ゲームが始まるのだろうか。

James Stavridis 元米海軍大将。2009~13年北大西洋条約機構(NATO)欧州連合軍最高司令官。カーライル・グループ所属。

新しいタリバンが自国民により優しくなることはないだろうが、自国を国際的なテロ活動の基地とすることを認めれば、約20年に及んだ荒野での生活が待つことを学んだと思われる。ジハード(聖戦)を世界に広めるより、アフガンの支配に集中する公算が大きい。

だが支配は容易ではない。北部には軍閥が残り、長期にわたりタリバンに恭順の意を示すことはないだろう。タジク人やハザラ人といった主要民族は、タリバンを(多数派の)パシュトゥン人の狂信者とみなして反発している。アフガンには外敵を追放した後、内部で抗争を繰り広げた歴史がある。

米国の撤収後、他国はアフガンでどのような役割を果たすのだろうか。地域の枠組みは、突然の出来事に衝撃を受けている。中国やパキスタン、インド、ロシア、イランはアフガンと利害関係があり、今後の展開を左右しそうだ。

中国が、タリバンの主要な国際パートナーになることを目指しているのは明らかだ。中国は、アフガンの基本的人権には関心がないだろう。半導体から電気自動車(EV)の電池までのサプライチェーン(供給網)確立のため、レアアース(希土類)などの資源について地位を固めたいようだ。

パキスタンはいままでも、タリバンを支援してきた。パキスタンを脅かす反政府勢力を抑制し、新たなアフガンにインドが足掛かりを築くのを防ぐためでもあった。インドとしてはアフガンとの関係を構築することで、パキスタンに圧力をかける狙いがある。中国と密接な関係にあるパキスタンは、連携して鉱物資源を開発し、インドがアフガンで役割を果たすのを阻止しようとするだろう。

ロシアは何よりも安定を望んでいるようにみえる。イスラム過激派のテロが北側に輸出される傾向に、歯止めをかけるためだ。イランはかつてタリバンと対立関係にあった。タリバンはイスラム教スンニ派で、イランはシーア派の国だ。ただ、イランはおおむね、米軍がアフガンの基地から追放されたことを歓迎している。

米国はアフガン撤収後も、衛星による監視活動や人的ネットワークなどによる情報収集を続けるとみられる。タリバンと国際テロ組織アルカイダなどの深いつながりを示す証拠がみつかれば、米国はグレート・ゲームに再び参加するかどうか、どのように参加するかを検討することになるだろう。北大西洋条約機構(NATO)などは、米国の周辺で活動することになりそうだ。

当面、アフガンの支配的な勢力を指導するのは近隣の国々、特に中国になるとみられる。グレート・ゲームは続くが、主な参加者は周辺国になると予想される。

関連英文はNikkei Asiaサイト(https://s.nikkei.com/38eGUQm)に

過剰な関与避けられるか

中国は順調に超大国への道を歩んでいるように見えるが、インペリアル・オーバーストレッチ(帝国的な過剰関与)と呼ばれる現象が落とし穴になりかねない。過去にも膨張を続ける大国が国外の事象に関わりすぎ、負担に耐えきれずに衰退してきた。中国も国内経済の成長鈍化を前に広域経済圏構想「一帯一路」を打ち出したが、もろ刃の剣だ。

外部に経済圏を拡大するほど外部の権益を守るコストも増大するからだ。中国はアフガンを一帯一路に組み込もうと多くの投資をしてきた。権益を守るためアフガンに軍隊まで派遣する事態は想定しにくいが、追加で多額の資金を求められる状況はあり得る。行き過ぎた関与を回避し、アフガンを勢力圏に取り込めるのか。中国にとってアフガンは一帯一路の試金石となる。(編集委員 村山宏)』

「Nearly 2,700 Afghan evacuees leave naval bases in Spain and Italy」

星条旗新聞の2021-9-3記事「Nearly 2,700 Afghan evacuees leave naval bases in Spain and Italy」
https://st2019.site/?p=17401

『スペインとイタリアにあった米海軍基地には2700人近い脱出アフガン人が一時滞留していたが、すべて米本土へ転送された。

 1900人はシチリア島のシゴネラ米海軍航空基地にいた。
 750人は、スペインのロタ軍港にいた。

 全員、ワシントンの「ダレス国際空港」か、フィラデルフィア国際空港へ運ばれた。

 シゴネラには最大4000人を収容できる準備をしていた。ロタは3000人という。

 過去2週間、在欧の4箇所の米軍基地に3万8000人近いアフガン人がやってきた。その半分はすでに米本土へ転送された。』

「9/11, 20 years later: did the tragedy give US-China relations a respite?」

Mark Magnier 記者による2021-9-2記事「9/11, 20 years later: did the tragedy give US-China relations a respite?」
https://st2019.site/?p=17401

『9-11のあと、米国は中共に国連決議を妨害されないようにするため、中共ににじりよった。

 中共は、ウイグル人の活動グループを「テロ組織」認定するように米国に迫り、米国はそれを呑んだ。EUと国連もその米国に倣ったのである。

 さらに当時のブッシュ政権は、当時の陳水扁中華民国総統による、台湾独立運動も抑制せんとした。北京の言うなりになって。』

〔ウサーマ・ビン・ラーディン〕

ウサーマ・ビン・ラーディン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3

『出自

ドバイにあるサウディ・ビンラディン・グループのオフィス

ウサーマ・ビン・ラーディンの父のムハンマド・ビン・ラーディンは、イエメンのハドラマウト地方の貧困家庭の出身で、第一次世界大戦前に家族と共に、イエメンからサウジアラビアのジッダに移住し、1930年に荷夫から身を興し、ジッダで建設業を起業した。ファイサル国王の目にとまり王室御用達の建設業者となり事業は急成長を遂げ財閥「サウディ・ビンラディン・グループ」を柱とするビン・ラーディン一族を形成した[注 1]。一族の巨額な財産分与が様々な方面に流出した結果、そのいくつかがイスラム教原理主義テロ組織の資金源になっているとされる。

ムハンマド・ビン・ラーディンは22回の結婚をし54人の子供を儲けることになったが、妻子の大半は40代を過ぎて事業が拡大してからの子供たちである。また、最初の妻以外は短期間で離婚している。ウサーマ・ビン・ラーディンはムハンマドの17番目の子であった。ビン・ラーディン一族は50億ドル以上の資本を所有しており、その内、2億5000万ドル以上がウサーマに分配されていた[14][注 2]。』

『出生から青年期まで

ウサーマ・ビン・ラーディンは、サウジアラビアのリヤドで、建設業で財を成したイエメン出身の父ムハンマド・ビン・ラーディンと、その10番目の妻でシリア出身の母アリア・ガーネム(後のハミーダ・アル=アッタス(英語版))の間に生まれた[15][16]。生年月日は、ビン・ラーディン本人が1998年のインタビューの中で1957年3月10日であると語っている[16][17]。

父ムハンマドはビン・ラーディンが生まれた直後にガーネムと離婚し、彼女はその後ムハンマド・アル=アッタスと再婚して別の4人の子を儲けたため、幼少期のビン・ラーディンは実父と離れて3人の異父弟・1人の異父妹と共に生活することになった[16]。ビン・ラーディンは敬虔なスンナ派ムスリムとして育てられ[18]、1968年から1976年にかけてはジッダの世俗的なエリート校で教育を受けた[16][19]。その後、ジッダのキング・アブドゥルアズィーズ大学に進学して経済学と経営学を学んだ[20]。ビン・ラーディンが1979年に土木工学の学位を取得したという報告や[21]、1981年に行政学の学位を取得したという報告が存在する一方で[22]、学位を取得する前に大学をやめたとする報告も存在する[23]。
大学時代、ビン・ラーディンの関心は宗教に向かい、「クルアーンおよびジハードの解釈」と慈善活動に精力的に参加したほか[24]、詩作にも興味を示し[25]、バーナード・モントゴメリーやシャルル・ド・ゴールの著作を好んで読んだと言われている[26]。思想の面では、ムスリム同胞団に加入し、サイイド・クトゥブの思想に引き付けられた。さらに大学で教鞭をとっていたムスリム同胞団のアブドゥッラー・アッザームの教えを受け、師と仰ぐようになった(のちにビン・ラーディンは、自身に影響を与えた人物として、クトゥブとアッザームの名を挙げている)。ビン・ラーディンは厳格なサラフィー主義から、音楽や映画などに対して不寛容であった。その一方で、競走馬に大きな関心を寄せていたほか、サッカーを好んでプレーし、英国のクラブであるアーセナルFCのファンでもあった[26]。』

『アルカーイダの結成

詳細は「アルカーイダ」を参照

1988年、ビン・ラーディンはMAKから独立した新組織「アルカーイダ」を立ち上げた。ローレンス・ライトの調査によれば、アルカーイダは1988年8月11日に、ビン・ラーディン、アッザーム、およびジハード団の幹部数名による合意によって結成され、その目的はビン・ラーディンの資金とジハード団の専門知識を組み合わせることで、ソ連軍がアフガニスタンから撤退した後も世界の別の地域でジハードを継続することにあった[37]。

1989年2月にソ連軍のアフガニスタンからの撤退が完了した後、ビン・ラーディンはサウジアラビアに帰国した[38]。サウジアラビアでビン・ラーディンとその軍団は、ソ連という「強大な超大国」を倒した英雄として扱われた[30][39]。帰国した後のビンラーディンは一族の建設会社(サウディ・ビンラディン・グループ)を手伝ったが、一方でサウジアラビアの体制に反抗する姿勢を示したため、当局から警戒された[30][38]。』

『湾岸戦争と米軍駐留・サウジアラビアからの追放(1990–2000年)

1990年8月2日、サッダーム・フセインのイラク軍がクウェートに侵攻し、サウジアラビアとの国境に到達した。サウジアラビアがイラクからの脅威に直面する中、ビン=ラーディンはファハド国王およびスルターン国防相と会談を行い、国内に異教徒のアメリカ軍を駐留させる代わりに、自らのムジャーヒディーン軍団によってサウジアラビアを防衛する計画を提案した[40]。しかし、サウジアラビア王家はビン・ラーディンによる提案を拒絶し、最終的にはアメリカ軍のサウジアラビア駐留を認めた[41]。1990年8月7日、アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュはアメリカ軍のサウジアラビア派遣を発表し、同軍は8月8日からサウジアラビアへの展開を開始した[42]。

ビン・ラーディンは、非イスラム教徒がアラビア半島に常駐することは預言者ムハンマドによって禁じられていると解釈しており[43]、メッカ・マディーナという2つの聖地を抱えるサウジアラビアに異教徒のアメリカ軍が進出したことに憤慨した[44]。それと同時に、駐留を許したサウジアラビア王家(サウード家)を「背教者」として糾弾した[43]。湾岸戦争が引き金となったアメリカ軍のサウジアラビア駐留は、ビン・ラーディンを急速に反米活動に傾倒させていった。

1991年、サウジアラビア王家はアメリカ軍との同盟関係への批判を繰り返すビン・ラーディンを国外追放に処した[38][44]。サウジアラビアを追われたビンラーディンとその一派は、当初はアフガニスタンで亡命生活を送ったが、1992年までにスーダンに移動した[38][44]。アフガニスタンに滞在中の1992年3月から4月にかけ、ビン・ラーディンは激化するアフガニスタン内戦の仲裁を試み、グルブッディーン・ヘクマティヤールに対して他のムジャーヒディーン指導者と協力するよう呼びかけていた[45]。』

 ※ 以下、省略。

バイデン氏、9.11文書の機密解除指示

バイデン氏、9.11文書の機密解除指示 遺族圧力受け
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN040DP0U1A900C2000000/

 ※ 大体、ウサマ・ビン・ラディン氏自体が、サウジの王室と深いつながりがあるんじゃなかったか…。

 ※ 親父が、王室に深く食い込んで(建設業者で、工事を政治力で請け負った)、巨額の財産を築いた…。息子は、いつしか「過激思想」に転向し、その財力で「過激運動」を推進し、そっちの方の有力者になって行った…、というストーリーを読んだような記憶がある…。

『【ワシントン=共同】バイデン米大統領は3日、2001年9月11日の米同時テロに関連する捜査資料などの文書を巡り、機密指定を広範に解除するよう指示する大統領令に署名した。遺族らは解除されなければ、発生から20年の節目となる今月11日の追悼イベントにバイデン氏が出席することに反対すると圧力をかけていた。

米メディアによると、遺族らはサウジアラビア政府のテロへの関与を示す資料があると主張し、昨年の大統領選で9.11関連資料の機密解除を公約に掲げたバイデン氏側と協議を続けてきた。

バイデン氏は大統領令で、同時テロについて「今も多くの米国民の生活に影響を与えており、政府は最大限の透明性を確保し、機密は必要な狭い範囲にとどめることが重要だ」と説明した。

大統領令は司法省などに対し、連邦捜査局(FBI)の捜査資料を含む文書の機密指定見直しを指示し、解除された文書を今後180日間で公開していくよう求めた。

AP通信によると、サウジの関与を巡っては、過去の調査でサウジ人と一部実行犯の関係が指摘されたが、政府の直接関与は断定されていない。司法省は先月、実行犯に共犯者がいたかどうかを巡るFBIの捜査が終了したと発表していた。』

平井氏、デジタル庁への影響否定

平井氏、デジタル庁への影響否定
発足3日目に生みの親、首相辞意
https://nordot.app/806445429529329664?c=39546741839462401

『デジタル庁は発足から3日目に、生みの親である菅義偉首相が退陣の意向を表明する事態に見舞われた。平井卓也デジタル相は、どの内閣でも行政手続きのオンライン化などは重要課題であり、大きな影響はないとの見解を示した。

 退陣の一報は、初代デジタル相に就いた平井氏に対し、報道各社が合同でインタビューする直前に舞い込んだ。平井氏は「お考えがあって決断されたと思う。閣僚として重く受け止めたい」と厳しい表情で語った。

 その上で「国の方針を国会が決めた。政治状況に左右されずに前へ進む。この路線は、いかなる状況になったとしても変わらない」と述べた。』

菅首相の退陣表明で霞が関

「ショック」「明るくなる」 菅首相の退陣表明で霞が関
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090301003&g=pol

『 菅義偉首相の退陣表明を受け、中央省庁の幹部らは「本当にびっくり」「これほど急に政局が動くのは見たことがない」と一様に驚いた。同時に、官房長官から9年近く政権中枢にいた菅氏について「長かった」と弊害を指摘する幹部もいた。
菅首相、延命狙うも万策尽き 頼みの派閥支援望めず―小泉氏進言背中押す

 菅氏は官房長官時代の2019年、電気や農業の利水ダムを水害対策に使う方針を決定。省庁の縦割りを破る施策で、国土交通省幹部は「災害対応に並々ならぬ強い意識を持っていた。馬力があった」。
 50年に温室効果ガスの排出を実質ゼロとする目標を打ち出すなど地球温暖化対策にも意欲的で、環境省幹部は「ショックだ」と肩を落とす。パラリンピック開催中の退陣表明となったが、文部科学省幹部は「(大会を)やり遂げる強い意志があった。感謝している」と話した。
 来年度予算編成作業を本格化させる財務省。幹部は「ぼろぼろになる前に辞任を表明して良かった。体面は保たれたが、政治的な影響力はもうなくなるだろう」。菅氏は成長戦略の具体化策の取りまとめを指示したが、この幹部は「新しいことは次の首相がやるのでは」と話した。
 政府は14年、省庁幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を設置。官邸が人事を掌握し、官僚の過度な忖度(そんたく)を生んでいると批判された。ある省幹部は「長かった。同じ人がずっと人事をやっていると好き嫌いが出てくる。霞が関も明るくなるのでは」と語った。
 人事で中央官庁ににらみを利かせてきた菅氏だが、退陣の引き金となったのは自民党役員人事。別の省幹部は「人事で局面を打開してきたのに、人事でだめだった。皮肉な結末だ」。』

安倍前首相、高市氏を支援の意向 自民総裁選

安倍前首相、高市氏を支援の意向 自民総裁選
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA040UN0U1A900C2000000/

『安倍晋三前首相が自民党総裁選で高市早苗前総務相を支援する考えを示したことが4日、わかった。安倍氏が出身派閥の細田派の幹部や高市氏本人に伝えた。総裁選後の衆院選もにらんで保守層をつなぎとめる狙いがあるとみられる。

高市氏は2012年の第2次安倍政権発足以降、党政調会長や総務相などを歴任した。安倍氏と高市氏は自民党有志の保守系グループ「保守団結の会」でともに顧問を務め、政治信条が近い。

高市氏は現在の細田派にかつて所属し、いまは無派閥だ。細田派は党内の最大派閥で動向が注目される。高市氏が同派の所属議員からの支持を広げられれば、立候補に必要な推薦人20人の確保が見通せるようになる。

高市氏は3日、国会内で記者団に「出馬の意思は変わらない。幅広くいろんな方に支援をお願いしたい」と強調した。

細田派は3日に幹部会合を開き、総裁選の構図を見極めながら9日の派閥総会で対応を協議すると確認した。

総裁選は17日告示―29日投開票の日程で実施される。現職の菅義偉首相(党総裁)は3日に不出馬を表明した。岸田文雄前政調会長が出馬を明言している。河野太郎規制改革相が立候補の意向を固め、石破茂元幹事長らも対応を検討している。

【関連記事】総裁選の構図一変 岸田氏と河野氏出馬、石破氏も検討 』

菅新総裁が向き合う三国志(再掲)

菅新総裁が向き合う三国志 令和の自民党の権力構造
https://http476386114.com/2020/09/15/%e8%8f%85%e6%96%b0%e7%b7%8f%e8%a3%81%e3%81%8c%e5%90%91%e3%81%8d%e5%90%88%e3%81%86%e4%b8%89%e5%9b%bd%e5%bf%97%e3%80%80%e4%bb%a4%e5%92%8c%e3%81%ae%e8%87%aa%e6%b0%91%e5%85%9a%e3%81%ae%e6%a8%a9%e5%8a%9b/

 ※ 表示させて読んでいる人がいたんで、オレも読み返してみた…。

 ※ もう、すっかり貼ったの忘れていた…。

 ※ 今、読み返してみると、相当に参考になる…。

 ※ 菅さんの権力基盤、自民党内の権力構造…。

 ※ 今でも、そんなに変化して無いだろう…。

 ※ ただ、「フルスペックの総裁選」やる場合、どうしても「党員票」が問題となる…。


 ※ そして、SNSとネットの発達により、昔のように「メディア操作」を通じた「大衆操作」がやりにくくなっている…、という点がちょっと違って来た点だろう…。

『首相の安倍晋三が退陣を表明した翌日の8月29日。菅は国会内の議員事務所にこもった後、前からの約束を変更せずに私的な食事会で肩の力を抜いた。本番はここからだ。東京・赤坂の衆院議員宿舎の応接室で幹事長の二階俊博、その側近で幹事長代理の林幹雄、国会対策委員長の森山裕(石原派)と向き合った。この4人組は全員が秘書や地方議員からのたたき上げだ。』

『週明けの31日、二階の電光石火の策動を仕上げたのが森山だ。9月14日の両院総会で新総裁を決め、政治空白の回避を理由に16日に臨時国会を召集して首相指名選挙を実施する。こんな短期決戦の政治日程で主要野党と素早く話をつけた。1日の総務会で総裁公選を要求した青年局長の小林史明ら若手議員も「野党に今さら迷惑をかけられない」との森山の論法に屈した。

霞が関の官僚機構を動かし、情報を吸い上げる官房長官。選挙対策や資金配分など党務を差配する幹事長。野党も巻き込んで政治日程を組み立てる国対委員長。安倍が首脳外交やアベノミクスなどでトップダウンの政権運営を展開した「安倍一強」を舞台裏で支えてきた、たたき上げの「裏方同盟」が総裁選で菅本命の流れを一気につくり出したのである。これを「二階派主導」とだけ見るのは皮相だ。』

『官邸と党執行部の要のポストを押さえた「実権派」グループだから、次の党内権力の奪取でも決定的な先手を取れたのだ。新型コロナウイルス対策に苦慮した安倍が、側近の官邸官僚たちの進言で一斉休校、アベノマスクの配布、自宅でくつろぐ動画配信などで迷走。内閣支持率を低下させ、健康不安を再燃させていった陰で「裏方同盟」による権力の静かな簒奪(さんだつ)が進んでいたともいえる。』

『安倍や副総理・財務相の麻生太郎がポスト安倍に擬したのは、同じ世襲議員で気が合う政調会長の岸田文雄だった。2019年に新元号を発表して「令和おじさん」で知名度を上げた菅は岸田後継に反対。安倍側近スタッフたちはポスト安倍への菅の野心を疑い、すきま風が吹いた。官邸がコロナ対策に追われた20年前半、菅の存在感は薄れた。』

『安倍晋三首相と麻生太郎副総理は石破茂氏を担ぎ出すシナリオを警戒した

そこへ派内に総裁候補を持たずに幹事長続投を狙う二階がすかさず菅に接近した。返す刀で、安倍と麻生が次期首相には絶対に容認できない宿敵の石破を持ち上げて見せるなど「岸田後継」をけん制。「菅・二階連合」が石破を担ぎ出すまさかの悪夢だけは避けねば、と安倍・麻生ラインが警戒し、次善の選択として「菅後継」も思案せざるを得ない環境が醸成された。

それを象徴したのが6月19日。安倍、麻生が党税調会長の甘利明(元経済財政相)も誘い、菅を入れて4人で3年ぶりに会食した場面だった。12年12月に安倍が首相に再登板し、異次元の金融緩和を軸として発動したアベノミクスを内閣で推進してきたカルテットだ。政権の原点を再確認する形で、安倍、麻生と菅の微妙に開いた距離を縮める「復縁」の儀式ともいえた。』

『この頃、霞が関の官僚たちからは「菅氏はやる気を失ってなどいない」との驚きも漏れてきた。菅が今夏の各府省の幹部人事の随所に手を入れ、官僚機構の手綱を締め続ける意欲十分だったからだ。官房長官の実権を手放す気配など一切なかった。』

『6月18日を最後に官邸での記者会見に応じず、「引きこもり」とも言われた安倍と対照的に、菅は政権の司令塔としての重みを回復していく。コロナで不備が露呈したマイナンバーカードの活用拡大。総裁選でも力説した治水・利水ダムの縦割り行政打破による水害対策。「コロナ感染拡大阻止と社会経済活動の両立」を旗印に掲げ、「Go To トラベル」事業の推進に不退転の姿勢も打ち出した。

安倍が健康不安を隠せなくなり、退陣表明するまでのひと月で、菅は6回もテレビやインターネットの報道・討論番組に出演した。辞意会見の6日前の8月22日、自らのブログで安倍を議長とする未来投資会議を4年ぶりに話題に。「ウィズコロナ、ポストコロナの時代の新たな社会像への議論を始めた」と新たな経済社会ビジョンづくりへの意欲すらにじませた。事実上の権力移行が始まっていた。』

『菅が権力の正統性を「安倍継承」に頼り切らず、独自に調達するには早期の衆院解散・総選挙で有権者から信任を受けるしかない。「仕事がしたい」と意気込む菅だが、衆院選抜きに「安倍前総裁の残任期間1年の暫定政権」は脱せない。権力基盤を増強するため第3の勢力も育成しつつある。そのキーワードは負けても権力闘争に挑み続けたこの20年余の政治活動で常に旗印に掲げた「脱派閥と世代交代」だ。

「無派閥で総裁になるのは私が初めてだろう。派閥の組み合わせから総裁候補になったんじゃない。無派閥を貫いていく」

菅は11日、インターネット番組でこう「脱派閥」を訴えた。』

『総裁選で「防衛相の河野太郎さんが出れば、河野さんを応援します」と環境相の小泉進次郎が発言し、河野も「非常にありがたい」と応じるひと幕があった。麻生派の河野も無派閥の小泉も結局は同じ神奈川県選出の菅支持に落ち着いたが、これは麻生にとって笑い事ではなかった。「総裁候補・河野」への世代交代を派内が一致して受け入れる態勢になかったからだ。

といって、麻生が岸田支持なら、河野は出馬に走って派閥は割れたかもしれない。河野に影響力を持つ菅を担ぐことで降ろすしかなかったのだ。世代交代のマグマは安倍のお膝元の細田派でも胎動する。「改革意欲に富む人材を登用する」と宣言する菅は親しい河野や小泉らに仕事をさせ、世代交代の後見役を演じることで派閥領袖たちをけん制するはずだ。天下三分の計は現代に生きている。=敬称略 』

「お前と一緒に沈められねえだろ」

「お前と一緒に沈められねえだろ」退陣表明前夜、“2A”から首相に三くだり半
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/795598/

 ※ 良記事だ…。「西日本新聞」という地方紙の記事だ…。福岡中心に発行されているものらしい…。

 ※ 共同通信のサイト(47NEWSとか言うもの)に、載っているものだ…。

 ※ ここは、時々、目の覚めるような「良記事」を載せるんで、注目している…。

 ※ 東京駐在の記者が、足で取材活動しているんだろうな…。

 ※ 各有力者達とのやり取りを、語っていて生々しい…。

 ※ 今回の人事案を評して、「個利個略だ!」という反発が出たという記事を見かけたが、ちょっと意味が分からんかった…。

 ※ その意味するところが、分かったよ…。

 ※ ただ、3Aの最後の一人の甘利氏の動きが、全く語られていないな…。

 ※ 同氏は、どういう動きをしたんだろうな…。

『2日夜。菅義偉首相は、自民党役員人事の一任を取り付けるため、麻生太郎副総理兼財務相と接触した。

【関連】菅首相、国民に語る「言葉」なく

 同じ神奈川県選出で信頼する麻生派の河野太郎行政改革担当相を要職に起用できないか―。だが、麻生氏は声を荒らげた。「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」

 首相は説得を試みたが、麻生氏は最後まで首を縦に振らなかった。

 もう1人、首相の後ろ盾である安倍晋三前首相にも党人事への協力を求めたが“三くだり半”を突き付けられた。首相が「孤立」した瞬間だった。

 一夜明けた3日午前11時半、自民党本部8階。居並ぶ党幹部を前にした首相は静かに目を閉じた。事務方が用意した「党役員人事は6日に行う」という書類には目を落とさず、こう言葉を絞り出した。

 「1年間、コロナ対策に全力を尽くしてきた。総裁選を戦うには相当のエネルギーを要する。総裁選は不出馬とし、コロナ対策を全うしたい」』

『3日午前11時20分ごろ、菅義偉首相は自民党役員会に出席するために訪れた党本部で、二階俊博幹事長に辞意を伝えた。

 前日には総裁選出馬の意向を示していた菅氏の突然の変心。驚いた二階氏は慰留したが、首相は無言だった。

 首相はこれに先立ち、官邸で麻生太郎副総理兼財務相にも面会。「しんどいです」。首相の気力はすでに失われていた。

 新型コロナウイルス対策では「後手」批判を浴び続け、東京五輪の政権浮揚効果も不発。8月にあった地元の横浜市長選でも支援候補が「大敗」した。

 党内には「首相のもとでは選挙は戦えない」という声が日増しに高まる。支持を期待する麻生氏も周囲に「このままだと、選挙は厳しいな」と漏らすようになった。

 追い打ちを掛けたのが、9月の自民党総裁選で対抗馬になる岸田文雄前政調会長の「二階切り」を含む人事改革案。党内の中堅、若手から歓迎する声が上がり、総裁選の流れは岸田氏に傾き始めた。』

『焦りを募らせた首相や側近議員たちは、総裁選の先送りを模索。そこで浮上したのが、総裁選前に衆院解散し、与党勝利をもって党総裁選を乗り切る「9月中旬解散説」だ。

 東京・赤坂の衆院議員宿舎で8月31日、首相は二階氏に既定路線とされた任期満了選挙に加え、9月中旬解散が選択肢にあることを伝達。二階氏は首相の判断に委ねると返答した。

 だが、31日夜にこの話は漏れ伝わり、党内から「道連れ解散だ」「無理心中するつもりか」との批判が一気に広がった。麻生氏から9月解散説を知らされた安倍晋三前首相は、首相に電話で「総裁選はしっかりやるべきだ」と忠告。首相が重用している小泉進次郎環境相も「総裁選を先送りしたら首相も党も終わりです」と進言した。

 翌1日朝、首相は官邸で「解散できる状況ではない」と表明。首相は「解散カード」を封じられた上、党内の信頼も同時に失った。

 首相が、岸田氏の「二階切り」への対抗策として打ち出した人事刷新案もこの解散騒動で行き詰まる。

 首相は安倍、麻生両氏と折り合いが悪い二階氏を幹事長から外すことで歓心を買い、さらに知名度の高い河野太郎行政改革担当相や小泉氏らを要職に起用することで刷新感を演出するはずだった。

 だが、総裁任期まで1カ月を切る中での異例の人事案は「保身のためという狙いが透けて見える」(中堅議員)など、遠心力を招くばかり。麻生氏は河野氏に人事要請を受けないよう求め、安倍氏の出身派閥の細田派も距離を置き始めていた。

 総裁選で菅氏が敗れることを想定すれば、菅氏の人事案に乗ることはリスクが高い。「誰も引き受け手はいない」(首相周辺)。無派閥で党内基盤のもろい首相に残された手は、もう残っていなかった。』

『二階氏は首相と面会した2日夜、派閥議員たちに「菅さんはやる気満々だ」との印象を伝えた。菅政権を支えてきた森山裕国対委員長も、菅氏が辞意表明する3日朝まで総裁選戦略や人事案などについて思案していた。

 首相は3日、官邸で辞意の理由について「コロナ対策と総裁選は両立できない」と語った。だが、人事が見込みも立たず、孤立無援の末に1人で辞任を決めざる得なかったのが実情だ。

 首相側近はテレビで首相の辞意を知り、こう嘆いた。「人事権も解散権も封じ込まれた総理総裁なんて見たことがない。最後は裸の王様だったよ」

 (古川幸太郎、久知邦)』

首相退陣、勝負を分けた3つの瞬間

首相退陣、勝負を分けた3つの瞬間
Angle 吉野直也
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA251H60V20C21A8000000/

『菅義偉首相が自民党総裁選への出馬を見送り、退陣する。2020年9月16日に政権が発足してから1年足らず。この1年を振り返ると勝負を分けた瞬間が3つあった。

1つは衆院解散の判断だ。日本経済新聞社の世論調査で、発足直後の内閣支持率は74%と発足時で過去3位という好スタートを切った。同年11月までは60%近い高支持率を保った。その頃までに解散していれば、過去の支持率と獲得議席を照らし合わせても、自民党が単独過半数を維持できる可能性が高かった。

08年に麻生太郎首相は就任直後の衆院解散をためらい、結局、09年衆院選で民主党に政権交代を許した。菅首相は自民党選挙対策副委員長としてその過程をつぶさにみていたはずだが、教訓は生かされなかった。

模索した9月中旬の衆院解散は反対され、それを覆す体力は政権に残っていなかった。衆院選で信任された政権と、そうでない政権は自民党の国会議員や国民の受け止め方も違ったものになる。信任を得ていれば、人事で自らの意向を反映しやすくなるためだ。

現在と比べると新型コロナウイルスの新規感染者数が少なかった20年秋ごろに解散してまず4年の時間を確保していれば、衆院選への不安心理が底流にある今回の政局の様相は根本的に異なっていた。衆院選と総裁選をセットで考える戦略が解散の判断を鈍らせる結果となった。

2つ目はコロナ対策だ。切り札と位置づけたワクチン接種は出遅れた。自衛隊の大規模会場の設置や職場での接種で巻き返したが、そのさなかに職場接種が滞った。

逆に政府のコロナ対策に不安が広がった。追い打ちをかけるように新規感染者数が拡大。最後と繰り返していた緊急事態宣言は7月12日に東京都への4度目の適用に追い込まれた。
東京五輪・パラリンピック開催が支持一色にならなかったのも誤算だった。五輪後の上昇を描いていた内閣支持率は、開くことそのものの賛否が割れ、上がらなかった。

3つ目は8月22日投開票の横浜市長選だ。盟友の小此木八郎前国家公安委員長が出馬し、首相が全面支援したにもかかわらず、落選した。首相の地元での敗北で求心力は一気に落ちた。次期衆院選の「顔」として戦えないとの認識が支配的となった。地元での選挙に深くかかわったことが裏目に出た。「地元」「選挙」は政治家の力の源泉である。

自民党は29日に新総裁を選出する。コロナ対策を巡って縦割り行政の壁やデジタル化の遅滞が政策の遂行を阻む実態が鮮明になっている。国と地方の関係など日本の統治の問題も浮かび上がる。自民党の「表紙」をかえたところで、これらの問題が解決するわけではない。

米中対立が及ぼす東アジアの緊張など日本を取り巻く外交・安全保障の環境も厳しい。自民党総裁選はこうした現実を直視し、日本の針路を骨太に論じてほしい。

吉野政治部長と高橋哲史経済部長が自民党総裁選、衆院選とその後の経済・外交の行方を展望するライブ配信イベントを27日18時から開きます。お申し込みはこちらです。
https://www.nikkei.com/live/event/EVT210820001

政治部長(政治・外交グループ長) 吉野直也
政治記者として細川護熙首相から菅義偉首相まで14人の首相を取材。財務省、経済産業省、金融庁など経済官庁も担当した。2012年4月から17年3月までワシントンに駐在し、12年と16年の米大統領選を現地で報じた。著書は「核なき世界の終着点 オバマ対日外交の深層」(16年日本経済新聞出版社)「ワシントン緊急報告 アメリカ大乱」(17年日経BP)。

日本経済新聞 政治・外交Twitter
https://twitter.com/nikkeiseijibu 』

小泉氏進言、首相不出馬に影響

小泉氏進言、首相不出馬に影響 解散・人事…万策尽きる
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE036ZT0T00C21A9000000/

『菅義偉首相が自民党総裁選への出馬を断念した。当初想定していた総裁選と衆院選を一体にして勝利するシナリオが横浜市長選の敗北で崩れると、その後は人事刷新、衆院解散などめまぐるしく打開策が検討された。だが支持率低迷に党内の反発が加わり、事実上退陣する道を選んだ。

【関連記事】
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3日午後、首相は自民党役員会で不出馬の意向を表明後、信用する二階派の武田良太総務相を呼んだ。「もう戦う気がなくなった」。武田氏に感謝の念を示すとともに、不出馬の理由をこう説明した。

伏線はあった。2日午後、首相が二階俊博幹事長のもとを訪れようとすると「首相が不出馬を伝える」との情報が永田町に駆け巡った。「誰かが仕組んでいる」。首相の気力は尽きた。

最終局面で首相は小泉進次郎環境相と4日連続で会談した。同じ神奈川県選出、若手のホープである小泉氏を首相はひきたててきた。人事刷新の際には、要職に就くとみられていた。

その小泉氏は「ここで身をひけば総理がやってきた仕事は後々、評価されます」と党内情勢の厳しさを説き、勇退を進言した。衆院解散・総選挙の断行論にも苦言を呈した。

小泉氏が「なぜ私と会っていただけるのか」と聞くと、首相は総裁選出馬の正面突破か、断念かで揺れ動く心境をこう明かした。「それはどちらとも考えているからです」

【関連記事】小泉氏、断腸の退陣説得 首相と膝詰め1週間
総裁選と衆院選をセットで勝ち抜く戦略は、自らが号令をかけて回数を大幅に増やしたワクチン接種で手応えを感じていた。接種が進めば、新規感染者は減っていくと首相と周辺はみていた。

ところが7月下旬に開会した東京五輪はインド型(デルタ型)が直撃し、8月には新規感染者が過去最多となった。8月下旬の横浜市長選で首相が支援した小此木八郎前国家公安委員長が立憲民主党の推薦候補に大敗した。

党内で「菅首相では選挙は戦えない」との交代論が一挙に広まり始めた。「本当は8月に収束すると思っていた」。失意に沈んだ首相は周辺にこう漏らした。打開策は人事だった。

8月下旬、東京・赤坂の衆院議員宿舎で協議した萩生田光一文部科学相や小此木氏らからは「首相の思うように人事をやって勝負すべきだ」との主戦論が相次いだ。

岸田文雄氏の出馬表明は「菅首相でなければ誰でもいい」との党内感情を高め、現職が絶対有利なはずの総裁選も予断を許さぬ展開になっていた。

選択肢として検討したのが総裁選前に衆院を解散し、中央突破する案だった。しかし観測が広がっただけで、解散反対論が一気に噴出した。小泉氏と安倍晋三前首相からも解散とりやめを促され、解散カードは消えた。

二階氏を交代させる人事刷新案も「トップが代わらなければ意味がない」と党内の期待はしぼんだ。幹事長の後任に萩生田、小泉両氏の名があがったが実現しなかった。

万策がつきた首相に残ったのは、不出馬・退陣だった。

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・総裁選の構図一変 岸田氏と河野氏出馬、石破氏も検討
・首相退陣、勝負を分けた3つの瞬間 』

「菅氏は信頼できる同志」 ハガティ前駐日米大使

「菅氏は信頼できる同志」 ハガティ前駐日米大使
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090400166&g=int

『【ワシントン時事】菅義偉首相の官房長官時代を知る前駐日米大使のハガティ上院議員は3日、菅氏の退陣表明を受けて声明を出し「信頼できる同志であり、パートナーであり、『課題解決者』だった。共に仕事をする中で、どんな困難も過大ではなかった」と振り返った。

米政権「強固な同盟変わらず」 日本の不安定化懸念の報道も―菅首相退陣

 ハガティ氏は在任中、沖縄県の在日米軍基地問題などをめぐって菅氏と頻繁に面会し、信頼関係を構築してきた。声明では、インド太平洋地域で中国や北朝鮮、ロシアの脅威が増していると指摘した上で「(菅氏は)かつてないほど強化された日米の戦略的関係に今後も多大な貢献を続けると確信している」と期待を示した。』

米政権「強固な同盟変わらず」 日本の不安定化懸念の報道も

米政権「強固な同盟変わらず」 日本の不安定化懸念の報道も―菅首相退陣
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090300724&g=int

『【ワシントン時事】米ホワイトハウスの報道担当者は3日、退陣を表明した菅義偉首相について「バイデン大統領は新型コロナウイルスや気候変動、北朝鮮、中国、台湾海峡の平和と安定の維持など、共通の課題に対する指導力に感謝している」と語った。その上で「日米同盟は強固であり、今後もそうあり続ける」と強調した。

菅首相退陣で株価急伸 日経平均500円超高

 米メディアは菅氏の表明を相次いで速報した。ウォール・ストリート・ジャーナル紙(電子版)は、菅氏が政権発足からわずか1年で退陣することに触れ、「米国にとって最も重要な同盟国の一つで再び政権が不安定化する」と懸念を示した。
 ワシントン・ポスト紙(電子版)は、新型コロナ対策の失敗が内閣支持率の急落につながったと分析。ニューヨーク・タイムズ紙(同)は安倍政権で長く官房長官を務めた菅氏を「陰の権力者」と表現し、「公の場では常に気まずそうだった」と評した。』