アフガン退避、2度の計画断念

アフガン退避、2度の計画断念 幻に終わった救出劇
想定外の早期陥落、テロで移動困難
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA31BR20R30C21A8000000/

 ※ 相当に「裏話」にまで、踏み込んだ記事だ…。

 ※ これが、現状だ…。

 ※ 「カントリー・リスク」ある地域に進出する民間企業は、そういう現状を覚悟で現地に行く必要がある…。

 ※ 「イザと言う時には、どこからも”援助”は来ない…。」「日本の自衛隊は、手足を縛られていて、活動できない。」という覚悟で…。

『アフガニスタンから邦人や日本大使館の現地職員らを退避させる政府の作戦が8月31日に終わった。結果は邦人1人と米政府の協力者であるアフガン人14人の移送にとどまった。最大500人の救出を想定し、外務省が練った2度のプランは想定外の事態に断念を迫られた。

「早期退避を検討してください」。イスラム主義組織タリバンが支配地域を着々と広げていた8月上旬、アフガニスタンの日本大使館は在留邦人に警戒を呼びかけていた。多くの人は従ったが、仕事や家族など様々な事情から出国を留保する人もいた。

東京では外務省が4日から水面下で、邦人と大使館の現地職員を含むアフガン人協力者の退避を検討し始めた。10日前後には「90日以内にタリバンが首都カブールを制圧する」との米情報機関の分析をメディアが報じた。

民間チャーター機を手配し、18日にカブール空港から飛び立つ――。外務省は14日、1度目の救出計画を立てたが、翌15日、カブールは想定外の早さで陥落した。空港への民間機の離着陸は不可能になった。第1の計画は失敗に終わった。

外務省は大使館の邦人職員12人の退避に忙殺され、アフガン人職員ら協力者への対応は後回しになった。市街地では刑務所から囚人が逃げ、銃撃戦も始まった。

米国からは大使館の撤収を促す連絡が入った。米軍からは「退避が遅れたら安全を保証できない」と迫られた。大使館は米軍と覚書を結び、撤収への協力を要請した。

大使館員は空港を目指したが、移動もままならなかった。森健良外務次官はシャーマン米国務副長官に電話し、米軍ヘリによる車両の保護を求めた。出国には英国の軍用機の力も得て17日、ドバイに逃れた。

まだアフガンに残る500人ほどのアフガン人協力者をどう救出するか。「救出を引き受けてくれないか」。外務省は翌18日からアフガンにすでに軍を展開していた米欧各国に打診した。19日まで続けたものの、各国とも自国の協力者の救助が精いっぱいで確約は得られなかった。

万策尽きた外務省が防衛省に自衛隊派遣を打診したのは20日朝。防衛省は1日で作戦をまとめ、岸信夫防衛相が21日に部隊出動を決断した。菅義偉首相の了承を得て、23日、自衛隊に派遣命令を出した。

外務省には「自衛隊の派遣は最後の手段」という考え方が根強い。過去の派遣で野党などの追及を受けてきたからだ。争乱状態のアフガンに自衛隊を送ることへの懸念から判断が遅れた。

外務省は2度目の救出プランを練った。大使館職員らが第三国からアフガンに戻って25台ほどのバスを手配し、希望者を乗せて検問をくぐり抜ける計画だ。タリバン幹部へ退避対象者リストを渡して検問通過の合意に見込みをつけると、26日に希望者を集めてバスに乗り込んだ。

タイミング悪く26日午後に空港周辺での自爆テロが起きた。混乱から検問所は100台に及ぶバスの列ができ、検問でのタリバンの規制は急激に厳しくなった。テロの再発のリスクも考慮し出発を断念した。

自国民の保護すら危ぶまれる事態を受け、茂木敏充外相は23日に会談したばかりのカタールのムハンマド副首相兼外相に急きょ接触。カタールは求めにこたえ、渋滞でも動きやすい10人乗りの小型バスを用意した。

テロで態度を硬化したタリバンが「外国人」の出国のみを認める方針に転換し状況はさらに悪くなった。外務省は残る数人の邦人に出国の意向を最終確認し、希望した共同通信の通信員1人のみが空自輸送機「C130」でカブールを脱出した。

自爆テロの前日の25日、韓国は300人超の退避に成功した。成否を分けたのは「1日」だった。政府高官は「自衛隊出動があと1日、早ければ……」と悔やむ。

災害やテロ、戦争など有事のオペレーションは判断の遅れが成否を分ける。さらに協力者を救出できなかったことはこれからの日本の外交力にも影響を与えかねない。

「今回のオペレーションの最大の目標は邦人保護だった。そういう意味では良かった」。首相は1日、首相官邸で記者団の質問に笑顔なく答えた。 』