小学生から習近平思想

小学生から習近平思想、22年共産党大会へ裏で綱引き
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK30C540Q1A830C2000000/

『中国の小学校の教室で9月、子どもたちに国家主席の習近平(シー・ジンピン)の指導思想をたたき込む必修制度が全面的に始まる。だが、肝心の「習近平思想」がいったいどんなものか即答できる保護者はほぼいないだろう。そもそも2017年の共産党大会で突然、登場した政治的な産物だけに、中身はなお曖昧である。今も走りながら内容を詰めている段階だ。

 河北省を視察する習近平国家主席(右)(8月24日)=新華社・共同

共産党規約に盛り込まれた個人名を冠した思想は「毛沢東思想」以来だ。だが、習近平には毛沢東のような自著、論文が豊富にあるわけでもない。どうしても習が過去に発した言葉を羅列し、現在進行形のあらゆる政策、指導方針全般を記すだけになってしまう。

例えば9月の新学期から使われる教材「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想 学生読本」には、社会主義核心価値観などについて述べた数多くの習の言葉が並ぶ。

「もし社会に共同の理想、共同の目標、共同の価値観がなければ、騒がしいだけで何も成し遂げられない」。インターネット上の言論は党の指導の下、中華民族の偉大な復興のために誘導すべきだという趣旨で習が語った生の声だ。

党大会に向けた政治的な地ならし

小学校低学年向け教材には、親しみやすいように「習おじいさん」も登場する。中国の今の小学生が物心ついた頃、既に習近平時代に入っていた。トップといえば「習おじいさん」しか知らない。その無垢(むく)な幼少期段階から共産党、国家、社会主義を愛するタネを心の中に埋め込み、「政治的な素質」を高めるのが目的だという。

これまで中国の各職場で共産党員向けに実施されてきた習思想の学習会が、いきなり小学校でも開かれるようなものだ。ここには教育分野にとどまらない生々しい政治的な狙いも透けてみえる。

1年あまり先の22年秋には共産党大会での最高指導部人事が控えている。習思想が必修化されて1年しかたっていないのに、習自身がトップの地位から退くだろうか。それは考えにくい。この夏に編さんされたばかりの教科書も無駄になってしまう。一般の共産党員や庶民にも習近平時代がしばらく続くと感じさせれば、政治的には成功だ。

 中国建国70年を祝うパレードに登場した、習近平氏の肖像画と政治思想の貫徹を訴えるスローガン(2019年10月、北京の天安門前)=新華社・共同

一連の動きは、時間をかけてじっくり準備された党大会に向けた地ならしでもある。教育省が8月24日、こうした教材に関する教育指針を公表したのもタイミングが合っている。大学や大学院レベルの理工、農、医学系を含む全ての過程で習思想による教育の徹底を求めたのも同じ理由だ。

一方、子を持つ親は強い不安に駆られている。上海の小学校では習思想の必修化に併せて英語の期末試験がなくなる。義務教育段階の学習塾の非営利法人化といった新方針も突然、示された。政治的な思惑が先行する教育への介入や統制は、混乱の火種になりつつある。

小学校低学年から習近平の名を冠した思想を必修とする手法は、普通の感覚で考えれば、習自身に対する個人崇拝の臭いがする。個人崇拝は共産党規約で厳しく禁じらている行為だ。この微妙な問題を巡っては、別の場で形を変えた説明があった。それは党中央宣伝部が8月26日に公表した「中国共産党の歴史的使命と行動価値」と題した文書である。

脚注で文革を否定する「裏ワザ」

この文書は習と、建国の英雄である毛沢東をほぼ同等に扱っている。強いリーダーシップを持つ毛沢東を「核心」とする党の第1代中央指導集団の存在によって革命事業は危機を脱したと指摘。そのうえで、次に習を核心とする現指導部になって「党、国家、人民、軍隊が前代未聞の変化を遂げた」と、その功績をたたえている。

習が、別格の指導者を指す核心と位置付けられたのは16年10月だった。そこから5年もたっていないのに、長期にわたって党を引っ張った毛沢東と並び立つまでに習を押し上げた経緯について、文書は、様々な論理を駆使して説明している。

かつて毛沢東をたたえる際に使われた「かじ取り」という言葉も登場した。「核心は大きな党と大国のかじ取りをし、進路を導く重大な職責を担う」と記述する。20年10月の党中央委員会第5回全体会議(5中全会)で用いた表現の発展形である。

そのうえで「党が核心をつくり擁護するのは、決して低俗な個人崇拝ではない」「核心は無限の権力を意味せず、気ままな決定ができるわけでもない」とも付け加えた。党規約の禁止事項を意識し、抵触しないよう工夫している。

文書は「集団指導制」も守ると主張した。しかし、前段では党政治局の全委員が毎年1回、総書記の習に書面で職務報告する権力集中型の新制度をあえて紹介している。集団指導制の意味する範囲が過去とは違うのは確かだ。

もう一つ、隠された注目点があった。これまで習があえて口にしなかった文化大革命への評価である。それは長い文書の最後に列記された脚注の一つだった。

「(注21)文化大革命=略称は文革。1966年5月から76年10月まで、毛沢東が錯誤から発動し、広範な群衆が参加し、巻き込まれ、林彪、江青集団に利用され、共産党、国家、各民族と人民に深刻な災難をもたらした政治運動」

文化大革命の頃の毛沢東・最高指導者(1966年)=AP

文革発動に関する毛沢東の誤りと、それがもたらした深刻な人災=内乱は、習近平時代に入ってからは強調されていなかった。その雰囲気は、習がトップ就任後に語った「改革・開放後の30年の歴史で、改革・解放前の30年(毛沢東時代)を否定することはできない」という言葉が象徴する。

脚注は、1981年に鄧小平の主導で文革を総括した「歴史決議」を大筋、踏襲しながら文革を否定している。違いは、かつて使った「内乱」という強烈な言葉が見当たらないくらいだ。あまり目立たない脚注を使った奇抜な「裏ワザ」だが、今回も習本人の肉声ではない。

夏の意見集約を反映か

ここから推測できるのは何か。習近平時代の個人崇拝的な雰囲気と、文革を否定しない習への様々な不満が党内にくすぶっており、今回、対処を迫られたのではないか。そう考えると時系列的に、納得できる。

長年、中国政治を観察してきた関係者は「不満に一定の範囲で配慮したこの変化は、『会議』での意見集約を受けた結果とみてよい」と指摘する。「会議」とは8月前半、最高指導部メンバーらを中心に重要事項について意見交換した「北戴河会議」を指す。

大々的にスタートする小学校からの習思想教育にみられるように、習指導部が主導する政治的な動きは着々と形になってきた。しかし、これで22年の党大会に向けた最終的な落ち着きどころが固まったわけではない。裏では見えない綱引きが続いている。あと1年余り。習にとって本当の真剣勝負はこれからだ。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』