「帝国の墓場」アフガン

「帝国の墓場」アフガン 英ソなど、繰り返した撤収
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM313P30R30C21A8000000/

『ユーラシア大陸の要衝であるアフガニスタンは国土の4分の3を山岳地帯が占め、ゲリラ戦などにより戦況が泥沼化しやすい。19世紀以降に介入した英国や旧ソ連も撤収を余儀なくされ、同国は「帝国の墓場」とも呼ばれる。多くの民族・軍閥も抱えるなかで、アフガン全土の安定的な支配は容易ではない。

ロシアと英国領インドの間に位置していたアフガンは、戦略上の重要な拠点と見なされてきた。ロシアの南下を警戒する英国は、自らの影響力を強めようと19~20世紀にアフガン側と3度にわたる戦争に突入した。しかし山岳地帯の攻略は難しく英国は敗退を重ねた。アフガンは一時英国の保護国となったものの、1919年に独立した。

1970年代はクーデターによる混乱が続き、79年に旧ソ連が軍事介入を始めた。アフガンに樹立された社会主義政権の維持を図った旧ソ連だったが、イスラム諸国からの義勇兵などの反抗に直面し英国同様に苦戦を強いられた。旧ソ連は89年にアフガンから撤退を完了したが、長期にわたるアフガン介入による疲弊は旧ソ連崩壊の一因となったと指摘されている。

旧ソ連撤退後にアフガンの内戦は拡大し、90年代に入って台頭したのがイスラム主義組織のタリバンだった。タリバンは96年に首都カブールを支配下に置いたが、国際テロ組織アルカイダのメンバーらも受け入れたタリバン政権を承認したのはパキスタンなど数カ国にとどまった。

タリバン政権は2001年の米同時テロ後、アルカイダのウサマ・ビンラディン容疑者の引き渡しを拒否した。同年12月にタリバン政権は米国などによる攻撃で崩壊したが、新たな政権発足後もテロや戦闘が頻発した。国連アフガニスタン支援団(UNAMA)によるとアフガンでの戦闘などによる20年の民間人死者は3035人で、7年連続で3000人を超えていた。』