サイゴン陥落と似て非なる悲劇

サイゴン陥落と似て非なる悲劇 ライオネル・バーバー氏
英フィナンシャル・タイムズ前編集長
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD182RN0Y1A810C2000000/

 ※「歴史はそのまま繰り返さないが、しばしば韻を踏む」…。

 ※ なるほど…。覚えておこう…。

『アフガニスタンのイスラム主義組織タリバンが素早い進攻で政府軍を制圧し、15日に首都カブール入りした。ガニ大統領は国外に退避した。(市民が国外脱出を求める)人道的な悲劇は、1975年に迎えたベトナム戦争の終結をほうふつとさせる。

75年4月、南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)の米大使館屋上からヘリコプターで撤収する米国人と避難民が運ばれた光景は、多くの人の目に焼き付いている。だがバイデン米大統領が今回、「サイゴン陥落の瞬間」を迎えたと結論づけるのは時期尚早だ。文化と歴史を見過ごしがちな米外交に珍しくない過ちとはいえ、米軍のベトナムとアフガンでのつまずきには重大な違いがいくつかある。

英フィナンシャル・タイムズ前編集長のバーバー氏

まず米国内の背景だ。ベトナム戦争で投入された兵士は最大時50万人と、アフガン戦争の5倍に上った。ベトナムでは米兵5万人を超える犠牲者が出たのに対し、アフガンでは2300人超だった。

かつては徴兵を恐れる学生の反戦運動が、各地の大学で活発化した。現在の米軍は職業軍人で構成され、アフガン戦争への反対運動はあまり盛り上がらなかった。

重要なのは現在、米国の状況が分断されているようにみえても、70年代前半とは比べものにならないという点だ。当時は、ニクソン大統領がウオーターゲート事件で74年に辞任へ追い込まれた事態に象徴される、権威の失墜の危機があちこちに広がっていた。

アフガンに米国が投じた戦費は、約2兆ドル(約220兆円)と高くついたものの、(ベトナム戦争には不参加の)英国をはじめとする北大西洋条約機構(NATO)加盟国と負担を分かち合えた。米国にとっては約20年と最も長い戦争となった。とはいえ地理的に遠く民族も多様で、歴史的に外国への不信感が強いアフガンで、女性の教育や中流階級の勃興を支えた。

こうした成果を、タリバンがつぶしにかかる恐れがある。トランプ前米大統領がタリバンとの協議で2021年5月までの米軍撤収に合意していたため、バイデン氏は難しい立場に置かれていた。バイデン氏は4月、米軍撤収を表明、米同時テロから20年となる9月11日までの撤収完了を目指すという賭けに出た。

米軍の今回の素早い撤収は、最高司令官であるバイデン氏に良い印象を抱かない軍人がいることをうかがわせる。バイデン氏が自ら立ち上がって戦おうとしないアフガン政府を戒めたのも、政府軍が米国のハイテク装備と後方支援に依存した状況を踏まえれば、見当違いだった。

ベトナムでは1975年、共産主義の北ベトナム軍が南部を制圧、民族的に同質ともいえる国土を統一した。アフガンは有力部族が複数存在し、国民国家としてまとまるのが難しい。
英国に脅かされた過去もあるアフガンは隣国パキスタンのほかインド、ロシアといった外国勢力から干渉を受けやすい。最近では中国が関心を強め、タリバン幹部を自国に招いていた。

米政府内の徹底した現実主義者なら、アフガン問題を他国が担ってくれるのを喜ぶかもしれないが、中国を利する恐れがある。アフガンに駐留した国際治安支援部隊(ISAF)の元司令官ジョン・アレン氏は、米安保専門サイトのディフェンス・ワンで「(中国に)従順なタリバン政権により、中央アジア諸国からパキスタン南部に中国が建設したグワダル港をつなぐ、南北の貿易回廊が出現する機会が生まれる」と指摘した。

もっとも、予想は必ずしも実現しないと認識しておく必要がある。共産主義勢力がベトナム全土を掌握した後も、盛んに吹聴された「ドミノ理論」通りとまではならなかった。カンボジアとラオスを除けば、東南アジアは共産化の波にのみ込まれなかった。79年にはベトナムと中国の間で中越戦争が起きたほか、ベトナムは(95年に)米国との国交を回復した。

タリバンとは、穏便に事が運びそうにない。タリバンは米同時テロを実行した国際テロ組織アルカイダをかくまってきた。「歴史はそのまま繰り返さないが、しばしば韻を踏む」という米作家マーク・トウェインが残したとされる言葉は、言い得て妙だ。

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