G7敵に回す戦狼外交と歴史改変

G7敵に回す戦狼外交と歴史改変、習近平氏の意外な目的
編集委員 中沢克二

習政権ウオッチ
2021年5月12日 0:00
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK093HM009052021000000/

『中国への対抗姿勢を鮮明にした主要7カ国(G7)を120年ほど前の歴史を引いて風刺するCG画像が波紋を広げている。自ら攻撃的な「戦狼画家」と称する若い中国の描き手が狙ったのは、清朝末期の1900年の事件を引いて、G7に侵略者の烙印(らくいん)を押すことだった。

当時、清朝の権力を握っていた西太后は蜂起した義和団とともに排外主義に走る。これに対抗し、英、米、仏、ドイツ、ロシア、日本、イタリアなど8カ国連合軍が北京入りし、外国公館の包囲を解いた。清朝は最終的に計11カ国を相手に屈辱的な北京議定書を交わした。

G7を1900年の8カ国連合軍に例えて揶揄(やゆ)した中国のCG画家による画像(中国のミニブログ「微博」から)

中国で流布したCG画像の基になったG7外相会合の記念撮影(4日、ロンドン)=AP
風刺画像は、当時の8カ国連合軍の兵士の軍服姿を、英国で開催したG7外相会合の記念撮影の構図に当てはめ、マスク姿にした。背景のG7の下にある文字は「United Kingdom 2021」から「Invaders United Kingdom 1900(侵略者 英国 1900年)」に書き換えられ、屈辱を忘れない中国の人々のナショナリズムに訴えかけている。

内政目的遂行のための戦狼外交

細部にも刺激的な表現がある。G7外相会合に招待国の一つとして出席したインドの兵士姿を左端に小さく挿入し、しかも点滴を受けながらの立ち姿にした。新型コロナウイルス感染が深刻なインドを皮肉っているのだ。

作者は政治風刺で注目を集める中国の若手CG画家で、年齢は30代前半だという。1980年、90年以降に生まれた「80後」「90後」と呼ばれる世代以降の中国の若者らは、豊かな中国の申し子だ。彼らは78年の「改革・開放」前の長く苦しい時代を知らない。

数千万人が犠牲になったとされる大躍進(1958~61年)や、文化大革命(文革、66~76年)は単なる歴史で実感もない。多感な青少年期に90年代後半から中国で顕著になった愛国教育の影響も受けている。

「中国は強大になったのだから、8カ国連合軍と重なるG7の欧米諸国、日本には力で対抗すればよい。そんな機運が若い世代の間で高まっている」。戦狼CG画家らの親の世代に当たる中国の知識人は心配しきりだ。かつての最高実力者、鄧小平が提起した爪を隠して内に力を蓄える『韜光養晦』(とうこうようかい)という外交・安全保障の基本政策は既に過去のものだ。

松下電器産業テレビ事業部を訪れた鄧小平副総理(中央右)を出迎える松下幸之助氏(1978年)

戦狼画家の親の世代は50~60歳前後だ。幼少期に文革を直接、体験したか、実体験がなくても悲惨さを十分に聞かされて育った世代だ。学校教育を受けたのは米中接近の時代で、89年の天安門事件に至る民主化運動の記憶もある。

この世代は政治や国際情勢をみる際、一定のバランス感覚を持っている。一般的な傾向として建国の英雄、毛沢東に敬意を払いつつも、大躍進や文革を主導して大失敗した独裁者のマイナス面を決して忘れない。半面、毛沢東路線に終止符を打った現実主義者、鄧小平への共感、思い入れが強い。

民間のCG画家による戦狼画像の発信自体は、政治的主張の表現であり問題ない。ただ国や共産党のメディアがこぞって引用し、拡散する場合、位置付けが変わる。今回は国営テレビのネット版や共産党·政府直轄の英字紙の中国語サイト、共産主義青年団中央のサイトなども取り上げた。過去には中国外務省スポークスマンの趙立堅もツイッターでオーストラリアを風刺したこの戦狼画家のCG画像を発信した。

国家主席、習近平(シー・ジンピン)の時代になって目立つ「戦狼外交」は、若い世代が醸し出す雰囲気と呼応し、互いに利用し合う関係だ。これは中国の学術会も同じである。大衆受けする強硬論を吐く人物がメディアで重用される傾向がますます強まっている。

中国外交が「民意」に拉致されている――。この雰囲気にあえて警鐘を鳴らす動きは、共産党の「体制内」にもある。外交官出身で外交学院の党委員会書記まで務めた学者、袁南生は20年秋に発表した論文で「四方を全て敵にするのは外交の失敗だ」と指摘し、その典型として西太后の清朝が義和団とともに排外主義を推し進めた例を挙げた。今回、CG画家がG7攻撃の材料にしたテーマを、全く逆の反省材料にしていたのだ。

文革までの建国以来27年間を高く評価

今の中国でこうした外交のプロによる正論が主流になるのは難しい。なぜなら戦狼外交は純粋な外交上の方針というより、習近平が推し進める内政上の目的遂行の手段という側面が強いからである。当然ながら、袁南生による忠告から8カ月ほどたった今も事態は悪化するばかりだ。米大統領選挙の結果、トランプが退陣してバイデン民主党政権に変わったのに米中対峙は一段と先鋭化した。

北京の音楽会に登場した毛沢東の絵。文革礼賛には中国でも批判が強い(2016年、インターネット上の映像から)

そこに「G7対中国」という構図まで加わった。G7側は台湾、香港、新疆ウイグル自治区やチベット自治区の人権、東・南シナ海など多くの問題を外相共同声明で指摘した。専制主義と民主主義の両陣営が正面から対峙する構図が鮮明になった。形だけみれば中国外交は、米中が急接近する1970年代以前にまで逆戻りするかのような様相を呈している。

一方、現実の中国政治では先に紹介した毛沢東に懐疑的、鄧小平に共感する世代が大いに心配する事態が起きている。

4月下旬、共産党内に衝撃が走った。中央宣伝部副部長兼中央インターネット情報弁公室主任の荘栄文が、49年の新中国建国から文革が終結する76年までについて「偉大な成果を挙げた27年間だった」と高く評価したのだ。

どこが問題なのか。ポイントは多大な犠牲者を出した「災難=人災」である文革期の10年間の悲惨な歴史に対する公式評価だ。荘栄文は文革を単独で批判することなく、それを建国から27年間に取り込む巧みな手法で偉大な歴史の一部にしてしまった。かなりの力業である。

文革への反省に立った改革・開放の推進という従来の考え方を覆しかねない方針は、7月の共産党創立100年に先立ちスタートした党史学習の重要会議の場で示された。習近平の意向と考えて間違いない。習は大躍進や文革の悲惨さを十分、知っている。それでもあえて目をつぶる裏には、単なる文革への評価の域を超えた壮大な政治的な思惑がある。

「韜光養晦」含め鄧小平氏の業績を相対化

それは改革・開放で豊かな中国への道を切り開いた鄧小平の業績の相対化だ。なぜ今、わざわざケチをつける必要があるのか。独断専行を許さない集団指導制、トップ任期の10年までの制限といった従来の共産党のルールを決めたのが鄧小平だからだ。

既に国家主席の任期制限を撤廃する憲法改正はなし遂げたとはいえ、鄧小平時代のルールを壊さなければ、来年の共産党大会でのトップ続投や、さらなる権限強化に障害が残る。本当の意味で習近平時代を切り開くには、まず鄧小平の権威を相対的に落とすのが効果的だ。

今、始まった新中国建国以来の共産党史の見直しは、22年の共産党大会とその先まで見据えた布石である。鄧小平が事実上、君臨した期間は、改革・開放から1997年に鬼籍に入るまでの19年ほどだ。習近平はこれに追い付き、超える大志を抱いている。なし遂げれば毛沢東の権威に一歩、近づける。

2017年10月に北京で開かれた中国共産党大会で演説する習近平総書記=小高顕撮影

中国では新しい指導者は前任者の否定から入る。習が対象にし始めたのは鄧小平だ。鄧に選ばれ、その路線を継承したにすぎない江沢民(ジアン・ズォーミン)や胡錦濤(フー・ジンタオ)ではない。

共産党100年の歴史は単なる過去の記述ではない。今後の政治を動かす重要なツールである。書き換える権限は現在のトップだけが持つ。鄧小平の「韜光養晦」を過去に追いやる戦狼外交、文革を含む27年間への高い評価は底流でつながっている。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』