学習塾は敵、ゲームは麻薬

学習塾は敵、ゲームは麻薬 習近平式「大衆動員」の深層
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK093Z00Z00C21A8000000/

『急成長した中国の教育産業、ゲーム業界に衝撃が走り続けている。「暴利をむさぼる学習塾は敵である。資本家と体制内の欲張りな走資派の結託を許すな」「オンラインゲームという精神的アヘンが数千億元規模の産業に成長してしまった」。1940年代に共産党内で吹き荒れた反対派粛清の整風運動、毛沢東による大衆動員が特徴だった文化大革命(文革、66~76年)を思わせる極めて乱暴な言論が、インターネット上ばかりか、公的メディアにまで登場したのは異常事態である。

教育産業が大混乱に陥った原因は、7月下旬、義務教育段階の校外補習を担う学習塾に突然、突き付けられた「非営利組織化せよ」という共産党中央からの命令だった。

教育界に詳しい関係者は現状をこう説明する。「学習塾など教育負担が重すぎる、学校から家に持ち帰る宿題が多すぎる、といった父母らの大きな不満に配慮する形をとっているが、実態は民間教育への政治的な管理・統制の強化だ。見た目と違って賛否は拮抗している」

大手企業の新東方教育科技が運営する学習塾

「1年で結果を」、22年党大会の前哨戦開始

教育費高騰という問題は、住宅価格の暴騰と並び、庶民の関心が極めて高い。特に北京や上海では、校外で補習をする学習塾を含め高等教育修了までにかかる費用が1人当たり日本円で数千万円といわれる。もし国家主席の習近平(シー・ジンピン)が本当に解決できれば、一般大衆から絶大な支持を得られる。

先に習近平政権が打ち出した夫婦に3人目の出産を認める方針の評判はすこぶる悪かった。理由は教育費、住宅費の高騰など出産意欲をそぐ中国の社会環境の改善が先決だ、というものだ。今回の措置が少子化対策に資するという説明はわかりやすい。合わせて宿題に関しても小学1、2年生は禁止、小学3~6年生は平均時間60分以内、中学校は同90分以内と、異様に細かい方針が示された。

大きな話題になった電子商取引最大手のアリババ集団、配車アプリ最大手の滴滴出行(ディディ)への圧力は、個人情報を抱える民間IT(情報技術)企業の無秩序な資本の拡張を防ぐという名目だった。だが、理由が抽象的すぎて、一般人から理解を得るのはなかなか難しかった。

 中国・北京で、大型画面に映し出された習近平国家主席(7月1日)=ロイター

とはいえ、一連の政策の大きな目的は共通している。民間主導で急成長したいかなる業種に対しても、共産党による厳格なコントロールを可能にすることである。これらは、いずれも習近平が直轄する北京・中南海の仕事を差配する共産党中央弁公庁の主導で文書が出されている。まず今後1年という期限付きで一定の結果を出せ、と命じたのも同じだ。

たった1年で目に見えるように教育費負担を軽くせよ、という命令の遂行はかなり難しい。そこで出てきたのが、学習塾の非営利組織化という劇薬だ。外資の教育参入も封じる予想外の措置は、関連企業株の暴落につながった。まさに典型的な「チャイナ・リスク」である。

余波はなお続いている。北京市教育委員会は10日までに、義務教育学校に対して国外の教材の使用を禁止する通達を出した。教材を通じて外国の価値観が流入することまで極端に恐れる排外主義は、これまで進んできた国際化の否定であり、文革時代に逆戻りしたような感覚に襲われる。

習近平には、急がなければいけない理由があった。2022年秋には、習体制の今後を決める第20回共産党大会が控えている。最高指導者としての続投の成否と、実際にどんなポストに就くのかが焦点になる。

長老らとの意見交換の場になってきた河北省・北戴河の海岸には、一般人の立ち入りを禁じる立て札がある幹部専用ビーチが多い(2014年8月)

前哨戦は既に始まっている。まず、河北省の海辺の保養地で現役指導部メンバーと長老らが重要事項について擦り合わせる「北戴河会議」の開催が取り沙汰されている。7月30日の党政治局会議を最後に最高指導部メンバーの動静は消え、同じ日に河北省トップが、北戴河の高級別荘地にある道路検問所などを視察したと伝えられたからだ。

党内からの支持の補完

権力基盤を着々と固めてきた習近平だが、共産党内からの支持はなお盤石とまではいえない。習と同じ境遇の革命幹部の子女である「紅二代」の一部には、党規約で禁じている個人崇拝の色を強める手法に不満が募っている。

最近のいわゆる「戦狼(せんろう)外交」を背景にした対米関係の急速な悪化で、中国共産党員とその家族が渡米するための査証(ビザ)が出ないことも大問題になっている。外務次官の謝鋒が7月末、天津で米国務次官のシャーマンと会談した際、党員と家族のビザ制限問題の無条件の解決を真っ先に要請した経緯からも、党内で受けている圧力の強さが透けてみえる。

習としては党内からの支持を補うために、一般大衆の力がほしい。共産党員はかなり増えたといっても9500万人強にすぎない。その他13億人にのぼる一般大衆からの支持を思うように演出できれば、権力固めがさらに容易になる。新しい形の大衆動員が成功するなら、文革の反省に立った鄧小平時代以来の集団指導制から摩擦なく脱する契機にもなりうる。
習は、汚職を撲滅する苛烈な「反腐敗」運動で大衆の支持を得た成功体験を持っている。これが共産党の別格の指導者を指す「核心」の地位獲得に道を開き、国家主席の任期制限を撤廃する18年の憲法改正にもつながった。

今回も大衆からの支持は極めて重要である。新型コロナウイルス禍を巡っては、初動に失敗したとはいえ、その後の早期抑え込みで経済を回復させた実績がある。しかし、中国を含めて感染が完全終息する見通しは立たず、1年後の党大会の際、どんな状況になっているのか予想しがたい。そうであれば習としては、一つでも政治的な実績を積み重ねる必要がある。

大衆動員による難局打開――。その戦略は国営通信社である新華社系の経済紙、経済参考報がオンラインゲームを「精神的アヘン」と強烈に批判した記事にも透けてみえる。中毒性の高さでやり玉に挙がったのが「王者栄耀」。ネット大手、騰訊控股(テンセント)が手がける大ヒットゲームだ。

管理強化、テンセントとの蜜月の終わり

そもそも習近平とテンセントの縁は深い。共産党トップの総書記に就いた直後、習は初の地方視察の地として広東省深圳を選び、12年12月7日にテンセントを視察した。深圳は鄧小平による有名な「南巡講話」のルートにあり、「改革・開放」政策と鄧小平路線を堅持するメッセージと市場は受け止めた。

習近平氏とテンセントの縁は深い(同社の対話アプリ「ウィーチャット」のロゴ)=ロイター

しかし、この時から既に火種はあった。地元紙などによると、習は接続中のインターネットサービス利用者を星雲のように示す全国地図や、新しい対話アプリ「微信」(ウィーチャット)に特に関心を示し、テンセントの創業者である馬化騰に「ネットの社会管理を我々はどうすべきか」と問いかけた。

さらに同社が扱う莫大な情報量を指摘しながら「あなた方は最も客観的で精密な分析ができる。この面で政府への提案は大変、価値がある」と意味深な言葉を残した。その後、一気に進むことになるビッグデータを利用した言論監視、そして今回、さらに明確になった民間IT企業への管理強化への第一歩にみえる。

見逃せないのは、共産党による支配体制の維持に主眼がある一連の管理強化に、そのあり方に批判がある学習塾やオンラインゲームへの圧力を付け加える手法で、大衆の支持を得ようとする試みである。少なくとも、義務教育段階の学習塾すべてを選択の余地なく非営利組織に転換させるのは、習近平時代の社会主義価値観に基づく形を変えたポピュリズムではないだろうか。

共産党や国家にとって教育が重要なのは理解できる。だが、創意工夫、多様性を否定するなら、新しい発想は生まれない。「ただ一方的に破壊し、管理するだけで、新たな成長産業が育つ環境を整えないとしたら、現在の厳しい国際政治、経済環境の中で致命的な打撃になりかねない」。党内からも厳しい声が聞かれる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』