七夕に説く夫婦愛情物語、透ける「習近平核心」の先

七夕に説く夫婦愛情物語、透ける「習近平核心」の先
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK162090W1A810C2000000/

『夫婦が手を取り合って共に歩む――。中国国営中央テレビ(CCTV)がインターネット版で、国家主席の習近平(シー・ジンピン)と、妻で国民的な歌手でもある彭麗媛の愛情物語を中国の古典、詩経から引用した見出しで報じ、次々に中国内で転載された。

記事中に埋め込まれた豊富な過去の写真の中でも、インド訪問の際、仲むつまじく2人乗りブランコに乗る習夫妻の構図などはかなり目立つ。中国のネット空間にこの物語があふれた8月14日は、中国の旧暦7月7日の七夕にあたる。

長文ドキュメンタリーの発信

牽牛と織女の伝説からの連想で習夫妻の愛情物語が流布された同じ七夕の日には、国営通信の新華社がお堅い長文の政治ドキュメンタリー記事を発信した。共産党最高指導部メンバーが表舞台から姿を消してから10日以上もたった後の動きだけに注目度は高かった。

そこでは習近平を「核心」とする党中央が2021~25年の第14次5カ年計画をけん引する方向性が示され、翌朝の人民日報1面も飾った。これに先立ち、11日に党中央などが発表した習近平時代の法治、ガバナンス確立に向けた「法治政府建設実施綱要(21~25年)」と合わせて考えれば、現在の5カ年計画の2年目にあたる22年の共産党大会で核心であるトップが交代するシナリオは考えにくい。

習は最低でも党の別格の指導者を意味する核心の地位を維持しながら、何らかの形で続投するのではないか。そういう雰囲気を醸し出している。七夕の日の硬軟取り混ぜた発信には、それなりの情報量があった。

福建省アモイで結婚した頃の習夫妻(中央テレビのインターネット版から)

ここで問題になるのが長い間、くすぶり続けている習近平に対する個人崇拝的な傾向である。七夕での夫婦の愛情物語に限らず、母の日、父の日といった記念日に寄せて習本人とその母や父、妻との美しい物語を様々な形式で紹介し、国民の模範として描くのは、習近平時代に特徴的な宣伝方法だ。行き過ぎると習の神格化につながり、共産党規約が厳格に禁じる個人崇拝に抵触しかねない。

それは親しみやすさの演出から始まった。14年8月1日の人民解放軍の創立記念日には、中国共産党中央宣伝部直轄のニュースサイトが一般大衆向けに「軍服を着た習近平」と銘打った動画を発信した。

軍人同士の結婚をハートのマークで表現したアニメーション(2014年、党建網から)

主役は、習大大(習おじさん=「大大」は陝西省の方言でよく使われる親しみを込めた「おじさん」の意味)と、妻の彭媽媽(彭麗媛お母さんの意味)だった。そこでは軍人として順調に昇進する習の経歴、全国の軍区や艦隊の視察の様子などを詳しく紹介している。
一つのクライマックスとして軍所属のスター歌手だった彭麗媛との結婚を挿入している。紅いハートマークの中で若き習と彭麗媛が仲良く手をつないでいる絵柄はほほ笑ましい。そして、わざわざ「一目ぼれ」だったという説明まである。この解説は今回の「七夕愛情物語」でも踏襲されている。

5年前には「習近平バッジ」がお蔵入り

ここまでは習の側近らが動けば、すぐに実現できる宣伝手法だ。しかし、簡単にはいかない例もあった。柔らかで曖昧な個人崇拝的傾向を超えて、明確な個人崇拝とみなされる場合だ。典型的なのは16年3月、全国人民代表大会(全人代)に出席したチベット代表団が胸に着けた習近平の写真入りバッジを巡る騒動である。

習近平氏のバッジと歴代指導者のバッジを胸につけたチベット代表(2016年3月)
よく見るとバッジは2つあった。一つは習近平の写真を単独であしらったバッジ。もう一つには毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤、習近平という5人の歴代トップの顔がみえる。つまり、チベット代表団の胸には、2つの習の顔があった。

それは、文化大革命(文革、1966~76年)期の毛沢東に対する個人崇拝を連想させるには十分だった。当時、中国の多くの人々が胸に毛沢東バッジを付け、毛沢東語録を手にしていた。熱狂は暴力を生み、多くの人命が失われ、経済も破壊されたのである。

当然、チベット代表らの習近平バッジは内部で大問題になった。開幕から8日後の全人代全体会議に現れたチベット代表らの胸から、習の単独バッジが基本的に消えた。習による「反腐敗」運動の嵐が吹き荒れていた16年時点でも「いかなる形式の個人崇拝もこれを禁止する」という党内ルールは厳格に守られていた。

とはいえ、これは習の挫折を意味していなかった。その後も側近らが習を核心に押し上げる運動を裏で繰り広げ、16年10月の党中央委員会第6回全体会議(6中全会)でついにそれが実現する。ちょうど5年前の出来事だ。党大会を翌年に控えた政治闘争の時期という状況は現在とまったく同じである。

社会主義国の指導者バッジと言えば、一般的には北朝鮮が思い浮かぶ。かつての指導者、金日成のバッジである。今も公務員らが指導者のバッジを着けているのは、世襲の独裁国家、北朝鮮ぐらいだろう。ところが、つい最近、時計の針を逆に戻すような出来事が東京でみられた。東京五輪の表彰台で中国の金メダリストらが、毛沢東の肖像をあしらったバッジを身につけたのだ。

自転車女子チームスプリントで優勝し、胸元に毛沢東のバッジを着けて表彰式に参加した中国の鮑珊菊(左)と鍾天使(2日、伊豆ベロドローム)=共同

多くの犠牲者を出した文化大革命の惨状、個人崇拝の恐ろしさを身にしみて知る世代は、安易に毛沢東バッジを身に着けるようなことはしない。たとえ共産党員であろうと同じである。その行為は、時代遅れで気恥ずかしいこと、とされてきた。これが鄧小平時代以来の伝統でもあった。

確かに毛沢東の遺体を安置している北京・天安門広場の記念堂の前や、江西省の井崗山といった革命の聖地では、土産物として毛沢東バッジが売られている。しかし、これを物珍しそうに買うのは、外国人観光客や、海外に住む中国系の人々だ。

東京五輪に「毛沢東バッジ」が登場した意味

過去に遡れば、中国の五輪選手が毛沢東バッジをつけて表彰台に立った例はある。今回も選手本人らが何を思って身に着けたは不明だ。しかし、脱「鄧小平路線」が強くにおう習近平時代の東京五輪に毛沢東バッジが登場したのはある意味、象徴的である。

自転車女子チームスプリントの表彰式に参加した中国選手の胸元の毛沢東バッジ(2日、伊豆ベロドローム)=ロイター

東京五輪に参加した20代中心の中国の若者らの多くは、1990年代生まれが多い。89年の天安門事件後の90年代半ば以降、鮮明になった「愛国主義教育」の影響も強く受けている。文革の悲惨さを知る彼らの親の世代の大半は、改革・開放路線にカジを切った鄧小平に感謝する一方で、毛沢東には複雑な感情を抱いている。親と子ではかなりの認識のズレがあるのだ。

その中国の若い世代で文革や毛沢東バッジへのアレルギーが消えつつあるのだとすれば、集団指導制の堅持、個人崇拝の徹底排除という長年の伝統も変化しうる。すでに存在する個人崇拝的な傾向を包み隠していたオブラートが溶けて消えてしまえば、5年前、内部で圧力を受けてお蔵入りした「習近平バッジ」が別な形で復活する可能性さえある。

7月末から夏の休暇などを名目に表舞台から姿を消していた最高指導部メンバーらは今週から復帰している。習近平がトップとしての続投を狙う22年秋の共産党大会まで残り1年余り。5年前に固まった「習近平核心」を巡る何らかのバージョンアップがあるとすれば、その雰囲気はまず秋の6中全会で明らかになる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。』