ソ連への郷愁、プーチン氏の支えに

ソ連への郷愁、プーチン氏の支えに クーデター事件30年
編集委員 池田元博
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD177NP0X10C21A8000000/

『旧ソ連で世界を揺るがせた1991年の保守派クーデター事件が発生してから、19日で30年を迎えた。ソ連の体制擁護を唱えた保守派の企ては、民主化を求める市民らの抵抗であっけなく失敗。逆に、ソ連崩壊の引き金となった。国家独立後のロシアでソ連史の汚点とされてきた事件だが、ソ連時代のような大国主義を掲げるプーチン政権下で、その評価も変わりつつある。

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1991年8月19日、ソ連の国営メディアはクリミア半島で夏季休暇中のゴルバチョフ大統領が「健康悪化」で解任され、ヤナーエフ副大統領が大統領代行に就任したと報道。国家非常事態委員会が全権を掌握したと伝えた。モスクワには戦車部隊が投入された。

ソ連崩壊招いた「三日天下」の政変

非常事態委のメンバーはヤナーエフ氏、クリュチコフ国家保安委員会(KGB)議長、ヤゾフ国防相ら8人で、ゴルバチョフ政権の保守派の重鎮だった。「過激派勢力がソ連の解体、国家の破壊、権力の奪取を狙っている」。同委の国民向けメッセージは、ゴルバチョフ氏が進めた改革路線を痛烈に批判していた。

実はゴルバチョフ氏の「健康悪化」はウソ。ゴルバチョフ氏が翌20日、ソ連を構成する共和国首脳と交わす予定だった新連邦条約の調印阻止を狙った保守派のクーデターだった。条約は共和国の主権を大幅に拡大する内容で、保守派はソ連の解体につながると猛反発していた。

しかし、クーデターはわずか3日で失敗に終わる。急進改革派の大物、エリツィン・ロシア共和国大統領が「反動勢力による政変」と保守派の行動を非難。国民にゼネストを呼びかけたこともあり、民主化を求める多くの市民が街頭に繰り出して抵抗運動を繰り広げたからだ。軍部でも亀裂が起き、21日に非常事態委は解散、メンバーは逮捕された。首謀者の一部は泥酔していたという。

1991年8月22日、モスクワ郊外のブヌコボ空港に到着した当時のゴルバチョフ・ソ連大統領(中央)。タラップの後方はライサ夫人と孫=タス共同

休暇先で軟禁されていたゴルバチョフ氏は無事帰還したが、政界の力関係はクーデター阻止の立役者のエリツィン氏に完全にシフトした。国民の圧倒的な支持を背景に、エリツィン氏は国家独立へと突き進む。同年12月8日、ウクライナ、ベラルーシ共和国の首脳と「独立国家共同体」の創設を宣言。ゴルバチョフ氏は12月25日に辞任を表明し、ソ連は消滅した。

新生ロシアでは保守派クーデターを否定的にとらえる一方、それを阻止した市民らの大規模な民主化運動を「8月革命」として称賛する傾向が長らく定着していた。

民主化運動は「8月革命」と呼ばれ、称賛されてきた(1991年8月23日、モスクワで倒されたKGBの生みの親、ジェルジンスキーの像の頭部を踏みつける人々)=AP共同
だが、プーチン氏が2000年に大統領に就任して以降、事件の見方は徐々に変化しつつある。

逆転したクーデターの評価

保守派と反保守派、どちらが正しかったか――。世論調査会社レバダ・センターによると、2001年は保守派14%、反保守派が24%。これが16年の調査では保守派15%で、反保守派は13%と急減した。プーチン氏が大国ロシアの復活を掲げ、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学上の悲劇」と公言してきた影響が大きいようだ。

プーチン政権下で保守派クーデター事件の評価も変わりつつある(2000年5月、エリツィン氏㊨が見守るなか、大統領就任の宣誓をするプーチン氏)=AP共同

もちろん、同氏はソ連の復活を目指しているわけではない。ソ連崩壊も「極めて非効率的な経済政策」が主因と冷静に分析している。とはいえ、最近の世論調査では、ソ連時代の方が良かったとする回答が75%に上ったものもある。ソ連時代に郷愁を覚える国民の琴線に触れるような政策をプーチン氏が唱え、自らの政権基盤固めに利用していることは疑いない。

ロシアの国営テレビは15日、保守派クーデターから30年の特別番組を放映。関係者の証言で構成し、エリツィン氏が米大使館に避難するよう促した側近の要請を断った裏話などを紹介した。

番組は一方で、ソ連の崩壊問題にも触れた。ベラルーシの独裁者、ルカシェンコ大統領も登場し「ソ連を崩壊させた罪はゴルバチョフ氏とエリツィン氏にある」と言明。保守派クーデターではなく、2人の個人的確執や権力争いが崩壊を招いたとの見解を披露した。プーチン政権下でのロシア社会の風潮を反映した番組といえなくもない。

保守派クーデターの首謀者の一人だったヤナーエフ元ソ連副大統領(2001年のインタビューで)

「もっと別のやり方があっただろうが、ソ連を救いたいという愛国心に偽りはなかった」。事件から10年後の2001年、首謀者だったヤナーエフ氏に話を聞いたことがある。印象的だったのは、国家再建に取り組むプーチン大統領を「好感が持てる」と高く評価していたことだ。

ヤナーエフ氏は10年に死去した。今年7月には非常事態委のメンバーで、最後まで存命していた元ソ連国防会議第一副議長のバクラノフ氏が他界した。事件の風化は進む。だが、ソ連崩壊の是非をめぐる論争がロシアで絶えることはない。

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