全国知事会の次期会長、平井氏の公算

全国知事会の次期会長、平井氏の公算 16日に締め切り
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021081300962&g=pol

『任期満了に伴う全国知事会の会長選挙で、平井伸治鳥取県知事の他に名乗りを上げる知事が13日までにおらず、平井氏が無投票で当選する公算が大きくなった。候補者の推薦届け出は16日正午に締め切られ、次期会長は30日の全国知事会議で選任される。

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 現会長の飯泉嘉門徳島県知事は9月2日で任期満了となるが、次期会長選への不出馬を明言。1期2年で会長職を退くのは確実な情勢だ。 』

平井伸治
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E4%BC%B8%E6%B2%BB

『来歴

東京都千代田区外神田生まれ[2]。父は弁護士[3]。開成中学校・高等学校を経て、1984年(昭和59年)、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し[1][4]、自治省(現:総務省)に入省した[4]。本省勤務の他、兵庫県や福井県への出向も経験する。1995年(平成7年)9月よりアメリカ合衆国へ派遣され、1996年(平成8年)1月からカリフォルニア大学バークレー校政府制度研究所客員研究員。1999年(平成11年)、鳥取県庁へ出向。鳥取県総務部長に就任し[4]、2001年(平成13年)には全国最年少(当時)で鳥取県副知事に就任する[4]。2007年(平成19年)2月、総務省を退官する。

2007年(平成19年)4月8日、無所属(自由民主党・公明党推薦)で鳥取県知事選挙に出馬し初当選した。当選後、片山善博前知事の下で制定された鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例を見直す考えを示した。2008年(平成20年)、当時の宮城県仙台市長であった梅原克彦氏の発案による「拉致問題と戦う知事の有志の会」の結成にあたり、発起人の一人に名を連ねた。2011年(平成23年)4月、鳥取県知事に再選される。2015年(平成27年)4月、鳥取県知事3選。

2018年(平成30年)10月26日、安倍晋三内閣総理大臣が中華人民共和国の訪問に合わせて、北京市の人民大会堂で行われた第1回日中第三国市場協力フォーラムに出席、鳥取県の名産品などの紹介を全て中国語で行い、会場の出席者から多くの拍手を得た[5]。 2019年(平成31年)4月、鳥取県知事に4選された。

家族は妻、2男[6]。
年譜

鳥取県庁公式サイトより参照[6]。

1961年(昭和36年)9月17日 - 東京都千代田区外神田にて出生
1984年(昭和59年)3月 - 東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[1]
    4月 - 自治省入省、財政局地方債課
1986年(昭和61年)7月 - 自治省自治大学校研究部
1987年(昭和62年)8月 - 同選挙部管理課
1988年(昭和63年)4月 - 同選挙部選挙課
1990年(平成2年)4月 - 福井県市町村課長
1992年(平成4年)4月 - 同財政課長
1993年(平成5年)8月 - 自治省選挙部政治資金課課長補佐
1994年(平成6年)10月 - 同選挙部政党助成室課長補佐
1995年(平成7年)9月 - 米国連邦選挙委員会
1996年(平成8年)
    1月 - カリフォルニア大学バークレー校政府制度研究所客員研究員
    4月 - 自治省財政局調整室課長補佐
1997年(平成9年)4月 - 同税務局府県税課課長補佐
1999年(平成11年)7月 - 鳥取県総務部長
2001年(平成13年)6月 - 鳥取県副知事
2005年(平成17年)4月 - 総務省選挙部政党助成室長[4]
2006年(平成18年)6月 - 自治体国際化協会ニューヨーク事務所長[4]
2007年(平成19年)4月 - 鳥取県知事選挙に出馬し、初当選
2011年(平成23年)4月 - 鳥取県知事再選
2015年(平成27年)4月 - 鳥取県知事に3選
2019年(平成31年)4月 - 鳥取県知事に4選
2020年(令和2年)7月 - 新型インフルエンザ等対策閣僚会議新型インフルエンザ等対策有識者会議新型コロナウイルス感染症対策分科会委員[7]

著書

『小さくても勝てる 「砂丘の国」のポジティブ戦略』中公新書ラクレ、2016年9月
『鳥取力 新型コロナに挑む小さな県の奮闘』中公新書ラクレ、2021年3月 』