巻き返す米ASEAN外交

巻き返す米ASEAN外交「盟主軽視」の波紋
アジア総局長 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK06CDD0W1A800C2000000/

『「ようやく…」と誰しもが思っただろう。バイデン政権発足から半年が過ぎ、米国の対東南アジア諸国連合(ASEAN)外交が動き出した。

ブリンケン国務長官は7月14日と8月4日、オンライン形式ながら短期間に2度も外相会議に臨んだ。とりわけ先週は、ASEANが域外国を招き、安全保障分野で対話する重層的な会合が続いた。日本や中国、インド、ロシア、欧州連合(EU)が顔をそろえた6日のASEAN地域フォーラム(ARF)まで、ブリンケン氏は連日出ずっぱりだった。

とはいえ、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感が否めないオンラインより、意味合いが重いのは、やはり伝統的な対面外交であろう。新型コロナウイルスのインド型(デルタ型)が猛威を振るい、この地域は足元の感染再拡大の最前線になっている。にもかかわらず、オースティン国防長官は7月末にシンガポール、ベトナム、フィリピンの3カ国を訪れ、8月後半にはハリス副大統領が改めてシンガポールとベトナムを歴訪する。

南シナ海問題や人権侵害、コロナワクチンの供与を巡って中国をけん制し、張り合う。米国が発したメッセージに新味はない。それでもASEANは安堵したはずだ。「アジア重視」をうたいながら、バイデン政権の関心はこれまで日韓やインドばかりに向かい、ASEANは置いてきぼりの状態だったからだ。

バイデン大統領㊨とブリンケン国務長官は「アジア重視」を掲げているが….=ロイター
失望を通り越して怒りを買ったのが、5月下旬の「幻の外相会議」である。ブリンケン氏が中東に向かう機上からの参加という、そもそもの舞台設定に「片手間感」がにじんでいた。さらに通信回線の不調により、10カ国の外相を長時間待たせた揚げ句の中止だった。直後にシャーマン国務副長官がインドネシア、カンボジア、タイに足を運んだものの、閣僚不在の外交では、ASEAN側が不信を募らせるのも無理はなかった。

米国の意図は分からなくはない。アジア重視とはすなわち中国抑止だ。「米国第一」のトランプ前政権下で、多くの同盟国・友好国との関係にきしみが生じた。オーストラリアやEUを含め、まずは対中包囲網の「外堀」を埋めたうえで「緩衝地帯」のASEANへ乗り込む段取りは、合理的といえた。

ただし、乗り込む先の選択が、波紋を広げた。国防長官と副大統領の訪問先が重複しているうえ、かつてなら優先したであろうインドネシア、タイというASEANのリーダー国を含んでいなかったからだ。

素通りの判断は、両国の目にどう映ったのか。主要メディアの論調が参考になる。

「オースティン氏が戦略的に重要な国しか訪れないと分かったとき、ジャカルタの権力中枢から大きな怨嗟(えんさ)の声があがった。ハリス氏の東南アジア訪問が発表され、もっと大きな報償があるのかと期待したら、またも何もなかった」。こう嘆くジャカルタ・ポスト紙のM.タウフィクラフマン編集局長は、バイデン氏が気候変動に関する最近の演説で「ジャカルタは今後10年間で水没する可能性が高い」と述べたことに触れ「我々を助ける必要はないが、少なくとも侮辱はするな」と指弾した。

タイのチュラロンコン大シニアフェロー、ガヴィ・チョンキタウォーン氏は「米国が3月に公表した国家安全保障戦略指針の暫定版に、タイへの言及はなかった。代わりになり得る戦略的パートナーが増え、タイを同盟国として以前ほど熱心に評価していない」とバンコク・ポスト紙への寄稿で論じている。

2人が訪れる3カ国の戦略的な重要度は疑いがない。シンガポールは米第7艦隊の主要寄港地であり、米軍機や艦船の後方支援で大きな役割を果たす。ベトナムとフィリピンは南シナ海の領有権争いで中国と直接対峙する。一方、インドネシアとタイは数年来、親中姿勢が目立ってきた。そう考えれば、露払い役である国務副長官がカンボジアとこの両国を抱き合わせにしたのは、けん制の意図があったようにすら思える。

バイデン政権の取捨選択は何を意味するのか。

もともと、東南アジアの呼び名は第2次世界大戦中に連合国軍がスリランカに「東南アジア総司令部」を置いたのが始まりだった。いわば地理的要素が強い「他称」である。これに対し、1967年に地域協力機構として発足したASEANは、機能的要素が大きい「自称」。反共同盟として生まれ、この地域の地政学を形作ってきた。

原加盟5カ国で始まったASEANをけん引してきたのが「バンコク宣言」を起草して生みの親となったタイ、本部を抱いて育ての親を担ってきたインドネシアである。

実際、ASEANの重要な決定の多くを、この両国が主導してきた。例えば、90年代初めにタイのアナン首相が提唱した「ASEAN自由貿易地域(AFTA)」は、後にASEAN経済共同体(AEC)へと発展した。旧軍事政権下にあったミャンマーの97年の加盟は、インドネシアのスハルト大統領が強力に旗を振った。2月に起きたミャンマーのクーデター後の対応も、インドネシアが中心にいるのは周知の通りだ。

トランプ大統領㊥はアジア軽視が目立った(2017年11月、最初で最後となったASEANとの首脳会談)=ロイター

そんな盟主国の軽視が浮かび上がらせるのは、米国がこの地域で戦略関係を構築したい相手とは、ASEANではなく「東南アジアの個別国」ではないか、という問いだ。対面外交の準備が進んでいた7月初め、インド太平洋調整官のカート・キャンベル氏は「効果的なアジア戦略のためには、東南アジアでもっと多くのことをしなければいけない」と発言した。

経済と安保を混然一体として影響力を広げる中国の「一帯一路」に対抗すべく、バイデン政権は日豪印との「Quad(クアッド)」をアジア戦略の柱に据える。その枠組みに引き込んでいこうとする際、加盟国により対中姿勢に温度差があって意思統一が難しいASEANより、ベトナムやシンガポールのような個別国と是々非々で話し合う方が、より効率的と考えても不思議はない。

チュラロンコン大のガヴィ氏は「加盟国がどのような形であれクアッドとの連携を決断すれば、ASEAN主導の地域構造は即座に弱体化する」と警告する。それは小国が結束して対外発言力を確保していく、ASEANの生存戦略を揺るがしかねない。

似た文脈で思い出すのは近年の通商協議だ。2010年に米国が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の旗を振り、ベトナムやマレーシアが参画を表明すると、自由貿易圏づくりの主導権を失うことを恐れたASEANは、それまで消極的だった東アジアの地域的な包括的経済連携(RCEP)の推進に転じた。RCEPは8年間の難交渉を乗り越え、昨年11月に妥結へこぎ着けた。

米中が影響力を競えば、ASEANの立ち位置は難しい半面、双方から妥協と協力を引き出すうえで、必ずしもマイナスではない。ただし、ASEAN流の天びん外交は、加盟国のワンボイスが大前提だった。

待ち望んだ米国のアジア回帰が、皮肉にも地域機構としての存在価値を揺るがすとき、RCEPのときのように、改めて求心力を呼び覚ますことができるのか。このまま遠心力が強まるようなら、ミャンマー対応のもたつきなど機能不全が目立つASEANの弱体化が、一層進みかねない分水嶺である。』