「死んだら責任取れるのか」

「死んだら責任取れるのか」厳しい暑さに五輪選手から不満 真夏日続く
[2021年7月29日21時3分]
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/general/news/202107290000956.html

※ そもそも、日本のこの時期の気候が、こういうものだということは、知れた話しだ…。

※ それを承知の上で、そういう日程を組んでるわけだ…。

※ 10月以降の「やや涼しくなってから」だと、某国の「スポーツ・シーズン」と重なって、視聴率的に問題がある…、という要求・要望が通っての話しだろう…。

※ すべては、IOCとスポンサーの「談合」の上でのことだ…。

※ その「尻」を、持ち込まれても、困るよ…。


『東京五輪では開幕から厳しい暑さが続き、選手から悲鳴のような不満の声が上がっている。気象庁によると、予報では30日から8月5日まで、最高気温が33度前後の真夏日が続く。

男子テニスで世界ランキング2位のメドベージェフ(25、ROC)は28日午前11時の試合で「死んだら責任取れるのか」と訴え、試合の開始時間が午前からではなく、午後3時スタートに遅らせる措置が取られるなど影響も出ている。

環境省が公表している東京五輪会場付近の熱中症予防運動指針「暑さ指数」では、東京都江東区の有明テニスの森では、競技開始の29日午後3時時点でも気温が27度で「激しい運動では30分置きくらいに休憩をとる」の「警戒」だった。本来試合をしていたはずの正午は29・4度で「激しい運動や持久走など体温が上昇しやすい運動は避ける」の「厳重警戒」だった。

マラソンは札幌市で女子が8月7日、男子は8日に行われる。札幌管区気象台によると、今年の最高気温は平年よりも3度近く高い傾向。午前7時からのスタートで暑さのピークを避けたが、新型コロナだけでなく熱中症対策も必要になりそうだ。』

連日の猛暑アーチェリー選手熱中症

連日の猛暑アーチェリー選手熱中症、ジョコビッチら夜に試合変更を提案
[2021年7月26日12時14分 ]
https://www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/tennis/news/202107260000247.html

『東京オリンピック(五輪)に涼しい気候の国から出場する選手は、対戦相手に加えて連日の猛暑とも闘っている。ロイター通信などによると、23日に行われたアーチェリー女子の試合後、ROCのスベトラーナ・ゴムボエワが熱中症で気を失った。意識は間もなく回復したが、担架で運ばれ会場を後にした。気温は33度ほどに達していたとみられる。ゴムボエワはこの日の混合女子団体にも出場し、銀メダルを獲得。

テニス男子シングルスで世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)は「あまりの暑さと湿気、よどんだ空気が負担になっている。ロッカールームで話した人たちは皆、これまで経験した中で一番しんどいと言っていたよ」とうんざりした様子。2位のダニル・メドベージェフ(ROC)がテニスの試合時間を夜に変更することを提案すると、ジョコビッチも「100%同意する」と歩調を合わせた。暑さ対策のため、試合中に選手の休憩時間を増やす特別ルールが導入している。

東京五輪組織委員会の小谷実可子スポーツディレクター(SD)は25日の記者会見で「懸念が上がっていることは理解している。緊急時対応策の適用を含めて早急に相談していきたい」と述べた。』

コロナに猛暑まで…

コロナに猛暑まで…史上最悪の「災難」に立ち向かった五輪選手たち
http://japan.hani.co.kr/arti/international/40757.html

 ※ 「嘔吐した」話しは、聞いていた…。

 ※ しかし、それが「生放送」されたことは、知らんかった…。

 ※ 「酷暑」の中、大変だったな…。

 ※ 「熱中症」で倒れた選手も、出たらしいな…。

『(登録:2021-08-09 07:13 修正:2021-08-09 08:18)

五輪に参加した選手らは、世界最強のライバル選手らとはもちろん、自分自身とも孤独な闘いをした。8日に閉幕する東京五輪は、新型コロナウイルス感染症の大流行と異例な猛暑などの“災難”にも立ち向かわなければならなかった、歴代のどの大会よりも選手に過酷な五輪として記録される見込みだ。

 東京五輪では、新型コロナの陽性判定は選手にとって恐怖そのものだった。長期間準備した五輪に出場できない選手が続出し、やるせなさを与えた。陽性判定を受けた選手らは10日間の隔離生活を過ごさなければならないが、五輪は2週間ほどであるため、事実上競技に参加するのは不可能だ。

 東京に出発する前に検査で陽性判定を受け東京行の飛行機に乗れなかった選手が相次いだ。男子ゴルフ世界ランキング1位のジョン・ラーム選手(スペイン)、射撃女子スキート世界ランキング1位のアンバー・ヒル選手(英国)も同様のケースだ。東京で陽性判定を受けると、ホテルなどの別の空間で10日間の隔離生活を過ごさなければならない。オランダのテコンドーのレシュミー・オーヒンク選手は「部屋があまりに狭く、窓を開けられず換気できなかった」とし、「隔離ではなく収監生活」だと非人間的な処遇を批判した。
 島国特有の暑くて湿っぽい日本の気候は、野外種目の選手には新型コロナと同じぐらい恐ろしい対象だった。体感温度が摂氏38~39度まで上がり、競技の途中で倒れたり、最初から競技を放棄する選手も出た。テニス、アーチェリー、トライアスロンの選手が暑さで倒れたり苦痛を訴え、テニスの場合、競技開始時間が午前11時から午後3時に変わったりした。

 特に、札幌で8日に行われた男子マラソン競技では、選手106人中30人(28%)が途中棄権したと、毎日新聞が報道した。マラソンと競歩は通常は東京より凉しい札幌で実施することが決まったが、21年ぶりの猛暑が押し寄せた。同紙は、(マラソン当日の)気温は幸い30度を越さなかったが、高い湿度が影響を与えたようだと報じだ。

 一方、選手村に対する選手の不満も相当なものだった。SNSでは、ダンボール製のベッドはもちろん、事前に料金を支払うことでレンタル可能だったテレビと冷蔵庫、不足したクリーニングなどが俎上に上がった。

キム・ソヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1006852.html
韓国語原文入力:2021-08-09 02:30
訳M.S』

「韓国選手が見当たらない」中継陣も当惑

「韓国選手が見当たらない」中継陣も当惑…閉幕式「韓国パッシング」論争
https://japanese.joins.com/JArticle/281699

『(中央日報/中央日報日本語版2021.08.09)

2020東京オリンピック(五輪)閉幕式の中継画面で韓国チームの姿がまるごと抜けていて韓国「パッシング」論争が大きくなった。

8日午後8時、東京オリンピックスタジアムで行われた東京五輪閉幕式で、国別に旗手が入場する瞬間をまとめた画面は韓国が入場するタイミングに合わせてフルショット(全体画面)に切り替わった。

各国選手が一緒に踊る場面でも韓国選手は見えなかった。中継放送の進行者も「韓国の選手を見たいが見当たらない」と慌てたほどだ。

大韓体育会は閉幕式に先立ち、韓国選手4人、役員30人など合計34人が参加すると明らかにした。閉幕式の旗手には韓国で初めて近代五種の競技でメダルを獲得したチョン・ウンテが抜擢された。だが、チョン・ウンテの姿はこの日の中継画面では目にすることができなかった。

この日閉幕式公演には東京スカパラダイスオーケストラ、Creepy NutsのDJ松永、歌手milet(ミレイ)などが参加した。

東京五輪は新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)の拡大で1年延期の末に開催された。

17日間の日程を終え、韓国は東京五輪で金メダル6個、銀メダル4個、銅メダル10個を獲得し、総合順位16位を記録した。 』

〔EVの行く手に待ち受ける試練〕

 ※ 前にも語ったが、EVの「真の課題」は、「エネルギー問題(電力の確保)」と、「鉱物資源の問題」だ…。

 ※ その後者の「鉱物資源の問題」に焦点を当てた、良記事だ…。

EVの行く手に待ち受ける試練(前編)
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2107/12/news016.html

レアメタル戦争の背景 EVの行く手に待ち受ける試練(中編)
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2108/09/news007.html

【点描・永田町】支持率下落で狂った再選戦略

【点描・永田町】支持率下落で狂った再選戦略
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080300237&g=pol

『国民の不安と期待が交錯するコロナ禍の中での東京五輪が7月23日に開幕し、世界から集結したアスリートたちが17日間の熱闘を展開している。ただ、各国選手や関係者のコロナ感染が相次いでいることで「安全安心な大会運営」は看板倒れにもみえる。このため、「五輪成功」を大前提とした菅義偉首相の再選戦略にも狂いが生じている。五輪主催都市・東京を中心とするコロナ感染急拡大が止まらず、コロナ収束への切り札とされるワクチン接種の混乱も際立つことで国民の不安と不信も拡大。五輪開催直前の世論調査で内閣支持率が過去最低にまで落ち込み、政府与党内に政権の前途を危ぶむ声が広がったからだ。

菅首相「無投票再選」に暗雲 自民総裁選、複数が出馬模索

 首相は、内外の強い懸念や反発をはねのけて五輪開幕に突き進み、大会主催者の国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長と共に「安全安心な大会にする」と呪文のように繰り返してきた。その上で、「始まれば、日本の金メダルラッシュで国民が熱狂する」(周辺)と読み、五輪・パラリンピックの開催成功による内閣支持率回復によって、五輪閉幕後の次期衆院選勝利と自民党総裁再選で、第2次政権を発足させることへの自信もにじませていた。

 しかし、五輪史上例のない「無観客」での開会式に象徴されるように、57年ぶりの東京五輪は「光と影が交錯する、不安だらけの大会」(閣僚経験者)となっている。しかも、五輪開催中の東京の感染拡大は「今年1月からの第3波をはるかに超える危機的状況」(感染症専門家)とされ、重症者や入院患者の増加などで、「五輪期間中の医療逼迫(ひっぱく)」(同)も現実味が増している。

総裁選先行が“菅降ろし”誘発も

 そうした中、政府与党内では、五輪後の政局で最大の焦点となる次期衆院選について、パラリンピック閉幕直後の9月上旬解散―10月上中旬投開票という日程の先送り、自民総裁選の先行実施論が台頭している。五輪開催前に主要メディアが一斉に実施した世論調査で、いずれも菅内閣の支持率が過去最低、不支持率は過去最高となり、自民党の支持率も連動する形で下落したことで、公明党も含めた与党内で、次期衆院選への不安が加速したためだ。

 与党内では、かつて参院のドンと呼ばれた青木幹雄元官房長官が唱えた「青木の法則」に改めて注目が集まる。「内閣と自民党の支持率合計が50を割ると政権危機」というもので、時事通信社の7月の調査では合計が「50.7」と危険水域ぎりぎりの数字となった。7月4日に投開票された東京都議選での想定外の自民伸び悩みも「保守層の自民離れ」(自民選対)によるもので、「コロナ対策で後手を続ける首相への不信感が原因」(元自民事務局長)とみられている。

 首相が昨年9月の就任以来、最善のシナリオと位置付けてきたのは「五輪成功→衆院解散断行→自民勝利で総裁選無投票再選」という展開だった。しかし、首相はここにきて「最優先すべきはコロナ対策」と9月上旬解散への慎重姿勢をにじませ、官邸サイドも「衆院選は遅ければ遅いほどいい」と漏らす。自民党内では「解散先送りなら総裁選先行が筋」(閣僚経験者)との声も相次ぐが、首相サイドは「総裁選を無投票再選にして、解散時期の選択肢を広げる」となお強気だ。ただ、「五輪が成功しなければ無投票再選は困難」(閣僚経験者)との見方も多く、「菅首相では選挙は戦えない雰囲気になれば、総裁選が菅降ろしを誘発する」(長老)ことも想定される。このため、首相にとって今後の約1カ月間は「コロナ、ワクチン、五輪・パラリンピックに神経を苛(さいな)まれる日々」となりそうだ【政治ジャーナリスト・泉 宏/「地方行政」8月2日号より】。』

ヨーロッパ “想定外”の洪水被害

ヨーロッパ “想定外”の洪水被害 その実態は?原因は?
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210803/k10013177551000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_008

『7月中旬にドイツとベルギーを中心に起きた洪水被害。

死者数はこれまでに200人を超え、市民生活への深刻な影響がいまも続くなど、未曽有の被害が出ています。

その実態は?原因は?

ベルリン支局の山口芳支局長に話を聞きました。

Q なにが起きたの?
7月14日から15日にかけてヨーロッパ各地で大雨による洪水が発生しました。

特に被害が大きかったのは、ドイツ西部ラインラント・プファルツ州のアールワイラー郡です。

ヨーロッパを縦断するドイツの「父なる川」、ライン川の支流アール川があふれて流域の家屋が倒壊したり浸水したりしました。

7月29日現在、134人が亡くなり、行方不明者は69人に上っています。

ノルトライン・ウェストファーレン州では47人が死亡。

さらに隣国ベルギーでも38人が死亡、1人が行方不明になっています。

Q 被災地の様子は?

7月17日、NHKの取材班はアールワイラー郡に入りました。

川沿いの道路や鉄道は地盤がえぐられて崩れ落ち、線路は浮いた状態に。

橋脚が折れている橋もあり、当時の水の流れの激しさがうかがえました。

中世の趣を残す商店街は石畳の道が一面泥に覆われ、多くの店が2メートルほどの高さまで水につかったそうです。

現地では片づけ作業が始まっていましたが、泥をかぶった商品は売り物にならず、店主のひとりは「40年以上ここで店を続けてきましたが、もう営業の再開は無理です」と疲れた様子で話していました。

Q 暮らしにはどんな影響が?

被災地では広い範囲で電気やガス、水道が止まったほか、通信インフラも被害を受けて携帯電話が不通となりました。

依然として復旧作業が続けられるなど、市民生活に大きな支障が出ています。
公共交通機関への影響も甚大です。

鉄道は土砂の崩落などで600キロにわたって線路に被害がでたほか、多くの駅や50か所以上の橋が被災しました。

鉄道事業者によりますと被害総額はおよそ13億ユーロ、日本円にしておよそ1700億円に上るといいます。

また、ノルトライン・ウェストファーレン州では135の学校で校舎が被害を受け、夏休み明けの8月下旬に通常どおり授業が再開できない学校が出てくる可能性も指摘されています。

被災地の子どもたちの心のケアも大きな課題となっています。

Q 洪水が起きた原因は?

直接の原因は集中豪雨です。

アール川の流域では1日だけで、7月の平年の1か月分の雨量を超えました。

洪水が起きる3週間前から断続的に雨が降った影響で、土壌の水分量が増したところに集中豪雨が重なり、山あいを流れるアール川に、土壌で吸収しきれなかった大量の水も流れ込んだことから、川の水位が急上昇したとみられています。

Q 被害が広がった理由は?

地元メディアは、住民たちに、事前に災害の危険性が十分伝わっていなかったのではないかという見方を伝えています。

それぞれの被災地では「自分が住む地域では警報が出ていなかった」とか「大雨の警報は出されていたが、まさか洪水が起きるとは思わなかった」といった声が聞かれます。

これについて、地理学が専門で災害対応に詳しい、ボン大学のロタール・シュロット教授は次のように指摘しています。

ボン大学 ロタール・シュロット教授

「警報が出された地域でも、すぐに自宅を離れて避難する必要があるといった、具体的な行動を、切迫感をもって伝えていなかったことが大きな問題だ」

Q 気候変動も要因としてあげられるの?

被災地を視察したメルケル首相

今回の洪水との直接の因果関係は、今のところ分かっていません。

ただ、18日に被災地を訪れたドイツのメルケル首相は「科学を信じるならば、気候変動との関連がある」と述べました。

また、EU=ヨーロッパ連合のフォンデアライエン委員長も、気候変動が影響しているという見方を示しています。

北欧フィンランドの首都ヘルシンキでは、6月の平均気温が史上最高を観測するなど、ヨーロッパ各地は熱波にも見舞われています。

ヨーロッパの人々の間では気候変動に対する危機感が一層強まっていて、ドイツでは気候変動対策が9月に行われる連邦議会選挙でも重要な争点となりそうです。
Q 選挙にはどんな影響があるの? 
およそ16年にわたってドイツを率いてきたメルケル首相の後任が決まる重要な選挙で、ラシェット氏が率いる与党「キリスト教民主・社会同盟」をベアボック氏が率いる野党「緑の党」が追う展開となっています。

7月28日に発表された世論調査では、与党の支持率が26%だったのに対して「緑の党」は21%と差が縮まっています。

「緑の党」はこれまでも気候変動対策の強化を訴えてきただけに、今回の洪水被害をきっかけに選挙に向けて支持を広げていく可能性もあります。

行方不明者の捜索や復旧が急がれる一方で、ドイツの政府与党にとっては、防災・減災への取り組みや気候変動対策が喫緊の課題になっています。』

「自分は感染しない」40代と50代の約半数

「自分は感染しない」40代と50代の約半数 リスク認識が不十分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210808/k10013188871000.html

『日常生活で新型コロナウイルスに感染すると思わないと考える人が、40代から50代ではおよそ半数に上ることが国際医療福祉大学の調査で分かり、専門家は、入院する人がいま最も多いこの世代に感染するかもしれないという認識を持ってもらうことが重要だと指摘しています。

調査は、国際医療福祉大学の和田耕治教授らが、7月13日からの3日間首都圏の1都3県の20代から60代を対象にインターネットで行い、およそ3100人から回答を得ました。

調査で自分が新型コロナウイルスに日常生活で感染すると思うか尋ねたところ、「あまりそう思わない」か「そう思わない」と答えた人は、

男性は
▽20代で43%、▽30代で41%、▽40代で52%、▽50代で55%、▽60代で66%。

女性は
▽20代で42%、▽30代で45%、▽40代で48%、▽50代で60%、▽60代で70%でした。

ワクチン接種が進んだ60代をのぞくと、男女ともに、いま入院患者が多い40代や50代が高くなっていました。

知り合いに感染した経験がある人がいた場合、▽20代から30代では60%以上の人が「感染すると思う」と答えましたが、▽40代から50代では知り合いに感染経験のある人がいてもいなくても、半数以上が「感染すると思わない」と答え、研究グループは感染リスクの認識が十分ではないとしています。

和田教授は「リスクの認識が低いと、感染対策もおろそかになりがちだ。企業でも中心的な役割を担っているこの世代の人たちに感染リスクを正しく認識してもらう必要がある」と話しています。』

東京の閉会式はパンデミックオリンピックを終了します

東京の閉会式はパンデミックオリンピックを終了します
パンデミックと政治的、スポーツ的、個人的な混乱によってマークされた東京2020オリンピックは終わりに近づいています。
https://www.aljazeera.com/gallery/2021/8/8/tokyos-closing-ceremony-ends-pandemic-olympics

『(※ 翻訳は、Google翻訳)

東京は日曜日の式典でオリンピックの炎を利用し、観客なしでプレーし、世界的なパンデミック、まばゆいスポーツ、深く個人的な混乱によって定義され、変容した試合の拘束を響かせた。

オリンピックスタジアムで炎が消えた瞬間、選手がすでに出口に向かっていたので、多色の花火のボレーが夜空を照らしました。

閉会式が草、バスカー、BMXライダーの公園に一時的に変身したとき、彼らは東京の日常生活を垣間見ることができました。主催者は、多くの人がゲームで過ごしたり、会場で競争したりしたという痛烈なうなずきである「東京」を体験できるように、このシーンは意図されていると言いました。

それはCOVID-19パンデミックによって立ち上がり、政治、スポーツ、個人的な混乱のドラマによって変わったゲームに正当に奇妙な閉鎖でした。東京オリンピックは、2011年の壊滅的な地震、津波、原子力危機からの日本の回復を示すことを目的としていたものです。

また、2024年夏季大会に向けて東京からオリンピックのバトンを取る準備をしているフランスの首都として、数千人のスポーツファンがエッフェル塔から川を渡ってファンゾーンに押し寄せたパリで行われたはるかにお祝いの公園シーンとは対照的でした。

1年間延期された後、主催者は、ゲームがパンデミックに対する世界の勝利の象徴になると言いました。観客なしで開催され、コロナウイルスの変種が復活し、ゲームは勝利に及ばず、日本が最初に求めた財政的な落ち込み。

代わりに、ホスト国は150億ドルの法案に悩まされ、当初予想していた2倍であり、それを相殺する観光ブームはありません。

国際オリンピック委員会(IOC)の会長は、日本国民に感謝し、パンデミックの中で希望の象徴としてオリンピックを宣伝しました。

「誰もこれまでに延期されたゲームを組織したことがない」と彼は言った。

オリンピック競技大会東京大会会長のトーマス・バッハ会長と橋本聖子は、オリンピックスタジアムでの閉会式で、手で心のサインをします。[ダン・マレン/プール/AP写真]

東京2020大会は日曜日にIOCのトーマス・バッハ長官によって閉鎖されたと宣言され、1年間のパンデミックの遅れとキャンセルの脅威の後、「最も挑戦的なオリンピックの旅」だったと述べた。[トーマス・ピーター/ロイター]

オリンピックスタジアムでの閉会式でアーティストが演奏します。[ジェイ・C・ホン/APフォト]

バッハは、日本が記録的なコロナウイルスの流行と戦う中、観客が空だった68,000席のオリンピックスタジアムで演説し、東京大会を「前例のない」と呼んだ。[パヴェル・コプチンスキ/ロイター]

閉会式が終わると、アスリートやチームメンバーがポーズをとります。[ダン・ミュラン/プール/ロイター]

「私たちが生きているこの困難な時代に、あなたは世界に最も貴重な贈り物を与えます:希望」とIOC会長は式典で選手たちに語りました。[イ・ジンマン/APフォト]

「そして今、私は東京へのこの最も挑戦的なオリンピックの旅の終わりをマークする必要があります:私は閉じた第32回オリンピックの大会を宣言します」と、バッハが言いました。[ダン・マレン/プール/AP写真]

閉会式では、スタジアムの外の人々が花火を見ます。[加藤一生/ロイター]

日本、ギリシャ、フランスの旗が背景に飛んでいるオリンピック聖火の一般的なビュー。[アントニオ・ブロニック/ロイター] 』

〔楚漢戦争〕

楚漢戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%9A%E6%BC%A2%E6%88%A6%E4%BA%89

『楚漢戦争(そかんせんそう)は、中国で紀元前206年から紀元前202年にわたり、秦王朝滅亡後の政権をめぐり、西楚の覇王項羽と漢王劉邦との間で繰り広げられた戦争。「楚漢争覇」「項羽と劉邦の戦い」とも呼ばれる。』

『戦争前の経緯

秦滅亡後、項羽は根拠地である彭城(現在の江蘇省徐州市)に戻り、自ら西楚の覇王を名乗った。圧倒的な軍事力を背景に政治上の主導権を握った項羽は、紀元前、諸侯を対象に大規模な封建を行う。主なものは以下の通りである。

漢中 – 劉邦

旧秦の領地である関中は、本来ならば一番乗りを果たした劉邦に与えられる約束となっていたが、項羽はこれを反故にして、当時は辺境の地であった漢中に劉邦を追いやった。

趙 – 張耳
代 – 趙歇

趙王であった趙歇を趙の北辺の代に国替えし、項羽に付いて関中にまで従軍した趙の宰相の張耳を常山王として、趙の旧領を与えた。陳余は項羽とともに従軍しなかったため、南皮を与えられたに過ぎなかった。

九江 – 英布
衡山 – 呉芮
臨江 – 共敖

英布は楚軍の将軍として多大な功績を挙げたので、九江王として六(現在の安徽省六安市)に都させた。また、英布の舅で元県令の呉芮を衡山王、部下の共敖を臨江王として呉楚を治めさせた。

遼東 – 韓広
燕 – 臧荼

元の燕王の韓広を遼東に移し、項羽に協力した燕の将軍臧荼を燕王にした。

膠東 – 田巿
斉 – 田都
済北 – 田安

元の斉王の田巿を移して膠東王にして、項羽に協力した斉の将軍田都を斉王にした。そして項羽と親しい斉の王族の田安を済北王として、斉を三分した。また、田巿の擁立者であり、斉の実質的な支配者であった田栄は項羽に協力しなかったので、何も与えられなかった。

西魏 – 魏豹
河南 – 申陽
殷 – 司馬卬

かつて魏の公子の魏咎の弟(従弟とも)で、項梁(項羽の叔父)を頼った魏豹に魏を分割して西部を与えて西魏王に封じ、武臣・張耳の将で魏の東部に趙の将軍の申陽をおいて河南王とした。また、殷の故地にやはり趙の将軍である司馬卬を封じて殷王とした。

韓 – 鄭昌

韓王成が劉邦と親密だったことから、項羽は彼を抑留し、自分の部下の鄭昌を立てて韓王とした。

このように項羽の封建の基準となったものは、その時の功績ではなく、あくまでも項羽との関係が良好か否かであった。故にその結果はかなり不公平なものとなり、諸侯に大きな不満を抱かせるものとなった。

さらに項羽は、それまで奉じていた楚の懐王に義帝という称号を与えて辺境の郴へ流した上で、九江王の英布に命じて殺害させた。また、韓王成が領国である韓へ帰ることを許さず、その後范増に命じて殺害させた。このため、韓王成に仕えていた張良を劉邦の下へと走らせることになった。』

『楚漢戦争勃発

紀元前206年、まず田栄が田都を殺して自ら斉王になった。そして、のちに劉邦に付いて活躍した彭越を将軍として軍を派遣し、済陰を攻撃させた。

かつて張耳の同志であった陳余は、秦によって趙が攻められて張耳が籠城したときに救援しなかったことで仲違いしており、項羽から何も与えられなかったことを不満に思っていた。そこで陳余は張耳を攻めて趙を占領し、元の趙王である趙歇を迎えて趙王にした。この功績で陳余は趙歇より代王とされた。敗れた張耳は逃れて劉邦の下へ奔った。

そして紀元前205年、項羽の最大の敵である劉邦が漢中より出て、関中を陥れた。

項羽は大いに怒ったものの、まずどれを討つべきかを迷った。しかし劉邦から「項羽と敵対するつもりはない」という手紙が来たので、まず斉を討つことに決めた。田栄は抵抗したものの項羽に敗れ、逃亡したところを農民によって殺された。しかし項羽はこれで満足せず、斉の城を次々と落とし、捕虜を穴埋めにし、各地を焼いて回った。このため斉の民衆は怒って項羽に反抗し、さらに田栄の弟の田横が斉の残兵を集めて抵抗したので、平定することが出来なかった。

項羽が斉で苦戦していることを見た劉邦は、諸侯との連合軍56万人を率いて項羽の本拠の彭城を陥落させた。このことで劉邦と諸侯軍は増長して軍律が乱れ、連日城内で宴会を開き、略奪を行い、女に乱暴する、という状態になった。このことを聞いた項羽は激怒し、自らが選んだ精兵3万のみを引き連れて彭城へと戻り、油断していた劉邦たちを散々に打ち破った(彭城の戦い)。

紀元前204年、劉邦は何とか逃げ出して滎陽(現在の河南省滎陽市)にて篭城し、項羽軍もこれを追撃して滎陽に至った(滎陽の戦い)。その間に、斉では田横が田栄の子である田広を立てて斉王とし、斉一帯を制圧した。

劉邦は追い詰められたが、陳平や紀信の策を用いて脱出し、関中に戻ると蕭何の用意した兵士や物資で体勢を立て直した。この時に英布を自らの陣営に取り込むことにも成功している。

韓信の躍進

同じ頃、劉邦の将軍である韓信は、劉邦から離反した西魏を攻め、これを下して王の魏豹を廃して庶人とした。次に劉邦の命により代を下し、さらに趙へと攻め込んだ。この時の韓信の兵力はわずか2万であったが、独創的な戦術(背水の陣)で20万と号した趙軍を半日で打ち破って趙を占領、趙王歇と代王陳余を処刑して、張耳を趙王とした(井陘の戦い)。その後、趙の降将である李左車の策を容れて、燕王臧荼を降伏させることにも成功する。

紀元前203年、劉邦は韓信に対して斉を討つように命令した。ところがその後で、劉邦は儒者の酈食其を派遣して斉との和平交渉を行わせ、斉もこれに応じた。韓信は斉との国境付近まで来てこれを知ったが、謀士の蒯通に「これでは弁士の功績が将軍の功績を上回ってしまうことになる」と唆されて斉へ攻め込み、これを占領した。酈食其は怒った斉王田広と宰相田横により、釜茹でにされた。

逃れた田広たちは楚に救援を求め、楚は将軍龍且を派遣するが、韓信はこれをも破った(濰水の戦い)。これらの功績により韓信の名声は非常に高まり、韓信は劉邦に自らを斉王にするように要請して、これを認められた。ここに至り、韓信は劉邦の将軍というよりも一つの独立勢力としての立場を築くことになった。項羽もこれを恐れるようになり、武渉という者を派遣して韓信を自分の方へと引き込もうとしたが、韓信はかつて項羽軍にいた時に冷遇されていたことを覚えていたのでこれを断る。

蒯通は韓信に対し、自立して天下を三分するべきだと説いたが、韓信は悩んだ末に劉邦への恩義を選び、蒯通は後難を恐れ、発狂した振りをして逃げ出した。

楚の敗北

関中から出撃した劉邦は、彭越たちに命じて項羽の後方を撹乱させ、これに乗った項羽は彭越の方へと軍を向けた。この隙に劉邦は秦の食料集積地であった敖倉の食料を手に入れ、滎陽の北の広武山に陣した。彭越たちを追い散らした項羽は、戻ってきてその向かい側の山に対陣した。

彭越たちは項羽軍の後方撹乱を続けたので、項羽は食糧不足に悩んだ。漢軍では途中で劉邦が負傷したこともあって、両軍共に和睦を望むようになり、劉邦軍の弁士の侯公が使者となって和睦し、天下を二分することを取り決めて両軍が引き上げることになった。

劉邦はそのまま引き上げる気でいたが、張良と陳平は、楚軍が本拠に帰って英気を養った後では漢軍は到底敵わなくなるだろうと考え、劉邦に楚軍の背後を襲うべきだと進言した。

劉邦はこれに従って楚軍を後ろから襲ったが、敗北した。これに先立って韓信と彭越に共同軍を出すように使者を送ったが、2人は来なかった。劉邦がこれに対する恩賞を何も約束しなかったからである。張良にこれを指摘された劉邦は、韓信を斉王とし、彭越を梁王とする約束をした。果たして2人は軍を率いて加勢し、兵力で圧倒した漢軍は楚軍を垓下へと追い詰める(垓下の戦い)。

楚軍を包囲した漢軍から楚の歌が聞こえ(四面楚歌)、楚軍のほとんどが降伏したと考えた項羽は勝利を諦め、残った800騎を率いて脱出し、南下した。途中湿地帯に迷い込むなどした項羽たちは数千騎の漢軍に追いつかれ、ついに意を決して戦いを挑んだ。28に減った騎兵を4隊に分けた項羽は漢軍に切り込み、大将1人を切り伏せると、山の東側に部下を集結させ、再び切り込んで100人もの兵を斬った。この間、項羽が失ったのは2騎のみであった。

逃げた項羽は烏江(現在の安徽省馬鞍山市和県烏江鎮)へ到った。河の渡し場では烏江の亭長が船を準備しており、項羽に江東へ逃げるよう献言した。しかし、項羽はそれを断って愛馬を亭長に与え、生き残った26の歩兵を率いて漢軍を迎え撃った。項羽は満身創痍となりながらも1人で数百の漢兵を斬った。項羽は旧知の呂馬童を敵軍の中に見つけ、「漢王はわたしに莫大な賞金をかけ、万戸侯を約束しているというではないか。お前は旧知の仲だ。ひとつ、手柄をやろう」と言い、みずからの首を切った。王翳が駆け寄って首を拾ったが、周囲の漢兵たちも群がり、互いに斬りあって項羽の死体を奪いあった。数十人の死者を出した結果、呂馬童・王翳・楊喜・呂勝・楊武の5人が項羽の首と両手足を分けあい、褒賞を5分して受けた。

項羽の敗北が決定的となっても魯のみは降らずにいたが、項羽の首を見ると降った。劉邦は項羽を魯公として葬り、喪に服し、墓前に涙をそそいだ。また、項伯ら残った項羽一族を誅殺することはせず、「劉」の姓を与えて家を存続させた。さらに項羽の右腕として劉邦を苦しめた季布や陳嬰も、諌められてこれを登用した。しかし同じく項羽の右腕として劉邦を苦しめた鍾離眜は韓信が匿っていたが、韓信に謀反の疑いがかけられたときに自決させられた。

関連作品

映画

項羽と劉邦/その愛と興亡 (1994年 中国・香港)
項羽と劉邦/White Vengeance (2011年 中国)
項羽と劉邦 鴻門の会 (2012年 中国)

テレビドラマ

項羽と劉邦・背水の陣 (1991年 中国)
劉邦と項羽 (1997年 中国)
大漢風 〜項羽と劉邦〜 (2004年 中国)
項羽と劉邦 (2004年 香港)
THE MYTH/神話 (2009年 中国)
項羽と劉邦 King’s War (2012年 中国)

小説

項羽と劉邦(司馬遼太郎)※ これは、読んだ…。
項羽と劉邦(童門冬二)
漢楚軍談(田岡典夫)
四面楚歌―漢楚戦記(小島真爾)

戯曲

項羽と劉邦(長與善郎)

漫画

項羽と劉邦(横山光輝)
史記(横山光輝)
赤龍王(本宮ひろ志)
レッドドラゴン(池野雅博)
龍帥の翼 史記・留侯世家異伝(川原正敏)

ゲーム

項劉記(コーエー)
シャンチー・チャンギ – チャトランガ系統のボードゲーム。盤面や駒に「楚」「漢」と書かれている。 』

2020-09-28
楚漢戦争㉓ 雌雄決す ── 垓下の戦い
https://rekishinosekai.hatenablog.com/entry/sokan-gaika

〔垓下の戦い〕

垓下の戦い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

『垓下の戦い(がいかのたたかい)は、中国楚漢戦争期の紀元前202年に項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間の垓下(現在の安徽省宿州市霊璧県)を中心に行われた戦い。この戦いで項羽が死んだことによって劉邦の勝利が完全に決定し、楚漢戦争が終結した。

目次
1 垓下の戦いまでの流れ
2 四面楚歌
3 関連
4 異説
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目

垓下の戦いまでの流れ

紀元前203年、広武山で長く対峙していた楚漢両軍であったが、楚軍は食糧不足、漢軍は劉邦の負傷や劉邦の父の劉太公が楚軍に捕らわれていたことなどの理由があり、両軍とも戦いを止めることを願うようになった。漢軍から弁士の侯公[1]が楚軍へ使者として送られ、天下を二分することで盟約が結ばれた。

楚軍は本拠地の彭城(現在の江蘇省徐州市)への帰還を始めたが、劉邦は張良・陳平の「弱っている楚軍を滅ぼす好機」との進言を容れ、盟約を反故にして追撃を行なった。

漢軍は楚軍を追って固陵(現在の河南省周口市淮陽区の北西)という所まで進み、同時に韓信と彭越にそれぞれの兵を率いて共に楚軍を討つように命じ、陽武(現在の河南省周口市太康県)に兵を進めた。しかし両者は姿を見せず、一方で裏切りに気づいた項羽は漢軍へ反撃、大きな被害を受けた漢軍は城の中に入り、塹壕を深くして守りに徹した。

張良は劉邦に対して韓信・彭越が来ないのは2人に恩賞の約束をしていないからだと言い、韓信には陳から東の海に至るまでの全ての土地を与え、彭越に対しては睢陽より北の穀城に至るまでの土地を与え、梁王(魏王)とするようにと進言、劉邦もこれを容れ、韓信・彭越に使者を送った。その結果、2人は即座に軍勢を率いて劉邦に合流した。さらに劉賈の軍も彭越と合流、楚の大司馬周殷も寝返り、これらの軍勢は次々と洨城(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)付近の垓下の劉邦の下に集結した。

四面楚歌
漢軍は、韓信が30万の兵を率いて先鋒となり、孔藂と陳賀が側面を固め、総大将の劉邦の後ろに周勃と柴武が陣取った。対する楚軍は項羽が率いる兵は10万ばかりであった。

韓信は自ら先頭に立ち項羽ら楚軍と戦ったが、劣勢になり後方に下がった。しかし、孔藂と陳賀が楚軍を攻撃すると、楚軍は劣勢になり、さらに韓信がこれに乗じて再び楚軍を攻撃すると、楚軍は大敗した。

敗れた楚軍は防塁に籠り、漢軍はこれを幾重にも包囲した。夜、項羽は四方の漢の陣から故郷の楚の歌が聞こえてくるのを聞いて、「漢軍は既に楚を占領したのか、外の敵に楚の人間のなんと多いことか」と驚き嘆いた。この故事から、敵や反対する者に囲まれて孤立することを四面楚歌(しめんそか)と言うようになった[2]。

形勢利あらずと悟った項羽は、別れの宴席を設けた。項羽には虞美人という愛妾がおり、また騅(すい)という愛馬がいた。これらとの別れを惜しみ、項羽は自らの悲憤を詩に読んだ(垓下の歌)。

力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)

虞美人もこれに唱和し、項羽は涙を流し、臣下の者たちも全て涙を流した。

宴が終わると、項羽は夜を突いて残る八百余りの兵を連れて出陣し、囲みを破って南へ向かった。漢軍は夜明け頃にこれに気がつき、灌嬰が五千騎の兵を率いてこれを追った。八百の兵は次第に数を減らし、東城(現在の安徽省滁州市定遠県の南東)に辿りついたときには項羽に従う者わずか二十八騎になっていた。

ここで数千の漢軍に追い付かれた項羽は、配下の者に「ここで私が滅びるのは天が私を滅ぼそうとするからで、私が弱いからではない。これから漢軍の中に入ってこれを破り、それを諸君に知らしめよう」と述べ、二十八騎を七騎ずつに分けて、それぞれ漢軍の中に斬り込んでいった。項羽は漢の都尉を討ち取り、兵士八・九十人を殺した。配下が再び集結すると脱落したのはわずか二人だけであった。配下の者は項羽の言った通りだと深く感じ入った。

項羽たちは東へ逃れ、烏江という長江の渡し場(現在の安徽省馬鞍山市和県烏江鎮)に至った。ここを渡れば項羽たちがかつて決起した江東の地である。烏江の亭長(宿場役人)は項羽に「江東は小さいですが、土地は方千里、人口も数十万おります。この地で王となられよ。この近くで船を持っているのは私だけなので、漢軍が来ても渡ることはできません」と告げた。

しかし、項羽は笑ってこれを断り、「昔、江東の若者八千を率いて江を渡ったが、今一人も帰る者がいない。江東の者たちが再び私を王にすると言ってくれても何の面目があって彼らに会うことが出来るだろうか」と答えて亭長に騅を与え、部下も全て下馬させて、漢軍の中へ突撃した。項羽一人で漢兵数百人を殺したが、項羽自身も傷を負った。項羽は漢軍に旧知の呂馬童がいるのを見て、「漢は私の首に千金と一万邑の領地をかけていると聞く。旧知のお前にひとつ手柄をやろう」と言い、自ら首をはねて死んだ。項羽の遺体に恩賞が掛けられていたため、周囲にいた漢軍の兵士たちは項羽の遺体を巡って味方同士で殺し合いを起こしたほどであった。結局遺体は5つに分かれ、呂馬童を含む5名それぞれに5等分された領地が渡された後に劉邦は項羽を手厚く葬った。

項羽の死によって約5年続いた楚漢戦争は終結し、劉邦は天下を統一して前後約400年続く漢王朝の基を開くのである。

関連

杜牧は「題烏江亭」(烏江亭に題す)を詠んで、江東で再起すれば劉邦に勝てたかもしれないと項羽の短慮を嘆いた(この詩が捲土重来の語源となった)。これに対して王安石は「和題烏江亭」(烏江亭に題すに和す)を詠んで、たとえ江東に渡ったとしても再び勝てただろうか?と疑問を呈している。

異説

日本の歴史学者の佐竹靖彦によると、この戦いの存在自体が疑わしいとされている[3]。

脚注

^ 始皇帝に仕えた方士とは同姓同名の人物。
^ この言葉自体は、寝返った味方を含めた敵軍に囲まれているという複雑な状況に基づいているが、慣用句として用いる場合はそこまでの類似性は求めない。ただ「楚歌」の「楚」は敵国ではなく自国であることは留意が必要である。
^ 佐竹靖彦は著書『劉備』第二十章において、陳において最後の戦いが行われたとしている。

参考文献
佐竹靖彦、『劉邦』、中央公論新社、2005.5
佐竹靖彦、『項羽』、中央公論新社、2010.7
関連項目
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。
四面楚歌

楚漢戦争』

〔垓下歌〕

垓下の歌
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%AD%8C

垓下歌
秦末漢初 項羽
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/gaixiage.htm

力拔山兮氣蓋世,
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何,
虞兮虞兮柰若何。

力は 山を拔き  氣は 世を蓋(おほ)ふ
時 利あらず  騅(すゐ) 逝かず
騅(すゐ)の 逝(ゆ)かざるを  奈何(いか)にすべき
虞(ぐ)や虞(ぐ)や  若(なんぢ)を 柰何(いかん)せん。

『◎ 私感訳註

※垓下歌:楚の項羽と漢の劉邦が天下を争い、やがて垓下で項羽軍は敗れようとするが、その最終段階で、項羽が滅亡を悟った時に歌ったのものとされ、『史記・項羽本紀』や『古詩源』に遺されている。烏江で項羽が亡ぶ前日、四面に楚歌の声が響き渡った時、項羽と虞姫が別杯を交わしたときの情景を歌ったものである。

以下にそのくだりを『史記(中華書局版・金陵局本)・項羽本紀』より次に示す。

「項王(項羽)軍壁垓下,兵少食盡,漢(劉邦)軍及諸侯兵圍之數重。夜聞漢軍四面皆楚※1歌,項王乃大驚曰:「漢皆已得楚乎?是何楚人之多也!」項王則夜起,飮帳中。有美人名虞,常幸從;駿馬名騅,常騎之。於是項王乃悲歌慨,自爲詩曰:「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可何,虞兮虞兮奈若何!」歌數,美人和之,。項王泣數行下,左右皆泣,莫能仰視。」 (※1:蛇足:楚は、項籍(字は羽)の本国。ここから「四面楚歌」の言葉が生まれた)。なお、虞美人がこの詩に答えた「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生。」も(『史記』の古註に出ている唐・張守節の『史記正義』に)あり、勝者の漢の高祖・劉邦の『大風歌』「大風起兮雲飛揚。威加海内兮歸故鄕。安得猛士兮守四方。」よく戦乱の世を生き抜いた気概を表している。なお、これよりもやや早いものに、『古詩源』に採録された『獲麟歌』「唐虞世兮麟鳳逝。今非其時來何求。麟兮麟兮我心憂。」がある。

※項羽:秦末の武将。後の西楚の覇王。劉邦と天下の覇を争い、垓下で敗れ去る。前232年~前202年。名は籍。羽は字になる。項羽は、叔父の項梁とともに挙兵し、漢王劉邦と呼応して秦を滅ぼし、西楚の覇王となる。後、劉邦と天下の覇権を争ったが、垓下の戦いで大敗、烏江で自殺。二千年前、楚の項羽と漢の劉邦が天下を争い、垓下で項羽軍は敗れた。

※力拔山兮氣蓋世:(その)勢威は山をも(改造して)引き抜き、気概は広く天下を掩っていた。 

・力拔山:覇王・項羽の勢威が巨大な様をいう。政治力で自然を改造することができることをいう。天を支え河を治める古代神話の神聖から始まって、旧山河を改造して青山緑水を築きあげるのは悲願でもある。「山を抜く」いうイメージは、日本の山からは、分かりにくいが、右の写真や上の絵のような山を指していう。

 ・兮:〔けい;xi1○〕歌う時に語調を調え、リズムを取る辞。字数を揃えるための意味の無い字ではない。古来、日本の漢文(漢学)でも、中国の古代漢語でもいわれるが、詩では、重要な意味を持つ。特に古代では、『詩経』『楚辞』などで、これでリズムを取る兮字脚となる。ただし、近代の一部の作では、気が横溢したあまりに、(俳句でいう)字足らずとなり、そこを補っているようなものも見受けるが…。 

・氣蓋世:気概が天下をおおいつくしている。ここは、前半の「力抜山(兮)」と後世で謂う句中の対になっている。項羽の勢威が偉大な様をいう。

※時不利兮騅不逝:時節、時運は(わたしに)利していなくて、(愛馬)騅(すゐ)は進もうとしない。 

・時不利:時節は(わたしに)利していない。兵員・武器も食糧も尽き、漢軍四面皆楚歌という具合に全ての運が尽きようとしている。ここもやはり、句中の対で、「騅不逝」と揃いになっている。 

・時:時節。時運。名詞として読んでいる。副詞としても充分に考えられる。その場合は「時に」と読む。 

・騅:〔すゐ;zhui1○〕項羽の愛馬の名。項羽がいつも乗っていた。あしげ。青白色の混じった馬。 

・騅不逝:愛馬は進まない。史記の表記から見ると、別に馬が前進するのを拒んだ訳ではない。ここは、項羽が自分の心情を馬に託して述べている。馬を進められない、ということになる。

(※ ここは、知らんかった…。ずっと、愛馬「騅」が、動かなくなった…、と解釈していた…。)

・逝:〔せい;shi4●〕往く。ずっとゆき去る。

※騅不逝兮可奈何:(愛馬)騅(すゐ)が進もうとしないのを、本当にどのようにすべきなのか、どうしようもない。 

・可:ほんとうに。…べし。…べき(か)。 

・奈何:どのようにしようか。どうしようか。いかにすべきか。どうすることもできない。いかんせん。

※虞兮虞兮奈若何:虞(美人)よ、虞(美人)よ、貴女をどのようにしようか。。

 ・虞:〔ぐ;Yu2○〕項羽の寵姫、虞美人のこと。美人は、女官の官職名。 

・兮:…よ!…や! ここでは前出歌う時の語調を調えるというよりも、「耶」後世の「」といった、語尾に附く語気詞の働きをしている。 

・若:なんじ=あなた。同等またはそれ以下の用法。=汝、女、爾、若。 

・若何:何=「奈何」は「いかん;どうしよう」。 

・奈若何:あなたをどのようにしよう。 

・「奈何」の間に目的語として、人称代詞の「若」が入る「奈若何」。上代漢語語法の目的語をとる疑問文の用法。「」と「奈」とは本来別字だが、『史記』では「」が「奈」の意味で使われている。この語法で似たものとして、漢の『樂府』『箜篌引』「公無渡河,公竟渡河。 墮河而死,當公何。』があり、表現も似たものとなっている。但し、『古詩源』では「奈」字にする。

蛇足になるが、項羽と虞姫との別れの場面は、古来涙を誘うものであり、詩歌となり、絵画となり、近代では京劇『覇王別姫』となり、映画『覇王別姫』となっている。

また、項羽の兵家としての行為(後出の東渡の拒絶)に対しては、幾多の見方がある。杜牧の詩『烏江亭』「勝敗兵家事不期,包羞忍恥是男兒。江東子弟多才俊,捲土重來未可知。」がそうであり、秋瑾の詩がそうであろう。

しかし、李清照の詩『絶句 烏江』「生當作人傑,死亦爲鬼雄。至今思項羽,不肯過江東。」では、その潔さをみとめていよう。江東の故地に落ちのびることを勧めたのに対し、「江東の父兄にどのような顔でもって、会うことが出来ようか。」と拒んだことである。
『史記・項羽本紀』では「於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長船待,謂項王曰:『江東雖小,地方千里,衆數十萬人,亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船,漢軍至,無以渡。』項王笑曰:『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王(この王は動詞)我,我何面目見之?縦彼不言,籍(項羽のこと)獨不愧於心乎?』」とあり、その昂ぶりが二千年の時を越えて伝わってくる。

もっとも、前出『史記』を詳しく読むと、虞姫と別れた項羽は、漢軍の重囲を八百の騎兵とともに夜陰に乗じて脱出したものの、三百騎にまで減り、道に迷ったあげく、農夫に道を欺かれ、沼沢地に迷い込んで、行き詰まってしまった。

天運の尽きたことを悟って「吾起兵至今八歳矣,身七十餘戰,所當者破,所撃者服,未嘗敗北,遂霸有天下。然今卒困於此,此天之亡我,非戰之罪也。今日固決死,願為諸君快戰,必三勝之,爲諸君潰圍,斬將,刈旗,令諸君知天亡我,非戰之罪也。」と言った。

情況からくる「天之亡我」という諦めがあったのだろう。だからこそ、烏江の畔では、笑って『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王我,我何面目見之?縦彼不言,籍獨不愧於心乎?』」と言えたのだろう。

  なお、この詩の虞美人は、「虞兮虞兮奈若何」といわれた後、虞姫はどうなったかは、『史記』では、書かれていない。前出上記『項羽本紀』の古註で、虞美人がこの詩に答えて「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生。」のみである。その分、京劇『覇王別姫』では、「漢兵が已に地を侵略したからには、足手纏いとなるわたしに死を賜れ」となり、映画『覇王別姫』では「大王快將寶劍賜予妾身」となる。

そして、剣を奪い、自殺する。京劇では、虞美人がこのせりふを言う直前、覇王のために剣舞を舞う。舞い続け、たけなわになる頃、一振りの剣が踊りの中で、二本に変わり、双剣の舞になり、終わる頃には一本に戻っている。何を暗示象徴しているのか、興味深い。この京劇でも、剣を奪い、首筋を切って、自殺する。

 ただ、この詩と『項羽本紀』の記述からみれば、項羽は虞美人を殺したのではないのか。数年前、関中に攻め入った劉邦は、一旦、秦の王宮の財宝や女性を得ている、そのような時代であったろうし……。』

騅逝かざればいかんせん

騅逝かざればいかんせん
https://st2019.site/?p=17274

『Graeme Massie 記者による記事「Tokyo Olympics: Gold medal position pentathlete left in tears as horse refuses to jump」。
 東京五輪の近代五種競技中、馬が馬術障害の飛越を徹頭徹尾拒み通すという椿事発生。会場は調布。
 乗り手のアニカ・シュライ選手(ドイツ)は、金メダルに近かったのに、泣くしかなかった。

 馬の名前は「セイント・ボーイ」。ペンタスロンの競技ルールでは、選手は自分の馬には乗れない。競技場でランダムにあてがわれる、見ず知らずの馬に騎乗しなければならないのである。馬はぜんぶで18頭、用意されていた。

 その馬との相性がまずかった。
 その前のフェンシングと水泳が終わった時点で彼女が一位であった。それが一挙に36人中の31位に転落してしまった。

 「セイント・ボーイ」は、ロシア人選手のグルナズィ・グバイドゥリナ選手に対してもサボタージュを敢行。やはりひとつの飛越もできなかった。

 ※これのどこが「近代」なんだ? 空手と同様、早急なルール修正が必要だろう。

 シュライ選手は2016リオ大会では4位であっただけに、心穏やかではないであろう。

 ※「水球」のことを英語ではウォーターポロと称す。そこで次のようなジョークがある。――ウォーターポロに反対しよう! あんなに長い間、馬に水中で呼吸させないなんて可哀想じゃないか! 』

〔「真の」オリパラ効果…。〕

2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に
向けた国土交通省の取組
(平成27年12月7日)
https://www.mlit.go.jp/common/001113047.pdf

 ※ こういうものの方が、「真の」オリパラ効果というものだろう…。

 ※ 特に、用地買収方面、バリアフリー方面が…。

 ※ 外国人観光客、宿泊方面、物販方面なんてのは、ある意味「枝葉の部分」だろう…。

東京オリンピック

東京オリンピック:非常事態の中でスポーツドラマが、どのようにゲームが記憶されるのだろうか?

ダン・ローン 著
BBCスポーツ編集者
最終更新日時2021年8月7日2021年8月7日
https://www.bbc.com/sport/olympics/58131750

『(※ 翻訳は、Google翻訳)

東京の壮大な夕方の空は、光が消え、その日のエネルギーサッピング熱と湿度が緩和し始めるにつれて、今年の夏に多くの訪問者が最も見逃してしまいます。

しかし、今夜、他にはない大会に太陽が沈み、オリンピックの家族が荷造りをして町を去る準備を進める中で、近代史上最も論争の的となっているスポーツイベントの一つが、今後数年間で記憶される方法に考えが向かうでしょう。

もちろん、すべてのゲームは異なります。しかし、東京2020は本当に前例のないものでした。過去17日間にここで繰り広げられた間違いなくスポーツドラマに関係なく、それは常にCovidオリンピックになります。パンデミックの開始以来、最初のそのようなイベントは、非常事態の中で行われる最初の、そして唯一の観客を剥奪されるイベントです。

これらの課題を考えると、このイベントが完了し、非常に多くの特別な瞬間を提供したという事実は、いくつかのマイナーな奇跡と見なされます。他の人たちによって、スポーツの反抗とホストの回復力の強力なシンボルとして。報われたギャンブル。

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しかし同時に、主催者の判断と動機がそのような精査を受けていることはめったにありません。これらの大会は、特に国際オリンピック委員会にとって大きな疑問を提起し、オリンピックを進めるという決定の知恵が適切に評価されるまでにはしばらく時間がかかるだろう。

東京2020メダルテーブル
GBのメダルを獲得したのは誰ですか?
東京2020年の印象的な写真21枚
東京2020にどれだけ注目していますか?

東京の素晴らしいが空っぽの国立競技場での開会式の報告は、選手のパレードが枯渇し、スポンサーが行方不明になり、外の運動家による騒々しい抗議、地元の人々が自分の£12bnパーティーから締め出された、私が思い出すことができる最も悲しく、最もシュールな経験の一つでした。

パンデミック時代のより強力なイメージを見つけるのは難しいでしょう。

しかし、事実上テレビ向けのイベントだったものの中で、ここで地上にいる私たちの経験と遠くから見ている視聴者との対比は、めったにそれほど厳しいと感じられません。ロンドン2012とリオ2016で活気に満ちた楽しい雰囲気を経験し、最近では今年の夏初めにユーロで許可された群衆は、観客なしでオリンピックをカバーし、非常に奇妙な経験のために作られました。

ファンのいない会場への各訪問は、必然的に何があったのか、そしてこれらの大会で贅沢な数十億人がどこで過ごしたのかについての質問を伴っていました。無限のルール、制限、毎日のテストは、「ping」され、2週間の孤立のために送り出されるという絶え間ない恐怖と共に、アスリート、役人、メディアにとって非常に不安でストレスの多いゲームを保証しました。

しかし、リオが直面した多くの課題にもかかわらず、象徴的なゲームとして浮上したように、選手たちは再び東京2020の救助に来たという感覚です。英国では、役に立たない時差、空の会場のイメージの恐怖、イベントへの問題のあるビルドアップにもかかわらず、多くの人がそれを見るのが大好きで、これらのオリンピックを古典として覚えています。

朝の朝、国はチームGBメダル、新世代の星、感動的なパフォーマンスの配列、想像力を捉えた革新的な新しいスポーツと混合ジェンダーフォーマットの呪文の物語に目覚めました。

BBCスポーツの東京オリンピックスタジオの秘密

今年の夏の初めのユーロと同様に、大会は、気をそらし、インスピレーションを与えるために何かを必死に必要としているCovid-疲れた国によって、これまで以上に必要とされ、高く評価されていると感じてきました。

ジェイソンやローラ・ケニー 、ダンカン・スコットなどの英国のオリンピアンの歴史的業績に誰が打たれることができないだろうか? ハンナ・ミルズとシャーロット・デュジャルダンの? しかし、あまり知られていないが、エミリー・キャンベル、ガラル・ヤファイ、アレックス・イー、シャーロット・ワージントン、ベサニー・シュリーバーのようなインスピレーションに満ちた名前の出現も?

トム・デイリーとジェームズ・ガイの喜びの涙とディナ・アッシャー=スミスの人々は、スプリントの栄光の希望が破られた後、欲求不満から生まれましたか?それとも、英国の水泳、ボクシング、セーリングチームの全体的な卓越性に感銘を受けましたか?

水泳選手のトム・ディーンの友人や家族の興奮、喜び、情熱を誰が見て、メイデンヘッドからプールで金メダルを取り、犠牲と信念の年の心温まる象徴であるこの誇りの注ぎ込みに微笑みませんでした。若いアスリートをサポートする時間をあきらめるすべての親とコーチは、それらのジュビラントシーンが何を表しているか理解していたでしょう。

世界記録、衝撃的な結果、象徴的なスポーツマンシップはすべて、説得力のあるストーリーに事欠かなかったゲームを定義するのに役立ちました。

確かに、東京2020は、遅れたゲームとロックダウンが提示した課題にもかかわらず、回復力の勝利として立っています。

IOCは、主に予防接種を受けていない日本の公的および地元の医療専門家のほとんどからの反対にもかかわらず、延期された大会を押し付ける決定を維持し、世界保健機関の祝福と心の中でこれらの選手の利益を得て行われました。

そして、ほとんどの競技者(だけでなく、見て楽しんだ人たち)は、長年のトレーニングが無駄に行かなかったことに間違いなく感謝するでしょう。

アスリートはゲームに大きな魂を与えた、とIOC会長バッハは言います
日本のメダル獲得は、このイベントに対する怒りの一部をまろやかにするのにも役立ったようです。金曜日の夜、抗議者はまだ陸上競技場の外にいましたが、それは著しく小さく、声の少ないグループでした。

しかし、多くの批評家は、オリンピック運動が依存している数十億ドルの放送契約が、別の遅延やキャンセルを拒否した本当の理由であると主張し、これは今後のIOCのより精査を意味すると信じている人もいます。おそらく、夏季大会の次の3つのホストが2032年まで確保されている場合でも、入札者を引き付けるのも難しくなります。

東京社会の多くが非常事態にもかかわらず正常に続く中、特に大規模な屋外会場から観客を禁止する必要性を理解することは困難でした。

しかし、主催者は、海外からの何万人もの訪問者にもかかわらず、大会に所属する人々から438の肯定的なケースしか持たなかったという事実を指摘することができます。スポーツ業界は、厳格なプロトコルでは、これほど複雑で広大なイベントでも、ウイルスを湾に保つことができることを示すことを望みます。

同様に、一部の非常に不幸な選手が競技を妨げられている一方で、競技が台無しになった選手村での大規模な流行の恐れは根拠がないことが証明されています。

しかし、オリンピックバブルの外では、先月職員や選手が東京に到着して以来、東京のポジティブなケースは1日に約1000件から木曜日に過去最高の5000件以上に急増したのが現実です。

主催者はこれを大会に結びつける証拠はないと主張しているが、他の人は、イベントが行われたという事実が人々のリラックスと彼らの予防措置の規律の低下につながったと信じています。

日本政府は、中程度の症状を持つCovid患者に、ますます伸び過ぎている病院ではなく、自宅で孤立するよう求めているので、今後数週間にわたって症例が急増し続けるならば、大会を続けるという決定はまだ国に戻ってくる可能性があります。

東京2020は、他の理由でもIOCの精査を意味しました。

アスリートの福祉の問題は、競技者が争うことが予想されていた極端な暑さによって提起されました。ベラルーシの短距離走者クリスティーナ・ティマノフスカヤの窮状は、コーチが彼女に東京での大会を離れさせようとしたと伝えられており、ベラルーシの選手の扱いと、IOCが彼らのために立ち上がるためにもっと多くのことをすべきかどうかを強調した。

オリンピックで生まれた異なるジェンダーカテゴリーに出場した最初の公然とトランスジェンダーアスリートであるウエイトリフターのローレル・ハバードの参加は、IOCのトランスジェンダー政策をめぐる議論を激化させるスポーツの最も論争の多い問題のもう一つのマイルストーンでした。

そして、シモーネ・バイルズがメンタルヘルスに対する意識を高め、一部のアスリートが対処に苦労するプレッシャー、ホリー・ブラッドショーがボディシャミングについて話す、気候変動についてハンナ・ミルズ、表彰台でのクロス手首のジェスチャーが人種的、社会的正義を支持した米国のショットパター、ロス・グリーンバンクなど、ロシアのドーピングに対する懸念を提起したロス・グリーンバンクは、これらのゲームの重要性がメダルを超えたという感覚でした。

これは、ロシアが国家主催の偉大なドーピングスキャンダルを禁止して以来、初めての夏季オリンピックでした。しかし、あなたはほとんど気づいていなかったでしょう。 チーム、旗、国歌は正式に禁止されましたが、330人以上の選手が「ROC」を代表し、2012年または2016年のオリンピックでロシアよりも良いパフォーマンスを見せた。

多くの批評家にとって、メダルテーブルのトップ5フィニッシュは罰をあざ笑い、東京2020の遺産を汚し、クリーンスポーツの保護を担当する当局の固有の弱点を証明しています。パンデミック中のアンチドーピング当局者の制限を考えると、他の最近の大会と同様に、多くの結果が変更され、振り返りテストのおかげで今後数年間でメダルが再授与される場合も、ほとんど驚くべきことではありません。

近年のアスリート福祉スキャンダルが相次ぎ、「正しい方法で」優勝することに新たな重点が置かれ、リオでの驚異的な2位フィニッシュ後にチームGBのメダル集計が「修正」を受けるとの期待を考えると、東京で達成されたホールは大きな勝利と見なされます。

伝統的な強豪のボートの失敗は、資金調達機関英国スポーツが受け取る何百万人もの一部を再分配するプレッシャーを受けるだろうが、失望は、特に新しい観客と若い観客を引き付ける可能性を秘めているBMXやスケートボードのような他の分野の成功によってバランスが取れている。

ロンドンと同じくらい多くのメダルを獲得し、他のどの国よりも多くのスポーツでメダルを獲得したことは重要な成果であり、多くの人々は、参加率と草の根施設にダメージロックダウンが行われた後、コミュニティと学校のスポーツに関する政策立案者による新たな重点につながることを必死に望みます。

多くの人は、ケアの義務に新たな焦点を当てることはメダルの成功が少ないことを意味すると考えましたが、おそらく東京はそれが「どちらかまたはどちらか」である必要はないことを証明しています。

8年前、私はブエノスアイレスで東京が2020年大会を受賞したのを見ました。1964年の最初のオリンピックが第二次世界大戦の影響から再び出現したのと同じように、2011年の地震と津波災害後の国の回復を象徴するために第二を使用するという約束は説得力のあるものでした。

もちろん、この出来事を定義するのはもう一つの大きな危機でした。

しかし、最終的には、パンデミックのような記念碑的なものでさえ、大会を否定することはできませんでした。多くは安心するでしょう。他の人は失望しました。そして、オリンピックが全く起こったことが正しかったかどうかは、常に議論の問題です。しかし、確かに思えるのは、これまでと同様に、選手たちは疑わしい時代でさえ、高揚し、抑えられない力を証明したということです。 』

五輪のレガシー、光と影

五輪のレガシー、光と影 リオは「負の遺産」に苦しむ
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN06F7C0W1A800C2000000/

『【サンパウロ=外山尚之、ロンドン=佐竹実】東京五輪が8日に閉幕し、今後は大会が残した「レガシー(遺産)」に注目が集まる。2016年の開催地、リオデジャネイロでは競技施設などが今なお放置される一方、12年のロンドンでは新興企業の拠点に活用される。新型コロナウイルス禍で経済効果がしぼんだだけに、東京にとってはレガシーの活用がより重要性を増しそうだ。

「大会開催に伴う費用は今後も増える」。ブラジルメディアのグロボは7月にこう報じた。リオ五輪の開催に伴う支出は280億レアル(約5900億円)と見積もられていたが、実際は410億レアルに増加。大会終了から5年がたった今も、五輪は「負の遺産」となっている。

跡地利用も進まない。リオ市は7月、ハンドボールなどの競技に使われた競技場の一部を改修し、学校として利用するための工事が9月に始まると発表した。再開発は既定路線だったが、コスト面で連邦政府とリオ市の足並みが合わず、放置されたままとなっていた。
政府の財政難で五輪前の計画通りに改修されず、リオ市内には放置されたままの施設が点在している。こうした状況が荒廃を招き、維持・改修にかかる費用がさらにかさむという悪循環に陥っている。五輪関連施設の建設に伴う数々の汚職が発覚したことも、再開発の遅れにつながる。

地下鉄などの交通網の整備も、レガシーとして残るはずだった。ところが、メイン会場となったバハ地区と観光名所であるイパネマ海岸を結ぶ地下鉄4号線は工事が遅れ、いまだに完全開通していない。

バスに代わる交通網として導入された次世代型路面電車(LRT)は1日25万人を輸送する計画だったが、コロナ前の時点で11万人にとどまっていた。郊外と市中心部を結ぶバス高速輸送システム(BRT)は車両数が足りておらず、通勤時の混雑が常態化している。

リオ五輪の選手村として利用されたマンション群(17年、リオデジャネイロ)=ロイター
選手村跡地は分譲マンションとして改修されたが、多くが売れ残っている。30以上のタワーマンションが立ち並ぶ「イリャ・プラ」はこれまでに3割程度しか売れておらず、多くが空き家となっている。地元メディアのCBNは「ゴーストタウンのようだ」と評する。

リオ市のパエス市長は「五輪のために建設された白い象(無用の長物)はリオにはない」と強弁し、民間資金の活用で再開発を促進するとしている。ただブラジル経済の低迷が続く中、資金の出し手が現れるかは不透明だ。

一方、英ロンドンはレガシー活用の成功例と評される。

ロンドン東部、クイーンエリザベス五輪公園の一角にある「ヒア・イースト」。ロンドン大会でプレスセンターとして使われた施設は現在、新興企業の集積地となっている。スマートフォンなどで手軽にフィットネスを提供する17年創業の「Fiit」など約130の企業のほか、3つの大学が入居し、コロナの感染拡大前は3800人が勤務・通学していた。

マスメディアが世界に情報を発信する拠点だっただけに、テック系企業にとっても理想的なネット環境がそろう。当時テレビ中継に使われたスタジオは、天井までの高さが10メートルに上る。こうした設備を活用し、通信大手BTグループもこの施設でスポーツ中継のチャンネルを運営している。ロンドン東部はかつて開発が遅れた地域だったが、大型ショッピングモールも建設され多くの雇用も生んだ。

五輪を機に自転車専用レーンの整備も進んだ。当時ロンドン市長だったジョンソン首相は「緑豊かで安全な街に」としてレンタルサイクルを導入し、地元民や観光客の足としても定着している。 』

韓国 目標を下回る金6の16位

韓国 目標を下回る金6の16位=東京五輪
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/08/08/2021080880022.html?ent
『【東京聯合ニュース】韓国が金メダル6、銀メダル4、銅メダル10の16位で東京五輪を終えた。金7個以上、10位以内という目標を掲げていたが、金メダル獲得数は1984年のロサンゼルス大会(金6、銀6、銅7)以来の最少に終わった。

 金メダル6個のうち、アーチェリーが4個を占めた。韓国は今大会から採用された混合団体で頂点に立つと、女子団体が9連覇、男子団体が2連覇を達成。混合団体と女子団体で金に輝いた安山(アン・サン)は女子個人も制し、五輪アーチェリーで史上初となる3冠に輝いた。

 だがアーチェリー以外の金はフェンシング男子サーブル団体と体操男子種目別跳馬の申在煥(シン・ジェファン)の二つにとどまった。韓国の金メダル獲得数は2012年ロンドン大会(金13、銀8、銅7、5位)が最高で、16年リオデジャネイロ大会(金9、銀3、銅9、8位)に続き、東京大会でも減少した。

 お家芸のテコンドーや国際大会で安定的にメダルを獲得してきた柔道の不振が響いた。特にテコンドーは銀1、銅2に終わった。2000年のシドニー大会で正式競技となって以来、発祥国の韓国が金メダルを逃したのは今大会が初めて。柔道も銀1、銅2で2大会連続の金なし。1976年モントリオール大会以来、最も低調な成績に終わった。

 モントリオール大会で韓国に初めて五輪金をもたらしたレスリングもメダルなし。同大会で金1、銀1を獲得してからメダルを取り続けてきたが、今大会で途絶えた。

 メダル減少とともに過去に五輪金に輝いた朴泰桓(パク・テファン、競泳)、張美蘭(チャン・ミラン、重量挙げ)、キム・ヨナ(フィギュアスケート)らのような世界から注目を浴びるアスリートも登場しなかった。10億人に1人の逸材とも言われるバレー女子の金軟景(キム・ヨンギョン)も東京大会を最後に五輪引退を宣言しており、世界的スターの不在が長く続きそうだ。

 ただ、将来が楽しみな10代の逸材が今大会で躍動した。18歳の黄宣優(ファン・ソヌ)は競泳男子100メートル自由形の決勝で5位に入ったほか、同種目準決勝で47秒56のアジア新記録を樹立した。17歳の金済徳(キム・ジェドク)はアーチェリー混合団体と男子団体で金を獲得。ほかに体操操女子種目別跳馬で銅の呂書晶(ヨ・ソジョン)や卓球女子の申裕斌(シン・ユビン)らが大きな可能性を示した。』

「東京五輪は韓国のために走る」ケニア出身の褐色ランナー

「東京五輪は韓国のために走る」ケニア出身の褐色ランナー、オ・ジュハンとは?【PHOTO】(スポーツソウル日本版2021年08月08日)
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/sportsseoulweb/sports/sportsseoulweb-32781

『マラソンは「夏季五輪の花」だ。2020年東京五輪でも男子マラソンがフィナーレを飾る。
その男子マラソンに韓国から出場するのがオ・ジュハン(青陽郡庁)、シム・ジョンソプ(韓国電力)、アン・スルギ(SH)、チェ・ギョンソン(堤川市庁)である。
その中のひとり、オ・ジュハンはアフリカのケニア出身だ。本名はウィルソン・ロヤナエ・エルペ。ケニア・トゥルカナの小さな村で生まれた彼は、マラソン韓国代表チームのコーチであるオ・チャンソク氏の勧めで韓国への帰化を決心した。

帰化名もマラソンと関連がある。自らを発掘してくれたオ・コーチの姓を名乗り、「韓国のために走る」という意味で「走韓(ジュハン)」と名付けた。
オ・ジュハンは2016年リオデジャネイロ五輪を控えて特別帰化を申請したが霧散した。 しかし、2018年9月の特別帰化で韓国国籍を取得し、東京五輪出場権も獲得した。
しかし、彼を韓国マラソン界に導いたオ・チャンソク氏は今年5月この世を去った。オ・ジュハンの五輪出場を生前に見ることはついにはでききかなった。 オ·ジュハンは、韓国の父を失った悲しみを乗り越え、五輪メダルを目指して走る。
オ・ジュハンの個人最高記録は2時間5分13秒(2016年·ソウル国際マラソン)だ。 00年、李鳳柱(イ・ボンジュ)が立てた韓国新記録の2時間7分20秒を上回る記録だ。 韓国陸上界がオ・ジュハンに注目する理由だ。
オ・ジュハンはケニアの高山地帯で体を作った後、最近マラソン競技が開かれる日本の札幌に移動した。 オ・ジュハンとともに練習するシム・ジョンソプも、東京五輪に期待を寄せている。 今年4月、韓国代表選抜大会で2時間11分24秒で五輪基準記録を通過した。
韓国男子マラソンは1992年バルセロナ五輪のファン・ヨンジョ(金メダル)、1996年アトランタ五輪のイ・ボンジュ(銀メダル)以後、下り坂にある。
オ・ジュハン、シム・ジョンソプが韓国マラソンの中興のため、8月8日、力強く走る予定だ。 今大会には2時間台の壁を破った世界記録保持者エリウド・キプチョゲ(ケニア、1時間59分40秒)もマラソン2連覇に向けて走る。』

東京五輪:男子マラソン・呉走韓、けがで途中棄権…韓国MBC解説員「冷水浴びせた」また物議
https://news.yahoo.co.jp/articles/a6c59eab0eeb5b65cbc9ddd27ea60b1a9eff6891

『東京五輪のMBC中継陣の不適切な解説に再び批判が殺到している。今度はケニアから国籍変更したマラソン男子韓国代表の呉走韓(オ・ジュハン)がけがで棄権すると、「冷水を浴びせた」という発言が飛び出した。

■自国で報道されたニュースを信頼できますか? 韓国は最下位、日本は?

 呉走韓は8日、東京五輪マラソン男子のレースを棄権した。序盤は先頭グループに入って走っていたが、13.1キロメートル地点で左太ももに痛みを感じて立ち止まり、結局15キロメートル地点を通過できずにレース途中で棄権した。

 問題になった発言は、呉走韓の棄権が決まった直後に飛び出した。呉走韓に対して期待をかけていたMBCのこの解説者は、呉走韓の棄権に「完全に冷水を浴びせたね。冷水を浴びせた」と言った。このほかにも、この解説者は「本当にとても期待していたのに口惜しい」などの発言も続けた。ただし、MBCのキャスターは「メダルも重要だし、レースも重要だが、選手の健康状態の方が重要ではないか」「大きなケガでなければいいが」と言った。

 インターネット上には、解説者の発言が適切でないとの指摘が相次いで寄せられた。あるネットユーザーは「本人(呉走韓)が世界中の誰よりも悔しいし、気に病んでいるはずなのに、一生懸命練習し、努力し、血の汗を流して準備してきた選手にどうやったら『冷水を浴びせたね』などと言えるのか」と書き込んだ。また、別のネットユーザーたちも「こんな解説をするなら、AI(人工知能)に任せろ。『期待していたのに冷水を浴びせた』なんて口にすべき言葉ではない」「心配するコメントは一つもなく、ずっと『失望した』などのコメントばかりで、本当に良くない」などと書き込んだ。

 今回の五輪で、MBCは不適切な解説やテロップなどにより何度も批判の対象になった。

 先月23日の開会式には、各国選手団の入場時、ウクライナに対してチェルノブイリ原子力発電所事故の写真、エルサルバドルに対してビットコインの写真など不適切な写真を使い、国内外の視聴者から非難を浴びた。これについてMBCは一度謝罪したが、先月25日には韓国対ルーマニアのサッカー男子予選でも相手選手のオウンゴールに「ありがとう」というテロップを入れ、ルーマニア・サッカー協会からの強い抗議を受けた。

 相次ぐ騒動に、とうとうMBCの朴晟濟(パク・ソンジェ)社長が先月26日に記者会見を開き、再発防止を約束して頭を下げ謝罪した。しかし、朴社長の謝罪が行われたその日、柔道男子73キログラム級の3位決定戦で再び問題発言が飛び出した。MBCのキャスターはこの時、在日韓国人の安昌林(アン・チャンリム)選手がアゼルバイジャンのルスタム・オルジョフを破って銅メダルを取ったことに対して、「私たちが望んでいた色のメダルではないが」と発言をして物議を醸した。』

1.6兆円かけた東京五輪

1.6兆円かけた東京五輪…世論は反転、経済効果はゼロ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/08/09/2021080980004.html

『「日本だからそれでもこの程度の五輪を開催できたのではないですか。コロナ禍の中で行われた東京五輪がこれからの国際イベントの基準になるのではないかと思います」

 東京五輪の閉幕式が行われた8日、新国立競技場(東京五輪のメーン会場)前で出会った30代の会社員、山口ヨシヒトさんは「困難な状況だったが、それでも五輪を開催してよかった」と語った。五輪代表選手の活躍に泣いて笑ったし、日本が準備したからこそ大きな問題なく日程を終えることができたというプライドが感じられた。新国立競技場は同日、閉会式の準備で近付くことができなかったが、遠くからでも記念撮影をしようという人たちが押し寄せた。

 東京五輪開幕後、日本メディアはスタンスが反転し始めた。今年に入り、「東京五輪開催中止・再延期」を主張するメディアは一時8割に達した。しかし、日本が金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個の計58個のメダルを獲得し、日本の五輪史上で最高の成績を記録すると、「五輪をやってよかった」というムードに変わった。朝日新聞によると、大阪大の三浦麻子教授の研究チームは5月23日から7月29日まで8回にわたり、全国の成人1000人を対象に五輪関連の世論調査を実施した。その結果、5月末に72.6%に達していた「五輪反対」の意見は開幕1週間後の7月27-29日には53.5%に低下した。

 選手が活躍した競技は高視聴率を記録した。3日に放送された男子サッカー準決勝「日本対スペイン」戦の平均視聴率は30.8%だった。試合中には一時44.3%まで上昇した。男子野球準決勝「韓国対日本」戦(4日)は26.2%、卓球女子団体江決勝「日本対中国」(5日)は26.3%だった。大半が無観客で行われ、自宅で観戦しようというムードが広がり、ソーシャルメディア上での応援も熱を帯びた。開幕前にソーシャルメディアでも五輪に否定的な世論が圧倒的だったのと比べ対照的だ。

■世界競争力ランキング10位は米国、中国20位、韓国23位、日本は?

東京=チェ・ウンギョン特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 』

『こうした五輪の熱気がこれから日本社会の活力になるかどうかは未知数だ。日本メディアは元々五輪による経済効果に疑問を投げ掛けてきた。2013年に東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会は開催費用を7340億円と試算したが、実際の開催費用は1兆6440億円で2倍以上に膨らんだ。過去最大規模だ。一方で経済効果は「ほぼゼロに近かった」(三菱UFJリサーチ&コンサルティング)と評されている。無観客による開催でチケット収入900億円が吹っ飛び、外国人観光客や路上応援が消え、内需刺激効果もなくなってしまった。

 新型コロナウイルスの流行も残された課題だ。五輪期間に日本の新規感染者数は1万5645人(6日)まで増え、毎日過去最高を更新している。五輪開催地の東京だけで1日の新規感染者数は5000人を超えた。専門家は「2週間後には東京だけで1日に1万人を超える新規感染者が出るのではないか」と警告している。菅義偉首相は「五輪とコロナ流行は無関係だ」とし、「中継のおかげで家に留まる人が増えた」と主張した。しかし、与党自民党内から「今秋の衆院選が不安だ」と懸念する声が聞かれるほど今後の政局は不透明だ。多摩大ルール形成戦略研究所のブレッド・グロッサーマン副所長は「五輪代表選手が日本国民にせっかく喜びを与えたが、日本国民は政府の優先順位が国民の健康だったのか、それとも五輪という体面だったのかという疑問を抱かざるを得ない」と指摘した。

■世界競争力ランキング10位は米国、中国20位、韓国23位、日本は?

東京=チェ・ウンギョン特派員
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 』