〔国家安全保障会議〕

国家安全保障会議 (日本)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

『国家安全保障局

前国家安全保障局長 北村滋

初代国家安全保障局長 谷内正太郎
国家安全保障会議を補佐するための事務局として内閣官房に置かれているのが国家安全保障局[4](こっかあんぜんほしょうきょく、英語: National Security Secretariat[5][6]、略称:NSS)である。国家安全保障局は省庁間の総合調整、中長期的な外交・安保の政策立案、緊急時における政策提言、外務省、防衛省、警察庁、公安調査庁、経済産業省、国土交通省、内閣情報調査室などの各省庁と各省庁の情報コミュニティへ情報要求を行い、各省庁は国家安全保障局に対する報告義務を負う[2]。

国家安全保障局長は国防以外の緊急事態の事態対処の実働を担う内閣危機管理監と同位の大臣政務官級であり[注 2]、両者は常に連携しながら職務にあたる[2]。任免は内閣総理大臣の申出により、内閣において行う。

2014年(平成26年)1月7日に国家安全保障局が67名体制で発足した。初代局長には外務事務次官、政府代表、内閣官房参与を歴任した谷内正太郎が内閣特別顧問と兼任する形で就任した[7]。局長の下に防衛省と外務省出身の内閣官房副長官補が兼任する2名の局次長と、同省出身の3名の審議官(うち一人は陸上/海上/航空幕僚監部防衛部長職にある、内閣事務官を兼ねた将補級の自衛官)が配置される。発足当時、局内は6班からなり、外務、防衛など各省の「エース級」と呼ばれる専門性の高い職員で構成されている[8]。総括や国家安全保障会議の事務を行う「総括・調整班」、アメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国、ASEANなどを担当する「政策第1班」、北東アジアとロシアを担当する「政策第2班」、中東、アフリカ、中南米を担当する「政策第3班」、防衛計画の大綱や国家安全保障戦略など中長期的な安全保障政策を担当する「戦略企画班」、機密情報を扱う関係省庁など政府内での連絡調整を行う「情報班」に分かれている[9]。内閣情報調査室との連携を密にするため情報班の班長は警察庁枠であり内閣情報調査室からの出向者が当てられる[10]。

2020年4月1日、経済安全保障戦略を担当する「経済班」[8][11][12][13] が新設され7個班体制となった。

初代局長である谷内正太郎は、外務事務次官の経歴を持ち、国家安全保障局の外交的役割は外務省と一体化しており、外務省の別動隊のような働きをしているとされる。公的なルートでは接触しづらい相手に接触して、関係構築を行う[14]。

2013年(平成25年)12月の国家安全保障会議(NSC)の創設後、2014年(平成26年)1月にその「実働部隊」である国家安全保障局(NSS)が内閣官房に設置されて以降は、防衛省からの積み上げで決まっていた自衛隊の装備選定や、防衛計画の大綱・中期防衛力整備計画策定の主導権も国家安全保障局に移っており、平成30年度予算で決定したJSM、JASSM-ER、LRASMの3種類の巡航ミサイルの導入や、30大綱と31中期防で決定したいずも型護衛艦の事実上の空母への改修とF-35Bの導入は国家安全保障局が主導したとされる。元航空支援集団司令官の織田邦男元空将は、「スタンド・オフ・ミサイルの導入は(自民党と旧社会党の)55年体制なら絶対無理だった。それを軽々と超えてしまうのは、NSSができたメリットだと思う」と語っている。ほか、防衛省で航空機開発を担当した元航空自衛隊補給本部長の山崎剛美元空将によると、「高速滑空弾」や「極超音速ミサイル」は、「いずれも攻撃的兵器と見なされる可能性が高いとして、机上の研究にとどまっていた」が、平成30年度予算では一転して「高速滑空弾」の研究費が46億円認められ、平成31年度予算案には「極超音速ミサイル」の研究費が64億円盛り込まれた。国家安全保障局幹部は、「総理や官邸の話を聞きながら防衛省が出す選択肢を示して、日本の安保や外交政策の中で、どれがいいかを考えていくだけだ」として官邸主導の装備選定を否定しているが、内情を知る防衛省幹部は、「総理は『敵にやられっぱなしで、日本が守るしかないでは良くない。攻撃的な技術をやった方がいい』という考えだと周囲は受け止めている。NSSで『総理の意』をくんだ議論を重ね、防衛省に提示させた」としている[15][16]。

国家安全保障局の所在地は、東京都千代田区永田町2丁目4-12(内閣府庁舎別館)。首相官邸の裏に位置するこのビルは、1971年(昭和46年)に建設された民間ビルを政府が買い取った古い施設であり、政府の耐震基準では、人命の安全を確保できるが機能確保が困難となる「3類」と判定されたことから、災害時の危機管理上の問題点が指摘されていた。こうした指摘を受け、政府は国家安全保障局を新庁舎に移転することを決定した。新庁舎建設予定地は、内閣官房や内閣府が入居する中央合同庁舎第8号館の東側(東京都千代田区永田町1丁目4)[17][18]。』

『設立の経緯

第1次安倍内閣による創設の試み

2006年、第1次安倍内閣の行政改革として、既存の安全保障会議(#国防会議および安全保障会議を参照)に替えて国家安全保障会議(日本版NSC)を創設することが提唱された。

このたたき台として、国家安全保障に関する官邸機能強化会議が時の内閣総理大臣・安倍晋三を議長として発足した。議長代理には、小池百合子内閣総理大臣補佐官(安全保障担当)が、議員には塩崎恭久内閣官房長官のほか、岡崎久彦元駐タイ大使、小川和久、森本敏拓殖大教授、柳井俊二前駐米大使、北岡伸一東大教授、佐々淳行元内閣安全保障室長、佐藤謙元防衛事務次官、塩川正十郎元官房長官、先崎一前統合幕僚長が任命された。

会議は2007年2月をめどとして2週間に1回の会議を設けて議論を行っていく予定で進められ、安倍内閣は第166回国会で、安全保障会議設置法等の一部を改正する法律案(安保会議設置法改正案)を衆議院に提出した。この改正案は、「安全保障会議」の名称を「国家安全保障会議」に改め、形骸化している審議事項を国家安全保障に関する事項にまで拡充し、同会議に専門会議を置くことができるようにし、同会議に事務局を設置すること等を内容としていた。

福田康夫内閣による創設断念

しかし、第168回国会が召集されてから2週間で安倍晋三が潰瘍性大腸炎で総理大臣を辞任。後継の総理に国家観が異なる福田康夫が首相に就任したことや、民主党などの野党が参議院で過半数を制していることにより法案の成立の見込みは不透明となり、結局、2007年12月24日、福田康夫内閣は「現存の安全保障会議で充分機能する」として、国家安全保障会議の創設を断念し構想自体を白紙とする方針を決めた。今後は政府の既存組織を活用して機能強化を目指すとされた。安保会議設置法改正案は審議未了により廃案となった。

一方、自由民主党の防衛省改革小委員会(浜田靖一委員長)は、国家安全保障会議(日本版NSC)の創設を提言し続け[22]、自民党の防衛大綱提言にも日本版NSC創設が明記された。

民主党政権

第45回衆議院議員総選挙で自民党が大敗、2009年9月に民主党に政権交代をした。民主党は、2010年11月24日に党の外交防衛調査会が発表した「「防衛計画の大綱」見直しに関する提言」の中で国家安全保障室(NSO)創設を提言し、その後も外交防衛調査会において国家安全保障会議(日本版NSC)創設を提言したが、設立に向けた具体的な動きはなかった。

第2次安倍内閣による創設

政権交代を賭けた2012年の第46回衆議院議員総選挙において、自民党は政権公約に「官邸の司令塔機能を強化するため、「国家安全保障会議」を設置します。」と盛り込んでいた[23]。自民党の大勝の結果発足した第2次安倍内閣下では、2013年1月に発生したアルジェリア人質事件において、アルジェリア軍が行った作戦や邦人の安否確認などの情報収集が困難を極めたことをきっかけに、再び日本版NSC設置の機運が高まった[24][25]。そこで2013年2月14日に国家安全保障会議の創設に関する有識者会議を立ち上げ、15日に第一回会合を開催した。

2013年6月7日、安倍内閣は国家安全保障会議を創設するための関連法案(安全保障会議設置法等の一部を改正する法律案)を閣議決定した[26]。

そして、同年秋の第185回国会に法案が提出され、自民党、公明党、民主党、みんなの党、日本維新の会などの賛成により、同年11月27日の参議院本会議にて成立した[27]。これに伴い、同年12月4日に安全保障会議設置法が改正され(法律の表題も「国家安全保障会議設置法」に変更)、安全保障会議が国家安全保障会議に再編され[28]、翌2014年1月7日には国家安全保障会議の事務局である国家安全保障局が発足した。』

『国防会議および安全保障会議

初代安全保障会議議長 中曾根康弘
この節では、国家安全保障会議の前身である国防会議と安全保障会議について述べる。

歴史

1954年(昭和29年)7月1日:内閣に国防会議を設置することを規定した防衛庁設置法が施行される。ただし、第43条において「国防会議の構成その他国防会議に関し必要な事項は、別に法律で定める。」とされ、即時には発足しなかった。
1956年(昭和31年)7月2日:「国防会議の構成等に関する法律」が施行され、内閣に国防会議が実際に設置される。併せて総理府に国防会議事務局を設置。
1957年(昭和32年)8月1日:内閣の国防会議とは別に総理府に設置されていた国防会議事務局が、内閣法等の一部を改正する法律(昭和32年法律第158号)により、国防会議直属の事務局へ移管される。
1986年(昭和61年)7月1日:国防会議が廃止され、安全保障会議設置法(昭和61年法律第71号)に基づいて安全保障会議が設置される。
2007年(平成19年):安全保障会議を国家安全保障会議に再編する安全保障会議設置法改正案が提出されるが、翌年に審議未了により廃案になる。
安全保障会議の構成
構成は国家安全保障会議の9大臣会議と同じである。

議長:内閣総理大臣

※議長は、必要があると認めるときは、その他の国務大臣を、議案を限って、議員として、臨時に会議に参加させることができた。また、統合幕僚長などの自衛隊関係者を会議に出席させ意見を述べさせることができる。これは会議の議員としてではなく、あくまで関係者としての陪席であり、採決など会議の意志決定には参加できなかった。

議員:内閣法第九条の第一順位指定大臣(副総理)、総務大臣、外務大臣、財務大臣、経済産業大臣、国土交通大臣、防衛大臣、内閣官房長官、国家公安委員会委員長

幹事:議長・議員を補佐する者として設置されていた。非常勤で、定数は10人以内。関係行政機関の職員のうちから、内閣が任命した。

安全保障会議の事態対処専門委員会

委員の構成に相違はあるが、事態対処専門委員会の存在は国家安全保障会議に引き継がれた。

委員長:内閣官房長官

委員:内閣官房および関係行政機関の職員のうちから、内閣総理大臣が任命

参考までに2003年安全保障会議設置法改正時点での委員は、内閣官房副長官(政務、事務)、内閣危機管理監、内閣官房副長官補、内閣情報官、総務審議官、消防庁長官、法務省入国管理局長、外務省外交政策局長、財務官、財務省関税局長、経済産業省貿易経済協力局長、資源エネルギー庁長官、国土交通審議官、海上保安庁長官、警察庁次長、防衛庁防衛局長、統合幕僚会議議長

安全保障会議の事務局

安全保障会議の事務は、内閣官房(安全保障担当内閣官房副長官補)において処理した。』