「一瞬の産油国」

「一瞬の産油国」カンボジアが握る巨大資源の命運
アジア総局長 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK183CP0Y1A710C2000000/

 ※ こういう記事を読むと、実は「資源開発」というものは、「究極の利害調整」であることが分かる…。

 ※ そして、調整に手間取っているうちに、「交渉」や「利益算定」の「基礎・基盤」が変更してしまう…。

 ※ 昨今大流行りの、「脱炭素」「気候変動対策」の進展は、「石油資源」から生じる「利益」の算定の基盤を変えてしまった…。

 ※ しかし、こういう「エネルギー資源」の開発には、国益がかかっており、「国益」とは「自国民一人一人の利益」でもあるから、それを「黙らせること」は、困難だ…。

『東南アジア諸国連合(ASEAN)で8番目の産油国になる夢は、半年足らずでしぼんでしまった。

6月4日、カンボジアのシアヌークビル沖の海底油田「アプサラ鉱区」で操業するシンガポールのクリスエナジーが、会社清算を申し立てたと表明した。昨年12月29日に生産を始めたものの、産出量が当初見込みの日量7500バレルの半分以下にとどまり、全社的な資金繰りに行き詰まったという。

フン・セン首相の落胆は大きかっただろう。「来る2021年を前に我々は大きな贈り物を手にした。カンボジアの全国民に報告したい。長く待ちわびた我が国初の原油生産が始まった」。生産開始の当日、首相はフェイスブックにこう書き込み、喜びを誇示した。

12月29日はかつてカンボジア内戦が完全終結した日でもある。それを記念してプノンペン市内に建設された高さ50メートルの「ウィンウィン記念塔」内の歴史博物館に、国産原油の最初の1滴が納められた。式典が開かれたのはクリスエナジーの経営破綻から5日後の6月9日。晴れの場に肝心の首相は姿を見せなかった。

アプサラ油田の曲折の歴史には、日本も浅からぬ因縁がある。

遅れた経済発展の一助にすべく資源開発を志したカンボジアは1980年代、領海内の開発権益を外資に与え始めた。94年、最初に試掘した石油資源開発が、有機物の量から原油埋蔵の兆候を発見した。97年には出光興産が探鉱に挑んだものの、翌年に撤退した。外資が失敗して権益を返還すると、政府がまた別の外資に与えるという繰り返しの末、2005年に米シェブロンと三井石油開発の連合がついに油層を掘り当てた。付加価値の高い軽質油で、期待は一気に高まった。

だが開発の段になり、カンボジア政府とシェブロン・三井連合の交渉が決裂する。当時を知る関係者によれば、所得税率や鉱区使用料を巡り、政府が当初合意より企業負担を引き上げようとしたのが原因だったという。

クリスエナジーは「アプサラ油田」の生産開始にこぎ着けたのだが…(2017年8月、カンボジア政府との契約調印式)=ロイター
割って入ったのが新興石油会社のクリスエナジーだ。シェブロンや三井から権益を引き継ぎ、17年に政府と開発契約を結んだ。厳しい条件下でも、投資を絞り込めば採算はとれる、と踏んだようだが、肝心の生産量がもくろみに届かず、万事休した。破綻直前の5月末、約30万バレルをシンガポール向けに輸出したのが、最初で最後の出荷となった。政府は今後、新たに操業を請け負う外資を探すが、前途は多難といえる。

カンボジアの18年の石油製品の輸入量は250万トンだった。原油換算で年1850万バレル、日量5万バレルだ。同3千バレル前後のアプサラ油田の産出量はその6%程度にすぎず、しかも国内に製油所がない現状では輸出するしか手段がない。「それでも100%輸入だった同国が、少しでも原油を輸出できれば、その分だけ石油市況の変動をヘッジできるはずだった」(カンボジア総合研究所の鈴木博チーフエコノミスト)

アプサラ油田の失敗で、カンボジアの産油国の夢もついえてしまうのか。カギを握る存在が、タイとの国境未画定の海域にある。

アプサラ鉱区の西側、タイ湾の真ん中を縦断する2万6400平方キロメートル、東京都12個分のエリアは、両国が領有権を主張し、独自に鉱区の権益を企業に与えている。そこにはシェブロンのほか、米コノコフィリップスや英蘭ロイヤル・ダッチ・シェル、仏トタルなどそうそうたる顔ぶれが名を連ねる。

探鉱はまだにもかかわらず、石油や天然ガスの存在が確実視されてきた。なぜか。すぐ西側に位置し、80年代以降のタイの旺盛なエネルギー需要を満たしてきた「エラワン」「ボンコット」の両鉱区と地層がひと続きで、相当量の資源が眠る蓋然性が高いからだ。

市場が近く、すでにタイへ延びるパイプラインなどのインフラもそのまま使える。あるエネルギー業界関係者は「ASEAN域内のラストリゾート。だから欧米メジャーも鉱区を手放そうとしない」と解説する。

それほどの有望な海域がなぜ手つかずで放置されてきたのか。

国境問題はひとまず脇に置いて資源開発を進めるため、タイは01年、カンボジアと重複海域南部の共同開発に基本合意し、協定を結んだ。時のタイ首相はタクシン・チナワット氏。フン・セン氏との親密な関係を生かし、具体化を進めたが、06年のクーデターで失脚した。同じく双方が領有権を主張する国境山上の「プレアビヒア寺院」の周辺の帰属を巡って両国関係が悪化すると、余波は陸から海に飛び火する。タクシン氏の政敵だったアピシット政権が09年に協定を一方的に破棄してしまった。

11年にタクシン氏の妹のインラック氏が政権を奪取すると、破棄された協定をもとに交渉再開に動いたが、14年の再クーデターでタクシン派政権はまたも崩壊する。19年末、両国は三たび交渉入りに合意したものの、直後に新型コロナウイルスの感染拡大が始まったため、たなざらしのままだ。

タイ湾のボンコット鉱区の生産施設。エラワン鉱区と共に国産ガス田としてタイのエネルギー需要を支えてきた
タイ国内の政治対立に翻弄されてきた構想は、過去を振り返れば、常にタイの側が前のめりだった。エラワンやボンコットが枯渇に向かうなか、発電燃料や化学原料の需要増をまかなうため、タイは11年から割高な液化天然ガス(LNG)の輸入を余儀なくされている。現在は7割を占める国産ガスの比重は、このままだと15年後に3割まで低下すると予想されている。

重複海域で新たな「国産資源」を開発し、既存のパイプラインを延伸して自国内に持ち込めれば、メリットは計り知れない。タイのエネルギー省幹部は「交渉のテーブルに戻り、早期に開発に合意できれば、カンボジアよりタイの方が恩恵が大きいのは自明」と打ち明ける。

図式を単純化すれば、こういうことだ。タイには開発の意志、能力、インフラ、需要のすべてがそろう。一方のカンボジアは、たとえ意志はあっても、能力やインフラがない。製油所やガス火力発電所、化学工場がないため、需要も見込めない。とどのつまり、共同開発と言っても、タイ側へおんぶにだっこにならざるを得ない。

カンボジアは権益分の対価をタイから現金で受け取るのが現実的な方策だ。それを十分に認識し、焦るタイをじらしながら、最大限に譲歩を引き出そうとしてきたのがフン・セン氏流の外交術であっただろう。が、実はカンボジアの側にも、別のタイムリミットが忍び寄る。「脱炭素」の世界的な潮流である。

先進国が2050年を目標に二酸化炭素(CO2)の実質排出量をゼロにする「カーボンニュートラル」へ動き出したなか、30年後の鉱区に、石油メジャーがこぞって手を挙げている今ほどの価値が見込めるのか。一方で今後10~20年間は、石油・天然ガスの旺盛な需要は間違いなく存在する。虎の子の「埋蔵金」の価値を顕在化させるのは、待ったなしとなりつつある。

一瞬とはいえ実現した産油国としての自負は、首相在任36年にしてさらなる長期政権への野望を公言しているフン・セン氏に、手持ちの有力カードを切らせる触媒になるのか。それともあつものに懲りてなますを吹く姿勢に押しとどめるのか。コロナ後のカンボジアとタイの資源を巡る駆け引きは、注目点のひとつになる。

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=随時掲載

高橋徹(たかはし・とおる) 
1992年日本経済新聞社入社。自動車や通信、ゼネコン・不動産、エネルギー、商社、電機などの産業取材を担当した後、2010年から5年間、バンコク支局長を務めた。アジア・エディターを経て、19年4月からアジア総局長として再びバンコクに駐在。論説委員を兼務している。著書「タイ 混迷からの脱出」で16年度の大平正芳記念特別賞受賞。』