アメリカンドリーム、今は昔?

アメリカンドリーム、今は昔? 「親より豊か」難しく
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN0204X0S1A700C2000000/

『貧しい家庭に生まれようと、本人の努力と才能次第で親より豊かになれる。自由と資本主義を原動力に米国発展の礎となってきた「アメリカンドリーム」が揺らいでいる。生まれた場所で教育に差が生じ、格差が広がる現実は理想とほど遠い。夢を取り戻そうと苦闘する米国で広がる解決策の一つが地道な「転居支援」だ。

米南部ノースカロライナ州のハナ・リッサー(27)さんは、法律事務所でパラリーガルとして働く。英スコットランドのセントアンドリュース大で2016年に文学の修士号を取得し、今は両親と実家暮らし。学生時代の授業料や生活費のために借りた学生ローンの返済が月2000ドルのしかかる。「本当は家を出たいけど、今の給料では家賃を払えない」

学位を取得し、良い職に就き、車と家を買い、旅行したり好きなモノを買ったり――。10代の頃、学校で「努力すればかなえられる人生の理想像」を教わった。「17歳の時に考えていた10年後の姿とは別のところにいる」と感じる。両親は30代で家を買った。リッサーさんにその余裕はない。「親世代のほうが豊かになることがたやすかったのではないかと思う」

米ハーバード大のラジ・チェティ教授らが30歳時点の親と子の収入を比べたところ、1940年生まれは92%で親の収入を超えたが、84年生まれは50%に下がった。「親より豊か」が難しい。リッサーさんの感覚と符合する。

米国勢調査局によると、1940~50年代にかけて毎年、米国人の5人に1人が引っ越した。教育機会、親からの自立、就職……。転居は人生のステップアップと連動した。右肩上がりの時代。若い世代が積極的に家を購入した。

転居率は90年以降、低下の一途をたどる。2020年には9.3%と調査を始めた1947年以来、最低だ。ブルッキングス研究所のウィリアム・フレイ氏は上がり続ける住宅価格、失業などが「若年層に結婚、子育て、住宅購入など人生の鍵となるイベントを先送りさせている」と指摘する。

主要都市の住宅価格は2000年以降で2.5倍に上昇し20~24歳の転居率は06年の29%から20年は19%に下がった。米ピュー・リサーチ・センターによると、実家暮らしの若者(18~29歳)は20年7月時点で52%と過去120年で最高だ。新型コロナウイルス禍で急増した。

機会をつかむ引っ越し――。米ワシントン州キング郡とシアトルの住宅局などが18年から始めた転居支援プログラム名だ。家賃補助を受ける低所得層に家探しや申し込みを助言する。800超の世帯が希望する地域に転居した。

治安が良く、教育水準の高い地域へ転居を望んでも家主が断ることもある。例えば家賃滞納歴があったとしても、やむを得ぬ事情があったと説明すれば理解する家主もいる。こうした助言で自信をつけ、障壁を下げる狙いだ。

フォツィア・ハセンさん(34)はプログラムを使い10年近く住んだ比較的低所得層の多い町から、シアトル北東部の閑静な住宅街に賃貸物件を見つけ、夫や息子と移った。「治安がよく、子供を外に遊びに出せる。教育水準も高い」

ラジ・チェティ教授らはプログラムによって良好な地域に移った子供は生涯年収が8.4%上がると推計する。「子の将来を見据えた効果が期待できる」(キング郡の責任者)という。同様の支援策はメリーランド州などでも広がる。

中西部イリノイ州シカゴでは20年6月、学生の一部にインターネット回線の無料提供を始めた。低所得層や有色人種を中心に、シカゴでは5人に1人の学生が自宅で安定したネット環境に接続できない。1年で4万2000世帯、約6万4000人に供給した。

ライトフット市長はネット環境が「質の高い教育、医療、社会サービス、仕事などへのアクセスを左右する」と強調する。プロジェクトに多額の資金を提供するのはヘッジファンド「シタデル」の創業者、ケン・グリフィン氏。同氏は「デジタル分断を解消し若者に成功への道筋を提供する」と語る。

「(富が波及する)トリクルダウン理論は一度も機能したことがない」。バイデン米大統領は4月の議会演説で格差是正を最優先にした政策運営の姿勢を強調した。

是正策としては遠回りにも思える転居支援やネット環境の提供。それでもばらまき型ではなく、貧困の連鎖を抜け出そうと次世代のために一歩を踏み出す人を支えるのが米国流だ。その一歩にたどり着けず、くすぶる人々には諦めも広がる。米国の夢は息を吹き返すのか。夢見ぬ大衆の増加こそが最大の壁となる。

「普通」の幸せ 遠い現実
米国で取材すると頻繁に移民に会う。欧州、アフリカ、アジアと故郷は様々だが、非民主主義国や紛争地域から逃れた人も多い。ロシア系移民のグレゴリー・ヴォドラゾフさんは2015年に家族で渡米し、シアトルで住宅プログラムに参加。一軒家で静かに暮らす。「私は今でも機会に恵まれ、夢を実現できる国と信じている」

ロシア系移民のグレゴリー・ヴォドラゾフさんは「米国は夢を実現できる国」と信じる(6月、米シアトル郊外)

アメリカンドリームに不可欠な概念を尋ねたピュー・リサーチの調査で最多の77%が選んだのは「どう生きるかの自由」。「富を持つ」は11%にすぎない。

英ロンドン大のサラ・チャーチウェル氏は「元は個人の豊かさではなく、国家の平等、正義、民主主義を意味した」と説く。個人的成功の意味が色濃くなっても、その本質は米国人の心理に根付く。

人種構成に基づいて地域を分け、融資などで差別した歴史があり、今もその意識が根強く残る。黒人ばかりの地域と白人が多い地域に都市が分断することは珍しくない。自治体が引っ越しを促すのは富の偏在の是正だけが目的ではなく「負の遺産と向き合う意味もある」(シアトルの住宅担当者)。

新型コロナウイルス禍は観光業や飲食業などに就く低所得の有色人種の職を奪った。米アークブリッジ研究所の20年7月の調査では、コロナ禍でアメリカンドリームが「遠のいた」「手が届かなくなった」との回答は56%に上った。

真面目に働き、普通に幸せになれる社会。当たり前が難しい現実がそこにある。

(ニューヨーク=大島有美子)

■アメリカンドリーム 米歴史家のジェームズ・トラスロー・アダムズが1931年、著書で初めて使ったとされる。「単に車や高い給料だけの話ではない。あらゆる人が本来持つ最大限の偉大さを達成できる社会的秩序の夢だ」とつづった。
ハーバード大のマイケル・サンデル氏も近著でアダムズ氏の言葉を引用し、単なる能力主義ではなく、条件の平等こそアメリカンドリームの本質だと説いた。
歴代の大統領も就任演説など大事な場面でこの言葉を好んで使った。共和党のニクソン氏や民主党のカーター氏のほか、トランプ前大統領も豊かになる象徴として多用した。託す願いや主張は違えども、今も世界中の人々を米国に引き寄せる概念だ。』