フィリピンで頭をもたげる「マルコスの亡霊」

フィリピンで頭をもたげる「マルコスの亡霊」
アジア総局長 高橋徹
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM042WZ0U1A700C2000000/

※ ある意味、「開発独裁」の功罪だ…。

※ 人は、国家は、みんな「豊かになりたい…。」と願う…。

※ その一方で、「自由にものを考えたり、自由に考えたことを他者と交換したい(精神活動、言論の自由)。」とも、願う…。

※ 「精神活動の自由を、言論の自由を、ある程度抑制されても、豊かになる方が良いのではないか?」と誘われたとき、果たして、どちらを選択するのか…。

※ いわゆる「発展途上国」においては、「究極の選択」となるんだろう…。

『6月24日、ベニグノ・アキノ前大統領が腎疾患のため死去した。61歳だった。4日後の28日、76歳のロドリゴ・ドゥテルテ大統領は2022年5月の副大統領選への出馬を「悪くないアイデアだ」と語った。

フィリピンの大統領任期は1期6年で再選が禁じられている。16年の前回大統領選でアキノ氏が後継指名した候補を破ったのがドゥテルテ氏だ。同氏も来年の大統領選に出られないが、副大統領の座を狙って権力を保持する奇策が急浮上している。

若くして亡くなったアキノ氏と、高齢ながら意気軒高なドゥテルテ氏。2人の好対照ぶりは、いまに始まったことではない。』

『出自からしてそうだ。マニラの大サトウキビ農園主の一族に生まれたアキノ氏は、同名の父ベニグノ氏が1983年にマルコス独裁政権下で暗殺された元上院議員、母は86年の「ピープルパワー革命」でマルコス政権を倒し、大統領に就いたコラソン氏だ。一方のドゥテルテ氏は南部のミンダナオ島の出身。ダバオ市長を20年以上も務め、彗星(すいせい)のごとく大統領の座へ駆け上がった。

首都を地盤にするサラブレッドと地方出身のたたき上げは、主要政策も正反対だった。アキノ氏は汚職撲滅を掲げて法治の徹底を目指したが、ドゥテルテ氏の麻薬撲滅は人権無視の手荒な捜査で2万7千人ともいわれる犠牲者を出し「超法規的殺人」と形容される。最近も新型コロナウイルスのワクチンに及び腰な国民に向けて「接種を受けるか投獄されるかだ」と警告し、波紋を広げた。』

『外交でもアキノ氏は米国との新軍事協定で米軍再駐留に道を開き、南シナ海で領有権を争う中国を国際的な仲裁裁判所に提訴して全面勝訴をもぎ取った。対するドゥテルテ氏は駐留米兵の法的地位を定めた「訪問軍地位協定」の破棄を通告し、現在も中ぶらりんのまま。仲裁裁判決は「紙くず」と呼び、経済支援を求めて中国に近づいた。』

『2人の因縁めいた関係に目を凝らすと、見えてくるのは1965~86年に21年間在任したマルコス元大統領の影だ。かつて大統領任期は旧宗主国の米国に倣って2期8年だった。ところがマルコス氏は任期終盤の72年に戒厳令を布告して憲法を停止し、長期独裁へ道を開いた。87年制定の現憲法で任期を1期6年に短縮したのはその反省からだ。

6年の月日は、大統領が無能だと長く、有能なら短い。インフラ整備もミンダナオ和平も、アキノ氏は時間切れで未完のまま退任せざるを得なかった。ドゥテルテ氏が継承したものはまだいい。外交での「親米反中」から「反米親中」への急旋回は、フィリピンが日韓豪タイと共にインド太平洋地域で5つしかない米同盟国の一角だけに、アジアの安全保障情勢を不安定にした。』

『アキノ氏は飾らない人柄で国民に慕われ、いまのドゥテルテ氏ほどではないが、任期終盤も比較的高い支持率を保った。なのに有権者はなぜ、彼の後継者ではなく、対極にあるドゥテルテ氏を望んだのか。「マニラのエリートによる政治・経済支配の打破」という姿勢への共感、というポピュリズムだけでは説明がつかない面がある。

それは強い指導者への待望論だ。ドゥテルテ政権誕生の2年前の14年、アジア・バロメーターが実施した世論調査は示唆に富む。「議会や選挙を排して強い指導者が物事を決定すべきだ」という主張をどう思うかを尋ねたところ、上流階層に属する人たちの50%が「同意する」と答えた。30%台の中・下流階層よりむしろ多かった。

日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の川中豪上席主任調査研究員は「民主化して国が本当に良くなったのか、という疑念が生じている。マルコス時代の人権侵害の記憶は風化し、戒厳令下の規律と秩序は案外悪くはなかったと再評価する風潮すらある」と分析する。アジア民主化の嚆矢(こうし)と持ち上げられるものの、そのせいで自国が「負け組」になっているのではないか、といういら立ちが、強権的なドゥテルテ氏を大統領の座に押し上げ、衰えない支持につながっている、との見立てだ。』

『フィリピンだけではない。21年間に及んだスカルノ、32年間のスハルトというかつての長期独裁政権への反省から、98年の民主化後に大統領任期を2期10年に制限したインドネシアでも、ジョコ大統領の3選を画策する動きがにわかに台頭している。

フィリピンにしろ、インドネシアにしろ、大統領を直接選挙で選ぶ仕組み自体は目下のところ揺るがない。選挙は水ものだ。いまは高い人気を誇る大統領が、憲法の規定をないがしろにして権力への執着をみせたとき、民意が受け入れる保証はない。

それでもずっとタブー視されてきた権力の長期化が堂々と議論され始めたのが、足元の両国の状況だ。それは民主主義の成熟の証しか、それとも後退する予兆なのか。』