ラムズフェルド元米国防長官死去

ラムズフェルド元米国防長官死去 軍略理詰め、功罪半ば
本社コメンテーター 秋田浩之
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD015UN0R00C21A7000000/

『米国防長官を2回務めたドナルド・ラムズフェルド氏が死去した。アフガニスタン、イラク戦争で失敗した国防長官――。同氏の半生を歴史家が一筆書きで記すとすれば、こんな評価になるに違いない。2つの戦いがもたらした結末をみれば、仕方がないだろう。

だが、ラムズフェルド氏という人は、それだけで片付けるにはもったいない傑物でもあった。

ワシントンの駐在当時、国防総省に通ってはラムズフェルド氏の記者会見に出た。

43歳で1度目の国防長官に抜てきされただけあって、極めて理詰めで、頭の回転は速い。記者がつまらない質問をすると、渋い表情で「もっと深く考えなさい」と諭すこともあった。

怖かったが、嫌な印象は一切受けなかった。彼の答えは官僚メモの棒読みではなく、極めて理路整然としていたからだ。北朝鮮問題などをたずねても、同様だった。

皮肉なのはそんな「頭の良さ」が、イラク戦争ではあだになったことだ。軍制服組の反対を退け、彼が決断したのが少数精鋭部隊による電撃作戦。机上の分析により、それでも素早く戦争を終えられると信じた。

そのころ、同省内で驚くべき噂も聞いた。ラムズフェルド氏は執務室に椅子を置かず、立ったまま部下との会議をこなしているというのだ。

確認すると、本当だった。「その方が頭がよく働き、仕事の効率も高まるからだ」(当時の側近)。こうした合理主義は軍改革に結実したが、戦争には通用しなかった。

日本にまつわる秘話も多い。「こんな危険な状態を放置してきたのか」。2003年、沖縄の米軍普天間基地を上空から視察した時、米軍幹部らに雷を落としたという。それが後年、一部の米海兵隊のグアム移転につながっていった。

下院議員だった30代には、日米の議員交流にも力を注いだ。同盟を政界側から支えるためだ。そんな経験から、国防長官当時、中堅の米議員を集めた会合でこう嘆いた。

「最近、日米議員の交流が細っていることが心配だ。もっと真剣に取り組んでほしい」

退任後は財団を立ち上げ、戦火に苦しむアフガンや、その周辺国の若者を米国に招く交流プログラムに晩年を費やした。』