王滬寧、習近平政権内での役割は?

王滬寧、習近平政権内での役割は?
https://japan-indepth.jp/?p=59971

 ※ これは、一読に値する…。

 ※ 前々から出ていた、「王滬寧黒幕説」の一変形だ…。

 ※ 「黒幕」どころか、「獅子身中の虫説」だ…。

 ※ 深読みすれば、某国の意を受けての「ヨイショ」路線…、とも受け取れる…。

 ※ まあ、「大紀元」ネタなんで、情報戦の一環なんだろう…。

 『【まとめ】

・王滬寧が習主席失脚を狙い、複数の罠を仕掛けたとの主張あり。

・王滬寧は中国共産党の最高指導部、政治局常務委員の一人。

・王の言動は習氏を賞賛するようで、その実は罠であったのだろうか。』

山手線など4時間超止まるトラブル 原因は送電ケーブル損傷

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210621/k10013095641000.html

『20日に山手線など、首都圏の6つの路線で最大で4時間余り電車が止まったトラブルは、変電所と電車の間の送電ケーブルの損傷が原因であることが会社の調査で分かり、詳しい状況を調べています。』

『20日午後、山手線や埼京線など、首都圏の6つの路線が最大で4時間20分にわたって運転できなくなり、乗客およそ16万人に影響が出るトラブルがありました。

JR東日本が原因を調べたところ、敷地内にある変電所と電車の間の送電ケーブル1か所に損傷が見つかり、この部分で漏電が起きたとみられるということです。

ケーブルは直径3センチで、JR東日本が公開した写真では、ケーブルを覆う部分が破れているのが確認できます。

JR東日本では2年に1度、ケーブルの検査を行っていて、直近の去年8月の検査では異常は見つかっていなかったということで、損傷の詳しい状況を調べるとともに、今後、首都圏にある37か所の変電所のケーブルを点検することにしています。』

与党敗北、大統領に打撃 極右は伸び悩む―仏地方選

与党敗北、大統領に打撃 極右は伸び悩む―仏地方選
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021062100168&g=int

『【パリ時事】フランスで20日、広域地方自治体「地域圏」議会選(比例代表、2回投票制)の第1回投票が実施された。仏紙ルモンドによると、マクロン大統領の与党「共和国前進」は全国での得票率が約11%にとどまり敗北。今回の選挙は来年行われる大統領選の前哨戦と位置付けられていただけに、再選を狙うマクロン氏にとって打撃となった。
 野党の共和党を中心とする右派グループが得票率約29%でトップ。極右政党「国民連合(RN)」は、事前の世論調査では13地域圏のうち6地域圏で首位に立つとみられたが、結果は南仏の1地域圏のみ。全国での得票率は約19%だった。』

軍拡宣伝で台湾内部に裏切り者を生ぜしめ…。

軍拡宣伝で台湾内部に裏切り者を生ぜしめ、それによって台湾を併合するしかないというのが、現下の中共の廟算だろう。
https://st2019.site/?p=17023

『2030年までに地球地図を書き換えないと、そのあとは人口動態の必然によって中共はただの「老人国」におちぶれる。

 しかし2030までに実力で台湾を占領する能力などつくわけもないから、せめてTV報道用の「絵柄」だけでそれがあるように錯覚させ、心理戦によって台湾を陥落させるというのが、唯一可能な、ギリギリの線。

 この線にそって海軍軍拡していると考えると、いろいろ納得できる。なにしろ、フネばかり造っても水兵があつまるはずがないのだ。しかし2030を初演&千秋楽と見据えて「舞台の書割」をつくっているのだと考えれば、すべては合理的。じっさいに機能させる必要などない。「絵」ができれば、宣伝になるからだ。
 2030を過ぎたら、無慮数百隻の軍艦は、ことごとく漁礁にすればよいとでも考えているのだろう。

 あつめにあつめた水兵の定年退職後の年金は、2030から2050にかけての中共においては、破綻して行く。しかし陸軍の兵隊と違って水兵が反政府暴動を起こしても、中央政府はあまり怖くはない。軍港周辺での鎮圧はとてもたやすい。その点でも、海軍軍拡は今の中共にとっては、とても合理的だ。』

日本企業が不祥事を起こす七つの原因

日本企業が不祥事を起こす七つの原因 ~いつまでこんなことが続くんだ!~【怒れるガバナンス】
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020122800300&g=eco

『◆作家・江上 剛◆
【作家・江上剛】会社経営とは 渋沢栄一が残してくれたもの

 第一生命保険のセールスレディーが、約19億円もの顧客資金を詐取したという事件が起きた。彼女は89歳という高齢だ。事件が発覚して以来、認知症だと主張しているらしい。

 高齢の人には申し訳ないが、89歳というのは日本人の平均寿命を超えており、亡くなっている人の方が多いということだ。生きている人でも大方は現役を去り、静かな余生を送っていることだろう。

 ところが彼女は、第一生命でただ一人という「特別調査役」の肩書を与えられ、それを材料に使い、自分に任せれば10~30%の利回りを保証すると客を信用させていたというから、すごいという一言に尽きる。

 事件の全体像は、これから解明されるだろうが、人生100年時代とはいえ、こんな高齢の女性を営業の現場に立たせ続け、不正のうわさもあったらしいが、そのことには耳を傾けなかった第一生命の責任は重いと言わざるを得ない。

 ◆不正の予兆
 報道によると、同社は被害額の30%を弁済すると言っているようだが、根拠が分からない。19億円は巨額だが、事件を長引かせることで失う同社の信用、信頼の損失の大きさを考えれば、さっさと全額を弁済し、被害者との訴訟問題を収め、事件解明に努めた方がプラスではないか。

 第一生命は、不正の予兆を感知することはできなかったと説明しているようだが、本当にそうだろうか。3年も前に外部から問題を指摘する情報が上げられていたという報道もある。怪しい、おかしいなどという声が現場から上がってきていたにもかかわらず、上層部は、それを深く追及しなかったのだろう。

 イエス・キリストは「彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである」(新約聖書フランシスコ会聖書研究所訳注)と語ったが、現場からの声に経営者が耳を傾けなかっただけではないのか。

 実は、彼女をモデルにしたと思われる小説がある。小説なので事実とは異なるだろうが、小説の主人公の生保レディーは、ある地方銀行の実力頭取の庇護(ひご)を受けているという設定だ。

 その銀行では、頭取に認めてもらうため、彼女の保険契約に関し行員が競い合っていたという。その結果、彼女は所属する保険会社でナンバーワンの実績を挙げることが可能となったというストーリーだ。

 下世話な表現を許してもらえれば、女の武器を使い頭取を籠絡し、威光を背に抜群の成績を挙げたのだ。

 小説内の保険会社では、頭取の威光もあり、また成績を挙げた彼女の機嫌を悪くしないように、いつの間にか腫れ物扱いになっていたのだ。

 ◆触らぬ神に
 本事件の報道では、この小説に描かれたような背景の問題は出てこないので、これを事実として扱うことはできない。しかし、第一生命においては、当該の89歳のセールスレディーが何らかの事由で「アンタッチャブル」、すなわち「タブー」、すなわち「触らぬ神にたたりなし」扱いになっていたことは事実だろう。

 第一生命と同様に「触らぬ神にたたりなし」的人物のせいで経営が揺らいだのが、関西電力だ。関電の幹部たちが、福井県高浜町の元助役から数億円に上る多額の現金やスーツ仕立券を受け取っていた事件だ。

 当該元助役は、すでに鬼籍に入っているが、原発立地に貢献した人物らしく、もし金品などの受け取りを拒否すれば、「ワシを軽く見るなよ」と脅迫されたため、受け取らざるを得なかったという。

 関電側は「死人に口なし」とばかりに被害者として振る舞い、当時のトップは「不適切だが、違法ではなかった」と発言し、ひんしゅくを買った。

 この資金が、原発立地に関わる資金であれば、結果として電力料金に跳ね返る。ならば「真の被害者は消費者だ」と強く言いたい。結果、関電側は、事件の責任を取って辞任した旧経営陣たちに善管注意義務違反があったとして約19億円の損害賠償請求訴訟を行うようだ。

 余談だが、関電ともなれば、経営陣を監視する社外取締役には、重厚な人物が就任していたと思うが、彼らの責任追及はどうなったのか。
 現在は、社外取締役などの重要性がいわれているが、彼らに活躍してもらうためには、事件が発覚した際に責任を負う覚悟が必要だ。
 そうでなければ、現役引退後の良い稼ぎ場所として、幾つもの企業の社外取締役を掛け持ちする「なんちゃって社外取締役」ばかりになってしまう。

 後で触れるが、第一勧業銀行(現みずほ銀行)総会屋事件の際には、社外監査役が責任を取らされてはたまらないと、さっさと辞任し、後任を見付けるのに苦労した記憶がある。

 ◆総会屋事件
 なぜ企業に「触らぬ神にたたりなし」的存在が大きくなり、それが原因で不祥事に発展するのか、私が経験した総会屋事件で考えてみたい。

 私が勤務していた第一勧銀は、1997年5月に総会屋との癒着を問われ、東京地検の家宅捜索を受けることになった。第一勧銀総会屋事件である。結果として11人の幹部が逮捕され、宮崎邦次相談役が自殺するという大きな経済事件となった。

 企業に寄生し、不当な利益を上げる総会屋は、82年10月の商法改正以降も、たびたび事件化していた。イトーヨーカ堂、高島屋、キリンビール、味の素、野村証券などだ。事件が発生するたびにトップは辞任していた。

 そんな事態を第一勧銀の幹部は見ていながら、自分の銀行にも総会屋が巣くっている事実から目をふさいでいた。まさに「彼らは見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである」状態だった。

 私は、当該事件の処理を直接担当したが、出てくる事実に驚愕(きょうがく)、当惑、困惑するばかりだった。
 大物総会屋は事件発覚当時、すでに亡くなっていた。にもかかわらず、彼との関係は、後任の総会屋に引き継がれていたのだ。

 第一勧銀は、第一銀行と日本勧業銀行が71年に合併して発足したが、大物総会屋はその際に暗躍したらしい。それ以来、26年にも及ぶ総会屋との関係が、彼らをいつの間にか「触らぬ神にたたりなし」的存在に祭り上げてしまったのだ。

 ◆「呪縛」という言葉

 私は、東京地検が家宅捜索に入った後の記者会見の原稿を作っていた。その際、トップの責任回避を考えて、総会屋との癒着関係は、総務部や審査部などが、いわば勝手にやっており、頭取などは関係していないという文章を作った。そして、それを頭取たちが居並ぶ会議で発表した。

 するとM副頭取が、「それは違う。責任は自分たち経営陣にある。総務部や審査部の責任ではない。長年にわたる総会屋との関係を断ち切れなかった経営陣である自分たちの責任だ。そういうことをはっきりさせる会見文に直してほしい」と発言した。

 この発言で、その場がシンと静まり返ったのをよく覚えている。経営陣は、この事件は自分たちの責任で、現場はそれに従った、忖度(そんたく)しただけで、責任はないと言い切ったのだ。

 私は少なからず、感動を覚えた。それで、会見文を書き直すため、N法人企画部長と2人で、どういう内容に直すべきか、呻吟(しんぎん)した。

 N部長は漢字に強かったのだろう。「呪縛という言葉はどうだろうか」と言った。私は即座に、その言葉に飛びついた。大物総会屋という存在の呪いに縛られ、身動きが取れなくなった状態を表していたからだ。

 それに経営陣の責任も、何となく曖昧な感じ、やむを得ない感じがするではないか。当時は、今のようにコンプライアンス(法令順守)意識が強くなかったせいもあるが、長い歴史の中で、経営陣が思うに任せないほど巨大化してしまった「悪」の存在に、責任を負わせるのにふさわしい言葉だと思った。

 案の定、その「呪縛」という言葉を記者会見でK頭取が発言すると、会見場に集まった記者たちは目の色を変え、その言葉を原稿に打ち込んだ。「呪縛」という、それ以前はあまり使われなかった言葉が、世間に広まった瞬間だった。

 ◆なぜ失敗するのか

 「名経営者が、なぜ失敗するのか?」(シドニー・フィンケルシュタイン著)という本がある。この本は、著者が多くの企業経営者の失敗を分析した内容で、失敗の原因を次の7項目に集約している。

 1、傲慢(ごうまん)=自分と会社が市場や環境を支配していると思い込む
 2、私物化=自分と会社の境を見失い、公器であることを忘れ、公私混同する
 3、過信=自分を全知全能だと勘違いする
 4、排斥=自分を100%支持する人間以外を排斥する
 5、空虚化=会社の理想像にとらわれ、現実を見なくなる。現場を忘れる
 6、鈍感=ビジネス上の大きな障害を過小評価して見くびる
 7、執着=かつての成功体験にしがみつく (※番号は、オレがつけた)

 この7項目を活用して第一生命や関電、そして第一勧銀の「触らぬ神にたたりなし」的存在による不祥事の説明を試みてみよう。

 カッコ内は私の見た第一勧銀のそれぞれの項目に関連する実態である。
 3社とも社会的に尊敬される大企業であり、自分たちは不祥事と縁はないと「傲慢」になっていた。

 〔銀行に東京地検が家宅捜索に入るはずはない。そんなことになれば金融システムが揺らぐ、と裁判官出身の大物顧問弁護士が発言した〕

 本来の顧客のことを考えず、経営を「私物化」していたからこそ、「触らぬ神にたたりなし」的存在と癒着してしまった。

 〔総会屋の言うなりに不良債権になることが分かっているのに、無担保、無審査で巨額融資を繰り返した〕

 自分たちの不祥事は発覚しない、あるいは問題にならないと「過信」していた。

 〔他社での総会屋事件を他山の石ではなく、対岸の火事と考えていた。総会屋と関係するのも仕事だと思っていた浅はかな経営者がいた。また大蔵省(当時)検査のごまかし、検査官を接待し籠絡することが常態化しており、他行も同じようにしているから、問題ないとうそぶく役員がいた〕

 経営陣に「触らぬ神にたたりなし」的存在について警告、諫言(かんげん)する人を「排斥」していた。

 〔総会屋との関係を続けてはならないと経営陣に諫言した総務部長は左遷されてしまった〕

 自分たちが在籍するのは立派な会社である、その評判を落としてはならない、と不祥事を隠蔽(いんぺい)することが常態化し、経営が外見のみにとらわれ、「空虚化」していた。

 〔大物総会屋が亡くなったにもかかわらず、後任総会屋やその他の総会屋との関係を断とうとしなかったのは、銀行の評判が落ちることを懸念したからだ。銀行=無謬(むびゅう)との空虚な神話にとらわれていた〕

 長い間の「触らぬ神にたたりなし」的存在に「鈍感」になっていた。

 〔総会屋事件発覚後の株主総会においてさえ、ある経営者は現場に「うまくやってくれよ」と言った。言われた総務部長は逮捕されたため、私が株主総会を仕切ることになった。事態の深刻さを自覚せず、うまくやってくれよと発言した経営者の名前を総務部長は明かさなかった。彼は「トップに忠誠を誓うのが男のロマンだ」と悲しくつぶやいた〕

 生保も、電力も、銀行も、かつての成功体験に「執着」し、ビジネスモデルの変換に苦労している業界だ。だから過去の経営者たちの「触らぬ神にたたりなし」的存在との関係をそのまま引き継いでしまう。

 〔株主総会は、行員株主ばかりでシャンシャン総会。総会屋関係の会社から物品などを購入し、彼らに資金提供を続けていた。それらを断ち切ったら「行員の命が危ないから」とある役員は恐怖におののきながら語った。しかし、自己保身でしかないだろう。昔の経営者が彼らとうまく付き合ったのに、自分が関係を悪化させたくないと思っただけだ。過去もうまくやってきたのだから、先々もうまくやらねばならないと思っていた〕

 ◆傲慢こそ最悪

 この本が指摘する7項目の失敗の原因に、第一生命も関電も第一勧銀も見事に符合するではないか。

 私は7項目の中でも「傲慢」が最悪だと考えている。企業は、傲慢になれば、その時が失敗のわなに落ちる時である。「この世をば わが世とぞ思ふ 望月(もちづき)の 欠けたることも なしと思へば」(藤原道長)の古歌にあるように、望月になれば次は欠けるだけなのである。

 今や、世の中の価値観は大きく変わった。また変わらねばならない。特に感染症拡大で、私たちは生き方そのものの変革を迫られている。
 しかし、いまだに会社の中に「触らぬ神にたたりなし」的存在がいる企業は多いのではないだろうか。

 それは「悪」というべき存在ばかりではないだろう。過去の成功体験、偉大な先輩経営者の遺訓、失敗を恐れる気持ちなどなど。「悪」であろうとなかろうと、「触らぬ神にたたりなし」的存在を断ち切ってこそ、日本企業のイノベーションがあるのではないだろうか。
 (時事通信社「金融財政ビジネス」より)』

〔みずほ、連続トラブルの背景にあるもの…。〕

第一銀行
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E9%8A%80%E8%A1%8C

『概説
明治政府は殖産興業政策の遂行、健全な通貨制度の確立のために近代銀行制度の確立を急務と考え国立銀行条例を制定。その最初の模範となる銀行としての第一国立銀行の設立を積極的に勧奨した。銀行創設にあたっては合本主義(株式会社制度)の考え方により、広く民間資金を集める事を志向し、旧幕時代から両替商の重鎮として力があった三井組、小野組の大口出資と協力を得て誕生した[1]。資本金250万円のうち、三井組、小野組が各100万円を拠出した。日本最初の株式会社である。三井組、小野組それぞれから頭取を選任する一方で、その上に経営の最高責任者である総監役を置いた。総監役は政府にあって国立銀行条例の立案にあたり、三井組と小野組を勧奨して設立を準備した渋沢栄一が官を辞して自ら就任した。

本店における創立総会は1873年(明治6年)6月11日、同年7月20日に本店と横浜、大阪、神戸の三支店で営業開始、同年12月には行章として赤い二重星(ダブルスター)を大蔵省に届け出た。開業翌年の1874年(明治7年)11月に、政府の一方的な金融政策の急変により小野組が破綻し、小野組関連貸出等が回収困難となり経営危機を招いたが、小野組保有の株式100万円の資本減少を行い、総監役を廃止し渋沢栄一が単独で頭取となる新体制を敷き危機を回避した[2]。

1884年には李氏朝鮮(後の大韓帝国)と契約して、関税取扱業務を代行し、後に民間銀行でありながら、同国の中央銀行の業務を代行した。1896年に普通銀行の第一銀行に改組。1943年に三井銀行と合併して帝国銀行(通称・帝銀)となる。

1948年に帝銀が分割され、新たに第一銀行が発足したが、金融当局による出店規制に阻まれ中位行のまま推移し、1971年に日本勧業銀行と合併し第一勧業銀行(存続行は日本勧業銀行)となる。2002年(平成14年)、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行の分割・合併により、みずほ銀行(存続行は第一勧業銀行)とみずほコーポレート銀行(存続行は富士銀行)となり、2013年(平成25年)7月1日、みずほコーポレート銀行がみずほ銀行を合併して逆に行名をみずほ銀行に改称した。』

日本勧業銀行
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8B%A7%E6%A5%AD%E9%8A%80%E8%A1%8C

『概要
1896年(明治29年)、農工業の改良のための長期融資を目的に「日本勧業銀行法」(勧銀法)が制定され、翌年に政府を中心に設立された。東京に本店を置き、支店は大阪のみに限られ、それ以外の地域には北海道を除く各府県には事実上の子会社である農工銀行(勧業銀行法と同時に制定された「農工銀行法」に基づく)が設置され、勧銀への取り次ぎまたは勧銀と同等の業務を行った。なお、基幹産業(特に重化学工業)向けには別途日本興業銀行(興銀)が設置され、勧銀との棲み分けが行われた。また、北海道には勧銀や興銀の代わりに北海道拓殖銀行(拓銀)が設置された。

長期融資が基本であるため、預金が原資とは成り得ず、代わりに金融債の発行が認められ、かつ割増金付きの債券が唯一認められ、発行した(抽選を行い、当選番号の債券を持つ者に対しては割増金付きで償還された。農工銀行や興銀、拓銀も金融債を発行したが、割増金は認められていなかった)。

だが、農業に関する融資は個々の農家に対してではなく、事業や組合、担保能力のある地主を対象としたために全く融資が進まず、1911年(明治44年)の法律改正で商業に対する融資も解禁された。大正末期より市街地の不動産金融に乗り出す一方、業務の重複と機能低下を理由に1921年(大正10年)の法律改正(「勧・農合併法」ともいう)以後、各府県の農工銀行を悉く合併し店舗網を拡大した(このことが、後述のように現在のみずほ銀行が全国の県庁所在地に必ず支店を設置することになる嚆矢となっている)。また1923年(大正12年)に当時日本領であった台湾には台北州・台北市に台北支店が開設され、その後も五州の州庁所在地高雄・台中・台南・新竹に支店を次々と開設した[注釈 1]。割増金付き金融債の発行実績が認められ、太平洋戦争中の割増金付き戦時債券の幹事銀行となるが、やがてこの債券は射幸性が高くなり終戦直前には「勝札」と言う名の富籤となり、これが現在の「宝くじ」に繋がる。戦後は福徳定期預金(割増金付きの定期預金)の幹事銀行にもなる。

戦後の1950年に勧銀法が廃止され、特殊銀行から民間の普通銀行に転換[注釈 2]。さらに長短分離政策に伴い拓銀と共に普通銀行の道を選択することとなり[注釈 3]、金融債の発行を打ち切って都市銀行の一角となる。

以降はシンボルをバラの花、コーポレートカラーをローズレッドと定め、漫画家・岡部冬彦がデザインしたオリジナルキャラクター「のばらちゃん」やイメージキャラクターに抜擢された女優の山東昭子(現・自民党参議院議員)が店頭や広告媒体などに登場。「ばらの勧銀」のキャッチコピーを採用して大衆化に努めた。法人部門では、融資系列で財閥色の薄いフコク生命や日産火災(現:SOMPOホールディングス)、日立製作所を交えて勧銀十五社会を結成。また、戦時債券の名残で、戦後「宝くじ」の業務を受託していた。

宝くじ業務の関係や、大正時代に全国各地にあった農工銀行からの事業譲渡や農工銀行の吸収合併に伴う受け皿支店の開設などの理由により、全国都道府県庁所在地に必ず一店舗は存在した[注釈 4]。他の都市銀行とは異なり、かつてあった、都市銀行の出店規制[注釈 5]があったが、都道府県庁所在地名の支店は廃止の対象にならなかった。むしろ、他の都市銀行の地方支店の廃止の際には受け皿となっているケースがある[注釈 6]。

勧銀末期における地方部での出店は上記経緯から店舗数が多かった反面、在京行としては首都圏での出店は手薄であり、全体の4割弱と当時の関西系上位行とほぼ同等の店舗数の留まっていたため旧五大銀行でありながら中位行に甘んじていた第一銀行との合併の一因となった。

初代勧銀本店は1926年、京成電気軌道(現京成電鉄)に売却され、「谷津遊園楽天府」として阪東妻三郎プロダクションが使用した。その後千葉市に移管、千葉市役所庁舎を経て、現在は千葉トヨペット本社となり登録有形文化財でもある。また、内幸町の本店も、第一勧銀発足後の10年間を除き、引き継がれ2度の建て直しを経て、現在はみずほ銀行内幸町本部ビルとなっている。』

みずほ銀行暴力団融資事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E3%81%BB%E9%8A%80%E8%A1%8C%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E5%9B%A3%E8%9E%8D%E8%B3%87%E4%BA%8B%E4%BB%B6

(第一勧業銀行)総会屋利益供与事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8B%A7%E6%A5%AD%E9%8A%80%E8%A1%8C

『1997年(平成9年)には、総会屋・小池隆一へ460億円にのぼる利益供与事件で、第一勧業銀行本店を東京地方検察庁特別捜査部に家宅捜索された。

近藤克彦頭取は、1997年(平成9年)5月23日に「(総会屋側に)多額の融資を行った最大の要因は、(歴代最高幹部が親しかった)元出版社社長の依頼を断れなかったことで、社長の死後もその呪縛が解けず、関係を断ち切れなかった…」と記者会見で述べ退任、次期頭取と紹介された副頭取藤田一郎の「以前から不正融資を知っていた」と記者会見で告白し、一銀幹部も驚く爆弾発言となった[5]。

頭取経験者の11人に及ぶ逮捕や、宮崎邦次元会長の自殺という事態を引き起こし、更に調べ上げると、第一勧業銀行が1985年(昭和60年)から1996年(平成8年)まで、総会屋に提供した総額460億円にのぼる資金は、四大証券会社(山一證券・野村證券・日興証券・大和証券)を揺る資金元となり、銀行・証券界と監督当局との腐りきった関係を、白日の下に晒した大蔵省接待汚職事件、遂には大蔵省解体と帰結し、未曾有の経済疑獄となって、日本国民は信じがたい事実に、金融業界の断末魔を見ることになった[5]。

この時も、逮捕された元頭取の中には「あれは旧第一銀行の案件で、自分は旧日本勧業銀行出身だから関係ない」などと公判で無責任な証言をした者がおり、いかに旧第一・勧業の関係が悪いものであったかを露呈してしまう結果になった。この不祥事以降、宝くじの広告から「受託 第一勧業銀行」の文字が消え、みずほ銀行となった2018年現在も、広告には表示されていない[注釈 5]。

第一勧業銀行総会屋利益供与事件をきっかけに、この年出版された高杉良による経済小説『金融腐蝕列島』が耳目を集め、後年には事件を題材に続編である『呪縛ー金融腐蝕列島2』が書かれ、「金融腐蝕列島 呪縛」(1999年)として映画化もされた。タイトルは、近藤克彦頭取の「呪縛が解けなかった。」と、記者会見で述べた事に由来している。』

みずほ、10年改革は振り出しに 外圧頼み「魂」入らず

みずほ、10年改革は振り出しに 外圧頼み「魂」入らず
金融PLUS 金融グループ長 河浪武史
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB318AX0R30C21A5000000/

『「みずほ銀行頭取はネットニュースで自行のATM障害を認識するに至った」――。みずほフィナンシャルグループ(FG)が15日公表したシステム障害の第三者委員会報告書。多くの関係者を驚かせたのは、藤原弘治みずほ銀頭取が、障害発生から数時間も誰からも連絡を受けていなかった事実だろう。坂井辰史FG社長への一報も電子メールだけで、開封時は障害発生から既に6時間がたっていた。

第三者委はみずほを「危機対応力が弱く、問題解決の姿勢も弱い」と指弾し、それを「企業風土」とまで断じてみせた。同行は2011年、東日本大震災の直後という最悪のタイミングで、給与振り込みなど100万件超の入金が遅延する大規模障害を起こしている。その後は組織再編やシステム刷新など一定の自浄作用を発揮したかにみえたが、あっという間に再び「事なかれ主義」に陥った。なぜか。』

『「みずほが主体的に組織改革を進めないと、市場も取引先も納得しない」。10年前のシステム障害時。取材メモを読み返すと、同社首脳は筆者にこう吐露している。当時は第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の旧3行出身者が、みずほFG 、みずほ銀、旧みずほコーポレート銀行のトップを同列で分け合う「1社2バンク3トップ制」。意思疎通の悪さが目立っていた。』

『ただ、そうした自己改革の機運はわずか2年で弱まっていく。契機は13年に発覚した反社会勢力への融資問題だ。当初は「担当者どまり」とされた反社融資が、実は取締役会の資料に記載されていたことが判明。佐藤FG社長(当時)らも「知りうる立場にあった」ことがわかった。佐藤氏は兼務していたみずほ銀頭取を辞任。経営の透明性を高めるため「委員会設置会社」への移行も決めた。

この委員会設置会社案は、実はみずほ内部ではなく金融庁が持ち出したものだ。反社融資が公になった13年9月以降、佐藤氏は国会に参考人招致され、金融庁も2度も検査に入るなどして圧力をかけ続けた。「そのころから、みずほは一段と当局の意向ばかり気にするようになった」(同行OB)。』

『金融当局や社外取締役が「改革役」に浮かび上がる一方で、みずほ本体の執行部隊は主体性を失っていく。第三者委報告書では、みずほ銀が18年にもATM障害を起こし、今回と同じようにカードなどが吸い込まれる事故が1800件も発生したことを明らかにした。当時は対外公表を見送っただけでなく、システム改修などの根本対策も取らず、その危機意識の欠如が今回の大規模障害を招いた。

みずほFGは今回、藤原頭取らの交代を軸とした人事案をまとめたが、検査を継続する金融庁が正式発表直前に「待った」をかけた。みずほは今や首脳人事すら決められず、手足を縛られて身動きがとれない。

「巨大な象が自らの足を踏んで倒れないようにしないと」。当時としては世界最大規模の経営統合を発表した1999年、第一勧銀頭取の杉田力之氏はこんな戒めの言葉を発している。みずほはその後の成長鈍化で「巨象」ではなくなり、今では倒れたまま起き上がり方すら見失いつつあるようにみえる。』