香港人意識の台頭 理解しようとしない中国

香港人意識の台頭 理解しようとしない中国
編集委員 村山宏
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH12BZI0S1A410C2000000/

『中国は香港の民主派勢力を排除する選挙制度を導入する。デモに手を焼いた経緯から民主派の活動を制度変更で完全に封じ込めようとし、香港に自治を保障した「一国二制度」が事実上崩れたとの見方すら出ている。中国共産党政権と香港民主派の主張は水と油で相いれない存在だが、ここまで鋭い対立に至ったのは香港人意識の台頭や市民社会の構造を共産党政権が理解しようとしなかったことも要因に挙げられる。

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編集委員が日々のニュースを取り上げ、独自の切り口で分析します。

中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会は3月末、香港の立法会(議会)や行政トップの行政長官選挙から民主派を排除する選挙制度の見直し案を可決した。人数や選出方法の変更で民主派を締め出すが、それ以上に目を引くのが資格審査委員会の設置だ。立候補者が候補に適しているかどうかを審査する仕組みで、こうなると民主派は立候補段階ではじかれる。

「経済的恩恵」すれ違う認識

かつては中国政府もここまで強硬ではなかった。胡錦濤(フー・ジンタオ)前国家主席時代の2007年12月の全人代常務委員会では、香港住民の直接選挙による行政長官選出の実現に含みを残す決定をしていた。強硬策に転じたのは独裁傾向の強い習近平(シー・ジンピン)政権への交代もあるが、経済的な恩恵を与えてきたにもかかわらず「反中活動」を繰り返しているという香港へのいらだちが影響している。

中国政府は03年から香港政府と経済緊密化協定(CEPA)を結び、香港から中国本土への輸出時の関税を免除した。中国から観光客を送り、香港の観光業を支えた。中国企業の香港上場を後押しし、世界的な金融センターに押し上げた。日本総合研究所の野木森稔主任研究員は「中国政府からすればビジネスチャンスと経済的な恩恵を香港に与えてきたのに反発されるとは思わなかったのかもしれない」と話す。

だが香港住民からすれば中国本土の香港経済への介入はありがた迷惑の部分もあった。流入してきた中国マネーで香港の住宅価格は急騰し、平均価格は19年に125万米ドル(約1億3600万円)と世界一の水準にある(米国の不動産サービス大手CBRE調べ)。本土からやってきた観光客が転売目的で香港の粉ミルクや紙おむつを買い占める事件も起きた。そのたびに香港政府の対策は遅れ、香港住民の不満が高まった。

香港住民からすれば香港政府は北京の中国政府の顔色ばかりうかがっているように映った。14年に起きた行政長官の直接選挙を求めるデモでは「我々の声に耳を傾ける人間をトップに選ばなければならない」との声がしきりに聞かれた。香港の民主化運動は人権や自由といった大きなスローガンよりも、生活改善を求める香港住民の切実な願いから広がった。

もっとも中国政府が「経済利益さえ与えれば香港は言うことを聞く」と考えたのも無理のない面がある。筆者は香港が英国から中国に返還された90年代に香港に駐在したが、中国に反発する大きなデモはまれだった。香港住民の多くが政治的な活動よりもビジネスに集中しているといわれたものだ。民主派の活動はあったが、その主張が広範な支持を獲得しているようには見えなかった。

その頃は「香港人」という意識がまだ確立していなかったのかもしれない。香港は地元生まれの住民よりも外から来た人々が多い状況が続いた。太平洋戦争が終わった1945年の香港の人口は60万人前後と推定されている。半世紀後の90年代半ばに600万へと急膨張したが、人口増は中国本土から大勢の人々が移ってきたからだ。新たな住民も必ずしも香港に定住せず、北米やオーストラリアなど外国に移り住んだ。

香港生まれの世代が社会の中核に

香港はかりそめのすみかだと考えたのか、香港を改善しようという気持ちは今ほど強くなかった。住民の出入りが激しく、香港人という共通意識も育ちにくかった。しかし時代が下るにつれて香港生まれの住民が増えていった。90年以降に香港で生まれた人の数を足し合わせると200万人ほどになる。全員が香港にとどまっているわけではないが、今や香港生まれの若い世代が社会の中核になりつつあるのは間違いない。

香港の人々の政治意識を目覚めさせたもう一つの要因は「レッセフェール」(自由放任主義)の変容もある。英国は香港を統治するにあたり、本国の財政負担にならないよう小さな香港政府を求めた。香港住民からもあまり税を取らず、教育や医療などの公的サービスもなおざりにされた。政府はビジネスに介入せず、企業も住民も低税率で経済成長にまい進できた。香港住民の政府への期待も小さかった。

さすがのレッセフェール政策も英国統治時代の70年代から変容し始めた。貧困層への給付金制度や小中学校の無償義務教育が始まった。公的サービスが拡充されるにつれて個人や企業への徴税システムが整備され、今に至っている。香港住民からすれば「税金を払っているのだから政府はサービスに務めるべきだ」との思いが募る。税金の配分を決める立法や行政に代表を送りたいとの欲求も強まって当然だろう。

香港は経済成長で中間層が厚くなり、「香港人」として生活改善を求める人々が劇的に増えた。中国政府は香港のこうした変化を理解しようとしなかった。中国全体では本当の意味での豊かな中間層はなお少数派であり、生活改善などの要求も散発的だ。だが経済成長が続けば中間層が様々な主張を繰り返すようになり、愛国意識の強制や経済利益の誘導だけでは人々は動かなくなる。

共産党政権からすれば、香港の民主化運動への対処は将来に備えた予行演習にもなりえたのだが、本土と同じように力で押さえつけてしまった。

(編集委員 村山宏)

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