[FT]イタリア政党「五つ星運動」、過去と決別し再出発へ

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『イタリアの左派政党「五つ星運動」にとって、反エスタブリッシュメント(支配層)の立場から、欧州中央銀行(ECB)のドラギ前総裁が率いる連立政権の一員へと移行するのは容易な話ではない。

政治や金融のエスタブリッシュメントに対する不満の高まりから2009年に誕生したこのポピュリズム(大衆迎合主義)政党は、年月とともに多くの変化を経験してきた。

18年の総選挙で単独政党として最多議席を獲得し、期待を超える…

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18年の総選挙で単独政党として最多議席を獲得し、期待を超える躍進を遂げた五つ星はその後、極右「同盟」や中道左派「民主党」と立て続けに連立政権を組んだことが支持者の一部を失望させた。また、ユーロ圏離脱の是非を問う国民投票実施への支持を含め、過去に掲げた公約のいくつかを撤回している。

五つ星は現在、かつてないほど大きな試練に直面している。21年2月にドラギ氏率いる新政権を支持すると決定したことで、反エスタブリッシュメントとしての魅力は一段と損なわれている。世論調査での支持率が現在約17%の五つ星は、22年の次回総選挙を前に自己改革を果たし、イタリア政治における純粋な妨害勢力という過去のイメージと決別しようとしている。
コンテ前首相が事実上のリーダーに

この一大改革の監督役に選ばれたのはコンテ前首相だ。3月初めに五つ星の事実上のリーダーに就任し、先週は同党の「再生」を図る意向を表明している。

「過去を振り返れば、誇りに思っていい」。コンテ氏は1日のテレビ会議で、五つ星の議員にこう語りかけた。「いくつか間違いはあったが、あなた方が取り組んできた数多くの闘いや改革がかすむほどではない」と同氏は親欧州路線が目立つ演説で述べた。

20年9月には、五つ星が長年掲げてきた公約の一つが国民投票で支持された。イタリア国会の上下両院で議員数を削減することだ。

イタリア日刊紙イル・ファット・クオティディアーノの元編集者で、現在は作家のアントニオ・パデラロ氏は「コンテ氏は難題を抱えている」と指摘する。

「イタリアの都市郊外にある通りや広場で生まれた五つ星の世界は、エスタブリッシュメントやグローバル化に取り残されたと感じている怒れる市民で構成されている。かつては非常にとげのある露骨な言葉で自己表現していた極端な世界だ。この世界は今も混乱の中にあり、コンテ氏とはまだかなりかけ離れている。そのアプローチは確実に運動本来の核心部分よりもキリスト教民主主義寄りで、穏健的になっている」とパデラロ氏はいう。
政権獲得が五つ星の転機に

五つ星の幹部議員、ジュゼッペ・ブレシア氏によると「(五つ星)運動が政権に就いたときにすべてが変わった」。

「野党にとどまっていてもしかるべき政策を実行に移せないことは分かっていたが、政権を組むことで一連の移行にもさらされた。それは小さな傷をいくつも負って基本から徐々に遠ざかることだった」とブレシア氏は語った。

さらにブレシア氏は「我々の選択が常に支持者に理解されているとは思っていない。支持者は今でも運動の使命を純粋な抗議だと考えており、我々がドラギ氏と同じテーブルに着くのを目にするとは想像もしたことがない」という。

コンテ氏が五つ星運動に加わったことを受け、同じく元首相で民主党の新党首に選出されたエンリコ・レッタ氏は、五つ星の「変革(の成功)に賭ける。連立を望んでいる」との考えを示した。
まだ描きにくい将来像

アナリストの多くは、より進歩的な政策への明白な転換と、五つ星と民主党との連携が実現する可能性は高いとみている。次の選挙で両党は、サルビーニ元副首相率いる同盟や、メローニ党首の極右「イタリアの同胞」、ベルルスコーニ元首相率いる中道右派「フォルツァ・イタリア」から成る右派連合と対峙する。

しかし、五つ星が政界で唯一無二の立場を築き上げ、支持を取り戻すのは困難だと、ローマにあるグイド・カルリ社会科学国際自由大学(LUISS)公共政策学部のジョバンニ・オルシナ学部長は主張する。

「ドラギ政権が五つ星にも他の政党にも、ここしばらく行われてきた変革を急がせたことは間違いない。だが、抗議を具体的な政策に落とし込むことの難しさは誰の目にも明らかだ。次に何が起きるのか、その答えをいま見つけるのはとても難しい」

エンナコレ大学のルチア・コルソ教授によれば、五つ星はすべてのポピュリズム政党や反体制派政党に早晩降りかかる試練に直面しているという。

「絶えず反対を突きつけることを目的とした慢性的な抗議を、実際のプロジェクトへと転化させるのは至難の業だ」とコルソ氏はいう。「実際、コンテ氏の言葉はごく一般的で、五つ星の未来のあり方を描くのはまだ難しい。だがはっきりしているのは、過去とは完全に決別したいという強い願望だ」

By Davide Ghiglione

(2021年4月5日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/

(c) The Financial Times Limited 2021. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.
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ジュゼッペ・コンテ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86

『人物

プッリャ州フォッジャ県ヴォルトゥラーラ・アップラ出身。

2018年3月4日の総選挙にて左派ポピュリズムの五つ星運動が大勝し、5月21日に同党は右派ポピュリズムの同盟と共に閣僚評議会議長としてコンテをセルジョ・マッタレッラ大統領に推薦[1]。同月23日に大統領はコンテを首相に指名し、組閣を指示した[2]。しかし経済相候補に立てた欧州懐疑主義のパオロ・サボナ(英語版)元産業相をマッタレッラ大統領が拒否したため、27日になってコンテはいったんは組閣断念を表明した[3]。しかしその後、サボナを経済相から欧州担当相にスライドさせるなどの妥協が図られ、再びコンテが首相に指名され、6月1日に政権が発足した[4]。

しかし、左右のポピュリストが同居する連立政権内は意見の相違により多くの政策で折り合わず、2019年8月、マッテオ・サルヴィーニ副首相(同盟の党首でもある)は対立激化を理由に早期の解散総選挙を要求[5]。コンテはこうした要求を拒否したため、サルヴィーニは連立離脱を表明し[6]、内閣不信任決議案を提出した。連立相手の五つ星運動はこうした動きを非難し、連立政権が事実上崩壊[7]。8月20日にコンテは首相を辞任すると表明した[8]。

8月29日、五つ星運動と中道左派の民主党が連立政権の樹立で合意したことを受けてマッタレッラ大統領はコンテを首相に再指名し[9]、9月5日に欧州懐疑主義を後退させた第2次コンテ内閣を組閣した[10]。

2020年の新型コロナウイルス感染症拡大の局面では、欧州連合の資金を活用しての復興政策について連立相手のイタリア・ヴィーヴァ(IV)を率いるマッテオ・レンツィ元首相が政府案に対して投資を重視していないと批判するなど対立が生じるようようになった。2021年1月13日にレンツィは連立政権からの離脱を表明し内閣から閣僚を引き上げ、コンテ内閣は少数与党に転落した[11][12]。下院に提出されたコンテ内閣の信任決議案は否決されるだろうとの見通しを示すなど強硬な姿勢を示したが[13]、世論の支持は得られずIVの支持率は低迷。18日から19日にかけて上下両院で行われた信任投票の採決でもIV所属議員が棄権や欠席に回ったこともあって信任決議は可決され、コンテは危機を乗り切った[12]。とはいえ少数与党で政権運営が苦しい状況は変わらず、1月26日にコンテは首相を辞任すると表明した[14]。』

『政策

欧州連合(EU)の加盟国ではギリシャに次いで公的債務の対GDP比が高いイタリアでポピュリストを自任するコンテは就任当初から緊縮財政に反対する政策を掲げ[15]、これに対して欧州委員会も2018年10月に史上初の加盟国に対する予算案差し戻しで修正を要求して対峙した[16][17]。また、移民・難民に対する受け入れ規制も大幅に強化した[18]。

2019年3月、中国の一帯一路協力の覚書にG7で初めて調印してアメリカ合衆国やEUの懸念を呼んだ[19]。同年4月、年金受給開始年齢を62歳へ引き下げた。各国が財政難を背景に受給開始年齢を引き揚げ傾向にある中で異例の措置であり、同時期に大規模減税とともに目玉公約に掲げていたベーシックインカム制度も導入した。なお、これらの裏付けとなる財源については、制度発足段階では担保されず[20]、同年5月に欧州委員会はイタリアの財政規律違反を認定して「過剰財政赤字是正手続き」(EDP)の開始を勧告したことに対してコンテは安定・成長協定(SGP)を改正すべきと反発していたが[21][22]、同年7月に財政赤字目標を引き下げたことでEDPの正式開始は見送られた[23]。

再任後は2019年9月の所信表明演説で第1次内閣の方針を修正してEUとの融和路線を打ち出した[24]。新型コロナウイルス感染症の流行の際はミラノやベネチアなどの都市を封鎖し[25]、イタリア全土に外出禁止令を発動した[26]。』

イタリアの経済
https://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_Italy

『(Google翻訳文)

経済セクター

プライマリ

サータルド近くのブドウ畑、トスカーナ州。イタリアは世界トップのワイン生産国です(世界市場の22%)。 [32]
前回の国勢調査では、2010年に160万の農場(2000年以来-32.4%)が1,270万ヘクタール(そのうち63%は南イタリアに位置)をカバーしました。 [111]大多数 (99%)家族経営で小さく、平均8ヘクタールです。 [111]農業利用における表面積全体 (林業を除く) のうち、穀物畑は31%、オリーブの木果樹園は8.2%、ブドウ園5.4%、柑橘類果樹園3.8%、サトウキビ1.7%、園芸2.4%を占める。残りは主に牧草地に捧げられています(25.9%)そして穀物を供給する(11.6%)。イタリアの北部では主にトウモロコシ、米、サトウキビ、大豆、肉、果物、乳製品を生産し、南部は小麦と柑橘類を専門とする。家畜には、600万頭の牛、860万頭の豚、680万頭の羊、0.90万頭のヤギが含まれています。イタリアの漁業の年間生産量は、甲殻類や軟体動物を含む捕獲・養殖によるもので、年間生産量は約48万トンである。

イタリアは世界最大のワイン生産国であり、オリーブオイル、果物(リンゴ、オリーブ、ブドウ、オレンジ、レモン、梨、アプリコット、ヘーゼルナッツ、桃、サクランボ、プラム、イチゴ、キウイフルーツ)、野菜(特にアーティチョークとトマト)の主要な生産者の一つです。最も有名なイタリアのワインは、おそらく、トゥスカン・キャンティとピエモンテ・バローロです。その他の有名なワインは、バルバレスコ、バルベラ・ダスティ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、フラスカティ、モンテプルチャーノ・ダブルッツォ、モレリーノ・ディ・スカンサーノ、アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラDOCG、スパークリングワインフランチャコルタとプロセッコです。イタリアが専門とする品質の商品、特に既に言及されているワインや地域のチーズは、品質保証ラベルDOC / DOPの下で保護されることが多いです。欧州連合(EU)が起因するこの地理的表示証明書は、低品質の大量生産エルサッツ製品との混乱を避けるために重要であると考えられています。

セカンダリ

イタリアは、同等の規模の他の経済よりも世界の多国籍企業の数が少ないが、それは、多くの中小企業を持っており、それらの多くは、イタリアの産業のバックボーンであるクラスターにグループ化されています。この結果、製造部門は、多くの場合、ニッチ市場や高級品の輸出に焦点を当て、量で競争することは少ないが、製品の品質が高いことを考えると、より低い人件費に基づいて新興国の競争に直面する可能性が高い。地方化された工業地区:北西部には、いわゆる「産業三角形」(ミラノ・トリノ・ジェノヴァ)のように、近代的な産業の大規模なグループがあり、そこでは、激しい機械、自動車、航空宇宙生産、造船の領域があります。北東部では、主に家族経営の企業を中心に社会的、経済的発展を経験した地域で、機械、衣料品、革製品、履物、家具、織物、工作機械、スペアパーツ、家電製品、ジュエリーに特化した、低技術だが高い職人技の中小企業がほとんどです。また、北東部のエミリア・ロマーニャ州では、フェラーリ、ランボルギーニ、マセラティ、ドゥカティのオートバイなどの高級車も製造されています。イタリア中部には、繊維、皮革、ジュエリー、機械などの製品を専門とする中小企業がほとんどです。 [112][114]

三次

詳細は「イタリアの銀行一覧」

現代の銀行の起源は、中世と初期のルネッサンスイタリア、フィレンツェ、ルッカ、シエナ、ヴェネツィア、ジェノヴァのような豊かな都市にまでさかのぼることができます。バルディとペルッツィの家族は14世紀のフィレンツェで銀行を支配し、ヨーロッパの他の多くの地域に支店を設立しました。最も有名なイタリアの銀行の一つは、1397年にジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチによって設立されたメディチ銀行でした。最も初期の既知の国家預金銀行であるセント・ジョージ銀行は1407年にジェノヴァに設立された[117]、バンカ・モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナは1472年に設立された世界最古の生き残った銀行である。今日、金融サービス企業の中で、UniCreditは資本化によってヨーロッパ最大の銀行の一つであり、アシクラツィオーニジェネラリはAXAに次ぐ収益で世界第2位の保険グループです。

以下は、イタリアの主要銀行と、総資産と総保険料でランク付けされた保険グループのリストです。』