日経平均3日続伸、終値235円高 3万円台回復

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB00001_V00C21A4000000/

『5日の東京株式市場で日経平均株価は3日続伸し、前週末比235円25銭(0.79%)高の3万0089円25銭で終えた。終値ベースで3万円の大台に乗せるのは3月18日以来となる。前週末に発表された3月の米雇用統計で非農業部門の雇用者数が大幅に伸び、新型コロナウイルス禍からの景気回復期待が広がった。投資心理が一段と強気に傾く中、先高観を背景にした株価指数先物への断続的な買いで、上げ幅を300円超に広げる場面があった。

先物の上昇に連動してソフトバンクグループ(SBG)やファストリなど主力の値がさ株を中心に買われた。海運や鉄鋼、銀行など景気敏感株が総じて上昇した。一方、日経平均は朝高後、上値の重さも目立った。きょうは中国、香港、台湾が休場で積極的な売買を手控える投資家が多く、売買は低調だった。米雇用統計の発表を受けて最初の取引となる日本時間今晩の米国株の動向を見極めたいとのムードも広がり、午後の相場は高い水準を維持しつつも膠着感の強い展開だった。

JPX日経インデックス400は3日続伸した。終値は前週末比105.22ポイント(0.59%)高の1万7896.05だった。東証株価指数(TOPIX)も3日続伸し、11.92ポイント(0.60%)高の1983.54で終えた。

東証1部の売買代金は概算で2兆953億円と、1月18日以来の少なさだった。売買高は9億7236万株だった。東証1部の値上がり銘柄数は1494と、全体の約68%を占めた。値下がりは624、変わらずは72銘柄だった。

アドテスト、KDDI、東エレク、ヤマハ、デンソーが上昇した。一方、リクルート、ダイキン、TDK、スズキが下落した。

〔日経QUICKニュース(NQN)〕

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日独、今月中旬に初の2プラス2 安保協力を強化 中国を意識

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE0510O0V00C21A4000000/

 ※ ちょっと、半信半疑だった…。

 ※ フリゲート艦を派遣すると聞いた時も、半信半疑だった…。

 ※ フランスと違って、インド太平洋地域に、海外領土なんて無いハズだと思っていた…。

 ※ どういう利害関係が、あるのか疑問だった…。

 ※ 外務大臣同士の会談は、分かる…。

 ※ しかし、防衛大臣同士が会談して、何を話し合おうと言うんだろうと思った…。

 ※ 検索したら、それらしいものに当たった…。オレが知らないだけだったな…。

 ドイツ領ニューギニア
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E9%A0%98%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AE%E3%83%8B%E3%82%A2

 『ドイツ領ニューギニア(ドイツりょうニューギニア、英: German New Guinea、独: Deutsch-Neuguinea)は、ドイツ植民地帝国が初めて獲得した地域。1884年から第一次世界大戦勃発後オーストラリアが占領した1914年まで保護領であった。ニューギニア島北東部(カイザー・ヴィルヘルムスラント)及び周辺の島嶼部から構成。総面積は249,500平方キロメートル[1]。

ドイツ領ニューギニア及びビスマーク諸島の主要地域は現在、パプアニューギニアの一部となっている。カイザー・ヴィルヘルムスラント東側の島々は併合に際しビスマーク諸島(嘗てのニューブリタニア諸島)と改称、最も大きな2つの島はそれぞれノイポンメルン(ニューポメラニア、現在のニューブリテン島)、ノイメクレンブルク(ニューアイルランド州)と名を改めた[2]。

西太平洋におけるドイツ領の島々はドイツ領サモアを除き「ドイツ帝国太平洋保護領」を形成。これらはドイツ領ニューギニアの統治下にあり、ドイツ領ソロモン諸島(ブカ、ブーゲンビル両島及び小諸島群)、カロリン諸島、パラオ、マリアナ諸島(グアム島以外)、マーシャル諸島及びナウルを含む。』

 『歴史

南太平洋における初期のドイツの存在

南太平洋地域に初めて進出したドイツ人は、アベル・タスマンが処女航海を行っていた時期、オランダ東インド会社の商船ヘームスカーク号で船長を務めたドイツ北東部イェファー出身のホールマン(或いはホルマン)という男性であったという[3][4]。その後、ハンザ同盟の商館が初めて足場を築く。ハンブルクのヨハン・セザール・ゴーテフフロイ・ソーン社が1857年以降、サモアに交易の拠点を置き、とりわけコプラ貿易や南太平洋各入植地へのドイツ移民の移送に力を入れながら、太平洋の貿易網を確立したのである[5][6][7]。また、1877年にはハンブルクの商社ヘルンシェイム・ロベルトソン社がニューブリテン島北東部沿岸・ブランチ湾(ここからニューブリテン島やカロリン諸島、マーシャル諸島へ貿易を行っていた)のマトゥピ島でドイツ人共同体を設立[8][9]。この他1875年末までには、あるドイツ人商人をして「他の如何なる国をもほとんど除外してしまう程、ドイツの業者や船に至る所で出会う」とまで言わしめている[10]。

しかし、経済的な動向は兎も角として、1880年以前における太平洋地域の植民地支配は限定的であった。当時のヨーロッパ列強の勢力範囲はニュージーランドやフランス領ポリネシア、ニューカレドニア及びフィジー程度とされ[11]、国家統一に手間取られ植民地獲得競争で英仏両国の後塵を拝していたドイツが、太平洋進出への機会を伺うようになる。

ビスマルク政権下のドイツ植民地政策

1870年代末から1880年代初頭にかけて、右派の国民自由党及び自由保守党を中心とする少数勢力が、ビスマルク宰相に植民地政策を着手させるべく、ドイツ国内に各種植民地協会を設立する。最も重要なものは、「1882年植民地クラブ」及び財界関係者が1884年に設立したドイツ植民協会であった[12][13]。ドイツ植民協会は、植民思想や植民地獲得、在外ドイツ人との経済的文化的連携維持を謳っていた[13]ものの、ビスマルクの当初の返答は、「植民地は国民感情が(互いの)政党の憎悪よりも強い祖国を必要とする」[14]という、1881年に書いたメモに集約されよう。これは、あくまでヨーロッパでの対外政策(なかんずく普仏戦争以後におけるフランスの孤立状態の堅持)こそが関心の的であったビスマルクにとって、国家的事業として植民地獲得を遂行する考えは無かったことを物語っている[13]。

しかし、ビスマルクはやがて方針を撤回。1882年から翌年にかけて、ブレーメンの豪商アドルフ・リューデリッツが政府の支援を受けアンゴラに港(後のリューデリッツ港)を開き[13]、1884年4月24日、ドイツ帝国の保護の下でドイツ領南西アフリカを建設[15]。こうしてビスマルクは同年6月23日、国会に対し「今後私企業へ特許状を付与するものを除いて併合が進むであろう」として、ドイツ植民地政策の転換を伝えた[16]。こうしてドイツによる南太平洋方面への進出も本格化し、1884年には北東ニューギニア及びニューアイルランド諸島、ニューブリテン諸島、ソロモン諸島北部をイギリスとの協議を通じて獲得。前者をカイザー・ヴィルヘルムスラント、後者をビスマーク諸島とそれぞれ改名した[17]。なお、1886年、ベルリン協約に基づきソロモン諸島全島がイギリスの保護領となった[17]。

ドイツニューギニア会社

ドイツ領ニューギニアで演習を行う原住民の新兵
1879年から1882年までの太平洋探検からドイツへ帰国するに当たり、オットー・フィンシュは銀行家アドルフ・フォン・ハンセマン率いる、太平洋地域への植民地の拡大に興味を示す非公式グループへ加入する。フィンシュは、ニューギニア東北東部沿岸及びニューブリテン諸島に植民地を建設するよう懇願し、こうした事業に係る費用の算定まで行った[18]。1884年11月3日、ドイツニューギニア会社の賛助を得て、ドイツ国旗がカイザー・ヴィルヘルムスラントやビスマーク諸島、ドイツ領ソロモン諸島に翻ることとなる。

現地の労働力確保とプランテーションの拡大を行うべく、植民地当局は軍隊を派遣し部族の居住する地域を支配下に置いた。その後、原住民に年4週間の労働と現金での人頭税納付を義務付ける新法を公布。労働者が駆り集められ選択肢も少なかったものの、ここにおいて初めて賃金が支払われた。

アルベルト・ハールら植民地高官の中には、原住民の著しい人口減少を危惧する者がおり、東南アジアから労働者の徴発を試みるも、成功はしなかった。それは、マラリアや赤痢、インフルエンザの他天然痘といった病気により多数の労働者が命を落としたためである[19]。とりわけ1894年に猛威を振るった天然痘については、ニューギニア島にいた農業労働者のうち、4分の1程度が死亡したとの記録も残されている[19]。

こうした中、1910年以降、ハールは北部ニューアイルランド島での女性の徴発を禁じ、他地域でも募集を打ち切ることで、積極的な労働力動員が引き起こす否定的な影響を最小限に抑えようとした。これにはドイツ人入植者も反発、ハールは労働者を追加的に確保するため、未征服地にまで植民地支配を広げることを余儀無くされた[20]。

ドイツ帝国保護領

1899年、ドイツ政府はカロリン諸島およびマリアナ諸島(前年にアメリカ合衆国へ割譲されたグアム島を除く)を、米西戦争にて敗北を喫したスペインから25,000,000ペセタ(16,600,000金マルクに相当)で購入することで合意した。両諸島は保護領となりドイツ領ニューギニアの統治下に置かれた[21]。1906年にはマーシャル諸島が追加。

第一次世界大戦とヴェルサイユ条約

第一次世界大戦が勃発すると、オーストラリア軍は1914年、カール・フォン・クレヴィッツ船長らの抵抗叶わずカイザー・ヴィルヘルムスラント及び近隣の島々を攻略。また、日本も現存する太平洋地域のドイツ領のほとんどを占領した。1914年9月11日にオーストラリア海陸軍遠征部隊(en:Australian Naval and Military Expeditionary Force)がビタパカの戦い(en:Battle of Bita Paka)でノイポンメルン島(後のニューブリテン島)の無線局を攻撃したのが、唯一の大きな戦闘であった。オーストラリア側は6名が死亡し4名が負傷、第一次世界大戦初の被害を出した。一方ドイツ側はこれより深刻で、ドイツ人当局者1名及び現地警察30名が死亡、ドイツ人当局者1名と現地警察10名が負傷。こうして、9月21日には植民地の全ドイツ軍が降伏した。

ドイツ領ニューギニア植民地カイザー・ヴィルヘルムスラントの地図(1884年?1919年)
しかしながら、ドイツ人当局者ヘルマン・デツナーと20名程度の現地警察は戦争中ニューギニアで捕虜とならなかった。デツナーがオーストラリア領パプアとの境界を地図に描くため調査探検を行っていた時、彼に知られること無く戦争が始まっていたためである。1920年の著書『人食い人種との四年間』の中で、ドイツ領(カイザー・ヴィルヘルムスラント)の内部にまで入っていたと主張しているが、この主張は様々なドイツ人宣教師の非難を浴び、1932年には前言のほとんどを撤回するに至る。

1919年のヴェルサイユ条約以後、ドイツはニューギニアを含む全植民地を喪失。旧ドイツ領ニューギニアは35年の歴史に幕を閉じ、日本による占領を挟み1949年までオーストラリアの国際連盟委任統治領ニューギニア準州となった。なお、同年オーストラリア領パプア準州に編入されパプアニューギニア準州となり、後に現在のパプアニューギニアを形成する。

郵便切手

マトゥピ島の消印付20ペニヒ切手(1902年3月11日)

ステファンソートで使用されたものと思われる5ペニヒ切手(1899年)
植民地初の郵便切手は1897年、ドイツ本国の切手に「ドイツ領ニューギニア」(“Deutsch ? / Neu-Guinea”)と加刷されたものだった。1901年には植民地共通のヨットを描いたシリーズが発行された。1914年5ペニヒ、10ペニヒおよび5マルク切手が透かし入りの用紙で再発行されたものの、植民地自体が占領されてしまったため日の目を見ることは無かった(1919年に発行された3ペニヒ切手も同様)。

これらの切手は現在1アメリカドル程度から500アメリカドル以上(使用済5マルク切手の場合)で取引されている。高額面切手の使用済は殆どなく、未使用に比べ10~20倍の価格で取引されている。偽の消印も存在するため収集に当たっては注意を要する。なお、オーストラリア占領以後、在庫していた透かしなし切手や、書留郵便のラベルに「G.R.I.」(Georgius Rex et Imperator(ゲオルギウス・レクス・エト・インペラトル)の略、イギリス国王およびインド帝国皇帝を兼務するジョージ5世の意)の銘と、当時英連邦の通貨単位であったペンスまたはシリング建の額面が加刷された。』

ドイツ植民地帝国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%B8%9D%E5%9B%BD

『概要
ドイツは他の西欧諸国に比べ統一国家の建設で遅れをとったため、18世紀のプロイセンによるグロース・フリードリヒスブルク(ドイツ語版)(今日のガーナ)などはあったものの、本格的な海外植民地の建設も遅い時期になった。

しかしドイツ人が建設した事例は1526年にカール5世がフッガー家とならぶ金融業者ヴェルザー家に負債の棒引きを条件に、今の南米ヴェネズエラ地域の全面的な統治権と司法権を譲渡したのが最も古い例である。ヴェルザー家はヴェネズエラ探検をランツクネヒトに依頼させたが、伝説の黄金郷エル・ドラドを求めた探検は、先住民への虐殺無道を極め、それはラス・カサスによって「地上のどのならずどもよりも残虐である」と激しく非難されている。ヴェルザー家はヴェネズエラ経営が採算に合わないことを理由に撤退し、この地はスペインの植民地となった[1]。

統一ドイツ帝国の成立後、アフリカ、太平洋などに海外植民地を建設し、ヴィルヘルム2世のもと積極的な海外進出を行った。 第一次世界大戦においては、東アフリカを除くドイツ領植民地は英海軍による海上封鎖などにより補給が行えず、ほどなく連合国軍に占領されているが、東アフリカだけはパウル・フォン・レットウ=フォルベック将軍率いる現地人を中心としたゲリラ部隊が終戦まで抵抗を続けた。第一次世界大戦敗戦の結果、ドイツ領植民地は英仏日その他に分割され消滅した。』

『植民地
ドイツは19世紀後半以降以下の植民地を保有した。

ドイツ領ニューギニア Deutsch-Neuguinea 1885年 – 1918年 今日のパプアニューギニア北部地域(カイザー・ヴィルヘルムス・ラント(ドイツ語版))、ビスマルク諸島、ドイツ領ソロモン諸島(英語版)、ミクロネシア、マーシャル諸島、パラオ、マリアナ諸島、ナウル。

ドイツ領南西アフリカ Deutsch-Sudwestafrika 1884年 – 1918年 今日のナミビア。総督はアドルフ・リューデリッツ。

ドイツ領東アフリカ Deutsch-Ostafrika 1885年 – 1918年 今日のタンザニアの大陸部分(タンガニーカ)、ルワンダ、ブルンジ。総督はカール・ペータース。

ドイツ領西アフリカ(ドイツ語版、英語版)

ドイツ領カメルーン Kamerun 1884年 – 1918年 今日のカメルーン。

ドイツ領トーゴラント Togo 1884年 – 1918年 今日のトーゴ(トーゴラント)及びガーナ東部。

ドイツ領ヴィトゥ(ドイツ語版、英語版) Deutsch-Witu 1885年 – 1890年 今日のケニアの一部。ヘルゴランド=ザンジバル条約によりイギリス領になる。

ドイツ領サモア(ドイツ語版、英語版) Samoa 1899年 – 1918年 今日のサモア。

膠州湾 Kiautschou 1898年 – 1918年 99年間の租借地。今日の青島。

天津租界地 1895年 – 1917年

漢口租界地 1895年 – 1917年』

バイデン政権にみる危機からの展望 ヤンコフスキ氏 パクスなき世界 米ブランダイス大教授

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN300FC0Q1A330C2000000/

『国内の不満の原因は外国にあると国民に訴えて国際協調から背を向ける。今の保護主義の台頭とよく似た構図が1930年代にもあった。コロナ禍という危機への対処で過去から何を学ぶべきか。米ブランダイス大教授のポール・ヤンコフスキ教授に聞いた。

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酷似する危機の予兆 豊かさ90年ぶり低迷


――なぜ1932~33年に注目するのでしょうか。

「ドイツでヒトラーが政権を握り、日本は国際連盟を脱退し、米国でルーズベルトが大統領に就任した。一見すると関連のない出来事だが共通点はある。世界を潜在的な脅威とみなし、単独行動を是とし、国際協力に背…

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世界を潜在的な脅威とみなし、単独行動を是とし、国際協力に背を向ける姿勢だ」

「1930年代と今ではもちろん状況は大きく異なる。当時は第1次世界大戦の記憶と世界恐慌が各国で危機感を募らせた。今は公に議論ができる国際機関が多くある点でも異なる」

「ただ英国の欧州連合(EU)離脱や米国におけるトランプ現象などには『一人でやる』という感情があり、パンデミック(世界的大流行)はその流れを強めた。過去と今との比較には注意深くあるべきだが、気がかりな兆候はみられる」

――世界を敵視するような感情はどうやって生じたのでしょうか。

「総力戦だった第1次大戦で欧州は広く戦地となり、あらゆる国が犠牲者意識を持った。戦勝国も犠牲に値するものは得られなかったと感じた」

「指導者も国民それぞれの個人的な被害者意識を国全体の意識にひもづけた。抱えた不幸や貧しさは外国の陰謀や世界的な不正のせいだと説いた。すべては虚偽だが、人々は信じた」

――今も同じような構図でしょうか。

「国民の抱える不安について、例えば移民やEUなどの国際機関のせいにして非難することで説明すると、不幸なことに大概うまくいく」

「格差の真の要因は別にあっても国内のマイノリティーに矛先を向ける。時代や状況は全く異なるが、国際社会から自分たちの国が攻撃されているとの訴え方には過去と同じようなメカニズムが働いている」

――我々はどう対処すべきでしょうか。

「人々を教育し、意見を伝え合い、理性の声を拾うことが助けになる。産業化が遅れた地域での労働者の再教育は一例だ。国が費用を負担し、新たな資格や技能を身につけてもらう。真の解決策があると示すのは効果がある」

「バイデン米政権の施策には希望が持てる。パリ協定に復帰する一方で、ロシアに報復的な対応もするなど常識と現実の間をとる。人々はバイデン氏に世界への展望を求め始めるだろうが、急ぐべきではない」

「成功する未来像は時間をかけて現実的な問題に対処して初めて生まれる。米国の歴史において真の展望と呼べるものの多くは大統領任期の後半に出てきた」

(聞き手はニューヨーク=大島有美子)

〔中国の戸籍・国民制度〕

第4回 中国の戸籍・国民制度|中国ビジネス講座

http://www.ginkouin.com/rensai/china/4.html

『中国の都市郊外にある工業団地に進出した日本企業が、都市部の一流大学卒で市内に居住もしくは市内企業に勤務する優秀な中国人材を幹部社員として採用もしくはヘッドハンティングしたいと考え、本人も当社勤務を強く希望したとしても、中国の戸籍制度が障害となって正社員として雇用できないというケースが従来から少なくない。ここでもし「二重雇用」してしまえば、中国労働法上、この日系企業は旧在籍企業に対して損害賠償金(転職による損害、研修費用、退職金、在籍時未払の社会保険料など)の支払が義務付けられている。

戸口(hukou)登記管理制度

 ※ よく「戸籍制度」と訳されているが、制度の中身は、「日本の戸籍制度」とは全く異なるものだ…。

 ※ 同じ「漢字文化圏」なんで、似たような「漢字」で表現されると、分かったような気になるが、実体は「似て非なるもの」であることが多い…。

 ※ こういう点は、よくよく気をつけんとな…。

中国政府は1958年1月制定の「戸口登記管理条例」にもとづく一元的な国民の戸口(よく「戸籍」と訳される)管理を実施している。中国では家族全員の生年月日、出生場所、民族、国籍等が登記記載された居民戸口簿(写真例)が各家庭に発給される。これを俗に「戸口本(hukouben)」(写真)と呼び、戸口登記された固定住所に定住する中国居民を「常住人口」という。この常住人口登記が社会主義中国の根本をなしてきたもので、現在でも戸口本にもとづいて人口計画が実施され、居民身分証やパスポートが発給されている。つまり戸口本こそが中国国籍を持つ中国公民の法的根拠なのである。

戸口登記は国籍証明や計画経済の基本単位という意味だけでなく、国民個人の定住場所の管理という意味もある。たとえば同条例では、三日間以上常住登記住所を離れて外泊する場合は、行先の現地所轄公安局に「暫住(臨時)登記」することが義務付けられている。ホテルに投宿する場合は、ホテルのフロントで宿泊登記することで足りる。さらに三か月以上、常住登記住所を離れて暮らす場合は、実態に合わせて暫住登記の延長もしくは常住戸口の移転登記が義務付けられており、これに正当な理由が認められない場合は、元の住所に戻らねばならない。もしここで、戸口登記管理機関である公安局が管轄区域内に不審滞在者を発見したときは身柄を拘束し、司法機関に提訴し、「不法滞在」の刑事責任を追及することができるものとされている。したがって、外国人といえ、正当な理由なくこれらの常住登記(外国人登録)やホテル宿泊登記手続きを無視したり、ホテル服務員(公安局職員)の指示を無視して勝手な行動をとることは、みずからの危険を招く行為となるので注意が必要である。

また、中国社会は歴史・伝統的に都市(城里)と農業(城外、外地)が明確に切り離されており、現在でも社会保険や治安維持等の面から、農業戸口から都市戸口への移転は事実上、非常に困難である。1990年代に国有企業改革が進んだ結果、かえって企業単位の管理から現住住所を軸とした居民生活全般、治安、福祉、社会保険等にかかわる分野の管理、あるいは国籍管理、計画出産や徴兵管理の重要性が増し、この戸口制度管理が中国社会制度の基盤をなす重要なシステムとして見直されている。

かねてから国務院批准級の工業団地では特例として臨時戸口登記制度(「藍色戸口登記制度」等)を設け、外部から人材を受け入れやすくしているところも少なくない。たとえば外資企業の設立が相次ぐ江蘇省では、地方から出稼ぎの労働力を確保する目的で、2003年5月から戸口移転登記制限を緩やかにする新しい戸口登記管理制度の導入試行を始めた。また北京市、上海市では、優秀な専門技術人材を新市民として市外あるいは海外から招聘するグリーン・カード(工作居住証)制の導入も試みられている。

居民身分証

戸口本が家族全員の本籍に相当するとすれば、居民身分証は成人した中国公民各個人に発行される身分証明書である。
居民身分証制度は1985年6月施行の「居民身分証条例」、86年11月施行の同法実施細則を基本法としてきたが、2003年6月に新「居民身分証法」が制定され、2004年1月1日から施行され、旧条例はすでに廃止された。偽造防止のために非接触式ICカード技術を駆使した新しい「第二世代身分証」も開発されており、すでに上海、深セン、浙江省湖州の三都市での試行がスタートしている(2005~8年にかけて全国実施)。
身分証制度は、常住戸口を持つすべての中国公民個人に対して1対1で対応する終身不変の18ケタの公民身分番号が割り当てられ、都市・農村を問わず、軍人等を除くすべての中国公民(現在9億人と言われる)は自分の常住戸口住所を所轄する公安局から居民身分証(写真例)の発給を受けなければならないというものである。

1984年までは、中国公民は国内出張の際、空港やホテルで単位工作証と紹介状(公務出張許可証)を提示し自己の身分を明らかにしていたのが、85年以降はすべて居民身分証に切り替えられた。この背景には、国有企業改革に伴い、私企業や自営業が多数発展し、「民工潮」と呼ばれる農民の出稼ぎによる人口の流動化が益々増え、失業者も増加した結果、結局、集団・企業単位だけでは全国民を管理しきれなくなったという社会的な背景がある。 同条例は中国公民に身分証を常時携帯することを義務付けており、役所の諸手続きにおいて身分証提示が必要なほか、日常生活でも就職面接、航空券など切符購入、ホテル宿泊、銀行口座開設、送金など様々な場面で呈示が必要である。また、犯罪や事故現場等での公安局の身分証検査にも随時応じなければならない。
中国の刑事訴訟法では、訴訟の時点で公安局は身分証を没収することができるものとされている。居民身分証を持たない外国人の場合はパスポートを簡単に差し押さえられてしまう。法人の場合は営業許可証を没収され、銀行口座を凍結されることになる。ただし、商取引や雇用関係など、私的取引上の理由で居民身分証を差し押さえる行為は違法行為であり、処罰の対象となる。たとえば中国系、韓国・台湾系の企業では従業員の身分証を会社が身元担保として預かる習慣が一部にあるが、これは違法行為である。
ちなみに、戸口本の再発行が厳しいのに対して身分証の再発行は比較的容易であり、同時に市中にかなり多くの偽造品が出回っているようである。都市の広場や大規模書店前では、大学卒業証書や身分証など証明書類偽造の請負業者がたむろして「客引き」している風景がよく見られる。

その他
上記の2制度が軍人と公民権を剥奪された服役中等の者を除く全国民に該当する中国の基本的な国民制度であるが、このほかにも多くの身分証明書が存在する。

契約調印前の確認事項

(1) パスポート(護照)
(2) 離休・退休幹部証(いろいろな福利厚生優遇が受けられる)
(3) 労働手帳(工作証)
(4) 運転免許証(駕使証)
(5) 母子手帳(生育証)、結婚証(男女同泊時等に必要)など

業務上、特に注意を要するのは労働手帳である。国有企業等中国の職場では職員の労働手帳を会社で預かる仕組となっており、逆に失業中の者は労働手帳を持参して失業保険を受け取る仕組になっている。したがって面接の際に労働手帳の呈示を求めれば、他の中国企業等に勤務していないかどうか(失業中かどうか)を確認する手段にもなる。
外資系企業のなかには労働手帳の存在すら知らない企業もあるので、実際には外資系企業に勤務しながら失業手当を不正受給する目的で、労働手帳を外資企業に故意に預けないケースもあるので注意が必要である。前の職場で離職手続き中のために労働手帳が確認できない場合は、前の職場に依頼して離職証明を発行してもらうこともできる。』

ベトナムが中国式戸籍制度を廃止 民主主義への歩み寄りか(2017年11月8日)

『2017年11月8日 16時30分 大紀元

ベトナムでも都市部と農村の格差が大きな問題となっている。写真は水田を耕すベトナムの農民(Photo credit should read HOANG DINH NAM/AFP/Getty Images)
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 ベトナム政府はこのほど、中国に倣って(ならって)40数年前から導入した戸籍制度の撤廃を発表した。同国政府は近年選挙改革を行うなど、民主主義に歩み寄る動きを見せている。

 ベトナムは中国と同じく共産党一党独裁体制をとっている。同国が1975年から導入した戸籍制度、国民を階層化し、束縛抑圧するものであるとして従来から不評だった。2013年、ベトナム政府は戸籍改革を宣言し、今回の撤廃に至った。

関連報道:国民が自国の中で「不法移民」となる中国のいびつな戸籍制度

 さらに同国は2006年から国民直接投票で国会議員を選ぶ選挙制度を導入し、メディア統制を緩和させるなど、民主主義に歩み寄る動きを見せている。

 英BBC中国語ニュースサイトは「ベトナム政府が開催されるAPECの直前、戸籍制度を撤廃したのは、民主主義に同調する意思を表明しているのかもしれない」と評した。

 中国の戸籍制度は全国民を農業戸籍(農村部住民)、非農業戸籍(都市部住民)に分類。教育、医療、社会保障、所得など各方面の処遇に顕著な格差がある。

 改革開放が始まる80年代まで、農村戸籍の人の都市部への移住・就学・就業などが禁止されていた。改革開放になってから、規制が緩和されて、農民は都市へ大挙して出稼ぎしているが、医療や就学などの格差は是正されていない。

 教育に関して、農村の教育体制は都市部より大幅に遅れている▽大学進学では北京や上海など大都市の受験生の合格最低点は地方都市・農村戸籍より大幅に低い▽農村戸籍は都市部の偏差値の低い小中高にしか受け入れてもらえず、かつ学費は都市戸籍より高いーーなど。社会保障に関して、農村戸籍は国の健康保険の対象外▽10年前までに年金が支給されない、など理不尽な待遇を強いられている。

あわせて読みたい:【制度の弊害】戸籍がないと救助も受けられない=チベット族被災者の叫び
 中国全人代のある幹部はネット上の市民懇談会で、都市と農村戸籍の格差は実に60項目以上だと認めた。農民は都市住民よりランク下の「二等公民」とやゆされている。無論、農民の不満は積もっており、差別的制度だという批判の声は根強い。

 こうした中、2014年半ば、中国政府は農業戸籍と非農業戸籍を廃止し、一律住民戸籍に統一すると宣言したが、専門家は「名称変更するだけは容易いが、各方面で農民が都市部住民と平等の国民待遇を受けるには、具体的な政策変更や財政予算が必要」と注文を付けた

(翻訳編集・叶清)』

ベトナム、自律成長へ岐路 通商・安保で米中と距離探る ベトナムの針路 長期政権の壁(上)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM1545Y0V10C21A1000000/

『共産党支配下で高い経済成長を続けるベトナムで5日、国家主席らの人事が決まり、週内にも新内閣が発足する。最高指導者の党書記長として初の3期目(1期5年)に入ったグエン・フー・チョン氏(76)は通商、安全保障面で米中両国との最適な距離を模索する。自律的な外交と成長の持続へベトナムは岐路に立つ。

「両国民の利益につながるような伝統的な友好関係を促進したい」。3期目の続投が決まった直後の2月8日、チョン氏…

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3期目の続投が決まった直後の2月8日、チョン氏は中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席と電話協議を行った。過去に戦火を交え、南シナ海での領有権問題を抱える隣国に「両国民」という表現で一方的な海上行動などを慎むよう暗に迫った。

国内向けには、汚職の撲滅を一段と進める姿勢を示す。健康不安説が消えないなか、3月18日の党内会議で「あらゆるレベルの党組織で、腐敗との闘いを強化し続ける必要がある」と引き締めを図った。

米戦略国際問題研究所(CSIS)によると、ベトナムと中国が領有権を争う南沙諸島の西側にある「バンガード堆」付近では中国公船の活動が活発化している。2020年11月までの1年間で計142日間の航行を記録した。ベトナムのガス田開発を妨害した可能性もあり、偶発的な衝突リスクは消えない。

中国は東南アジア諸国連合(ASEAN)にもくさびを打ち込む。巨額の開発援助などでベトナムの隣国カンボジアとラオスを取り込み、新型コロナワクチンの供与で米中間での中立維持を探るインドネシアやフィリピンにも秋波を送る。ベトナムは4種類の国産ワクチンの開発を急ぎながら「なんとか中国に頼らないように奮闘している」(外交筋)。

対中けん制と経済発展の両面で、チョン氏が腐心するのが良好な対米関係の維持だ。2015年7月、チョン氏はベトナム共産党の書記長として1975年のベトナム戦争終結後で初めて米国を公式訪問した。当時のオバマ大統領と共にチョン氏を歓迎したのが副大統領だったバイデン現大統領だった。

ベトナム政府は今年2月、チョン氏が「2国間関係を引き続き発展させていきたい」とのバイデン氏からの祝電を受け取ったと公表した。

目下の懸案は通商摩擦の解消だ。米国からみた20年のモノの貿易赤字額はベトナムが697億ドル(約7兆6000億円)で、中国、メキシコに次ぐ世界3位。米国はベトナムを「為替操作国」に認定し、対米貿易黒字の削減圧力をかける。

米通商代表部(USTR)はトランプ前米政権時代の1月15日、ベトナムの通貨切り下げが不合理で、米国の商取引が制限されていると断定した。制裁関税の発動は見送ったが、ライトハイザー前代表は「両国が懸念に対処する方策を見いだせるよう期待する」と述べた。
対米輸出の主力は新型コロナウイルス対策の在宅勤務で需要が増えたパソコンや電子部品だ。一部の多国籍企業が米中貿易戦争を避けるため生産拠点を中国から移した。ベトナム統計総局によると、1~3月の対米輸出は前年同月比3割以上増えている。対応を誤って、米国の制裁関税発動を許せば好調な経済を損ないかねない。

安保面での圧力を高める中国に対峙するには米国の後ろ盾が欠かせない。だが、通商や人権でベトナムをみる米国の目は厳しさを増す。二大強国の狭間でベトナムが進む道は狭く険しい。

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ベトナム新国家主席に首相のフック氏 国会で選出

ベトナム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0

『概要

中国南東岸に住む諸族である百越のうち駱越が南下して、漢・唐の時代には中国の支配を受けたが、10世紀に独立[3]。丁朝、李朝、陳朝、黎朝、阮朝などの王朝支配を経て、19世紀後半にフランス植民地に編入された[3]。第二次世界大戦中の日本軍の進駐と戦後の第一次インドシナ戦争を経てフランス植民地体制が崩壊し、国土は共産主義陣営のベトナム民主共和国(北ベトナム)と資本主義陣営のベトナム共和国(南ベトナム)に分裂。ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)を経て南ベトナムの政権が崩壊し、1976年に統一国家としてベトナム社会主義共和国が成立した[4]。

政治体制はベトナム共産党による一党独裁体制である[5][6]。エコノミスト誌傘下の研究所エコノミスト・インテリジェンス・ユニットによる民主主義指数は、世界136位と後順位で「独裁政治体制」に分類されている(2019年度)[7]。また国境なき記者団による世界報道自由度ランキングも下から6番目の175位と後順位であり、最も深刻な状況にある国の一つに分類されている(2020年度)[8]。

人権状況についてヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府が言論、結社、報道、信仰など人民のあらゆる基本的自由を制限しており、刑事司法は政府からの独立性に欠け、警察は自白を引き出すために拷問を多用するという人権侵害が極めて深刻な国であることを報告している[9]。

経済面では、1978年のカンボジア侵攻後の国際的孤立の中で国際収支が悪化して経済危機に陥り、干ばつや洪水などの自然災害による食糧不足などが重なって大量の難民を出す事態に陥った[3]。その対策として1986年にドイモイを打ち出し、経済の自由化を進めた。外国資本の導入で製造業は活況を呈し、南シナ海で石油の開発が進んで原油が重要な輸出品になっている[4]。他方でドイモイの進展で貧富の格差は拡大している[3]。通貨はドン[3]。

外交面ではベトナム戦争以来親ソビエト連邦外交を基調としたため、ソ連と対立する中華人民共和国と関係が悪化。1977年に国連に加盟するも、1978年に親中反ソ派のポル・ポト政権下のカンボジアに侵攻したため、1979年に中国のベトナム侵攻を招き[10]、国際的に孤立した[4]。ソ連崩壊後の1991年に中越戦争で交戦した中華人民共和国と、1995年にはベトナム戦争で交戦したアメリカ合衆国と国交を回復し、ASEANにも加盟した[3]。近年は南沙諸島など南シナ海への実効支配を強める中国との対立が深まっており[11]、2010年代以降はアメリカ軍やASEANと合同軍事演習を行うなど中国けん制の姿勢を強めている[12][13]。

軍事面では18歳から25歳の男性を対象に兵役期間2年の徴兵制を敷いており[14]、ベトナム人民軍は50万弱の兵力を有する[15]。軍事力は軍事ウェブサイトの グローバル・ファイアパワー (GFP) が発表する「2020 Military Strength Ranking」によれば世界22位で、東南アジアでは第2位である[16]。

人口は9762万人(2020年ベトナム統計総局)。住民はキン族(ベトナム人)が約86%を占め、他にミャオ族、チャム族など53の少数民族が存在し、中国人も暮らしている[3][17]。

宗教は仏教徒が多いが、カオダイ教やホアハオ教、フランス植民地時代からのカトリックも存在する[3]。憲法上は信教の自由を認めているが、実際には政府による強力な規制・監督が敷かれており、アメリカから信教の自由の改善を要請されている[18]。

公用語はベトナム語で住民の大半が使用しているが、一部に少数民族の言語も存在する[3]。表記方法としては古くは漢字が用いられ、13世紀からはチュノムという漢字を基に作られた独自の民族文字が使用されるようになったが、フランス統治時代以降はチュ・クオック・グーと呼ばれるローマ字表記が用いられており、現在は漢字とチュノムは廃れている[19]。

地理としてはインドシナ半島の東半部、トンキン湾、南シナ海に沿うS字形の南北に細長い国土である。北部はソンコイ川の形成する 紅河デルタとそれを囲む山岳地帯から成り、中部はアンナン山脈が急崖をなして南シナ海岸に迫る狭い地域であり、最狭部では東西の幅が約50kmである。南部は主としてメコン川のメコンデルタからなる。首都はハノイ[3]。 』

『国民

正装として着用される民族衣装、アオザイ。

ベトナム社会主義共和国憲法第5条に「ベトナム社会主義共和国はベトナムの地に共に生活する各民族の統一国家である」と、多民族国家であることを規定している。ベトナム政府が公認しているだけでも54の民族がいる。ベトナム国民は、身分証明書を一定年齢以上に達すると発給され、身分証明証には民族籍を記入する欄が設けられている[98]。
人口

1988年から2人っ子政策をとってきたが、2017年に廃止した[99]。

民族構成

詳細は「ベトナムの民族一覧」を参照

公式に認められている民族が54あり、そのうちキン族(ベトナム族)が最も多く、全人口の85%から90%を占める。キン族の言語であるベトナム語はムオン族・セダン族などと同じオーストロアジア語族(モン・クメール語派)語族に属する。ムオン族はホアンビン省、タインホア省の山間部に住み、ベトナム語のゲアン方言などとの近似性が指摘されている。[100]

その他に少数民族としてホア族(華人)、タイ系のタイー族・ターイ族・ヌン族、クメール族、ムオン族、モン族(ミャオ族)、ザオ族などがある。少数民族のうち、ホア族とクメール族以外の大半は山地に住む。

言語

言語はベトナム語(越南語)が公用語である。その他にも華語(主に広東語、?南語、北京語)、クメール語なども使われており、フランス領インドシナ時代の影響から、少数のエリート層や高齢者の間ではフランス語が理解できる人もいる。また、ソビエト連邦など共産主義国とのつながりがあったため、ロシア語を理解できる人もいる。ただし、最近の若年者の教育は英語教育が一般的になり、町の看板などを見渡してもベトナム語以外では、欧米人観光客向け(観光客相手に生活していく上でも、英語ができないと生活が成り立たないため)に英語が目立つのが、現在の状況である。

人名

詳細は「ベトナムの人名」を参照

主要民族であるキン族を中心に、人名の多くは、漢字文化圏に属しており、人名も漢字一字(まれに二字)の漢姓と、一字か二字(まれに三字)の名からなる構造は中国と共通している。婚姻の際には基本的に夫婦別姓となる。しかし各字の機能は漢名とは異なっており、名のうち一字目は「間の名」(ten ??m、ミドルネーム)と呼ばれ、末字の名と一体化しておらず、また中国の輩行字、朝鮮の行列字のような世代の区別に使われることもない。目上や目下に対しても、呼びかけに使われるのは末字の名のみであり、間の名は含まれず、また姓を呼びかけに使うことはほとんどない。

名付けに使われる語は必ずしも漢字由来のものに限らず、庶民の間では固有語による名付けがかなり存在している。また少数民族の名前には、上記の説明にあてはまらない固有のシステムを持つものがある。

なお、40年以上にわたって用いられていた戸籍制度(中国式戸籍制度)について、ベトナム政府は2017年に撤廃を発表している[101]。

文字

詳細については、各項目を参照のこと。

チュ・クオック・グー(??國語)
声調をもつベトナム語を表記するために発明された声調入りアルファベット(ラテン文字)であり、現在唯一の公用文字。17世紀にフランス人のイエズス会宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが、カトリック教会布教の為に発明した文字。19世紀末以降のフランス植民地時代に普及し、1945年の独立時に正式に公用文字となった。現在、ベトナム語はもっぱら、この文字により表記される。

チュハン(??漢)
ベトナムにおける漢字。上記のチュ・クオック・グーが公用文字となるまで、ベトナム語を表記する公用文字はなく、書き言葉としてはもっぱら漢文(古中国語)が用いられた。チュ・クオック・グーの普及により使用頻度が減少したが、ベトナム語の中には漢字語の影響が強く残っている。北ベトナムでは1950年の暫定教育改革により漢文教育を廃止し、1954年には漢字の公的な使用を全廃、南ベトナムでは1975年の崩壊まで中等教育での漢文科が存続していた。2014年現在では、僧侶か日本語や中国語の学習者しか読めなくなっている。

チュノム(??喃)
ベトナム語を表記するために13世紀に発明された合成漢字。固有語の表記に用いられ、漢字と混ぜ書きされた。

漢字の音と意味による形成
訓読み
当て字

など、複数の造字法があり複雑で、一時期を除いて公用文字に採用されることはなかったが、民族意識の高まりを背景に民間では有識者層を中心に普及し、18世紀から19世紀には多くのチュノム文学が生まれた。20世紀になると、漢字の画数が複雑過ぎる事で、初等教育に支障を来す事や、チュ・クオック・グーの普及により、急速に衰退の道を辿った。

宗教
「ベトナムの仏教」、「ベトナムのカトリック」、「ベトナムのイスラム教」、および「ベトナムのヒンドゥー教(英語版)」も参照
ハノイの仏教寺院、一柱寺(正式名称は延祐寺、もしくは蓮花臺)。
カトリック教会のサイゴン大教会。

宗教は仏教(大乗仏教)が大半を占めている。その他にも道教、カトリック教会がある。中部(旧チャンパ王国の領域)ではイスラム教やヒンドゥー教、南部にはホアハオ教や、混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っている。公的に認められた宗教は、仏教、カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教、ホアハオ教の六つである。このうち後ろの二つは、ベトナム独自の宗教である[102]。

カトリック教会は、バチカン市国と国交を樹立しておらず、プロテスタントに関しては、アメリカ合衆国の宣教団体からの布教が強かった経緯もあり、旧南ベトナム地域および、ベトナム戦争中に南側についたバフナル族、ジャライ族、エデ族、コホ族などの山岳民族の間での信仰が中心である。

それぞれの公認教団の信徒数は、2008年の資料で仏教1,000万人、カトリック550万人、カオダイ教240万人、ホアハオ教160万人、プロテスタント100万人、イスラム教6万5千人となっている[103]。

憲法では、信教の自由を人民に保障しているが、同時に信仰に制限があることも法律に明記している。過去には2001年、2004年に、ベトナム政府に土地を奪われた山岳民族による暴動が元で、プロテスタントの弾圧が起きた。また、政府非公認教団である「統一ベトナム仏教教会」が弾圧に抗議して1992年に騒擾事件を起こす事件も発生している。2014年現在でも、非公認プロテスタント教団の活動は第三級行政区レベル(坊、社、市鎮)に留められており、より上位の行政区では活動ができないなどの各種制限が存在する[103]。

また、ベトナム

共産党員はホー・チ・ミン元国家主席のみを信仰する傾向がある。無論ホー・チ・ミン信仰は「宗教ではない」が、それに匹敵する影響力を有する(ホー・チ・ミン自身は、自らが個人崇拝の対象になることを、徹底的に嫌っていた程であった)。

LGBTの権利
詳細は「ベトナムにおけるLGBTの権利」を参照

主に南部では、タイやカンボジアと同様に、トランスジェンダー文化の伝統があるが、主に儒教の影響から同性結婚は長らく認められず、2002年に国営メディアでは同性愛を売春や賭博、違法薬物などと並ぶ「社会悪」であるとの認識を表明し、同性愛の規制や同性愛カップルの逮捕を行える法整備を確約した[104]。しかし世論の高まりとともに、2009年に初の女性への性別変更と改名が認められる判例が生まれた。2013年には同性婚の禁止と罰金制度が法律から削除され[105]、また同性カップルの同居に対して、正式な結婚には劣るが、ある程度の権利が認められた。しかし後にこの権利条項は削除されている[106][107]。2014年10月時点、同性婚は禁止こそされてはいないが、法的な権利が認められているわけでもない。

教育

詳細は「ベトナムの教育」を参照

成人識字率は、95%(2018年、米CIAによる)[108]。学校で勉強する必修の第一外国語は英語が一番一般的である。英語以外にはロシア語、フランス語、中国語、日本語、韓国語、ドイツ語がある[109]。

初等教育
6歳から始まり、小学校5年間、義務教育、学費は原則無料。

中等教育
基礎中学校(前期中等教育、日本での中学校に相当)4年間、普通中学校(後期中等

教育、日本での高等学校に相当)3年間。
5-4-3制で、この期間を普通教育と呼ぶ。

高等教育

ベトナムの大学には国家大学(首相直轄校)、国立大学(地方総合大学、専門大学:教育訓練省、厚生省、文科情報省、人民委員会等の所轄)、民立大学がある。

3年制の短期大学と4-6年制の大学がある。

教育行政

教育行政は、中央に教育訓練省、地方の省レベル[注 12]に教育訓練局、県レベルに教育課がある。学校段階別の管轄関係は基本的には次のようになっている。高等教育は教育訓練省、普通中学は教育訓練局、基礎中学・小学校・幼稚園・保育園は教育課。これら教育行政機関の職員は「教育管理幹部」と呼ばれ、教育経験者。教員の資格要件は、幼児教育と初等教育で中等師範学校卒、前期中等は師範短期大学卒、後期中等教育は大学卒となっている[110]。』

韓国LGがスマホ撤退発表 技術流出懸念で売却を断念

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM050YV0V00C21A4000000/

『【ソウル=細川幸太郎】韓国LG電子は5日、スマートフォン事業から撤退すると発表した。外部への技術流出を懸念して売却を断念した。約3700人いるスマホ部門の人材は業績好調の家電やテレビ部門に転籍し技術を生かす。かつて日本の電機を追い込んだ韓国勢も中国企業の追い上げを受け、撤退戦を強いられ始めている。

【関連記事】

LG、CEOがスマホ撤退示唆か 「あらゆる可能性検討」
LG電子は北米や中南米、韓国中心に世界でスマホを販売。2020年12月期の販売台数は約2500万台で、売上高は5兆2171億ウォン(約5100億円)、営業損益は8412億ウォンの赤字だった。赤字は15年から6期連続で、この期間の累積赤字は5000億円規模に膨らんでいた。

7月末をメドに自社スマホの販売を終了する。LG電子は「スマホの競争激化で事業不振が続いており、主力事業に集中する」と撤退の理由を説明した。権峰?(クォン・ボンソク)最高経営責任者(CEO)は1月に「あらゆる可能性を綿密に検討している」と事業撤退の可能性について言及していた。

これまで国内生産の撤退や外部委託の活用などでコスト削減を進めたが、黒字化の道筋が見えなかった。事業を売却すれば自社のスマホ関連の特許が外部企業に渡ってしまうという懸念もあり、事業停止を決めた。スマホ部門の人員は家電やテレビなど他事業部への異動を進めるほか、業績が急拡大している車載電池を手掛けるLG化学でも受け入れるという。

LGのスマホ事業の売上高ピークは14年。当時は韓国サムスン電子や米アップルに次ぐシェアを確保していたものの、華為技術(ファーウェイ)や小米(シャオミ)、OPPO(オッポ)など中国勢の躍進に押される形で後退を続けていた。

中価格帯のスマホ市場で劣勢だったLG電子は1月の米家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)」でディスプレー画面を巻物のように伸縮可能な新型スマホを発表し、高価格帯にシフトする姿勢を示したばかりだった。

スマホ市場は上位5社のシェアが15年の55%から20年には70%となり、上位寡占が進む。技術革新の伸びしろが小さくなる汎用品(コモディティー)化が進むことで、シャープやソニーなど日本勢も含めて下位ブランドのシェア低下が続いている。

多様な観点からニュースを考える
※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

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鈴木一人
東京大学 公共政策大学院 教授
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分析・考察 スマホはアプリで製品が差異化されるデバイスになってしまったことで、付加価値を出すよりも価格競争が厳しくなった製品。サムソンのようなブランド力がないと、格安スマホと勝負するのはかなり難しくなる。LGは新しい技術を導入して差別化を図ったが、逆にそれが使いにくさにつながってしまったのではないだろうか。日本の携帯メーカーも技術に走ってガラパゴス化したが、韓国勢も同じ轍を踏んでいるような気がしてならない。製品のライフサイクルを考えると、こうなる運命なんだろうな…。

2021年4月5日 13:55いいね
21

石川温のアバター
石川温
スマホジャーナリスト
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ひとこと解説 LGは、電池やディスプレイなど部材を独自に持っている中で、本来ならスマートフォンで他社と差別化できるはずだったが「ブランド」をうまく作れなかった点が敗因だったように思う。サムスン電子は「Galaxy」ブランドを作り、世界で売り、販売台数1位を誇る(もちろん、LGとサムスン電子と比べると販売力など企業の体力にはかなりの違いがある)。LGも数年前からブランドを立て直そうと動き出していたようだが、結局、名案が浮かばず、撤退に追い込まれてしまったようだ。

2021年4月5日 11:22いいね
71

村山恵一のアバター
村山恵一
日本経済新聞社 本社コメンテーター
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別の視点 搭載するバッテリーなどキーコンポーネント進化の壁もあり、なかなか目新しさを打ち出せなくなったスマホ。一方で今年以降、テック大手などがAR(拡張現実)メガネを市場に投入すると注目されています。今後、スマホ事業とどう向き合っていくか。LG以外にも思案しているプレーヤーがいるのではないでしょうか。

2021年4月5日 12:24いいね
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梶原誠
日本経済新聞社 本社コメンテーター
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ひとこと解説 スマホというより、補助金など政府の力を背景とする中国勢と正面から競争することの厳しさを象徴するニュースです。家電で中国、韓国と競争を続けるパナソニックと、イメージセンサーなど独自市場の開拓に賭けたソニーの明暗もこうして分かれました。サムスンに対するLGのライバル心は激しく、LG幹部が展示会でサムスンの洗濯機を壊したとされる一件も話題になりました。でもそろそろ、違う道で勝負するときが来たと思います。

2021年4月5日 11:26いいね
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スズキの軽、電動化は「つなぎ」簡易HV EVは道半ば

https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ19BUS0Z10C21A3000000/

『スズキが急速に押し寄せる脱炭素の荒波に直面している。国内でも政府の方針を受けて、主力の軽自動車を2035年までに全て電動化することを迫られる。軽については簡易型のハイブリッド車(HV)を全車種に設定して当面を乗り切る考え。一方で、世界で勝ち残るには本格HVや電気自動車(EV)への対応が必須だ。機能の簡素化や低価格を強みとしてきたスズキの実力が試される。

「地球温暖化の問題は差し迫った危機。スズキとしても…

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スズキとしても脱炭素に向け協力していかなければならない。挑戦しよう」。2月に退任を発表したスズキの鈴木修会長は昨年末から社内でこう訴えてきた。菅義偉政権は20年12月下旬、35年までに全ての新車販売をHVやEVなどの電動車とする方針を発表。対象には軽も含まれる。2月24日の退任会見で鈴木会長は「若手のチーム力を利用して一気に30年や50年につなげる努力をしてもらいたい」と語った。

簡易型ハイブリッドを搭載するスズキの「スペーシア」
この一環としてスズキは今後、軽の全車種で「マイルドハイブリッド」と呼ばれる簡易型HVを用意する方針だ。低速時などにモーターがエンジンの駆動を補助することで燃費性能を高める。既に販売する軽の約5割に搭載しているが、残り半分にも搭載していく。

トヨタ自動車などが導入している「ストロングハイブリッド」と呼ばれるような本格HVほどの燃費改善効果はないものの、ガソリン車よりも10万円程度の価格の高さと比較的安価で導入できる。「EVなど本格的な電動車までのつなぎとしては現実解」(スズキ幹部)というわけだ。

スズキの主力商品である軽や小型車は電動化のハードルが高いとされる。EVなどに必要な電池やモーターは価格が高く、スペースも必要になる。特に軽の最大の強みである安さや車内空間が失われかねない。地方を中心に、電動化による値上げが消費者離れを招く可能性がある。

消費者がいかに価格に敏感かをスズキは知り抜いている。20年12月にフルモデルチェンジした人気の小型車「ソリオ」。16年に独自開発のストロングHVを初めて設定した車種だが、今回は外した。価格が簡易型HVよりも2割ほど高く、販売が伸びなかったためだ。

政府も簡易型HVを電動車に含めることを決定済みだ。スズキは現時点で軽の電動車を販売していない首位のダイハツ工業やホンダと比べると、一足先にハードルをクリアするかのようにもみえる。それでも、ある幹部は「いずれは来ると思っていた脱炭素の波が一気にやってきて難破しそうだ」と苦境を訴える。

世界の自動車市場ではこの1年で脱炭素の動きが加速した。新型コロナウイルス禍からの経済復興をめざす各国の補助金もEVシフトに拍車をかけた。国内販売で電動化をクリアできたとしても、スズキの世界販売の約2割にすぎない。現状では環境規制が世界でも進む欧州市場では、資本・業務提携しているトヨタから環境性能に優れるプラグインハイブリッド車(PHV)の供給を受けている。

ただ、トヨタに頼りすぎると自社の技術を磨く機会が失われるリスクもはらむ。ある幹部は国内の「ソリオ」ではあえて外した本格HVの技術についても「手放すことはあり得ない。性能を上げつつ、コストを抑える努力を続けるしかない」と語る。鈴木俊宏社長も「あくまで自社開発を進めていきたい」とする。

インドでは「ワゴンR」をベースにした小型EVでの走行試験を続ける
EV対応も道半ばだ。スズキの世界販売の5割を占めるインドでは、トヨタと共同開発したEVを20年に投入する計画で18年秋から走行試験を重ねてきた。ただ「充電インフラやニーズを見るとまだ投入すべき段階ではない」(幹部)と延期。電動化の環境が整っていないがゆえの合理的な判断とも言えるが、厳しい環境規制や他社との競争でEVを磨いている欧州や中国の自動車大手などと差がついてしまうという面もある。

中国ではいま、米ゼネラル・モーターズ(GM)などが出資する上汽通用五菱汽車の50万円程度の小型EV「宏光MINI」が飛ぶように売れている。価格帯はスズキがインドなどで販売するガソリン車と同水準。今後はこうしたEVとの競争を迫られるのは確実だ。

スズキは独自の設計技術などを強みに小型・軽量化や燃費性能を高めてきた。電動化でもこうしたお家芸を発揮できるか。今年で創立102年目の同社に大きな課題が突きつけられた。

(為広剛)

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Oneみずほの落とし穴 システム障害、真の教訓は

Oneみずほの落とし穴 システム障害、真の教訓は
本社コメンテーター 上杉素直
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK010VS0R00C21A4000000/

『既視感に襲われた。みずほ銀行が2月末からの2週間で4度のシステム障害を起こした。そのドタバタを見ていて思い出したのは、2002年と11年の大規模なシステム障害よりもむしろ、13年に明るみに出た反社会的勢力への融資にまつわる不祥事だ。
反社会的勢力への融資の存在は当時の経営トップまで報告されていたにもかかわらず、「報告はなかった」と間違った説明をした。世間の視線が一気に厳しくなったきっかけは、そんな…

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世間の視線が一気に厳しくなったきっかけは、そんな事後対応の失敗であり、組織としての危機管理の甘さだった。

今回、2月28日に起きた最初のシステム障害は、一部の定期預金を紙の通帳のないデジタル口座へ移す作業が引き金になった。ふに落ちないのは翌3月1日におわびの記者会見に臨んだ幹部たちがデジタル口座という言葉にまったく触れなかった点だ。

素早く正確で丁寧な情報開示は不祥事対応のイロハのイ。翌日になっても状況をつかめずにいたなら問題だし、知っていて説明しなかったのだとしたらより深刻だ。こんな姿を目にすると、過去の失敗からいったいなにを学んだのかとがっかりする。

親会社のみずほフィナンシャルグループは第三者委員会を設けて原因を探り、金融庁は立ち入り検査で実態を洗い出すそうだ。一連のシステム障害をもたらしたプログラムの欠点や運用の課題は遠からずはっきりするだろう。それはそれで改めるしかない。

だが、今回のドタバタで浮かび上がった一番重要なポイントは、いざトラブルが生じたとき適切に対処できない組織の弱さやガバナンスの不具合にちがいない。発火点はシステム障害だったが、燃え上がらせてしまった原因は顧客をはじめとする関係者への対応のまずさ、感度の鈍さだ。

では、組織の風通しを悪くする問題の根はどこにあるのか。要因はさまざまに絡み合うが、新しいみずほを形づくる土台として16年にスタートしたカンパニー制という陣立てに目を向けたい。顧客のニーズをつかむ商品やサービスをグループ一体となって提供する「One(ワン)みずほ」戦略の要となる仕掛けだ。

カンパニー制のそもそもの理念に反対する人はいないだろう。5つのカンパニーは個人や企業など顧客の属性ごとに分かれ、銀行、証券会社、信託銀行の各組織に横串を通す形で存在する。それぞれのカンパニー長は収益責任を負い、あたかも会社のトップような指揮命令の権限をもつ。

もっとも、新しい試みが良いことばかりもたらす保証はなく、落とし穴がどこかに潜んでいると考えたほうがいい。カンパニー制を強力に進めるほど、副作用だって大きくなる。負の側面が今回の不祥事で垣間見えたのではないかという問いかけだ。

よくよく注意しないとカンパニー制が生み出してしまう負の側面を2つ挙げたい。いずれも「カンケツ」が失われる現象だ。

まずは簡潔。銀行や証券という既存の組織の縦ラインに、カンパニーという横の軸が重なり合う。どれだけ縦と横の役割分担をうたっても、業務をとりまくややこしさや複雑さは明らかだ。

そして完結。かつてに比べて銀行は独立した組織として尊重されなくなった。頭取は銀行にまつわるすべての事柄を決める最終権限があるかといえば、そうでない。その裏返しとして、責任の所在もあいまいになりやすい。

半期に一度の部店長会議は以前は頭取が自分の思いを伝える舞台だった。しかし最近は持ち株会社のカンパニー長たちへと主役の座が移ったらしい。頭取人事よりカンパニー長人事のほうがグループにとって大事になった、と受け止める幹部は少なくない。

やや乱暴なたとえを示そう。安倍前政権は官邸主導を強めるため、省庁の幹部人事を掌握し、波長の合う役人を首相の周りに登用した。結果として政策の実行部隊であり専門家集団である役所の一部にしらけたムードが広がり、士気は下がったといわれる。

同じ構図で持ち株会社を官邸に、銀行を省庁に見立てたらどうだろう。一歩間違えば銀行の現場に近年の霞が関のような空気が忍びこまないか。最近、みずほの人たちと話していると、そんな心配が頭をよぎることがある。

もちろん、だからといってカンパニー制や持ち株会社主導のグループ運営をやめればよいという話にはならない。グローバルに戦っていくには銀行と証券の連動は必須の条件だ。要は、いかにバランスをとりながら、効果的に組織を回していくかという鉄則におのずと行き着くだろう。

どうすればよいか、答えはとっくにわかっている。「都合の悪い話であっても持ち株と銀行、証券の関係者が互いに腹落ちするまで意見を言い合おう」。カンパニー制を始めたころ、当時の経営陣の1人はそう話して回った。

縦に横にと組織を張り巡らせるだけでなく、コミュニケーションも縦横斜めに繰り返す。上意下達に偏らず、現場の息づかいをきちんと共有できなければ組織を的確に動かせるわけがない。みずほに限らず、業容を広げようと陣立てを見直すすべての銀行、あらゆる企業に当てはまる。

今度は見て見ぬふりをせず、組織のカルチャーにまで踏み込んでもらいたい。不祥事から学べるかどうかの分岐点にいる。

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上杉 素直

金融ビジネスや金融政策、税制・財政をはじめとする経済政策、社会保障の現場を取材してきた。2010年からのロンドン駐在では欧州債務危機に揺れる政治や行政、人々の暮らしをのぞいた。編集委員を経て18年から現職。

Oneみずほの落とし穴 システム障害、真の教訓は(11:30)
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Facebook流出データ再拡散 保存・複製に中長期リスク

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC051X50V00C21A4000000/

『米フェイスブックの利用者5億人以上の個人情報がインターネット上で閲覧可能となっていたことが5日までに分かった。同社は2019年に大規模な情報流出を起こしており、これらデータが再拡散したとみられる。新規の情報流出ではないため、専門家の多くは「フェイスブックの法的責任を問うのは難しい」と見る。保存や複製が容易なデータが中長期で悪用されるリスクがあらわになっている。

フェイスブックは「(今回ネット上で閲…

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フェイスブックは「(今回ネット上で閲覧可能になった)当該データは19年に報道された古いものであり、19年8月に既に問題は修復済みだ」と説明している。フェイスブックとしては情報が漏れないよう穴は塞いだとの立場。米連邦取引委員会(FTC)にも個人情報の管理不備で50億㌦(約5400億円)の制裁金を支払った。今回は漏れたあとのデータを同社の関与が及ばないハッカーがネットに上げたとの主張だ。

とはいえデータ再拡散により、メールアドレスなどがサイバー犯罪に悪用されるなど被害が広がる可能性がある。セキュリティー対策に詳しいS&J(東京・港)の三輪信雄社長によると、日本のユーザーと見られるデータは約43万件が流出しているもようだ。利用者のIDや氏名、所属先のほか、一部には住所情報も含まれているという。

一方で今回の問題でフェイスブックの責任を問うのは容易ではない。個人データに詳しい弁護士は「一度漏れてしまったものについて、食い止めるのは現実的に難しい。再拡散を理由に(フェイスブック)の責任を問うのは困難だ」と話す。

15年に発覚した利用者の同意がないまま顔写真などの生体データを利用した問題では、米国で約160万人の利用者を対象とした集団訴訟に発展した。21年2月に、約6億5千万㌦を支払うことで和解が成立した。ユーザー1人あたり345ドルを受け取ることになる計算だ。

ただ今回について海外の個人情報保護ルールに詳しい杉本武重弁護士は「生体データのような重要な個人情報を含んでいないため、同様の高額賠償を伴う集団訴訟になる可能性は低い」とみる。訴えが起こされた場合も、「データ流出によって具体的にいくらの損害が発生したか」という因果関係の証明が難しい。米国はカリフォルニア州などで厳しい個人情報保護ルールはあるものの、連邦法で個人情報保護を包括的に定める法令がなく、データ漏洩そのものの責任を問うハードルが高い。

裁判などで賠償を求める道が険しい以上、利用者はデータ漏洩の被害を最小限に防ぐ自衛を余儀なくされる。

フェイスブックは過去のデータ流出の度に、利用者にパスワードの変更などを呼びかけてきた。万が一、本人が変更しなかったために自分のパソコンなどに侵入され、サイバー犯罪の被害に遭った場合について、大井哲也弁護士は「全てが利用者の自己責任になるわけではなく、フェイスブックの損害賠償責任と利用者の過失が相殺されるのが法律上の考え方だ」と話す。ただ、そもそもフェイスブックの損害賠償責任が裁判所などで認められなければ、利用者は被害にあっても泣き寝入りしなければならないのが実情だ。

一方で当局が動いた場合はフェイスブックが再び責任を問われるとの見方もある。杉本弁護士は「(今回の再拡散で)被害が拡大したとしてFTCの追加調査が始まれば、19年よりも高額の制裁金が命じられる可能性がある」と指摘する。

日本の場合、個人情報保護法で個人情報を扱う事業者に安全管理の義務を定めている。今回の問題でフェイスブックが義務違反に問われる可能性があるが、罰金は軽微だ。日本の被害者が、自分のデータ流出に伴う損害賠償を求めて同社を訴えることもできるが、米国での裁判同様、因果関係の立証が大きな壁となる。「必要な資料を集めるなどの作業を、利用者ひとりひとりの力で行うのは相当難しい」(杉本弁護士)。

今回の問題は、容易に複製可能でいったん流出したら被害が終わらないデータ流出特有の問題を改めて印象づけた。日本プルーフポイントの増田幸美氏は「一度やられると何度でもやられる。 IDやパスワードは使いまわされることが多いため、こういったデータのリークが他の情報窃取事件へとつながることがある」と指摘する。「パスワード管理ツールを使うなどして使い回しを避け、セキュリティを維持しながらネットサービスを使うことが重要だ」と強調している。

(渋谷江里子)

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