アラスカショック、中国で反米デモが起きない理由

アラスカショック、中国で反米デモが起きない理由
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH283KY0Y1A320C2000000/

『米中アラスカ協議での激突後、間髪入れず中東に入った中国の国務委員兼外相、王毅(ワン・イー)とともに注目すべきは、国務委員兼国防相である魏鳳和の東欧・バルカン半島諸国歴訪だ。軍人最高位の上将で中央軍事委員会メンバーでもある魏の旅には対米、対北大西洋条約機構(NATO)で忘れかけていた中国人の激しい感情を呼び覚ます効果もあった。

特に目を引いたのは西バルカンの要衝にある中国の友好国、セルビア訪問だ。「…

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「本日、私は在ユーゴスラビア中国大使館跡地を訪れ(亡くなった中国人らを)弔ってきた。中国人民は永遠にこの歴史を忘れない。中国の軍隊はこのような歴史が繰り返されるのを決して許さない。我々には国家主権、安全、利益を守る能力が完全にある」

26日、ベオグラードで米軍機による中国大使館「誤爆」の犠牲者を弔う中国の魏鳳和国務委員兼国防相(左、中国国防省ホームページから)

魏鳳和は26日に会談したセルビア大統領のブチッチと軍事協力を話し合い、米欧のNATOを強くけん制した。なぜなら、これに先立ち米国務長官のブリンケンがブリュッセルでのNATO外相理事会に出席し、米欧同盟の再強化を訴えていた。その後、米大統領のバイデンもオンライン方式での欧州連合(EU)首脳会議で中国への対処を取り上げていた。

国防相が呼び覚ますベオグラードの記憶

魏鳳和が口にした「この歴史」とは何か。セルビアの首都、ベオグラードは、ユーゴスラビア時代も含めたこの四半世紀、米中覇権争いの最前線だった。1999年5月には、コソボ紛争に絡み米軍を主体とするNATO軍が当時、ユーゴスラビアの首都だったベオグラードを爆撃した。その際、米軍のB-2爆撃機が中国大使館を誤爆し、中国人3人が犠牲になった。中国側は誤爆という米側の説明を受け入れていない。習近平(シー・ジンピン)が国家主席に就いた後も中国メディアは「故意」と主張している。

99年の事件時には、抗議する中国の学生ら数万人が北京の米国大使館前に押し寄せる抗議デモが起き、建物は投げつけられたペットボトル入りペンキの黄、赤、青で染まった。正面の窓ガラスも完全に破壊された。

今回は「アラスカショック」が象徴する米中対立が中国の世論を刺激し、対話アプリ、ミニブログ上では激しい対米批判が見られる。魏鳳和のベオグラードでの犠牲者慰霊も新たな抗議行動を誘発してもおかしくなかった。にもかかわらず、現時点では中国内で目立った街頭での対米抗議デモなどは起きていない。

理由は一考に値する。これを考えるため22年前のデモがどのように組織されたのか振り返ってみたい。99年の事件で、米大使館前での学生デモを仕切った一人である北京大学学生会(約8千人)の主席助理だった程春華は当時、北京で取材していた筆者のインタビューに率直に答えた。

北京郊外のキャンパスから当局の手配したバスで米大使館近くに到着した学生らは、次々に抗議デモに参加した(1999年5月)

「爆撃事件が公になるとすぐ、学内で抗議デモをすべきだとの機運が盛り上がりました。一部はすでに現場に向かっていたんです。私は公安(警察)を含め当局もこれを公認するはずだと直感的に思い、学校を通じてデモを申請しました。予想通りただちに北京市政府の許可が下りて、大使館街に向かうバス5台が手配されました」

北京大学は89年の天安門事件では中心的な役割を担った。それだけに当局は愛国心の発露が無秩序な暴力に走らないように、郊外の大学キャンパスから北京中心部の米大使館前に向かうバスを手配した。共産党のコントロール下の秩序立った大規模な抗議デモは、中国ならではの演出された風景だった。

99年時点の中国には、米国に強い意志を示すとともに国民感情の発散にもつながる手段は、街頭での派手な抗議デモしかなかった。米中の経済力、軍事力には雲泥の格差があった。「中華民族を侮辱するな」という横断幕のスローガンも鬱屈した感情の発露だった。

北京のH&M店舗前で=AP

ネット時代、弱者と強者にも変化

今の中国は全く違う。王毅が中東で発揮した世界トップの石油購買力をテコにしたエネルギー外交、魏鳳和が東欧・バルカン半島諸国の歴訪で担った軍事外交といった対抗手段がある。中国製の新型コロナウイルスワクチン供給も大きな武器だ。

ここに世界の製造大国、消費大国としての手段も加わる。中国に進出する外資系アパレル企業への圧力は一例だ。スウェーデンのへネス・アンド・マウリッツ(H&M)の商品は中国大手ネット通販サイトで検索不能になった。H&Mが過去に新疆ウイグル自治区に工場を持つ中国企業との取引停止を表明したのが影響したとみられる。こうした動きは米ナイキや独アディダスなどにも及んだ。

「中国を汚す行為は許せない」。気になるのは、これらの企業とのCMやスポンサー契約を打ち切った俳優らの声明ににじむ心象風景が、22年前の学生らの抗議デモのスローガン「中華民族を侮辱するな」に少し似ている点だ。電子商取引が全盛の現代中国では、有無を言わせぬいきなりのネット取引停止が、街頭デモやボイコット運動の機能まで代替している。

米中アラスカ協議後も共産党機関紙、人民日報系メディアが、西洋列強に踏みにじられた120年前の歴史を引いた。1901年、8カ国連合が「義和団の乱」を受けて清朝に屈辱的な北京議定書を結ばせる場面と今回の協議を比較する写真を載せたのだ。言わんとしたのは、共産党政権の強国政策で米中両国は対等に怒鳴り合えるまでになったという宣伝である。しかし、これも一歩間違えると実際の抗議行動に結びつく危険性もあった。

「いつかは世界一になるんだ」。20世紀末、北京の米大使館前を闊歩(かっぽ)するデモの雑踏では、そんな学生の叫びも聞こえた。夢のまた夢に思えた「世界一に」は今、手が届きそうなところに降りてきた。バイデンさえ「中国は世界で最も裕福で最強の国になる目標を掲げている。批判はしないが、私が監視している限りそうはならない」と正面から中国をけん制している。

逆にみれば、米大統領まで中国の実力をある程度、認めるほどなのだから、あえて暴力性を帯びたデモに訴える必要性は薄くなっている。街頭デモはそもそも弱者が強者に対して仕掛ける最後の手段でもある。コロナ禍を抑え込んでプラス成長に戻した自信もあって、官民ともほんの少しだけ心に余裕がある。そんな見方もできる。

あらゆる隙を突く包囲網突破戦

それでも一瞬先は闇だ。批判勢力は明らかに増えている。特に少数民族ウイグル族の問題でEUからの制裁圧力が加わったのは痛い。

魏鳳和の東欧・バルカン半島諸国歴訪に先立ち、習近平は布石を打っていた。2月9日、オンライン形式で開かれた中国と中東欧17カ国による首脳会議「17+1」では驚きがあった。テレビ画面に登場したのは習近平。前回までの出席者は長い間、首相の李克強(リー・クォーチャン)だった。今回はいきなりの「格上げ」で東欧・バルカン半島諸国との関係強化を打ち出した。米バイデン政権が対中包囲網を築こうと動き出したのを察知した先回りでもあった。

EU首脳らとテレビ 会議で話す中国の習近平国家主席(2020年12月30日)=新華社AP

「17+1」は中国がEU経済圏の東側外郭に築いた新たな「万里の長城」である。対米持久戦に欠かせない砦(とりで)なのだ。ただ習の肝煎りでせっかく格上げした会議なのに、取りこぼしもあった。一部国家が首脳級の参加を見送ったのである。バルト諸国などは潜在的な脅威であるロシアと中国の軍事面の急接近を懸念している。

 27日、テヘランで会談したイランのロウハニ大統領(右)と中国の王毅国務委員兼外相(イラン大統領府提供)=ゲッティ共同

中国は米国の存在感が低下した空白を埋めるように中東への影響力も強めている。王毅がイラン側と経済や安全保障を巡る25年間の協定を結んだのが典型だ。アラブ首長国連邦(UAE)では中国製ワクチンの大量生産で合意した。

一方の魏鳳和はセルビアに先立ちハンガリーを訪問。ギリシャ、北マケドニア(旧マケドニア)も回る。中国企業が運営するギリシャ・ピレウス港は、中国が主導する広域経済圏構想「一帯一路」の要となる港湾だ。そして北マケドニアはNATO加盟国になったばかり。NATOに手を突っ込むかような軍事外交である。あらゆる隙を突く包囲網突破戦は組織的だ。

バイデンから「民主主義のかけらさえない」と評された習近平が今後、どう出るのか。そして簡単に抗議デモに走ることがなくなった中国の自信は本物なのか。民主主義陣営と権威主義諸国の対立はますます激しさを増している。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

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