バイデン大統領が最も恐れる“内なる敵”ジョー・マンチン

バイデン大統領が最も恐れる“内なる敵”ジョー・マンチン
斎藤 彰 (ジャーナリスト、元読売新聞アメリカ総局長)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/22575

『50対50の「1議員」として一躍脚光を浴び始めた
 しかし、昨年大統領選と同時に行われた上院選の結果、民主党が4議席増やし共和党と同数の50人となり、法案審議で両党同数の場合でも、ハリス副大統領が1票を投じることで過半数可決のめどは立ったものの、逆に議員のうち1人でも造反すればいかなる法案も成立が困難になるという、バイデン政権にとって“綱渡り”の状況が現出した。

 そのまさに「1議員」として一躍脚光を浴び始めたのが、マンチン議員にほかならない。

 とくに同議員の動向が決定的ともいえるインパクトを及ぼしたのが、バイデン大統領が最優先に掲げてきた1兆9000億ドル(約206兆円)規模の大がかりなコロナ関連追加経済対策「米国救済計画法」法案の行方だった。同法案をめぐっては去る5日の午前から丸1日以上、野党共和党議員から次々に提出された修正案の夜通しマラソン審議を経て、ようやく6日午前、50対49で上院を通過した。もし、マンチン議員が反対票を投じていた場合、法案成立はピンチに立たされ、今後の政局運営にも暗雲を投げかけるところだった。』

『与野党が50対50で勢力が拮抗する難関の上院で法案を通過させることができたことについて、バイデン大統領は、その直後、声明を読み上げ「私は45日前大統領就任時、コロナで困窮した国民に援助の手を差し伸べることを約束した。本日、議会はその約束に向けたジャイアント・ステップを踏み出した」と成果を自賛した。しかし、大統領が上院採決に際し、マンチン議員と直接取引したかどうかについては、報道官は言及を避けたが、その後、大統領が直接、マンチン議員に電話を入れ、説得したことが判明した。

 これより先、去る2日、連邦政府の予算を一手に取り仕切るホワイトハウス管理予算局長(OMD)に任命されていたニーラ・タンデン女史が、上院承認審議で多数支持が得られなくなったとして「任命辞退」を正式表明した。その背景には、マンチン議員の反対があった。マンチン議員はタンデン女史の「OMD起用」が取りざたされた当初から、「共和党議員たちに対しかねてから過激な批判を繰り返していた」として「承認拒否」を示唆、これに対し、バイデン大統領は「任命は撤回せず、守り抜く」と強気の姿勢をとり続けたため、その後の成り行きが注目されていた。結局、最後までマンチン議員は反対姿勢を崩さず、ホワイトハウスとしては、野党共和党の他の穏健派議員の切り崩しを図ったものの、支持を得られず、最後は任命撤回のやむなきに至った。』

ジョー・マンチン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%B3

『略歴
1947年8月24日
ウェストバージニア州ファーミントンに誕生する。
1965年
ウェストバージニア大学に入学し、アメリカンフットボールで奨学金を受けた。
1970年
学位を授与される。
1982年
州下院議員当選。
1986年
州上院議員に当選。
2000年
27代目ウェストバージニア州州務長官に当選。
2004年
州知事選挙で共和党の候補に勝利し、2005年1月に34代目ウェストバージニア州知事に就任した。
2010年
全米知事協会会長に就任。
2010年
ロバート・バード上院仮議長の逝去に伴う連邦上院議員の補欠選挙に立候補し、共和党のジョン・リースを破って当選した。同年11月15日に連邦上院議員に就任し、州知事を辞職した。
2012年
共和党のジョン・リースを再び破り、連邦上院議員に再選した。
2018年
「カバノー氏の指名に賛成票を投じる」と表明した[1]。』

ウェストバージニア州
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E