【地球コラム】敗戦のアルメニア首相、窮地に

『◇ソ連崩壊30年の現実
 昨年秋に再燃したナゴルノカラバフ紛争により、実効支配地域の多くを失ったアルメニアで、パシニャン首相の政権が「末期症状」に陥っている。隣国アゼルバイジャンに敗北した責任を問う声が上がる中、紛争で実際に戦ったアルメニア軍から辞任要求を突き付けられる始末となった。

 パシニャン首相は、軍による「クーデターの試み」として猛反発。ポピュリスト政治家として民衆デモから政権の座に上り詰めたバックグラウンドもあり、まだ国民の支持は完全に失っていないようだが、3月1日に前倒し議会選の用意を表明するなど、窮地に追い込まれつつある。並行して、ロシア製兵器に責任をなすり付けるかのような発言もあり、プーチン政権との間に隙間風も吹き始めた。

 ソ連崩壊から今年で30年。盟主ロシアは地政学的な影響圏を死守すべく、旧ソ連構成国ににらみを利かせていたところ、ジョージア紛争(2008年)やウクライナ危機(2014年)の勃発を許した。昨年はベラルーシやキルギスで政情不安が起きて「後見人」として混乱を最小限にとどめることには成功したが、ナゴルノカラバフ紛争の余波が続いている。

 アルメニアの弱体化は、同盟国ロシアの南カフカス地方におけるプレゼンスが弱まるのとほぼ同義。紛争でアルメニア側に肩入れできなかったプーチン政権は、またも頭を抱えている。(時事通信社・前モスクワ特派員 平岩貴比古)

◇発端は「イスカンデル」

 ナゴルノカラバフの係争地をめぐり、昨年9月27日に再び始まった紛争では、アルメニア、アゼルバイジャン双方で民間人を含む4000人以上が死亡。1994年の停戦合意後で最多の死者が出た。
 オイルマネーで潤うアゼルバイジャンは「同一民族の兄弟国」である地域大国トルコから無人機など最新鋭兵器の調達などで物心両面の支援を得て、悲願の失地回復に成功。11月10日からの完全停戦に関する共同声明が仲介役のロシアを含めた3カ国首脳によって署名されたが、アルメニアの「事実上の降伏」であることは誰が見ても明らかだった。

 敗北という現実を受け入れたくないアルメニア側の不満は大きく、その後もアゼルバイジャン軍との間で散発的に小規模な衝突が起きていた。こうした中、アルメニアで軍とパシニャン首相の対立がエスカレートした。

 英BBC放送ロシア語サービスなどによると、発端と経緯はこうだ。パシニャン首相は自国ニュースサイトの2月23日のインタビューで敗因を振り返り、2016年に導入したロシア製ミサイルシステム「イスカンデル」が機能しなかったと主張。「爆発を起こせたミサイルはゼロないし10%にとどまった」と述べた。

 これは「売り言葉に買い言葉」で、パシニャン首相によって2018年に政権の座を追われたセルジ・サルキシャン前大統領が先に「紛争の初期段階で使用できたのに、しなかった」と現政権を批判したことに反応したものだった。ただ、イスカンデルに責任転嫁する政治家の発言は、軍に波紋を呼んだ。

 参謀本部のナンバー2がこの発言を「あざ笑った」と伝えられると、首相はこれに腹を立て、ナンバー2を解任した。この仕打ちに軍が反発し、トップの参謀総長がパシニャン首相の辞任を要求。双方の泥仕合に突入した。

◇ロシア製へ批判許さず

 パシニャン首相が性能を疑問視したアルメニア軍のロシア製兵器は、短距離弾道ミサイルシステム「イスカンデルE(輸出のロシア語頭文字)」だ。輸出モデルということで、ロシア本国のものから射程などが落とされている。
 
 実はアルメニアでは、ナゴルノカラバフ紛争にイスカンデルが投入されたかはっきりしておらず、敗因分析の中で「使った」「使わなかった」という点が論争のテーマとなっていた。この議論はロシア製兵器にけちをつけることになりかねず、兵器ビジネスや安全保障上の観点から、プーチン政権も苦々しく眺めていたもようだ。そのためアルメニアの政情不安は、ロシアを巻き込んだ「場外乱闘」に発展した。

 イスカンデルは10%も使えないというパシニャン首相の発言を受け、ロシア国防省のコナシェンコフ報道官は2月25日、「戸惑い、驚いている。(イスカンデルEは)はナゴルノカラバフ紛争で一度も使用されていない」と主張した。

 この兵器で有名なのは巡航ミサイルシステム「イスカンデルK(巡航のロシア語頭文字)」だ。地上発射型巡航ミサイル「9M729」を備え付ければ、射程が最大2500キロになると米国に非難され、中距離核戦力(INF)全廃条約が2019年8月に失効する引き金を引いた。

 つまり、通常兵器で劣るロシアが、核兵器で欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国を震え上がらせるための重要な手段がイスカンデルなのであり、タイプの違いこそあれ、有効性に関しては絶対に批判されたくない。

 イスカンデル使用説は、昨年11月の停戦合意後、アルメニア軍の元参謀総長が言及していた。パシニャン首相はこれを追認し、戦果に疑義を呈したにすぎない。しかし、ロシア側は使って負けたと見られるわけにはいかず「パシニャン首相は誤解し、不正確な情報に基づいたようだ」(コナシェンコフ報道官)と不使用説を強調した。

◇敵国トルコも懸念

 パシニャン首相は2月25日、軍との対立で具体的行動に出た。自身に辞任要求を突き付けた参謀総長の解任を決め、ポピュリストらしく支持者にデモを呼び掛けた。直接行動で「民意」を示し、軍の異論を排除しようとしたわけだ。解任の署名をアルメン・サルキシャン大統領が渋ると、参謀総長に自発的な辞任を迫った。アルメニア国防省は「政治プロセスに干渉する試みは受け入れられない」と軍にくぎを刺している。

 事態がどう転んだとしても、南カフカス地方で唯一の親ロシア国家でロシア軍も駐留しているアルメニアの政情不安は、プーチン政権の利益にそぐわない。

 ロシアのペスコフ大統領報道官は「事態の推移を注視している」とコメント。仲裁を図るべく、ラブロフ外相、ショイグ国防相がアルメニア側カウンターパートとそれぞれ電話した。また、プーチン大統領もパシニャン首相との電話会談で「アルメニアの秩序と平穏が維持され、法の枠組みの中で状況が改善されることを支持する」と伝え、あくまで自制を訴えた。アルメニアとアゼルバイジャンの対立に続き、アルメニア国内でも対立が起きた形で、プーチン政権は火消しに手を焼いている。

 一方、ナゴルノカラバフ紛争のもう一つの関係国で、アゼルバイジャンの後ろ盾であるトルコにとってはどうか。自国を敵視する隣国アルメニアが弱体化するのは悪くないシナリオだとしても、軍や保守派に主戦論がくすぶり続けることは不安定要因に違いない。BBCによると、チャブシオール外相はこう話した。「(アルメニア国民が)政府を批判したり、退陣を要求したりすることは可能で、あり得ることだ。ただ、政府の転覆に向けて軍の力を借りたり、軍から要求したりすることは受け入れられない」

 トルコは兄弟国の「勝利」後、現地の停戦監視センターに兵員を派遣。南カフカス地方への足掛かりを得たばかりで、やはりアルメニア情勢を懸念している。』