「石油の時代」支えた巨人 ヤマニ元石油相死去

「石油の時代」支えた巨人 ヤマニ元石油相死去
編集委員 松尾博文
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『サウジアラビアの元石油相で、産油国の石油戦略を主導したアハマド・ザキ・ヤマニ氏がロンドンで死去した。

Nikkei Views
編集委員が日々のニュースを取り上げ、独自の切り口で分析します。

1973年10月、エジプトとシリアがイスラエルを奇襲攻撃して第4次中東戦争が始まった。これにあわせて、サウジなど中東産油国が原油の公式販売価格を引き上げ、アラブの敵対国には禁輸を打ち出したことで、世界中にパニックが広がった。パレスチナを…

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パレスチナを解放する「アラブの大義」のために、石油を武器に使ったのである。

第1次石油危機を招いた戦略の中心にいたのがヤマニ元石油相だ。ただ、ヤマニ氏の評価すべき点はむしろ石油危機後にある。

ガランとした紙、洗剤売り場で買いだめをする人たち(1973年12月)

70年代から80年代初めの2度の石油危機を経て、産油国が石油を戦略商品として使う弊害が表れた。消費国はサウジなど中東産油国が主導する石油輸出国機構(OPEC)への依存を敬遠し、北海やメキシコ、米アラスカなどOPEC以外の産油量が増えた。石油以外へのエネルギー転換や省エネも進んだ。

ヤマニ氏は83年、「値下げは唯一の方法である」と発言し、原油価格の引き下げを初めて決断する。OPECの変遷を見続けてきた帝京平成大学の須藤繁教授は「ヤマニ氏は人為的な石油価格引き上げは消費国の石油離れを招く。石油資源の最後の一滴まで有効利用することがサウジの国益にかなうとの認識に立ち、市場安定を重視する路線の礎を築いた」と指摘する。

代償も大きかった。「逆オイルショック」といわれる80年代の供給過剰と原油価格の低迷の局面で、市場の調整役(スイングプロデューサー)を自任するサウジは率先して減産を繰り返した結果、ピーク時に日量1000万バレルを超えていた生産量は同300万バレルを切る水準まで落ち込んだ。石油収入に頼るサウジの財政は打撃を受けた。

20年以上にわたり石油政策を担ってきたヤマニ氏は86年、事実上この責任を取る形で、「ねぎらいの言葉もなく、更迭ともとれるやり方」(須藤教授)で解任された。

サウジでは石油は国家運営の最重要部門であるために、司令塔となる石油相には石油と市場を熟知する非王族のテクノクラートがついてきた。ヤマニ氏は第3代国王であるファイサル国王に重用され、その下で手腕を振るったが、国王は75年に暗殺される。その後の国王とそりがあわなかったとの見方もある。

サウジのヤマニ元石油相(1982年)=ロイター

ヤマニ氏は2009年7月、日本経済新聞のインタビューで「石器時代は石がなくなったから終わったのではない。(青銅器や鉄など)石器に代わる新しい技術が生まれたから終わった。石油も同じだ」と語った。

「ヤマニの箴言(しんげん)」の通り、今日、速度を上げる脱炭素のうねりはエネルギー秩序を崩し、石油の富を享受してきた産油国に対応を迫っている。変革の先にどのような世界が待っているのか。それを見ることなく「石油の巨人」は去った。