富士通、早すぎた成果主義 敗北を抱きしめて 富士通 再起動なるか(2)

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『「これまでの延長線ではダメだ。人事を根本から変えないと富士通は変わらない。そのためにジョブ型を導入できないだろうか」

2019年6月上旬、社長就任直前の時田隆仁(58)にこう問われた総務・人事本部長の平松浩樹(55)は肩を震わせた。20年に及ぶ辛酸が脳裏に浮かび一瞬の間が空いた後、「1年でできます。そのために長年研究してきましたから」。平松は叫ぶように答えた。

ジョブ型、上司に告げず研究
そのわずか10…

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そのわずか10カ月後の20年4月、富士通は国内約1万5000の管理職を対象に「ジョブ型雇用」を導入した。日立製作所がジョブ型の導入準備に10年近く費やしたのとは対照的な速さだった。

ジョブ型はポストごとに職務内容や必要なスキルを細かく規定し、最適な人材を充てる雇用制度。欧米では一般的だが、日本企業の多くはメンバーシップ型と呼ばれる制度を導入している。

職務内容が限定されないメンバーシップ型では、社命による異動や転勤といった「ジョブローテーション」を通じて社員を育てる。高度成長期に根付いた新卒一括採用、終身雇用の上に成り立っている制度でもある。

1989年の入社から一貫して人事畑を歩んできた平松は、個人がキャリアを築くのではなく会社に委ねるメンバーシップ型に限界を感じていた。「停滞を打ち破るには社員がチャレンジ精神を持たなければ」と考え、7~8年前から上司に告げず、ジョブ型の研究を進めてきた。きっかけは社内でタブー視されている過去の出来事にあった。

混乱招いた93年の「成果主義」

富士通は93年、日本の大企業で初となる米国流の「成果主義」を管理職に導入した。その前年度に最終赤字に転落したことを受け、年功序列ではなく実力主義で社員を評価するよう改めた。98年には全社員を対象に広げたが、現場は混乱に陥った。

「従業員が働かないからいけない」と語り社員の反発を招いた秋草直之元社長㊨(写真は2001年8月の記者会見)

「従業員が働かないからいけない。毎年、事業計画を立て、その通りにやりますといってやらないからおかしなことになる」。当時の社長、秋草直之(故人)が経済誌のインタビューで、低迷の原因が社員にあるかのように発言した。「こんな会社潰れてしまえ」。この発言を受けて社内のイントラ掲示板は荒れに荒れた。

社員の反発を収拾するため、01年に結果だけでなく目標達成に向けたプロセスも評価するよう制度を改めた。だが低迷からは脱せず、02年3月期の最終損益は3825億円の赤字となった。04年には次の社長の黒川博昭(77)が「部分最適化が起き、成果主義の誤解につながったのが富士通を弱くした」と社内で釈明し、ここに鳴り物入りで始まった米国流成果主義は一敗地にまみれた。

やる気喪失「分かりきっていた」

なぜ富士通の成果主義は失敗したのか。当時、営業社員の人事を担当していた平松は「現場と人事の間で埋めがたい温度差を感じた」と振り返る。

同じ頃、平松の8期下の人事担当だった城繁幸(47)はもっと辛辣だ。「年功序列には手を加えず形だけ成果主義を導入したからだ。若手を中心にやる気がなくなるのは分かりきっていた」

成果主義では半期ごとに上司と面談し、目標達成を上からSA、A、B、C、Eの5段階で評価する。だが実態はAが2割、Bは5割と評価の分布比率が事前に決められており、事業部長らが参加する「評価委員会」が機械的に評価を割り振っていた。

流通系システム営業を担当する若手社員は売り上げ目標を達成したが、5回続けて最終評価でAからBに下げられた。評価に関するフィードバックもない。上司に確認すると、「そんなこと言われても評価委に出ていないから分からない」と素っ気なく言われたという。

管理職9割が「A」以上

社内では公表されなかったが、一般社員と異なり、管理職の9割近くは自動的にA以上の評価を受けていた。城は「降格制度がなかったのも問題だった」と指摘する。管理職は降格の不安がなく何もしなくても自動的に高評価を得られる。頑張って目標を達成しても正当に評価されないと知った若手はやる気を失ってしまう。

負のスパイラルに陥った結果、簡単に達成できる目標だけを掲げ、長期にわたるプロジェクトや裏方の仕事に手を挙げる社員が減った。03年には十八銀行など地銀3行の基幹系システムを共同化する事業で、富士通は開発契約を解除された。開発の遅れによる2度の稼働延期が原因だった。富士通はこの時期、他の金融機関や自治体からも同様の契約解除、指名停止を相次ぎ受けた。

「このままではダメだと、いくら上司にかけあっても変わらない」。失意の城は富士通を退職。04年に執筆・出版した、成果主義の失敗を描いた『内側から見た富士通』はビジネス書では異例の25万部を売り上げた。

改革「絶対成功させてくれ」

人事部の先輩に改革を託された平松氏はジョブ型の研究を続けてきた
平松は富士通にとどまった。「やる気のある社員を評価する成果主義という理念自体は正しい。でもやり方が間違っていた」。成果主義を定着させる前に年功序列を変えないといけない。職務に人や報酬がひも付くジョブ型がカギを握るのではないか。

漠然とそう考えていたところ、13年に国内と海外のポストを統一化する計画が持ち上がった。ジョブ型を導入する絶好のチャンスと上司にかけ合ったが、「日本企業には日本人に合った仕組みがある」と突き返された。

「人事部が富士通低迷の元凶」などと陰口をたたかれながら、それでもめげずにジョブ型の研究を続けたのには理由がある。93年当時、成果主義導入を指揮した人事部の先輩から改革を託されたからだ。「俺たちはどれだけ悪口を言われてもいい。でも絶対に成功させてくれ」。敗北にまみれたバトンを今、握りしめている自分だからこそできることがある――。平松はそう信じている。

現在、人事コンサルタントとして活躍する城に、最近の富士通について尋ねるとこうつぶやいた。「何をしても変わらないと諦めていた。けど、ひょっとしたら今回は本気なのかもしれない」

=敬称略、つづく