習近平執務室の写真に透けるコロナ起源追究への壁

習近平執務室の写真に透けるコロナ起源追究への壁
編集委員 中沢克二
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 ※ 「事実を、言説でくるむことはできない。」…。

 ※ たとえそれが14億人の民を、情報コントロールにより統治する「強権」をもってしてもだ…。

 ※ 「事実」とは、どんなにくるもうが、水が割れ目からしみ出すように、しみ出てくる…。

『中国政府が、湖北省武漢市などでの世界保健機関(WHO)による新型コロナウイルスの起源に関する本格的な現地調査を1年近く拒んできた理解に苦しむ行動の本当の理由は何か。その一端が透ける記念写真が、国家主席の習近平(シー・ジンピン)が執務する北京・中南海の仕事部屋におかれていることが明らになった。

20年12月31日、恒例の国民に向けた新年メッセージを読み上げる習の背景にあった書棚に1枚の写真が掲げられ…

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・20年12月31日、恒例の国民に向けた新年メッセージを読み上げる習の背景にあった書棚に1枚の写真が掲げられていた。赤を基調にした独特の衣装をまとった雲南省の少数民族、ワ族の少年少女らに囲まれて笑顔をみせる自身の写真だ。なんの変哲もない笑ましい地方視察の記録にみえるが、注目したいのは撮影された雲南省という場所と2020年1月19日という日付である。

■少数民族に囲まれた笑顔の政治性

・その翌日20日の北京時間午後6時、習はウイルスまん延に対処せよとする初めての重要指示を出した。重症急性呼吸器症候群(SARS)問題の際、活躍した中国の権威ある医学専門家が初めて「人から人への感染」を認めたのも同じ20日だ。

・武漢市の内外と中国の外にウイルスがものすごいスピードで拡散していた時、対処の司令塔となるべき習近平は北京を外していた。17、18日両日、ミャンマーを訪問し、その帰路も真っすぐ北京に帰っていない。

・ウイルスの本当の恐ろしさに気付かないまま旧正月前の華やいだ雰囲気だった雲南に入り、3泊4日を過ごしている。本来、この時期がウイルスのまん延していた武漢から中国内や世界への拡散を防ぐ最後のチャンスだった。ミャンマー訪問を含め計5日間も習は不在。首都に戻ったのは21日のことだ。

・武漢で第1号の患者が出たとされるのは19年12月初めである。この時期より前に遡る新型コロナウイルスの起源がWHO調査によって中国内にあることがはっきりすれば、必然的に1カ月以上、有効な措置をとらなかった中央指導部の無策に焦点が当たってしまう。1月20日、習が雲南省から重要指示を出すまで、中国政府は人から人への感染さえも認めなかったのだ。

・こうした「中国責任論」の広がりだけは、いかなる代償を払っても封じ込める必要がある。それがこの1年、中国外交に課された最大の使命だった。ウイルス起源などについて独立した国際調査を主張したオーストラリアへの類を見ない圧力など「戦狼外交」の根源はここにある。

・一方、習の執務室に置かれた雲南省視察の写真には、中国政治独特の重大な意味がある。中国メディアによると、新たに登場した20年撮影の8枚の写真のうち、時系列的に第1枚目の写真が少数民族に囲まれた指導者の構図である。

・それは辺境地域の貧困を撲滅し、少数民族の生活向上を実現したという20年の習近平政治の成果の一つを示す。その重要度は次に登場するコロナ禍に打ち勝った成果を示す武漢視察といった写真に引けを取らない。

少数民族に囲まれて乾杯する毛沢東主席(建国70年を記念する展覧会の絵画から)

・多くの少数民族らに囲まれる絵柄は建国の指導者、毛沢東のおはこだった。建国70年を記念して北京で開いた美術展でも毛沢東の周りで喜ぶ各民族を描いた「民族大団結」と題した絵が掲げられていた。雲南省の写真は、毛沢東に倣う「終身の主席」をめざす習近平の執務室に必須の写真だったのだ。とりわけ今年は習が新年メッセージに込めたように共産党創立百年という特別な年である。

■初期対応の失敗の象徴にも

・だが、それはあくまで共産党が主導する内政の論理にすぎない。武漢で亡くなった人々の家族や、今なおコロナ禍に苦しむ世界各国の人々からみれば全く逆になる。コロナ禍への初期対応を巡る失敗の象徴である。1月19日という日付こそが問題なのだ。

・これに関連して最近、中国政府から新たに驚くべきデータが示され、大きな話題になった。人口約1100万人の武漢市で広がった新型コロナウイルスの感染規模は、中国当局が確認していた数(5万人)の10倍に当たる50万人近くに上る可能性が出てきたのだ。第1波の後、実施された武漢市民を対象にした検査では4・43%が抗体を保有していた。

・ウイルスがまん延していた武漢市からは旧正月を前に人口の半分近くに当たる約500万人が中国内や国外に旅行に出かけていたことが判明している。彼らと接触したかもしれない別の地域の中国の人々も含め、それぞれ数十万人単位で欧州、米国、日本を含むアジアの諸国に出国した。

20年3月10日、コロナ禍の武漢の居住区を視察した習近平氏の写真も執務室に飾られている(中国国営中央テレビの報道から)

・このウイルスのやっかいな特徴は、目立った症状がない感染者が知らないうちにウイルスを広げるリスクである。無症状の人々が大挙して世界各地を旅すれば容易にウイルスは飛び散る。もし19年12月中か、遅くても20年1月前半に中国から世界への人の動きを制限していれば、ウイルス拡散のスピードを相当遅らせることができたかもしれない。

・武漢の抗体保有率4・43%という数字は、中国疾病予防コントロールセンターによる貴重なデータの公表である。ただし公表された時期は、実際の調査から8カ月も経過した20年末になってからだった。政治の高い壁が立ちはだかったに違いない。これでは命を救うためになされるべき世界中の研究が大幅に遅れかねない。

・WHOもこれまでミスを重ねている。20年1月23日の緊急理事会で「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言を見送った。中国から受け取った情報からみて、その時点では人から人への感染は家族内と医療関係者に限られ、世界的な脅威と判断するには時期尚早、と判断したのだ。

・ある意味、それは当然だった。直前の1月21日まで習は北京に戻っていない。それなのにWHOがいきなり世界に向けて緊急事態を宣言すれば、体面が失われる。中国としてはそれだけはどうしても避けたかった。このWHOの判断が各国の油断を生み、深刻な事態を招く一因になった。

・そもそもコントロールに成功したとされる中国でもコロナ禍は現在進行中である。北京に隣接する河北省の中心、石家荘市では感染者が増えており、1000万人の全市民に自宅待機が通知された。

■結論に一定の枠をはめる手法

・武漢市で新型コロナウイルス感染症の患者が出たとされる時期から1年1カ月を経て、中国政府はようやくウイルスの起源を探る本格的な調査団の現地入りにゴーサインを出した。コロナ禍でなお痛手を被り続けている全人類のためには、本来、純粋に科学的見地から一刻も早く追究すべき問題である。

・しかし中国への配慮を欠かさなかったWHO事務局長のテドロスまで一時、失望を口にするほどのドタバタ劇が演じられた裏には、ウイルス起源調査を警戒し続ける中国政治の高い壁がある。

中国での新型コロナウイルス起源調査のカギを握るWHOのテドロス事務局長=ロイター

・それは19年12月から習近平が雲南から北京に戻った20年1月下旬に至るまでの情報隠蔽と対応の遅れを浮き彫りにしかねない。第1号の感染者が出た時期は、中国の発表よりかなり遡るというシミュレーションも有力だ。

・すでに気になる兆しがある。中国の国務委員兼外相の王毅(ワン・イー)は先の新華社などのインタビューで「ますます多くの研究が世界の多くの場所で(感染が)同時に爆発したことを示している」と語った。起源調査に必要なのは科学的な知見で本来、外交とは無縁のはずである。WHOによる起源調査がなされる前に、結論に一定の枠をはめるような手法は百害あって一利なしだ。

・くしくも中国が人から人への感染を認める前、習近平が滞在していた雲南省は、まさに新型コロナウイルスに近いゲノム配列のウイルスを持つとされるコウモリが生息する場所だった。WHOの専門家が指摘するように今後の起源の解明には雲南省などの現地調査も欠かせない。

・実は20年3月の段階で習近平もウイルスの起源を科学的に追究すべきだと宣言している。それならば新型コロナウイルスの国際研究に積極的に門戸を開くべきだ。それでこそ今後も発生する可能性がある新たなウイルス禍の被害を最小限に食い止める予防策を講じることができる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)
1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。