慰安婦判決、蒸し返された110年前の不法と強行規範

慰安婦判決、蒸し返された110年前の不法と強行規範
編集委員 峯岸博
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH0937P0Z00C21A1000000

『韓国で相次ぐ日本政府や企業への判決文を読むと、日韓がはるか昔の関係に戻ってしまったかのような感覚を抱かざるを得ない。ソウル中央地裁が旧日本軍の従軍慰安婦訴訟で日本政府に損害賠償を命じた判決が日韓関係に及ぼす影響の大きさは計り知れない。

8日の判決は「訴えが却下されるだろう」という日韓両政府内の予想を裏切った。直ちに午前中に秋葉剛男外務次官が南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使を外務省に呼んで抗議した…

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・夕方には菅義偉首相が自ら記者団の前に立ち「断じて受け入れられない」と語気を強め、茂木敏充外相も出張先のブラジルから康京和(カン・ギョンファ)外相に電話し早急な是正措置を迫った。日本政府の衝撃度を物語る。

主権免除の「例外」に導く

・判決文の中核となるのが次の部分である。

・「(慰安婦問題は)日本帝国による計画的、組織的で広範囲にわたる反人道的行為で国際強行規範に違反する。当時日本帝国によって不法占領中だった朝鮮半島内で、わが国民である原告に対して行われたものであり、たとえこの事件の行為が国家の主権的行為だとしても、主権免除を適用することはできず、例外的に韓国の裁判所に被告に対する裁判権がある」

・「被告となった国家が国際共同体の普遍的価値を破壊し、反人権的な行為によって被害者に甚大な被害を与えた場合にまで、最終的な手段として選択された民事訴訟で裁判権が免除されると解するのは不合理であり、不当な結果を生むことになる」

・判決のポイントは、「慰安婦の動員・確保、慰安所の運営」などの日本政府の行為に関し、主権国家は同意しない限り外国の裁判で被告として裁かれることはないとした国際法上の「主権免除の原則」は適用できないと断じた点だ。判決はより具体的に「当時10代や20代の原告は『慰安婦』として動員された後、日本帝国の直接・間接的な統制の下、強制的に、一日何十回も日本の軍人たちの性的対象となり常時暴力にもさらされ、まともに衣食住も保障されず、終戦後も精神的な大きな傷を負った」などと指摘。こうした行為を日本帝国、すなわち日本政府による「計画的、組織的、広範囲にわたる反人道的犯罪行為」とみなしたうえで、主権免除の放棄対象とされる国際法上の「強行規範の違反」に当てはめたのが最大の特徴だ。

・強行規範とは、国際法上のいかなる逸脱も許されない規範のこと。国際法の序列で優位に立つ法と位置づけられ、それに反する条約や慣習国際法は無効とされる。対象の定義は明確ではないが、侵略や奴隷取引、海賊行為、人権などが挙げられ、今回の地裁判決は慰安婦問題という「反人道的犯罪行為」を人権侵害と位置づけたのである。これに対し、日本政府は「判決が主権免除の原則に反しており、国際法違反」との立場だ。

 韓国は司法が行政に介入することがたびたびある。ソウル中央地裁の入る庁舎(8日)=共同

日韓併合条約を「不法」の出発点に

・判決文に「不法占領中だった朝鮮半島で~」との表現がみられるように、最近の韓国司法は1910年から45年まで続いた日本の植民地支配は不法とする韓国側の主張を出発点としている事例がめだつ。徴用工問題もそうだ。元徴用工の精神的苦痛への「慰謝料支払い」を日本企業に命じた2018年10月の韓国大法院(最高裁)判決は、植民地支配と直結した「不法行為」による慰謝料請求権は、1965年の請求権協定の対象に含まれないとのロジックをつくり上げ、「日韓請求権協定で請求権問題はすべて解決済み」とする日本側の主張をはねつけたのだ。

・日韓併合条約は合法だったか、違法だったか――。14年もの歳月を費やした日韓国交正常化交渉でもこの問題をめぐって日韓双方が激しく対立し、結果として日韓基本条約によって「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓民国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」との表現で折り合った経緯がある。「もはや無効」を日本側は「日韓併合条約は有効なものだったが、新しい条約を結んだので無効になった」と解釈し、韓国側は「そもそも無効な条約だったとあらためて確認した」と双方が自分たちに都合良く国内で説明できるようにした、いわゆる玉虫色の決着だった。

・溝が埋まらない歴史認識をあえて曖昧にし、日本からの経済協力資金を元手に韓国政府の責任で元徴用工らに補償するとの決着方法を選んだのは韓国側だった。「日韓請求権並びに経済協力協定」という協定の名称がそれを物語る。文在寅政権の外務次官経験者も著書の中で「外交上の知恵」だったと評価している。国交正常化以後に積み重ねられてきた歴代両政府による外交成果や民間交流の光の部分に判決は言及していない。

2015年は請求権協定の違憲提訴を「却下」

文在寅大統領の出方が今後の日韓関係を左右する=韓国大統領府提供

・過去には日韓関係の危機を回避した判決もある。2015年12月、戦時中に日本軍の軍属として働いた韓国人男性の遺族が求めた「日韓請求権協定は財産権侵害で韓国憲法に違反する」との訴えに対し、韓国憲法裁判所が「審判の要件を満たしていない」と却下したケースだ。当時は朴槿恵政権時代だった。もし憲法裁が違憲判断を下していれば日韓関係の土台である請求権協定はその瞬間から韓国国内で効力を失い、韓国政府は日本との再交渉を迫られると懸念されていた。

・その後、韓国で9年ぶりに誕生した革新政権下で、日本の「不法行為」が相次ぎ蒸し返されており、その都度、外交を激しく揺さぶる。裁判所が「主権免除の例外」と「強行規範の違反」を賠償支払い命令の根拠としたことで、今後、植民地時代のありとあらゆるものが司法の場に持ち込まれる可能性もある。「日韓請求権協定は韓国国内において崩壊した」(梁起豪・韓国聖公会大教授)と指摘されるゆえんだ。外交関係がこのまま坂道を転げ落ちていくのかはまずは文大統領の出方がカギを握る。

峯岸博(みねぎし・ひろし)
1992年日本経済新聞社入社。政治部を中心に首相官邸、自民党、外務省、旧大蔵省などを取材。2004~07年ソウル駐在。15~18年3月までソウル支局長。2回の日朝首脳会談を平壌で取材した。現在、編集委員兼論説委員。著書に「韓国の憂鬱」、「日韓の断層」(19年5月)。
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