コロナ騒動は「中国の特色ある社会主義」の弱点を次々にさらけ出した

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/07/post-94016_1.php

 ※ さわりを、紹介する…。

『ここ数年、中国は「一帯一路」を通じて、「中国模式」を世界に鼓舞するようになった。すなわち、「政治を民主化しなくても国家の安定した経済発展は可能」という見本を、主に発展途上国に対して示しているのである。これは、世界各地に存在する強権的な国家の広範な賛同を得ていった。

「中国模式」の本質は、民主集中制にある。主権者たる国民(中国では「人民」と呼ぶ)は、自らの政治的権利の一部を、党中央(為政者である習近平総書記)に委任する。党中央は集中された権力を広範な国民の最大利益のために行使するというものだ。

そこでは日米欧の民主国家のような、批判者としての野党、監視者としてのメディア、そして審判者としての有権者という「三つのチェック機能」が働かない。その代わり、共産党に中央紀律検査委員会を設置し、政府に国家監察委員会を設置して「自浄」に努めている。

この「浄化作用」は、地位によらず、法律法規に基づいて万人に適用されることになっている。だが、唯一の例外は習近平総書記である。なぜなら習総書記は「党中央の核心」、中国の伝統にならえば「皇帝様」だからだ。

王岐山副主席(当時は党中央紀律検査委員会書記)は二〇一五年四月二三日、訪中したフランシス・フクヤマ・スタンフォード大学シニアフェローと青木昌彦同大名誉教授らに、「習近平=神」論を披瀝したことがある。

「中国において皇帝というのは、『天子』と呼ばれる神なのだ。中国ではいまでも神が統治するから、司法も必ず党中央の指導のもとに行動せねばならない。各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙切れに過ぎない。だから憲法が定める最高権力者である大統領は、神ではない。また日本には天皇がいて、イギリスには女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」

このような思想のもとで、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義」が、中国国内で敷衍していったわけである。私は北京、上海はもとより、山東省の農村地帯でも新疆ウイグルの国境地域でも、習近平総書記の巨大なパネル写真と「習近平総書記を核心として全党全軍全民の力を結集しよう!」といったスローガンを見つけた。二〇一八年の夏頃まで、中国はまるで毛沢東時代に回帰したかのようだった。』