すばらしい「まだら状」の新世界

https://www.suntory.co.jp/sfnd/asteion/vol92/magazine92_001.html

 ※ さわりを、紹介する…。

 ※ ただ、「まだら状」とは、「白と黒とのまだら」では無く、「グレー」、しかも「白っぽいグレー」から「黒っぽいグレー」まで含んだ、「幅のあるグレー」によって構成される「まだら模様」というのが、実態だと思う…。

 ※ しかも、それが「固定されたもの」では無く、時々刻々と「白っぽいものから黒っぽいものへと、あるいは、その逆へと変化していくまだら模様」なんだろうと思う…。

『冷戦が終結した時、30年後の世界がこのようなものになっていると、誰が予想しただろうか。フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で、自由主義と民主主義が世界の隅々まで行き渡っていく、均質化した世界像を描いた。それに対してサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、宗教や民族を中心にした歴史的な文明圏による結束の根強さと、それによる世界の分裂と対立を構想した。
 いずれの説が正しかったのだろうか? 確かに、世界の均質化は進み、世界の隅々まで到達したインターネットとスマートフォンの上で、自由主義や民主主義の理念も、気軽に手にして呼びかけることができる商品であるかのように普及した。しかしそれらが現実の制度として定着し、実現しているかというと、心もとない。
 それではハンチントンの言う「文明の衝突」が生じたのか。確かに、冷戦終結直後のバルカン半島の民族紛争や、2001年のアル=カーイダによる9・11事件をきっかけとした、米国とイスラーム過激派勢力とのグローバルなテロと対テロ戦争の応酬、2014年のイラクとシリアでの「イスラーム国」の台頭、といった事象を並べれば、世界は宗教や民族による分断と対立によって彩られているように感じられる。しかし実際の世界は、文明によって明確に分かたれていない。文明間を分け隔てる「鉄のカーテン」は、地図上のどこにもない。
 むしろ「文明の内なる衝突」の方が顕在化し、長期化している。イスラーム過激派は世界のイスラーム教徒とその国々を、国内政治においても、国際政治においてもまとめる求心力や統率力を持っていない。実際に生じているのは、イスラーム教徒の間の宗派対立であり、イスラーム諸国の中の内戦であり、イスラーム諸国の間の不和と非協力である。』