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『5日に予定していた中国アリババ集団傘下の金融会社アント・グループの上場が一転して延期になった。仮に香港と上海市場での上場が実現すれば調達額は合計345億ドル(約3兆6000億円)と史上最大になる見通しだったが、新規株式公開(IPO)の時期は見通しにくくなった。市場の警戒が強まれば、調達額が修正される可能性もある。世界の注目を集める異形の金融帝国の実像とは。
アリババは電子商取引を軸に生鮮食品や食事の宅配、配車、シェア自転車など事業を多角化してきた。アント・グループはこうした商行為の決済を一手に担う金融会社として成長を遂げてきた。
アントが運営するスマホ決済「支付宝(アリペイ)」は利用者が10億人を超える。世界で比較すると、フェイスブック、ユーチューブ、ワッツアップなど利用者が20億人規模のアプリには届かない。ただし、スマホ決済アプリに限ると、アントに匹敵するライバルは欧米には見当たらない。
アントの目論見書によると、アリペイの20年6月までの1年間の取引額は118兆元(約1850兆円)にのぼった。送金や資産運用などに関連した資金も含むため単純比較はできないが、クレジットカード最大手ビザの2倍に達する。カード会社大手3社(ビザ、マスターカード、アメリカン・エキスプレス)を合計した年間決済額をしのぐ規模だ。
アリババの創業者である馬雲(ジャック・マー)氏は資産管理会社を通じ、上場前のアントの議決権の5割強をがっちりと握っている。「馬氏は当面、アント支配を手放すつもりはない」とある関係者は語る。馬氏は経営の表舞台から退いたが、あらゆる商行為の決済に関わるアントの価値を他の誰よりも知っている。
■AI武器のプラットフォーマー、決済から融資まで
アントでは決済、与信(融資)、資産運用の3本柱が収益を支えている。
2017年12月期は営業収益に占める決済業務の比率が5割を超えていた。これが20年1~6月期には約36%まで低下した。代わって「祖業」をしのぐ規模にまで成長したのが与信業務だ。20年1~6月期の営業収益は285億元と全体の約4割を占める。
アントは融資でどう稼いでいるのだろうか。
「あなたが借りられるのは9万5000元。日利率は万3(1000元を借りても利息は1日あたり0.3元の意味)」。アリペイの利用者には、キャッシングサービス「借唄」の勧誘画面が表示される。「1万分の3」とみると低利にみえるが、単純に年換算すれば11%近くになる。
融資の判断にあたっては、アリババ経済圏の「すべての利用履歴」を活用している。電気や水道、スマホの料金などを期日通り支払っているかどうか。ネット通販のほか、生鮮スーパーや出前サービスの購買歴をみれば、おおよその消費動向などがわかる。
この時に武器になるのがAI(人工知能)だ。AIが無数のデータをもとに将来の支払い確度を分析し、融資できる上限や金利などの条件を決めている。これが19年末で1%台半ばという延滞率の低さにつながっている。一方で中国の商業銀行は不良債権比率が平均で2%弱。1件ずつ手間をかけて審査する従来の方式よりも、AIを駆使した自動融資のほうが与信の精度が高い。
融資の大半はアントから情報を提供してもらった銀行が実行する。アントは仲介役に徹しており、同社の融資のうち、貸借対照表に載っている割合はわずか2%にすぎない。
アントは延滞時の催促なども請け負い、銀行から「技術サービス費」を受け取っている。技術サービス費について、ある銀行は「金利収入の15%」と打ち明ける。与信額2.1兆元の平均金利を年10%と仮定し、その15%を受け取るとすれば、アントの収入は年300億元をゆうに上回る。
アントはこのほか資産運用や保険業務も手がける。10億人の利用者を抱えるプラットフォーマーの地位をいかして収益源を多様化してきた。上場後も成長が続くとの見方は多く、中国の証券各社はアントの営業収益が年率2~3割伸びると強気の予想を立てている。
■中国金融当局とのリスク浮上
アントにも死角はある。中国の金融当局は2日に馬氏などを呼び出し、管理監督上の指導を行った。3日には香港、上海市場での上場延期を公表した。アントが寡占的な地位を利用して、融資業務で過大な手数料を得ているのではないかとの警戒が浮上する。
ライバルの騰訊控股(テンセント)は中国市場を二分する。決済額はアントが5割強と約4割のテンセントを上回るが、決済件数はシェアが逆転しているとされる。
デジタル人民元の動向も注視する必要がある。スマホ決済のデータはすでに人民銀系企業の経由が義務付けられている。将来的にデジタル人民元が普及すれば、スマホ決済の主導権を中国政府が握る可能性は否定できない。
米国がアントを事実上の禁輸リストにあたる「エンティティー・リスト」に加えるリスクもくすぶる。海外の売上高比率は4%前後と高くはないが、華為技術(ファーウェイ)などの苦境を投資家たちは目の当たりにしてきている。
アント・グループの上場を巡り、香港と上海市場では熱狂的な個人投資家を中心に「IPO狂騒曲」が鳴り響いていたが、唐突な上場延期によって先行きは予断を許さない。
「世紀のIPOだ。投資家向けの貸付枠を150億香港ドル(約2000億円)用意したが、需要次第で拡大する」。香港の証券会社、信誠証券の張智威氏はアントの公募価格が決まった10月26日時点で話していた。想定を超える申し込みを受けて、現地の証券各社が前のめりになっていた。
香港ではIPOに申し込む個人投資家が前倒しで投資資金を納めなければいけない。証券会社は申込金を融通する際の金利を収入源の1つとしてきた。アントではこれが空前の規模に上っていたが、上場延期に伴って資金の返還を含めて検討するもようだ。
上場計画で掲げた公募価格をもとにした時価総額は米JPモルガン・チェース(10月22日時点で約32兆9000億円)に肩を並べる水準だった。
アント上場は日本の個人投資家の注目度も高い。国内のネット証券などは上場初日から取引できるように対応する方針だったが、上場延期で仕切り直しを迫られる。アント上場をきっかけに個人の関心が中国ハイテク銘柄に向かうとの期待もあっただけに、市場関係者は今後の動向を注視している。
中国でも上場直前に当局が待ったをかけるのは異例の事態といえる。今後、中国の金融当局がアントをはじめとするフィンテック企業への関与を深める事態になれば、高収益を実現してきた各社の成長戦略が修正を迫られる可能性がある。
中国のテクノロジー企業は世界でも存在感を増し、ライバルと位置づける米国市場に対する上海・香港市場の競争力を高める材料にもなってきた。
こうした状況下で起きたアントの異例の上場延期は、中国市場に対する世界の投資マネーの流入を細らせるリスクもありそうだ。
(上海=張勇祥、橋本慎一、須賀恭平、佐藤季司)』
金融の「巨象」警戒 中国政府とアントの微妙な距離
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65837480U0A101C2EA2000/