技術は「鋭すぎる利器」か 情報氾濫、深まる分断 パクスなき世界 自由のパラドックス(5)

『テクノロジー(技術)は民主主義を守ると思いますか――。

ブラジルが11月の統一地方選を控え、表現の自由の抑制に動いた。高等選挙裁判所のバホゾ長官が9月末、米フェイスブックなどSNS(交流サイト)運営会社と「フェイクニュース」を防ぐ協定を結んだ。デマの発信元を調べ利用者のアカウントを止めるためだ。

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背景にはフェイクニュースによる民意の分断がある。「新型コロナウイルスによる医療崩壊は起きていない」。6月、ボルソナロ大統領を支持する国会議員らが患者のいない開業前の病院内の動画をSNSで広め、経済活動の再開を訴え批判を受けた。COPPEADビジネススクールのアリアネ・ローデル教授は「フェイクニュース製造・拡散への罰則は真実の情報に基づく民主主義を守るためのものだ」と語る。

1990年代、民主主義を巡る高揚感と楽観論があった。冷戦終結で旧共産圏に民主化の波が押し寄せ、インターネットで世界中の個人がつながり始めた。誰もが自由に意見を交わし、民主主義は深化するはずだった。

今や世界人口の半分がSNSを使う。米シスコシステムズによると2020年の世界のデータ量は月間254エクサ(エクサは100京)バイトと90年の2億倍以上にのぼる。デジタル技術は誤った情報も増幅させる。世界中のコロナ関連のツイートを収集するイタリアの研究機関は3割が信頼性を欠く内容だと分析する。

米国では16年の大統領選でロシアの介入疑惑などがあり、民主主義を守るためSNSの検閲の動きが強まった。だが、偽情報の規制は表現の自由の後退と裏表の関係にある。SNS運営会社が民主党の大統領候補バイデン氏の次男らの不正疑惑を報じた米紙記事の閲覧を制限すると、共和党議員が批判した。「自由と規制の線引きが混沌としている」(上智大の前嶋和弘教授)状況だ。

東京工業大の笹原和俊准教授が、大統領選を争うトランプ氏とバイデン氏を支持するそれぞれ数万人のツイッター利用者のリツイートの流れを調べたところ、考えの近い人同士がリツイートし、支持が異なる人とのやりとりは少なかった。

SNSは考えの近い人だけの閉じた世界で広がりやすく、その傾向が強いとされるのは保守派だ。米ピュー・リサーチ・センターが大統領選前のフェイスブックの投稿や反応を分析すると、16年より共和党議員への反響が増えた。民主党議員は「フェイスブックは右翼のエコーチェンバー(反響室)」と非難する。

ファシズムが台頭し左右対立が激化していた約90年前の欧州。スペインの哲学者オルテガは「異なる他者への寛容」を訴えたが、溝は埋まらず世界が戦禍に見舞われた。

多様な情報に接した人々が熟慮や熟議を経て民主主義は守られる。15世紀のドイツのグーテンベルクによる活版印刷の発明は特権階級の情報の独占を崩し、新しい技術が市民革命につながった。

現代でも模索は続く。ネットで誰でも自由に政策を議論できる台湾の「v台湾」。市民らが話し合いで選んだ議題に参加者が意見を投稿し、他の参加者が同意、不同意などを示す熟議の場だ。

人工知能(AI)などを使い意見の近い集団ごとに分類。考えの違いなどを視覚的に示し、全員が納得できる案を導き出す。米ウーバーテクノロジーズの参入時のタクシー業界との共存策などの合意形成に役立った。

技術は民主主義を危うくすることも磨くこともできる。利器の使い方が問われている。

キーワード「デジタル・レーニン主義」

 民主主義の前提となるのが個人の表現や移動の自由だ。スマートフォンや監視カメラなどのデジタル技術は表現の幅を広げたり、治安を守ったりできる利便性がある半面、個人の情報を効率的に集めやすい。使い方次第で国家が監視を強めるリスクと隣り合わせだ。

 「デジタル・レーニン主義」。ドイツの政治学者セバスチャン・ハイルマン氏はデジタル技術による監視社会やそれを支える思想をこう表現した。ロシア革命の指導者レーニンが建国した旧ソ連の全体主義の再来に警鐘を鳴らしたものだ。

 実際にデジタル・レーニン主義が広がる可能性はあるのだろうか。各国の姿勢を測る物差しになるのが、新型コロナウイルスの感染予防対策として多くの国が導入したスマホを使う「接触追跡」の技術の運用法だ。

 米MITテクノロジーレビューがデータの用途制限など個人情報への配慮度合いを5項目で評価したところ、中国やカタールなど少なくとも6カ国のアプリは一つも基準を満たしていなかった。欧州は配慮する国が多い。日本は個人情報を取得しない仕組みにした。

 中国は位置情報などから個人の移動に関するデータを感染対策に役立てる。感染リスクが高いと判断された人の行動は制限される。中国は以前から街中にカメラを張り巡らせるなど国家の監視を強めていた。リスク分析会社ベリスク・メープルクロフトは「アジアが監視のホットスポットに浮上している」と指摘する。

 コロナ禍で中国方式の監視は成果を上げたとされる。だが民主主義のチェック機能がなく、個人の自由が脅かされたり社会が極端な方向に振れたりする脅威はある。中央大の宮下絋准教授は「国家は技術的にいくらでも人の移動などを監視できる。歯止めをかけられるかは、各国の民主主義の水準にかかっている」と説く。

 「パクスなき世界」取材班 大越匡洋、加藤貴行、上杉素直、島田学、押野真也、鳳山太成、石川潤、生川暁、高橋元気、大島有美子、奥田宏二、江渕智弘、竹内弘文、松浦奈美、佐伯遼、清水孝輔、北川開、原田逸策、前田尚歩、熊田明彦、天野由衣、榎本敦、塩山賢、森田英幸で構成しました。

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