国民守る国家の姿 コロナに揺れる「安心網」パクスなき世界 自由のパラドックス(4)

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『自由な国家は国民を守れると信じますか――。

「中国型の社会統制と監視のモデルには大きな需要がある」。カーネギー財団モスクワセンターのアレクサンドル・ガブエフ上席研究員はこう指摘する。

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いま、中国国内を移動するには、スマートフォンが手放せない。行動履歴で新型コロナウイルスに感染していないという証明をスマホのアプリで示さない限り、公共交通機関や商業施設、飲食店などを利用することはできない。

街中に張り巡らす監視カメラや個人データの収集、人口1千万人を超える武漢市の封鎖。中国は国民の自由を顧みず、コロナウイルスの封じ込めに突き進んだ。こうした中国の技術や手法に魅力を感じる強権国家は多く、ロシアや中央アジアなどで監視技術の導入が進む。

「我々は感染第2波のまっただ中にいる」。フランスのマクロン大統領は危機感をあらわにする。中国がコロナ封じ込めに成功する一方で、欧州や米国では新規の感染者数が急増している。

ニッセイ基礎研究所の高山武士氏が50カ国・地域を対象にコロナの人的被害と経済損失を分析し、総合評価を算出したところ、欧州諸国が軒並み下位に沈んだ。世論に配慮し、行動規制の緩和を急いだことが感染再拡大の背景にある。

米国では自由主義的な価値観を重視し、規制に慎重な共和党系が優勢な州で感染者が多い。「国民が同じ方向を向かないと封じ込め政策の効果は薄い」(高山氏)

国家の意志で国民に同じ方向を向かせることができる強権国家と異なり、民主主義国家は違う方向を向く自由も尊重せざるを得ない。民主主義の劣勢にもみえるが、民意を反映しない強権体制は危うさも抱える。

民意より経済成長と国力の向上を優先してきた結果、国民生活の安定に必要な社会保障制度などの「安心網」にはひずみも目立つ。

2018年に中国で大ヒットした映画「我不是薬神」(邦題「薬の神じゃない!」)。中国の医療や社会保障制度の不備をリアルに描いた作品として注目された。中国では診療を受けるために早朝から長蛇の列を作ることは日常的な光景だ。医療への不満から医師への暴力事件が後を絶たず、社会問題化している。

病気や貧困から国民を守る社会保障制度は、19世紀後半に「鉄血宰相」と称されたドイツのビスマルクが礎を築いた。当初は労働者の過激化を防ぐ目的で導入した制度だが、参政権を求める運動が拡大し、民主化が進むとともに発展してきた。

長い目でみた安心をどこまで国民に提供できるか。その差は鮮明だ。

世界銀行によると、中国の国内総生産(GDP)に占める医療支出の割合は5%。米国(17%)や日本(11%)、世界平均(10%)と比べて低い水準にある。高齢化も進む中、年金制度などの整備も遅れている。

急速に進化するデジタル技術を総動員して国民の監視体制を構築し、国家権力の維持に努める強権国家。だが、社会に渦巻く不満を抑え込むほど、将来のリスクも膨らんでいく。

コロナに揺さぶられる「安心網」をどう立て直すか。その行方がコロナ後の国家の興亡を左右する。

キーワード「社会保障」

 病気や労働災害などの際の「安心網」となる社会保障制度を国家が初めて整備したのは「鉄血宰相」として知られるドイツのビスマルクだ。1880年代に疾病・労災・年金保険を相次ぎ制定する。

 社会保障の登場は資本主義の発展と連動する。18世紀の英国で起きた産業革命によって都市への移動が起き、人は新たな自由を得た一方で病気などで働けなくなった時のリスクを背負い込んだ。

 旧ドイツ帝国のビスマルクは中央集権体制を目指すなか、国と個人が直接結びつく手段としての社会保障を構想した。帝国と相対する社会主義運動の拡大防止と兵士の健康状態管理という国家体制の維持に主眼を置いた改革だった。

 第2次大戦のさなか、英国の経済学者ベバレッジは貧困者を減らすために社会保障網を全国民に行き渡らせるべきだとの報告を英政府に提出する。ベバレッジ報告と呼ばれ、国が「ゆりかごから墓場まで」面倒を見る福祉国家の基礎となった。

 先進国では社会保障が拡充された一方、給付が次第に国家の重荷となっていく。1975年には経済協力開発機構(OECD)の平均で社会支出が国内総生産(GDP)比14.4%と15年間で6ポイント上がった。

 福祉国家を世界に広めた英国では、給付に過度に依存した人が増えて競争力の低下が問題となった。「英国病」と呼ばれた危機だ。79年に登場したサッチャー首相は小さな政府を掲げ、社会保障を見直していった。同時期に米国でもレーガン大統領が誕生し、政府の関与を減らして市場原理を重視する新自由主義が潮流となる。

 新自由主義は格差拡大をもたらしたとして、2008年の世界金融危機後に揺り戻しが起きた。ただ、社会保障の支え手である若者が減り、支えられる高齢者が増える現象は各国で共通する。持続可能な社会保障づくりが急務だ。』

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『何を物差しに、政府の政策が適切かどうかを判断しますか――。

「小切手1枚では足りない」。米ニューヨークで9月、失業した若者らが所得保障を政府に求めた。米国は新型コロナウイルス対策で1人に最大1200ドル(約13万円)を配った。仮に同額を12カ月配ると、過去最大だった2020会計年度の財政赤字(330兆円)と同規模の財源が要る。

米国で生活費の保障を求めて声を上げる若者ら(9月、ニューヨーク)
危機に救いを求める声が政府の借金を異次元の領域に押し上げる。国際通貨基金(IMF)によると米政府債務の国内総生産(GDP)比は20年に過去最高の131%。世界全体では99%とGDP規模に並ぶ。前例のない非常事態なのに、市場は沈黙したままだ。

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第2次世界大戦後、手厚い福祉に傾いた米英など先進国の多くは財政悪化と物価高騰に苦しみ、1980年代から政府の関与を減らす「小さな政府」を志向した。福祉国家の代表格であるスウェーデンも90年代に財政悪化から長期金利が2桁の水準に上昇し、増税と歳出削減を迫られた。

民主主義が野放図にばらまけば市場が歯止めをかける――。自由という価値を頂き、互いに補いつつ繁栄した2つの歯車がかみ合わない。イタリア国債の格付けは投資適格で最低水準のトリプルBなのに長期金利は10月に一時0.7%を下回った。8月に日本の投資家はイタリア国債を過去最大の約5千億円買い越した。原因はカネ余りだ。

2008年の世界金融危機を経て中央銀行の超低金利政策が定着し、10年代の米短期金利は0.6%と1980年代の1割未満の水準にある。経済のデジタル化で設備投資が鈍り、80年代に通算7兆ドルの資金不足だった日米企業は2010年代、同規模の余剰に転じた。米ピュー・リサーチ・センターによると米国民の「大きな政府」への支持率は19年に47%と30年ぶりの高水準にある。世界は反転した。

「金利と経済成長の常識は一変した」。慶大の桜川昌哉教授は語る。過去70年間、米国の金利は成長率を平均1%上回った。10年代に入ると逆に1%下回るようになった。低成長でも金利がさらに低ければ「政府は債務返済を上回る税収を期待できる」(桜川氏)。借金の痛みも消えた。

中国など強権国家の台頭にコロナ禍。自由を脅かす危機が広がる。経済学者フリードリヒ・ハイエクは中央集権的な体制は自由市場に比べて資源を効率的に配分できないと論じた。だが中国に追われる米国のトランプ大統領は自ら貿易戦争を仕掛けて自由主義経済の土台を壊す。よりよい社会をめざす道はないか。

「パンとサーカス」は民衆の歓心を買おうと権力者が食料と娯楽を振る舞い、没落したローマ帝国の象徴だ。21世紀に広がるポピュリズム(大衆迎合主義)は、社会の不満や不安をあおり、権力の膨張にひた走る為政者が民主主義をむしばむ。

本来、金利上昇やインフレといった信号で権力の暴走に歯止めをかけるはずの市場はカネ余りにまひした。ブレーキ役を果たせない市場と民主主義の衰えは無関係ではなく、互いにつながり、世界に矛盾を広げる悪循環を生み出している。

「非常時だから」と思考を止めず、市場の健全な機能を取り戻す歩みを続ける。その先に民主主義の再生もあるはずだ。

キーワード「長期停滞論」

 自由を渇望した国で民主主義が不安定になるのはなぜか。政治学者のヤシャ・モンク氏は「人々が親より豊かになっていると感じられないから」という。ではなぜ豊かになれなくなったのか。

 元米財務長官のローレンス・サマーズ氏の答えは「長期停滞論」。08年の金融危機以降、経済の回復が遅れた理由として13年に唱え始めた。国際通貨基金(IMF)によると先進国の経済成長率は21世紀の20年間が平均1.5%。20世紀の最後の20年間が3%だったので、ちょうど半分だ。

 サマーズ氏は停滞の理由を「貯蓄過剰」に求めた。20世紀までの経済は企業が工場や設備に投資をつぎ込み、人々の貯蓄が使われた。21世紀に入ると投資が細り、貯蓄が余り始めたというのだ。

 IMFによると世界の貯蓄額は04年に初めて投資額を上回った。金融危機後は当たり前となり、20年も貯蓄額は投資額を1000億ドル(約10兆円)ほど上回る。東大の青木浩介教授は「家計がためたお金を企業が使う従来モデルは機能しなくなった」と話す。投資が足りないので経済は冷え込み、お金の借り手がいないので金利も下がる。

 誰のお金がたまっているのかも問題だ。米プリンストン大のアティフ・ミアン教授らによると、米国では収入が最上位1%の富裕層が年間約60兆円ずつ貯蓄を増やしている。スウェーデンの経済規模に相当する。

 政府が税を通じ、豊かな層から貧しい層へお金を流す再分配も目詰まりを起こした。米経済学者のエマニュエル・サエズ氏らが運営する団体によると所得上位400人にかかる税率は18年に23%と、過去100年間で初めて下位50%層の税率を下回ったという。

 11月3日に迫る米大統領選では民主党のバイデン候補が富裕層への課税強化を訴えている。実現すれば低税率の国に富が逃げる懸念もある。富が偏る副作用は経済にも民主主義にもおよぶ。』

民主主義、少数派に 豊かさ描けず危機増幅 パクスなき世界 自由のパラドックス(1)

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO65301650S0A021C2SHA000?s=4

『民主主義が衰えている。約30年前、旧ソ連との冷戦に勝利した米国は自国第一に傾き、自由と民主主義の旗手の座を退いた。かつて自由を希求した国が強権体制に転じる矛盾も広がる。古代ローマで「パクス」と呼ばれた平和と秩序の女神は消えた。人類が多くの犠牲を払って得た価値は色あせるのか。あなたにとって民主主義は守るに値しませんか――。

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「一部の加盟国で司法の独立に深刻な懸念が生じている」。欧州連合(EU)欧州委員会は9月末にまとめた「法の支配」に関する初の報告書で、ハンガリーにとりわけ厳しい視線を向けた。

同国のビクトル・オルバン首相は「民主主義は自由主義でなければならないという教義は崩れた」と公言する。2010年の政権発足以来、憲法など重要法の改正を重ね、政権寄りの裁判官を増やして権力をけん制する司法の役割を封じた。

力の源は議会の3分の2を握る政権与党の議席にある。冷戦時の共産主義から民主主義に転換し04年にEUに加盟したが、今もハンガリーの賃金水準はEU平均の3分の1。人口は30年間で7%減った。「民主化すれば豊かになれる」という夢はかなっていない。

民主主義を揺らすのは低成長と富の集中だ。1980年代に3%を超えた世界経済の平均成長率は2010~20年に2%台前半に沈み、トップ1%の所得シェアは80年代の16%から21%に高まった。難民、EU本部、自由主義。オルバン氏は次々と「敵」を攻撃し、行き場のない不満をためこむ人々の支持を集めた。

より自由になった市民が無力を味わう自由民主主義のパラドックス(矛盾)――。ブルガリア出身の政治学者イワン・クラステフ氏は中欧の難局を著書でこう表現した。冷戦時に民主化を求めたポーランドも強硬右派政権が2月、裁判官が政府の改革に異を唱えるのを禁じる法律を作った。

危機は世界を覆う。スウェーデンの調査機関V-Demによると、19年に民主主義国・地域は世界に87。非民主主義は92で、民主主義が18年ぶりに非民主主義の勢力を下回った。18年にハンガリーやアルバニア、19年にフィリピンなどが非民主主義に逆戻りした。20年に民主国家に暮らす人は世界の46%と、旧ソ連が崩壊した1991年以来の水準に沈む。非民主国家が世界の多数派だ。

選挙で選ばれた政権が民主主義を壊す悪夢は約90年前も見た。当時最も進んだ民主憲法を擁したドイツは第1次大戦の賠償や世界恐慌で疲弊し、ヒトラー率いるナチスの全体主義を選んだ。民主主義と自由主義経済の繁栄。20世紀の共通の価値軸「パクス」を守るべき大国も土台がぐらつく。

11月3日、建国以来59回目の大統領選挙に臨む米国。大票田テキサス州で与党・共和党のアボット知事は10月上旬、唐突に不在者投票の受付場所を自治体ごとに1つに集約するよう命じた。野党・民主党は高齢者らが投票しにくくなると反発し、法廷闘争が続く。

新型コロナウイルスを理由とした選挙規則の変更を巡る訴訟は全米で350件を超える。トランプ大統領は民主党候補のバイデン前副大統領に敗れた場合の平和的な政権移行すら確約しない。

民主主義の動揺を強権国家は見逃さない。中国の習近平(シー・ジンピン)指導部は新疆ウイグル自治区などで少数民族の同化政策を強力に進める。香港政府は3月に5人以上の集会を禁じ、コロナを理由に抗議活動を禁止した。9月に予定していた立法会(議会)選挙も1年延期した。

ベラルーシのルカシェンコ大統領は9月、予告なしに6期目の就任式を強行した。夏の大統領選での不正への抗議デモが続くが、欧米の関心の低さを見透かす。ロシアは15億ドル(約1600億円)の支援融資を申し入れ、影響力拡大を狙う。

社会学者ラルフ・ダーレンドルフは23年前、「21世紀が権威(強権)主義の世紀にならないと言い切れない」と記した。希望はないのか。

政権の意向に縛られない新たなメディアの創設を決意したハンガリーのベロニカ・ムンクさん(撮影=Janos Bodey)
再びハンガリー。ベロニカ・ムンクさんは10月、仲間とニュースサイト「テレックス」を開設した。同国最大手ネットメディアの副編集長を7月に辞めた。政権に近い実業家が経営に介入し、編集長を解任したからだ。「独立は自らの足で立つことでしか得られない」。新サイトは主に寄付金と購読料で運営する。

法の支配や言論の自由を常に磨く。誰にも縛られない発想を育む礎は誰かが守ってくれるわけではない。米フーバー研究所シニア・フェローのラリー・ダイアモンド氏は「民主主義を改革する新たな時代を」と訴える。未来を守るカギは私たち一人ひとりの手にある。

キーワード「米中新冷戦」

 貿易、金融、技術、軍事――。米国と中国はあらゆる分野で覇権を競い、対立している。中国が一党独裁の強権体制に一段と傾くにつれ、米国とソ連の冷戦になぞらえて「新冷戦」と呼ぶことが増えた。では世界がこのまま民主主義と自由という価値観を巡って二分されるのかといえば、冷戦時と異なる点も多い。

 トランプ米政権が中国共産党を「全体主義」(ポンペオ国務長官)と非難し、米中対立は価値観闘争の色彩も帯びる。ただ米国の資本主義とソ連の共産主義のイデオロギー対立が世界を分断した冷戦と違い、世界1、2位の経済大国である米中の相互依存は深い。

 戦後世界を東西に分断した冷戦時代、米ソ間の経済交流はほぼなかった。2019年の米国の貿易額のうち中国向けは13%を占める。中国は共産党の一党支配でありながら経済は実質的に資本主義だ。01年に世界貿易機関(WTO)に加盟し、グローバル化の恩恵を受けて経済発展した。米中の経済関係や国際供給網は深く複雑に結びつく。

 米中対立を「冷戦」と呼ぶことに疑問の声もある。それでも超大国・米国に迫り、米主導の国際秩序に挑む中国という構図が「新冷戦」のイメージとなっている。12年に発足した習近平(シー・ジンピン)指導部は広域経済圏構想「一帯一路」や「中国製造2025」といった長期戦略を打ち出し、米国の中国への警戒感を一気に高めた。

 中国による高度な市民監視システムの輸出も「世界に自由で民主的な社会が根付くことを望んできた米国外交の基本と衝突した」(佐橋亮東大准教授)。米国は通信網など機微に触れる分野から中国企業の締め出しに動く。

 多くの専門家は、中国には米国に代わって世界の覇権国になる意図も能力も今のところないとみる。米国からみれば自国の利益を中国に日々削り取られているのが現状だ。相互不信が高まり、偶発的な軍事衝突が起きる恐れもくすぶる。

 中国は一党支配体制を守るために欧米中心の自由や民主主義という価値観とは一線を画し、香港などで統制を強めている。一方の米国は大統領選を控えて国内各地で暴力衝突が起き、国際社会を主導する力は衰えた。

 冷戦研究の第一人者である米エール大のオッド・アルネ・ウェスタッド教授は覇権を争う2国が長く併存した例に古代ギリシャのアテネとスパルタ、16世紀のイングランドとスペインなどを挙げ、米ソ冷戦以外は最終的に全面戦争に至ったという。米中の争覇は21世紀の世界だけでなく、自由と民主主義の未来にも大きな影響をおよぼす。』