メキシコ、「国防相が麻薬マフィアの黒幕」の衝撃

メキシコ、「国防相が麻薬マフィアの黒幕」の衝撃
メキシコシティ支局 宮本英威
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65257520R21C20A0I10000/

『麻薬マフィアのゴッドファーザーが取り締まりの担当大臣――。B級映画のシナリオとしても陳腐すぎて採用されないような話が、メキシコでは現実の疑惑として浮上した。サルバドル・シエンフエゴス前国防相(72)が16日、米国の検察から麻薬取引や資金洗浄(マネーロンダリング)の罪で起訴されたのだ。

シエンフエゴス前国防相は米ロサンゼルスで拘束された(2016年9月、メキシコシティ)=ロイター

■特定の麻薬カルテルを「ごひいき」に

シエンフエゴス前国防相は15日、家族とともに米ロサンゼルスの空港に到着したところ、米麻薬取締局(DEA)の令状で拘束された。2015年12月から17年2月の間に、コカインやヘロイン、覚醒剤やマリフアナなどの米国への密輸に関与したというのが拘束の理由だ。取引の規模は数千キロに達するという。

シエンフエゴス氏は、12~18年にペニャニエト政権で国防相を務め、軍も動員した麻薬組織の取り締まりを主導していた。そうした立場にいながら、自身に賄賂を贈る凶悪な麻薬密売組織「H2ーカルテル」が活動しやすいように配慮を加えていた疑いがもたれている。傍受された携帯電話ブラックベリーでの数千のやり取りからは、競合の麻薬組織についての捜査ばかりを指示するメッセージが確認されている。西部ナヤリ州などを地盤にする同カルテルによる拷問や殺害などの暴力を見逃し、勢力拡張を側面支援していたともされる。

メキシコでは「麻薬戦争」と呼ばれる状態が長らく続く。麻薬組織同士の抗争や当局との衝突で多くの死者が出ている。2019年の殺人事件の発生件数は約3万件で、過去最高を更新した。歴代の政権は、なかなか有効な手立てを打てていないのが現状だ。

シエンフエゴス氏は「エル・パドリノ」と呼ばれていた。キリスト教の洗礼式に立ち会う代父の意味で、英語では「ゴッドファーザー」に相当する。実の父母に何かがあった場合は後見役として、生活を支えるのが代父だ。名実ともにカルテルを守る役割を果たす見返りに、巨額のわいろを得ていた可能性がある。シエンフエゴス氏は国防相を務めていた18年の資産報告で明らかになった分だけでも、同年に539万ペソ(約3000万円)と120万ペソの住宅2軒、独アウディの高級車を購入した。

■麻薬組織の政府への浸透浮き彫りに

米ニューヨークの検察当局はシエンフエゴス氏について、19年8月14日に逮捕状を出していたが、これまでは公表されていなかった。有罪の場合には少なくとも10年の禁錮刑となる見通しだ。メキシコでは捜査対象ではなかった。

メキシコの閣僚を巡っては、ガルシア・ルナ元公安相も19年12月に米テキサス州で拘束された。有力麻薬密売組織シナロア・カルテルから賄賂を受け取り、対米輸出をほう助したとの疑惑がある。ルナ氏は国民行動党(PAN)のカルデロン政権(06~12年)、シエンフエゴス氏は制度的革命党(PRI)のペニャニエト政権(12~18年)で閣僚を務めた。異なる政党の別々の大統領の下で要職にあった人物が拘束された事実は重い。麻薬組織がそれだけ政府組織に幅広く根を張っている証左といえるためだ。

2017年9月、メキシコシティでマティス前米国防長官と話すシエンフエゴス前国防相(左)=AP

シエンフエゴス前国防相の逮捕は、米墨の「2国間の麻薬対策の信頼関係にも打撃を与えかねない」(米紙ウォール・ストリート・ジャーナル)。同氏は18年には米政府機関から、治安や防衛の教育への貢献を評価されて表彰を受けていた。米クリントン政権で国防長官を務めたウィリアム・ペリー氏の名前を冠した賞で、米政府の信頼を映す証しだった。逮捕を受け、取り締まりに苦労してきた米側の当局者にはメキシコへの不信感が広がっている。

メキシコ国内ではもともと軍部への信頼度は相対的に高いといえる。国立統計地理情報院(INEGI)が今月19日に公表した調査では、陸軍への信頼度は83.6%、海軍は85.9%と、国家警察の63.4%を大幅に上回っている。それだけに国内でも今回の逮捕の衝撃は大きい。軍部への信頼の低下が、麻薬組織との戦いをより難しくするのは必至だ。

ロペスオブラドール大統領が進める汚職や麻薬との戦いにも影響するとみられる(9月26日、メキシコシティ)=ロイター

元閣僚が逮捕された両政党とは異なる、国家再生運動(MORENA)を基盤とするロペスオブラドール大統領は16日の会見でペニャニエト前政権を「麻薬に汚染された政府だった」と批判した。「現政権の人物がシエンフエゴス氏の事件にかかわっていることが明らかになれば、辞めてもらう」とも述べた。ただ、シエンフエゴス前国防相に取り立てられて現在要職に就いた幹部もおり、見極めは容易ではない。現政権でも麻薬対策の中心は「軍部で、その役割を広げてきた」(米調査会社ユーラシア・グループ)ため、今後の麻薬組織に対する捜査への影響が懸念される。

陸軍出身のシエンフエゴス氏は、1997~2000年までは英雄軍事学校の学長を務めた軍部の大物だ。メキシコ有力誌「リデレス・メヒカノス」が毎年実施している国内の有力者300人のランキングで、16年には64位に入った。理由としては「軍部の名声を高く維持」しているためと指摘されていた。

多くの人の人生を狂わせ、国を衰退させることで栄える麻薬カルテルは最も悪質な犯罪集団の1つであり、各国の司法当局は取り締まりを強めてきた。それなのに、国民をそうした脅威から守るべき国防省の最高責任者が麻薬カルテルの黒幕となり、それを自国でなく他国の司法当局に摘発されるということでは国民は浮かばれない。今回の逮捕劇は、メキシコの腐敗体質の改善が極めて難しい実態を浮き彫りにした。』