スーダンとは…。

※ 北部の乾燥地帯にイスラム教徒(遊牧民)が多く居住し、南部の湿潤地帯に古来からの農民が多く居住している…、という構図だ…。

※ 国境、及び周辺国との関係は、こんな感じ…。

※ ま、そういうこと…。お定まりの話しだな…。

スーダン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%B3

『対立
大きく分けると、スーダンにイスラームを持ち込んだアラブ化されたエジプト人、彼らと現地先住黒人との混血児、そして彼らに帰順しイスラームのみならずアラビア語を受け入れた先住黒人達、この3者の子孫で構成され、現代口語アラビア語スーダン変種を話す『アラブ人』が北部を中心に勢力を張り、宗教的にはイスラム教を受容しつつもアラビア語は受け入れなかったイスラム系先住民が西部に勢力を張り、そしてイスラームすらも受け入れず先祖伝来のアニミズムを守るか、一部キリスト教に改宗した先住民が南部に勢力を張っている。この3者が現代スーダンの住民対立の大きなグループとしてあげられる。

この中でも『アラブ人』と他の2者との対立が強く、支配者『アラブ』対周辺化された『非アラブ』という対立軸が現代のスーダンの紛争においてしばしば見られる。宗教の対立は近年[いつ?]のスーダンの紛争では、決定的な対立軸ではない。人種的には前述されているように、北部はホワイトアフリカに属するエジプトと隣接しているためにコーカソイド系との混血が進み、南部はニグロイドとコーカソイドの混血は余り起きなかった。なお北部住民のアラブ系住民は南部の住民を『黒人』と呼ぶが、人種的な分類というよりはアラブ化を受けなかった先住民というニュアンスで用いている。』

『経済
詳細は「スーダンの経済」を参照

首都ハルツーム
IMFの推計によると、2013年のスーダンのGDPは667億ドルであり、アフリカ全体では7位に位置する。一方、一人当たりのGDPは1,941ドルと、世界平均の20%を下回る水準にある[1]。1990年代までは、長引く内戦や経済制裁などで、経済は完全に破綻状態であり、2019年現在スーダンは平和基金会が発表している「世界失敗国家ランキング」8位の国である。

他方で、石油資源ではMelut Basin(Adar/Yale油田)やMuglad Basin(ヘグリグ(Heglig)油田、ユニティ(Unity)油田、Abu Gabra油田)やBlue Nile Riftが大きく世界の注目を浴び、アメリカの経済制裁が加えられた期間に石油メジャーの間隙を突く形で、1990年代後半から中国政府のバックアップを受けた中国系企業が進出した。数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラント、石油パイプライン(Greater Nile Oil Pipeline, PetroDar Pipeline)が建設された。

Greater Nile Oil Pipelineは全長1,600kmで、ユニティ油田 – ヘグリグ油田 – ハルツーム(Khartoum Crude Oil refinery) – ポートスーダン(紅海に面する港)を繋いでいる。Muglad Basinから産出する石油は”Nile Blend”と呼ばれている。後に、Thar Jath油田からHegligまで172kmパイプラインが延伸された。

PetroDar Pipelineは全長1,380kmで、Palogue油田 – Adar/Yale油田 – Fula油田 – ポートスーダン(紅海に面する港、Port Sudan Crude Oil Refinery)を繋いでいる。Melud Basinから産出する石油は”Dar Blend”と呼ばれている。これら油田の大部分と南北合計の原油確認埋蔵量の約80%が南スーダンに帰属するため、政府は南スーダンに対し高額の原油通過量を要求し、独立後の火種となっている。

同様にレアメタルの埋蔵量も注目を集めている。そのほか、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、鉄道(老朽化したポートスーダンからハルツーム間)の建設も中国系企業が受注するなど、極めて濃厚な協力の下、徐々に経済が立ち直る兆しが見られる。以上の理由から、特に東部では経済が急成長しており、首都ハルツームでは総工費40億円を掛けて63塔もの高層ビルの建築が進行中[いつ?]である。しかし、石油資源などが豊富な地域は南部スーダン地域であり、スーダンの支援国である中国は南スーダンにも国連平和維持部隊を派兵して油田権益を確保している[27]。

農業
東部に限れば、「アフリカのパン篭」とも言われる肥沃なナイル川周辺の農地を使っての小麦、トウモロコシの栽培が盛んである。とくに、ハルツームより南の白ナイル川と青ナイル川に挟まれた三角地帯では、1925年にイギリスの植民地政府によってゲジラ計画がおこなわれ、大規模灌漑によって小麦や綿花の大穀倉地帯となった[28]。最近はトルコやサウジアラビアなどの周辺諸国の企業による農業投資が盛んである。とりわけ湾岸アラブ諸国は、国土の大半が農業に不向きな砂漠のため食料供給地としてのスーダンに着目している。2008年の農業投資契約数は33件で07年度の3倍である[29]。スーダン政府は、投資企業に土地を安く提供、関税免除などの特典で、投資国を引き付けようとしている。』

南スーダン独立と石油問題
http://blog.knak.jp/2011/07/post-931.html

2011/2/12 スーダンと中国
http://www.knak.jp/blog/2011-2-1.htm#sudan

『1月9日から15日に実施されたスーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票で、南部が分離独立することが正式に決まり、早ければ今年7月にもアフリカ大陸54番目となる新国家が誕生する。
首都ハルツームで2月7日、投票管理委員会が発表した最終結果は、有効投票のうち独立賛成が98.83%を占めた。

付記
2011年7月9日、「南スーダン共和国:Republic of South Sudan」が分離・独立した。首都はジュバ(Juba)。
アフリカ大陸では54番目の国。

国連は7月14日、国連加盟を承認した。193番目の国となる。

オバマ米大統領は南スーダンを独立時には「独立主権国家として公式に承認する」と表明、クリントン国務長官はスーダンのテロ支援国家指定解除への手続きに入るとの声明を発表した。

現在、スーダンはイラン、キューバ、シリアとともに、米国によりテロ支援国家に指定されている。

過去には以下の4ヶ国が指定されていた。
 リビア (2006年指定解除、その後国交正常化)
 北朝鮮 (2008年指定解除)
 イラク (2004年指定解除)
 南イエメン (1990年指定解除)

スーダンでは南部地域と西部のダルフール地域で長く紛争が続いた。

(南部地域)

1956年にスーダン共和国が独立したが、前年の1955年の英国・エジプトからの独立運動下で、ムスリムによる北部の政府とほぼムスリムでない南部の非アラブ系諸民族連合との間で内戦が起こった。

1972年の第一次内戦終結での「アジスアベバ合意」で南部に自治権が与えられたが、1983年に第二次内戦が勃発した。

2005年1月に北部と南部との間で包括和平合意が成立し、ようやく南北内戦が集結した。
 この合意で、以下が決められた。
  南部自治政府発足、
  南部の宗教的自由(イスラム法の不適用)、
  南部スーダンの石油収入を南北間で原則均等配分、
  2011年の南部独立の住民投票 

ただし、南北の境界付近にある油田地帯アビエイ(Abyei)地区を巡る石油の利益配分などが決まっていない。

アビエイ地区は南北内戦の激戦地の一つ。2005年の包括和平合意は、同地区の帰属を決める住民投票を南部独立の住民投票と同時に実施すると規定した。しかし、南北間で境界線画定が難航、石油資源の利益配分などを巡る駆け引きが続いており、「時間切れ」となった。

もう一つの懸案のスーダンが抱える約380億ドルの対外債務の扱いについては、今回、中央政府のバシル大統領が、南部が独立しても北部が引き継ぐとの考えを示した。

(ダルフール地域)

ダルフールは多くの民族が居住している地域で、非アラブ系の諸民族(主に定住農民)と、13世紀以降にこの地域に移住してきたアラブ系(主に牧畜民)とで構成されている。
土地や水などの資源をめぐり、2つのグループに分かれて紛争が生じた。

2003年に武力衝突が起こり、紛争が本格化した。
反政府勢力の反乱(空港襲撃)を契機に、スーダン政府軍が空爆を行い、アラブ系の民兵を募集して、非アラブ系住民の大規模な虐殺や村落の破壊を行った。

2006年5月、国連安保理決議1679号により、国連部隊を派遣しようとしたが、スーダン政府が国連部隊の現地展開を拒否した。
欧米諸国による圧力や中国の説得により、2007年6月にスーダン政府がアフリカ連合と国連による共同展開受け入れを承認した。

しかし、停戦交渉はまとまらず、2009年には国際刑事裁判所がダルフール紛争での「戦争犯罪」に関してバシル大統領に対し逮捕状を出している。

2010年2月にはドーハでスーダン政府と反政府勢力の一部が停戦合意に調印するなどしており,和平実現に向けた努力が続けられている。

参考 外務省 スーダン政治・経済情勢
     http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/sudan/kankei.html
     http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol59/index.html

なお、オサマ・ビン・ラディンは1992年にサウジアラビアを抜け出しスーダンに移った。スーダンでは建設事業などを進める一方でアルカイダを強化した。(テロを続けたためスーダンの厄介者となり、1995年にアフガニスタンに拠点を移した。)

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米国政府は1993年にスーダンをテロ支援国家に指定、1997年には、ダルフール地方の人権問題を受け、経済制裁を発動している。

アメリカの経済制裁が加えられた期間に、1990年代後半から中国政府のバック アップを受けた中国系企業が多数進出した。
数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラントや石油パイプラインが建設された。

スーダンでは、1990年代から石油の開発が本格化し,1999年に南部の産油地と紅海を結ぶパイプラインの完成によって,原油の輸出が始まった。生産量は日産約50万バレルに達し、輸出の大部分を占める重要な産業となっている。

北部と南部、ダルフール地区に接するアビエイ地区は大量の炭化水素の累積が見込まれる大地溝帯であるムグラド盆地に位置し、1970年代から油田探査が始まった。
2003年までにアビエイ地区はスーダンの原油生産の4分の1以上を占めるようになった。

PetroChinaは 1996年以降、スーダンの油田の権益の40%を獲得し、開発を手掛けている。

スーダンの石油の60%が中国に輸出されている。

Greater Nile Oil Pipelineは、Unity油田、Heglig油田からアビエイ地区を通り、ハルツームを経て紅海のPort Sudanまでを結んでいる。延長は1600kmで、1999年に開通した。

PetroChinaが40%を出資し、運営を担当している。

株主
 China National Petroleum Corporation (PetroChina):40%
 Petronas Carigali Overseas(Malaysia):30%
 ONGC Videsh (India):25%
 Sudapet (Sudan):5%

米国はアフリカ大陸で資源確保に走る中国に焦りを覚え、スーダン南部の独立を推進したとの見方もある。
逆に中国は、南スーダンの独立の可能性が強まったため、南スーダンとの今後の関係を勘案し、スーダン政府に住民投票の実施を強く要請した。

PetroChinaにとっては、アビエイ地区の帰属、アビエイ周辺の同社の油田の帰趨が大問題である。』

北の国から猫と二人で想う事 livedoor版:資源戦争突入が確実なスーダンとその元凶中国
http://blog.livedoor.jp/nappi11/archives/3373737.html