「更級日記」1000年、浮かぶ東国の実像 学際研究進む

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64371180Z20C20A9BC8000/

『菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が書いた回想録「更級日記」は、ちょうど千年前、1020年の「上京」の記録から始まる。平安女性の生涯を伝える古典として読み継がれてきたこの作品に、歴史研究の観点から光が当てられている。個人の内面の記録にとどまらず、史料としての価値が見いだされているのだ。』
『更級日記をめぐるこうした研究状況は、国文学の世界の近年の変化を映している。福家教授は「研究者は仮名日記を一つの表現世界と捉えて、歴史的な事柄とは切り離して考える傾向が強かった」と指摘する。そのうえで「表現世界の独自性は、歴史的背景との照合によってより明確になる」とし、歴史学など隣接分野との学際的なアプローチで研究が深まることを期待する。

上総国の国府だったと考えられる千葉県市原市では、国分寺跡・国分尼寺跡の発掘調査や史跡整備が進められてきた。孝標女が住んだ国司館などの位置はなお判然としないが「国衙(こくが)(地方の役所が置かれていた一帯)の環境が分かれば、孝標女の東国時代の生活を探る方向性も見えてくる。歴史意識を持って作品を読み解いていく必要がある」と倉田教授はいう。

膨大な研究の蓄積がある古典であっても、歴史学のアプローチでまだまだ新しい姿を見せる。専門分化が進んだ国文学の世界でも、学際研究によって新しい地平が切り開かれていきそうだ。

(桂星子)』

壬申の乱
https://www.wikiwand.com/ja/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

一世一代の大博打?!壬申の乱!(後編) | 好奇心は放浪中! – 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/kikimomo15/diary/200503030000/

 ※ 学際研究で思い出した…。「壬申の乱」についての論文だ…。それは、壬申の乱で大海人皇子が辿った行軍の足跡を、平面に置くのではなく、地形の「高低差」をも加味して計算し、「平均行軍速度」を算出したり、「兵の疲労度」を推し量ったりして、両軍の「兵力の実際のところの差異」を考察した論文だ…。それを読んだとき、「へえ…。」と思って、ちょっと感心した…。今回、検索したがヒットしなかった…。もう、掲載されてはなくなったんだろう…。

 ※ 歴史学は、考古学と交錯し、考古学的知見と合致しない「歴史的見解」は、どんな大御所の論であっても、説得力を持たなくなった…。

 ※ また、その「古文書読み」についても、AIが導入され、歴史学者の「伝家の宝刀」ではなくなった…。

AIで古文書を読む 埋もれた情報を発掘(2019.10.18)
https://www.sankei.com/life/news/191018/lif1910180017-n1.html

 ※ 「知の探求」とは、そういうものだ…。「説得力」とは、世界中の誰であってもアクセスできる環境においての、話しとなった…。閉ざされた「専門家ムラ」内部の話しじゃ無くなっているんだ…。

 ※ 「素人は、黙っていろ。」は、もはや全く通用しない…。世界中からアクセスして来る「素人」に対して、どれだけ「説得力」があるのか、その論の「説得力」は、世界中の「素人」が鍛錬する…、そういう世界になってきているんだ…。

※ こういう衛星画像は、非常に参考になる…。古代・中世・近世にかけて、先進地域だった「畿内」を平定しようとする場合、美濃側からは、不破関が、北陸側からは、愛発関(あらちのせき)が、伊勢側からは、鈴鹿関が、防御の「要衝」になるんだ…。

※ 尾張・美濃を手中にした信長が、不破関を破って「上洛」した…、というわけだ…。愛発関を押さえようとして、朝倉勢と争いになり、浅井長政に裏切られて敗走したり、鈴鹿関を押さえようとして、「伊賀攻め」したりしたわけだ…。そういう「戦略」が、この地形図を見ると、よく分かる…。