菅政権の「縦割り行政打破」は、大スベりする可能性が高い理由

https://diamond.jp/articles/-/249354

『「縦割り行政打破」は
今に始まった問題ではない

 河野太郎・行政改革担当が設置した「行政改革目安箱」に、わずか半日で4000通が殺到したことからもわかるように、菅政権の「縦割り行政打破」への国民の期待が高まっている。

「ワタシ、太郎ちゃん、好きよ。なんでもズケズケ言ってくれるし、期待しちゃう」なんて感じで、街頭インタビューに登場するマダムたちの評判もおおむね好評。ネットやSNSでも「霞が関の人事権を掌握している菅氏には、抵抗勢力をものともせずにバッサバッサと大ナタを振るうことを期待したい」なんて好意的な声が多い。

 だが残念ながら、この「縦割り行政打破」は大スベりしてしまう可能性が高い。現在の「なんかやってくれそうだ」的なムードもいつの間にやら忘れ去られ、数年後に「そういや、なんか『縦割り行政打破』って言葉が流行したこと、あったね」と、民主党政権時代の「事業仕分け」みたいになってしまう恐れがある。

 菅さんや河野さんに政策実行力がないなどと、批判をしているわけではない。むしろ、このお2人のリーダーシップ、発信力をもってすれば、時代遅れの制度や慣習を壊して、新しいシステムをつくれるとも思う。

 ただ、そういう改革を断行すれば当然、「改革派」という新たな既得権益グループが生まれる。となると、そこに入れない人々との縄張り争いも激化する。セクショナリズムも健在だ。結局、見え方が変わっただけで、「縦割り行政」というDNAは脈々と次世代に受け継がれていくのだ。

 実際、現在60代くらいの方は覚えていると思うが、日本では1960年代くらいから「行政の縦割り」を問題視する声が上がっていて、国会でも「打破」や「行政改革」の必要性が叫ばれてきた。たとえば昭和43年3月13日、衆議院の予算委員会で、故・中村重光衆議院議員がこんな熱弁を奮っている。

《縦割り行政の弊害と、こう申し上げたほうがいいのではないかと思いますが、各省でいろいろなことを計画されるのですが、もう少しこれを総合的におやりになったならばよろしいのではないか、むだが省けるのではないかと思うことがたくさんあります》

52年前から政治の世界では「縦割り行政の打破」はたびたび問題になっており、そのたびに時の政治家やエリート官僚は知恵を絞って対処してきたが、「喉元過ぎればなんとやら」で、いつの間にかうやむやにされるということが、日本ではこの半世紀、延々と繰り返されてきたのだ。

「いや、これまではそうだったかもしれないが、菅さんならやってくれるはずだ!」という感じで、過去の政治家はそろいもそろって「無能」だったと言わんばかりの菅政権支持者もいらっしゃるだろう。しかし、菅さんや河野さんも先人たちと同じ轍を踏んでしまう可能性が高い。これまでの政治家たち同様、縦割り行政を打破できない構造的な問題を、菅さんも河野さんも抱えているからだ。

縦割り行政を生んでいるのは
縦割り政治に他ならない

 それは「縦割り政治」だ。

 今回の自民党総裁選を見てもわかるように、今もこの国を動かしいているのは「派閥」だ。「数は力なり」と言わんばかりに議員を束ねる二階さん、麻生さんという「元気なおじいちゃんたち」と対立してしまえば、無派閥の菅さんは何も勝手に決められない。そのため、「この政策を通す代わりに、こっちの政策も通してね」という根回しや調整に莫大な時間がかかって、過去の首相たちのように迅速な意思判断や、強烈なリーダーシップを発揮できない可能性が高いのだ。

 まさしく、セクショナリズムや組織論理が優先され、一気通貫で物事を進めることができない「縦割り行政」と全く同じことが、実は政治家の間でも起きているというわけだ。この「縦割り政治」を根底からぶっ壊さないことには、「縦割り行政の打破」など夢のまた夢だ。

 なぜそんなことが言えるのかというと、こういう自分自身の問題を棚に上げた改革、いわゆる「身を切らない改革」が失敗するのは、世の常だからだ。

 たとえば、コチコチのセクショナリズムで風通しの悪い大企業に勤めるサラリーマンになったことを想像していただきたい。あなたの部署でも、何かの決済を取る際に部署を渡り歩いてハンコをもらわなくていけないなど、業務にも深刻な差し障りが出ているが、それよりも輪をかけて風通しが悪いのが、30人を超える役員がしのぎを削る役員会だ。

今年80歳になる会長率いる「会長派」をはじめ、社長派、前会長となった最高顧問が送り込んだ副社長派など、さまざまな派閥が入り乱れ、足の引っ張り合いやパワーゲームが日々行われている。中間管理職はどこの派閥に入るべきか、常に頭を悩ませている。そんな昭和カルチャーのお陰で、役員会は機能不全に陥り、経営方針もなかなか定まらない。

 そんなある日、新たな役員が選出された。バリバリ仕事をこなし、現場の苦労もよく知っているということで、部下からの信頼も厚い人物だ。その新役員が「社内の縦割りを打破するぞ」と意気込み、専門チームを設立。匿名で自分の部署の問題を告発できる目安箱まで設置した。さて、あなたはこの「改革」に、両手を挙げて喜ぶことができるだろうか。

「いやいや、俺たちの問題の前に、まずは経営幹部の問題をどうにかしろよ」なんて感じで、同僚たちと居酒屋で愚痴ってしまうのではないか。そして、自分たちの問題さえ解決できないのに、こちらばかりにプレッシャーをかける経営陣に、怒りが湧いてくるのではないか。

実は霞が関の官僚たちが
最も頭にきている

 こうした「お前が改革とか言うな問題」というのは、みなさんの職場、コミュニティにもよくあるはずだ。そして何を隠そう、今日本で最もこれに共感しているのが、霞が関の官僚たちなのだ。

 政治家同士のしょうもない派閥争いや個人攻撃が国会でも行われるので、官僚たちは徹夜で答弁書をつくるなど、その対応に当たらなくてはいけない。政治家にビビって、局長がデタラメな答弁などしようものなら、その尻ぬぐいや責任をすべて押し付けられる。そんな風に滅私奉公してきたと思ったら、「お前らの縦割り行政は問題だから打破してやる」なんて言われる。きっとこんな風に叫びたい官僚も多いはずだ。

「いやいや、俺たちの問題の前に、まずはあなたたち政治家の問題をどうにかしろよ」

 こういう反発がある限り、「縦割り行政打破」など進むわけがない。しかも、各省庁にはその省益に紐づく「族議員」がいる。彼らは、役所という組織が「縦割り」であるから、他省庁や民間との利益調整役として重宝されてきたという歴史的経緯がある。

つまり、役所の「縦割り」というのは、単に役所の体質が悪いという単純な話ではなく、このシステムエラーを利権にしてきた族議員が、問題をややこしくしてきた側面もあるのだ。

 このような「縦割り政治」を打破せずに放置したまま、逆らう役人を飛ばしたり、意志決定プロセスを簡略化させたところで、トップの縦割りカルチャーがある限り、役所の「縦割り行政」は残念ながら何も変わらないのだ。

 そこで我々が考えなくてはいけないことは、どうすれば派閥や族議員に象徴される「縦割り政治」を打破することができるのかということだ。この問題になると、議員定数削減という話が出るが、筆者はあまり意味がないと考えている。

高すぎる給料が「職業政治家」という
世界に類を見ない身分を生む

 実は、世界的に見ても日本の国会議員はそれほど多くない。しかも、数が減ればより派閥の団結が強くなったりするだけで、むしろ逆効果になる恐れがあるからだ。

 では、どうするかというと、年収約4170万円で「世界で最も高給取りの政治家」と揶揄されるほどの高い議員報酬を下げるのだ。先の国会で、コロナ対策として2割削減したじゃないかと思う方もいるかもしれないが、あの対象になったのはあくまで毎月払われる歳費だけで、年間約600万円のボーナス、年間1200万円の文書通信交通滞在費などは手付かずだ。

 これらもバッサリ削っていただき、諸外国の議員と同じくらいの水準に減額する。高すぎる給料が、派閥政治や族議員という「縦割り政治」の遠因となっているからだ。

 なぜ議員が派閥に入って、省庁の利権に手を突っ込むのかというと、突きつめていけば、政治家としての地位を揺るぎないものにしたいから。つまり、「職業」としての政治家の地位をキープしたいという思惑がある。

政治をファミリー
ビジネスにしている温床
  個人でカネ集めができない日本の政治家の選挙は、政党に頼らざるを得ない。そこで、少しでも有利に物事を進めるには、有力政治家の後ろ盾があった方がいい。派閥に入ればそういうパイプがいくらでもできる。政策が近い、志を同じにしているというが、実は選挙対策という意味合いも強いのだ。

 また、選挙で有力な有権者や仲間からサポートを受けるためには、「得意分野」が必要だ。「副大臣や大臣政務官をやっていたので、『ホニャララ行政』に精通していて、役所にも話を持っていくことができる」といったセールスポイントがない議員は「支えるメリット」がないので、人が集まってこない。そのため、セクショナリズムだらけで隙のある省庁に食い込んで,「調整役」として存在感を高めていくのだ。

 つまり、派閥や族議員というのは、政治家が末長く政治家を続けて、自分の息子や孫にも引き継がせて、政治という「業」をファミリービジネス化していく過程で生まれた、「身分保障システム」という見方もできるのだ。

 このシステムを破壊するには、政治家が「おいしい仕事」でなくなればいい。つまり、4170万円もの高収入をやめることで、「政治家=ボランティア」という常識を定着させていくのである。

 バカバカしいと思うかもしれないが、実は海外を見渡せば、政治家はパブリック・サーバント(社会全体の奉仕者)という位置付けで、ボランティア議員が一般だ。活動資金は寄付で集めているので、毎年政治家に税金が4170万円も支払われているなどと聞いたら、暴動が起きるような国の方が多いのだ。

 こういう話をすると、「政治家は選挙で金がかかる」という人がいるが、これは卵と鶏の議論と同じで、政治家が4170万円ももらえる「おいしい職業」だからこそ、どこかの夫婦のように、支援者に100万円をバラまいてでもその座につきたいという人たちがあらわれる。これが諸外国のように年収600万円とかなら、大金をバラまいてまで選挙に出るなんて人も少なくなるのだ。また、ボランティア議員は、政治という「業」で一生食べていくつもりがないので、国民目線でズケズケと好きなことを言って、しがらみのない改革ができるというメリットもあるのだ。

荒唐無稽だと冷笑する方も多いだろうが、それくらい荒唐無稽なことをやらない限り、日本の「縦割り政治」を変えることはできない。

「当選回数7回なので、そろそろ大臣か」「閣僚待機組がたくさん控えています」などと報道されているように、この国では長く選挙に勝っている人間ではないと大臣ポストが与えられない。本来、選挙に勝つという才能と、行政の問題点を炙り出して改革を進める才能とはまったく別物だが、民間企業の人事が社内派閥と年功序列で決められているのと同じで、派閥の論理と「当選回数序列」で役職が決められているのだ。

菅首相に期待したい
「お膝元」の浄化
 こういう「縦割り政治」のロジックで行政のトップが決められている限り、その下で働く官僚組織が「縦割り行政」になるのは、当たり前の結果だ。これがこの50年間、「縦割り行政打破」が失敗し続けてきた原因である。自分はゴリゴリに「縦割り」の世界に生きていながら、部下には「お前ら、縦割りをやめろ!」と説教をするのは、あまりに虫が良すぎる。

 ご存じのように、日本の賃金は先進国の中でもダントツに低い。そのため地方のシングルマザーなど、働いても働いても生活が苦しいという人もかなり増えていて、G7の中で相対的貧困率は2番目に高くなっている。

 そんな問題を解決してくれるはずの我らがニッポンの政治家先生たちは、「選挙に金がかかる」「貧乏人でも政治家になれるように」という大義名分のもと、世界一高い議員報酬をもらい続けている。これは世間一般の常識に照らし合わせれば、「既得権益」と呼ばれても仕方がないのではないか。

「国民のために働く」と宣言した菅総理は、就任後の記者会見でこのように力強く述べた。

「既得権益、そして悪しき前例主義、こうしたものを打ち破って、規制改革を全力で進めます」

 そこまで言うのなら、ぜひともご自分の世界の既得権益や前例主義にも目を向けていただきたい。縦割り110番だなんだという前に、「国民のために働く」ということはそういうことではないのか。

(ノンフィクションライター 窪田順生〉』