本人確認の難題、揺らぐ「総本山」総務省

本人確認の難題、揺らぐ「総本山」総務省
経済部 広瀬洋平
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64161420T20C20A9EE8000/

『キャッシュレス決済で銀行預金が不正に引き出されていた問題は本人確認の甘さが穴だった。では、そもそも一体どうすれば本人であると確認したことになるのか、あるいは確認できたとみなしうるのか。本人確認の総本山が根本的な問いを突きつけられる事態が生じている。9月10日、総務省が東京地裁に提訴されたのだ。

訴えたのはインターネットサービスのスタートアップ、BotExpress。東京都渋谷区で4月から始めたLINEによる住民票交付サービスについて適法性の確認を求めた。「なりすましの恐れがある」と疑問視する総務省に対して「なりすましの恐れはない」と真っ向から反論している。

焦点のサービスは、申請者がスマートフォンで撮影した自らの写真と免許証などの写真付き本人確認書類の画像を送信すると、人工知能(AI)が画像を照合する。同一人物と判定されれば、住民票記載の自宅住所に郵送で住民票が届く。スマホで顔認証をする「eKYC」と呼ぶ手法は金融機関でも導入されており、免許証のコピーを同封する郵送申請に比べて「格段に安全性が高い」とBot社はみている。しかも住民票記載の住所にしか送付しない仕組みだ。渋谷区は現在も提供を続ける。

総務省は4月、自治体向けの通知で待ったをかけたはずだった。所管する住民制度課の担当者は提訴に困り顔だ。区側とも「新型コロナウイルス対応で忙しいとのことで会えていない」まま今に至る。

提訴を受けて9月15日、当時の高市早苗総務相は「住民基本台帳法上の本人確認がなされていない」と改めて強調した。免許証などの写真自体が偽造の可能性があるのはもちろん、サービスの形式に法的な不備があるとの主張だ。

住基台帳法は住民票の交付について「現に請求の任に当たっているものは(中略)当該請求の任に当たっている者が本人であることを明らかにしなければならない」と原則対面での本人確認を求めている。郵送申請も認めており、署名と押印を本人であることの担保とする。オンライン申請については電子署名法に基づく電子署名を用いると定める。

4月の通知も業者独自の認証ではなくマイナンバーカードに搭載する電子署名を使うよう求める内容だった。住民制度課は「住民票は様々な行政サービスに使われる。最も厳格な本人確認が必要だ」と説く。カードをつくるには申請時か受取時に自治体の窓口を訪れて対面で本人確認を受ける必要がある。「基礎の部分でしっかり確認して交付しているからこそ、その後のオンライン申請が可能になる」というわけだ。引っ越し時に転入先の自治体に提出する転入届についても「住民記録は行政サービスの根幹をなす」との立場から窓口での受理しか認めていない。

問題は公的な本人確認の基礎となるマイナンバーカードが普及が進んでいないことだ。2016年の交付開始から4年が過ぎた9月1日時点で交付率は19.4%にとどまる。対面取得が面倒などの不満は後を絶たない。便利な民間サービスが広がっているのに、生活に浸透していない手段をあえて使うインセンティブは乏しい。

郵送申請は署名と押印があれば本人とみなす。それ自体は民事訴訟法に基づく扱いだ。しかし政府が一方でデジタル化の旗を振りながら、民間で普及しつつある顔認証の電子技術「eKYC」についてなりすましの危険性があると断じる運用は理解を得にくい。住民記録は地方が権限を持つ「自治事務」の代表格でもある。一部の自治体は総務省から「指導」を受ける筋合いはないと不満をくすぶらせる。「マイナンバーカードを普及させたいだけではないか」とうがった見方さえ出ている。

もとより完全無欠な本人確認は難しい。さらに今はデジタルサービスの広がりという変数も加わる。堅固なはずの銀行預金のシステムが揺らぎ、総務省がつかさどってきたはずの真正性それ自体が問い直されている。目先の混乱を収拾するだけに終わらない解が求められている。』