菅新総裁が向き合う三国志 令和の自民党の権力構造

菅新総裁が向き合う三国志 令和の自民党の権力構造
編集委員 清水真人
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63789680T10C20A9000000/

『総裁選で菅義偉を圧勝させた自民党。小選挙区中心の衆院選の下で権力は党首=首相に集中しがちだから、皆が勝ち馬に乗ろうとする「雪崩現象」は常だ。総主流派内は同床異夢で、菅がよって立つ権力構造は令和の三国志とも見まがう暗闘にきしむ。菅が主導権を確立するための切り札は、閣僚・党役員の人事権と、衆院選で国民の信任を求める解散権の2つに尽きる。

■たたき上げの「裏方同盟」
自民党の総裁に就任し、総裁の椅子に座る菅義偉官房長官(14日)

「もともと、私は横浜の市議会議員。生まれ育ったのは秋田県。その意味でたたき上げだ」

12日の日本記者クラブでの討論会。菅は自らこう名乗った。

首相の安倍晋三が退陣を表明した翌日の8月29日。菅は国会内の議員事務所にこもった後、前からの約束を変更せずに私的な食事会で肩の力を抜いた。本番はここからだ。東京・赤坂の衆院議員宿舎の応接室で幹事長の二階俊博、その側近で幹事長代理の林幹雄、国会対策委員長の森山裕(石原派)と向き合った。この4人組は全員が秘書や地方議員からのたたき上げだ。

菅の擁立を決断した二階。28日の党役員会で、総裁選をどんな方式で実施するか一任を受けていた。対抗馬の石破茂が持つ地方の党員票の強みを封じ込めたい。それには「片時も政治空白をつくってはならない」と緊急事態を名目に「党員名簿の精査に2カ月かかる」党員投票を省略し、両院議員総会での新総裁選出を認めた党則6条2項ただし書きの適用こそ秘策だった。

週明けの31日、二階の電光石火の策動を仕上げたのが森山だ。9月14日の両院総会で新総裁を決め、政治空白の回避を理由に16日に臨時国会を召集して首相指名選挙を実施する。こんな短期決戦の政治日程で主要野党と素早く話をつけた。1日の総務会で総裁公選を要求した青年局長の小林史明ら若手議員も「野党に今さら迷惑をかけられない」との森山の論法に屈した。

霞が関の官僚機構を動かし、情報を吸い上げる官房長官。選挙対策や資金配分など党務を差配する幹事長。野党も巻き込んで政治日程を組み立てる国対委員長。安倍が首脳外交やアベノミクスなどでトップダウンの政権運営を展開した「安倍一強」を舞台裏で支えてきた、たたき上げの「裏方同盟」が総裁選で菅本命の流れを一気につくり出したのである。これを「二階派主導」とだけ見るのは皮相だ。

官邸と党執行部の要のポストを押さえた「実権派」グループだから、次の党内権力の奪取でも決定的な先手を取れたのだ。新型コロナウイルス対策に苦慮した安倍が、側近の官邸官僚たちの進言で一斉休校、アベノマスクの配布、自宅でくつろぐ動画配信などで迷走。内閣支持率を低下させ、健康不安を再燃させていった陰で「裏方同盟」による権力の静かな簒奪(さんだつ)が進んでいたともいえる。

安倍や副総理・財務相の麻生太郎がポスト安倍に擬したのは、同じ世襲議員で気が合う政調会長の岸田文雄だった。2019年に新元号を発表して「令和おじさん」で知名度を上げた菅は岸田後継に反対。安倍側近スタッフたちはポスト安倍への菅の野心を疑い、すきま風が吹いた。官邸がコロナ対策に追われた20年前半、菅の存在感は薄れた。

■アベノミクス・カルテットの「復縁」
安倍晋三首相と麻生太郎副総理は石破茂氏を担ぎ出すシナリオを警戒した

そこへ派内に総裁候補を持たずに幹事長続投を狙う二階がすかさず菅に接近した。返す刀で、安倍と麻生が次期首相には絶対に容認できない宿敵の石破を持ち上げて見せるなど「岸田後継」をけん制。「菅・二階連合」が石破を担ぎ出すまさかの悪夢だけは避けねば、と安倍・麻生ラインが警戒し、次善の選択として「菅後継」も思案せざるを得ない環境が醸成された。

それを象徴したのが6月19日。安倍、麻生が党税調会長の甘利明(元経済財政相)も誘い、菅を入れて4人で3年ぶりに会食した場面だった。12年12月に安倍が首相に再登板し、異次元の金融緩和を軸として発動したアベノミクスを内閣で推進してきたカルテットだ。政権の原点を再確認する形で、安倍、麻生と菅の微妙に開いた距離を縮める「復縁」の儀式ともいえた。

この頃、霞が関の官僚たちからは「菅氏はやる気を失ってなどいない」との驚きも漏れてきた。菅が今夏の各府省の幹部人事の随所に手を入れ、官僚機構の手綱を締め続ける意欲十分だったからだ。官房長官の実権を手放す気配など一切なかった。

農水省で官房長から新次官に昇格した枝元真徹は森山と同じ鹿児島県出身。菅と農林族の有力議員でもある森山の合作人事と見られている。国土交通省では菅が「若返り推進」を漏らした通り、本命視されていた国交審議官の由木文彦が復興次官に転出。同じ旧建設省の事務官系の国交審議官から、入省が1年後の栗田卓也が次官に登用された。

6月18日を最後に官邸での記者会見に応じず、「引きこもり」とも言われた安倍と対照的に、菅は政権の司令塔としての重みを回復していく。コロナで不備が露呈したマイナンバーカードの活用拡大。総裁選でも力説した治水・利水ダムの縦割り行政打破による水害対策。「コロナ感染拡大阻止と社会経済活動の両立」を旗印に掲げ、「Go To トラベル」事業の推進に不退転の姿勢も打ち出した。

安倍が健康不安を隠せなくなり、退陣表明するまでのひと月で、菅は6回もテレビやインターネットの報道・討論番組に出演した。辞意会見の6日前の8月22日、自らのブログで安倍を議長とする未来投資会議を4年ぶりに話題に。「ウィズコロナ、ポストコロナの時代の新たな社会像への議論を始めた」と新たな経済社会ビジョンづくりへの意欲すらにじませた。事実上の権力移行が始まっていた。

■「世代交代」河野・小泉カード
個別の政策ごとに縦割りや業界の既得権の壁を「一点突破」する局地戦に強い菅。外交・安全保障や持続可能な経済社会を巡る包括的なビジョンは語らず、宰相タイプとは見られてこなかった。ポスト安倍への意欲を何度聞かれても「全く考えていない」と否定し続けた。唯一、脈ありと考えられたのが、安倍が不測の事態に見舞われ、路線を継承するため緊急登板を迫られる今回のような展開だった。

「まずはじめに7年8カ月、首相の重責を担い、今日の礎を築いた安倍総裁に心からの敬意を表し、卓越した指導力と判断力に最大限の賛辞を送りたい」

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9月8日の総裁選の所見発表の演説会。菅はこんな謝辞から話を始めて「安倍継承」の衣を周到にまとって見せた。ただ、菅に近い人物は「菅は安倍から『後を託す』とはっきり告げられてはいない」と明かす。じわじわ外堀を埋め、熟柿(じゅくし)が落ちる一瞬を逃さず路線継承劇として演出して見せた。

勝ち馬・菅をつくった「たたき上げ裏方同盟」と不測の早期退陣でそれに乗らざるをえなかった安倍と麻生の世襲ライン。菅はひとまず双方に足場を置き、バランスを測る。安倍を父・晋太郎の秘書時代から知る元首相の森喜朗が「安倍さんの本心は岸田さんだ」と代弁した通り、「平時の人」岸田は総裁選で2位を死守し、安倍から見てなお「ポスト菅」カードたりうる。

菅が権力の正統性を「安倍継承」に頼り切らず、独自に調達するには早期の衆院解散・総選挙で有権者から信任を受けるしかない。「仕事がしたい」と意気込む菅だが、衆院選抜きに「安倍前総裁の残任期間1年の暫定政権」は脱せない。権力基盤を増強するため第3の勢力も育成しつつある。そのキーワードは負けても権力闘争に挑み続けたこの20年余の政治活動で常に旗印に掲げた「脱派閥と世代交代」だ。

「無派閥で総裁になるのは私が初めてだろう。派閥の組み合わせから総裁候補になったんじゃない。無派閥を貫いていく」

菅は11日、インターネット番組でこう「脱派閥」を訴えた。

総裁選で「防衛相の河野太郎さんが出れば、河野さんを応援します」と環境相の小泉進次郎が発言し、河野も「非常にありがたい」と応じるひと幕があった。麻生派の河野も無派閥の小泉も結局は同じ神奈川県選出の菅支持に落ち着いたが、これは麻生にとって笑い事ではなかった。「総裁候補・河野」への世代交代を派内が一致して受け入れる態勢になかったからだ。

といって、麻生が岸田支持なら、河野は出馬に走って派閥は割れたかもしれない。河野に影響力を持つ菅を担ぐことで降ろすしかなかったのだ。世代交代のマグマは安倍のお膝元の細田派でも胎動する。「改革意欲に富む人材を登用する」と宣言する菅は親しい河野や小泉らに仕事をさせ、世代交代の後見役を演じることで派閥領袖たちをけん制するはずだ。天下三分の計は現代に生きている。=敬称略』