「自民党をぶっ壊す」小泉構造改革と不良債権処理

「自民党をぶっ壊す」小泉構造改革と不良債権処理
学び×平成の経済史(3)小峰隆夫・大正大学教授
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62969650U0A820C2I00000/

『第3回は2000年代前半、小泉構造改革の時代を取り上げる。「自民党をぶっ壊す」と威勢よく登場した小泉純一郎総理は、高い支持率に支えられて改革を進めていく。

■小泉構造改革とは何だったのか
小泉総理は、それまでの政権には見られなかったような思い切った政策を展開していった。それはなかなかドラマチックであり、私も見ていて面白かった。国民的人気も高かったが、これは、「既得権益にしがみついた抵抗勢力を排して改革を遂行する」という基本的ストーリーが分かりやすかったからだろう。ここで小泉式政策運営の特徴を整理しておこう。

第1は、ワンフレーズ・キーワードだ。「構造改革なくして景気回復なし」「民間にできることは民間に、地方でできることは地方に」などが有名である。これは一般向けに極めて分かりやすくできており、高い支持率の一因となったようだ。

第2は、「小さな政府」を志向し、その盾の半面だが、「市場の機能を重視する」という姿勢が鮮明だったことだ。そして、その基本思想からいくつかの新しい方向性が示された。例えば、公共投資依存型経済運営からの脱却だ。日本の政治家は、総論はともかく、各論になると地元の公共投資の拡大に熱心だ。小泉改革ではこうした方向を転換することを明示し、実際のところ任期中に公共投資の国内総生産(GDP)比率は低下している。「国土の均衡ある発展」という国土開発の決まり文句も否定され、「個性ある地域の発展」「知恵と工夫の競争による活性化」という新たな方向性が示された。

経済財政諮問会議に臨む小泉首相(左)と竹中経財相

第3は、政策決定プロセスについての新しい仕組みを積極的に活用したことだ。その典型が経済財政諮問会議だ。この会議体は、橋本行革の成果として01年1月の省庁再編の際に誕生したものだが、特に小泉内閣の下で竹中平蔵経済財政担当大臣が諮問会議を担当していた時には、その機能がフルに活用された。具体的には、まず諮問会議の民間議員が、かなり踏み込んだ内容の「民間議員ペーパー」を出して、議論を意図的に紛糾させる。竹中大臣は、記者会見でその議論を紹介しながら世論形成も含めて目指す方向に誘導していき、最後は総理の裁断を仰ぐというやり方を取った。

■三つの改革
小泉改革の姿を見るために、三つの具体的な改革の歩みを紹介しよう。一つは、懸案がきれいに片付いた例として不良債権の処理を、二つ目は、改革が道半ばで息切れとなった例として財政の改革を、そして三つ目は、改革は行われたものの、(小泉内閣後に)骨抜きになったものとして郵政民営化を取り上げよう。

小泉内閣の経済政策のハイライトは、バブル崩壊後、長い間日本経済の重荷であった不良債権問題にメドを付けたことであろう。その重要な契機となったのが、02年10月に策定された「金融再生プログラム」である。これは、内閣改造で金融担当大臣となった竹中平蔵氏のリーダーシップで進められたものである。このプログラムでは、当時8.7%だった主要銀行の不良債権比率を04年度に半分程度に低下させるという数値目標が示された。その上で、資産査定の厳格化、自己資本の充実、ガバナンスの強化についての厳しい方針が示され、不良債権処理が具体化されていった。その結果、目標年度までに当初の数値目標は達成され、日本経済はようやく不良債権の呪縛を逃れることができたのである。

小泉政権は財政構造改革についても熱心だった。そのゴールとも言うべきものが、06年の骨太方針で示された財政再建方針である。ここで「まずは歳出削減、それでもどうしても残る部分は増税で対応する」という基本方針が示されたのだが、それを具体的に数値で示したのが画期的だった。まず11年度までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化を達成するために対応すべき額(歳出削減または歳入増が必要な額)は、16.5兆円程度とし、その上で分野別に歳出削減を積み上げていった。その歳出削減総額は5年間で11.4兆~14.3兆円。つまり、対応すべき額の7~9割は歳出削減で、残り1~3割を増税で賄うという計画を立てたのだ。

その後、この計画に沿って歳出の削減が進められたのだが、結局この計画は、その後の麻生内閣の時に挫折した。その一つの理由が、社会保障費削減への批判だった。前述の計画で、社会保障費については毎年度2200億円削減することとされていたのだが、これが「毎年、社会保障費を機械的に削減する血も涙もない政策」という批判を浴びたのである。

郵政民営化を巡る展開もドラマチックだった。小泉総理はかねて郵政民営化を「改革の本丸」と呼んで重要視していた。郵政事業を市場での競争にさらすことによって、良質で多様なサービスが国民に供給されることになるし、郵便貯金などの資金を経済の活性化に生かすことができると考えたからだ。しかし、これを実現しようとすると各方面から反対意見が続出した。小泉内閣が提出した民営化法案は、衆議院はきわどく賛成多数で通過したものの、参院では否決され一旦は廃案になってしまった。

郵政民営化は反対のデモも巻き起こった

ここで小泉総理は驚きの作戦に出た。参議院で否決されたことを理由に衆議院を解散したのである。この前代未聞の作戦は大成功を収め、自民党はこの選挙で圧勝、その後の特別国会で民営化法案は両院を通過した。郵政3事業は民営化され、07年には日本郵政グループが発足した。

その先は小泉政権以後のことになるのだが、この時決着したはずの民営化は骨抜きになっていく。09年に民主党政権は、郵便、郵便貯金、簡保の3事業は全国あまねく公平にかつ一体的に利用できるようにするとし、当初予定されていた郵便局ネットワークの民間開放は行われないこととなった。

■今に生きる教訓
我々は小泉構造改革のドラマチックな展開から何を学ぶべきだろうか。私の場合は次の三つである。

第1は、日本において小さな政府、市場原理中心の考え方を貫くことの難しさである。エコノミストである私の眼には、小泉改革の基本思想は自然に映る。しかし、実際にそれを適用しようとすると、「格差の拡大を放置するのか」「地方を見捨てるのか」という批判が高まり、それが民主党への政権交代を生む一つの素地とさえなってしまった。日本のような横並び重視型の社会で市場主義、自己責任を主張するのは無理なのだろうか。

第2は、社会保障問題の扱いが厄介だということだ。小泉財政改革プランが行き詰まったのも、社会保障費の削減がきっかけだった。どうやら、日本では改革が社会保障に及んでくると、急にハードルが高くなるようだ。これは、これからの社会保障改革の難しさを物語るものだ。

第3は、制度的な仕組みは、作っただけではだめということだ。例えば、経済財政諮問会議は、小泉内閣の時にはその潜在力をフルに発揮して、経済政策の議論を大いに活性化したのだが、その後はすっかり影が薄くなってしまった。また、郵政民営化は一時国民的な議論が盛り上がったにもかかわらず、その後急速に熱が冷めてしまった。制度は、改革する時だけではなく、その後の運営ぶり、事後検証が重要であることが分かるだろう。

=つづく』