民主党政権の誕生と挫折 リーマン・ショックの波及

民主党政権の誕生と挫折 リーマン・ショックの波及
学び×平成の経済史(4)小峰隆夫・大正大学教授
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62969720U0A820C2I00000/

『第4回は小泉政権が終了してから、民主党への政権交代が実現し、それが終わるまでの期間(2006~12年頃)を取り上げる。この時期は、内にあっては民主党への政権交代が実現し、外にあってはリーマン・ショックが発生するという激動の時期となった。

■政権交代の実現とその特徴
09年8月の衆院総選挙で民主党は歴史的大勝を収め、社民党、国民新党との連立による政権交代が実現した。民主党がやろうとしたことは衆院選挙で示されたマニフェスト(政権公約)で明確になっている。次のような点が特徴的だ。

第1は、官僚支配から政治主導への転換だ。この点はやや驚くほどマニフェストで強調されている。マニフェストでは冒頭で「5原則」と「5策」というものを掲げているのだが、これら10カ条の基本方針のうち八つは脱官僚と政治主導に関するものだ。どうやら民主党は、官僚支配こそが諸悪の根源だと考えていたようだ。

08年1月の民主党定期大会で政権交代へ気勢を上げる鳩山由紀夫氏(左)ら

第2は、大規模な財政支出を伴うバラ色の公約である。中でも金額の大きいものとしては、「子ども手当の支給(子ども一人当たり月2万6千円を中学卒業まで)」「高校の授業料無償化」「ガソリン税などの暫定税率の廃止」「高速道路の無料化」などがあった。これらの政策実現のための所要額を合計すると、初年度で7.1兆円、次年度以降は12兆~13兆円にも達する。

第3は、マクロ経済政策についての方針がなかったことだ。どうやら、マニフェストに掲げられた政策を実行していけば、自ずから望ましい経済が実現すると考えていたようだ。こうした姿勢は「成長戦略がない」「マクロ政策がない」という批判を浴びたため、鳩山内閣は09年12月に「新成長戦略(基本方針)」を決定している。この成長戦略では「幸福度」という考えが登場している。具体的には「(生活者が求めるのは『幸福度』の向上なのだから)国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」としている。

■民主党挫折の背景
この政権交代後、民主党政権は、鳩山→菅→野田と短期間で総理が交代する中で次第に支持を失い、12年12月の総選挙で自民党に大敗、政権の座を降りることになる。この挫折の経験によって「野党に政策運営は任せられない」という国民意識がその後も長く尾を引くことになる。なぜ民主党は挫折したのだろうか。その背景は、前述の三つの特徴点とそのまま重なることになる。

第1は、官僚への接し方を誤ったことだ。自民党時代の官僚は、表面的には自民党の方針に従って、その政策運営をサポートしたように見える。しかし、官僚は自民党をサポートしていたわけではなく、時の与党が自民党だったから自民党内閣をサポートしたに過ぎない。民主党は自分たちの方針を伝えて、官僚をコントロールすればよかったのである。

第2は、財源の手当てが甘かったことだ。もちろん、歳出増を主張した以上は、一応は財源も提案していた。具体的には「節約(公共事業の削減などにより9.1兆円)」「政府資産の取り崩し(いわゆる『埋蔵金』の活用で5.0兆円)、「租税特別措置の見直し(2.7兆円)」等がその主なものだった。「節約」については、公開の場での「事業仕分け」が行われ大評判となった。しかし現実には、これらの財源対策はうまく機能せず、当初のマニフェストの公約は大幅に縮小されたのである。

第3は、思い付きのような経済政策が続いたことだ。前述の幸福度重視の成長戦略は、菅→野田内閣と変化する中でほぼ消えてしまった。また、菅総理は、突然「財政再建のため消費税10%」と言い出したり、「第3の開国」というスローガンを打ち出したりと迷走した。党としての一貫した経済政策があったのかは疑わしい。

■リーマン・ショックと政策対応
08年9月にアメリカで発生したリーマン・ショックは、民主党政権発足前の出来事だったのだが、民主党政権はその負の影響を引き継ぐことになった。

リーマン・ショックは、アメリカにおけるサブプライムローンの隆盛に端を発している。これは、長期金利の低下と住宅価格の上昇→住宅ローンの増大とローンの証券化→債務者負担の軽減とリスクの分散というプロセスの中で起きた。これによって、一見すると誰もがハッピーという状況が生まれた。しかし、06年後半以降、住宅価格上昇率が鈍化し、ローンの延滞率が上昇、これらローンを組み合わせた証券化商品の価格も急落したため、金融機関は巨額の損失を抱えることになった。こうした中で大手投資銀行のリーマン・ブラザーズの経営が行き詰まった時、多くの人は当然政府が救済するだろうと考えた。しかし、それが行われずリーマン・ブラザーズの破綻が現実のものとなると、金融機関同士が相互不信となって、短期金融市場の資金が世界的に枯渇した。これがリーマン・ショックである。

リーマン・ショックの後、しばらくの間は、日本経済への影響はそれほど大きくないと考えられていた。確かに、金融面での影響は相対的に軽かったのだが、実体経済への影響は、危機の当事国であるアメリカよりも大きかった。国内総生産(GDP)成長率は08、09年度と2年連続でマイナス成長となっている。

こうした危機を受けて、主要国の中央銀行は異例のスピードで危機対応に当たった。日本銀行も、「ゼロ金利の復活(金利の誘導目標を0~0.1%とする)」→「時間軸の明確化(消費者物価上昇率が1%を展望できるような情勢になるまでゼロ金利政策を続ける)」→「量的緩和の再開」→「リスク資産の買い入れ(株式に加えてJ-REIT等の多様なリスク資産を買い入れる)」→「インフレ目標に近い政府との共同文書の発出(消費者物価1%を目指す)」という具合に、徐々に踏み込んだ対応を取っていった。

■今に生きる教訓
最後に、私がこの頃の経済から学び取ったことをまとめておこう。

第1は、野党の政策の重要性である。民主党政権失敗の原因は、現実に政権を奪取した時に実行すべき現実的な政策の準備がなく、それを実行する体制も整っていなかったことだ。これは日頃から、野党の考える政策が、議論の応酬で鍛えられていなかったからではないか。

2011年の東日本大震災は東北の太平洋沿岸部を中心に甚大な被害が出た(宮城県気仙沼市)

第2は、バブルの扱いはやはり難しいということだ。リーマン・ショックの引き金となったサブプライム・ローンの増大、住宅価格の上昇はバブル的な要素が強かった。しかし日本でそうであったように、アメリカでもバブルの中でバブルに気づくことは出来なかったし、公的資金の投入も遅れた。バブルをいかに処理するかは世界的に未解決の課題だと言える。

第3は、当たり前のようだが、歳出増を伴う政策を提言する場合には、財源をどうするかの議論をワンセットにしておく必要がある。民主党はバラ色の公約で歳出を拡大したが、財源の確保が不十分だったため、結局は財政赤字でそれを処理することになった。財源の議論は要するに国民に負担を求めることになるから、政治的には取り上げにくい。しかしそれを避けていては財政赤字という将来への禍根を残すだけに終わってしまうのである。

=つづく』

「自民党をぶっ壊す」小泉構造改革と不良債権処理

「自民党をぶっ壊す」小泉構造改革と不良債権処理
学び×平成の経済史(3)小峰隆夫・大正大学教授
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62969650U0A820C2I00000/

『第3回は2000年代前半、小泉構造改革の時代を取り上げる。「自民党をぶっ壊す」と威勢よく登場した小泉純一郎総理は、高い支持率に支えられて改革を進めていく。

■小泉構造改革とは何だったのか
小泉総理は、それまでの政権には見られなかったような思い切った政策を展開していった。それはなかなかドラマチックであり、私も見ていて面白かった。国民的人気も高かったが、これは、「既得権益にしがみついた抵抗勢力を排して改革を遂行する」という基本的ストーリーが分かりやすかったからだろう。ここで小泉式政策運営の特徴を整理しておこう。

第1は、ワンフレーズ・キーワードだ。「構造改革なくして景気回復なし」「民間にできることは民間に、地方でできることは地方に」などが有名である。これは一般向けに極めて分かりやすくできており、高い支持率の一因となったようだ。

第2は、「小さな政府」を志向し、その盾の半面だが、「市場の機能を重視する」という姿勢が鮮明だったことだ。そして、その基本思想からいくつかの新しい方向性が示された。例えば、公共投資依存型経済運営からの脱却だ。日本の政治家は、総論はともかく、各論になると地元の公共投資の拡大に熱心だ。小泉改革ではこうした方向を転換することを明示し、実際のところ任期中に公共投資の国内総生産(GDP)比率は低下している。「国土の均衡ある発展」という国土開発の決まり文句も否定され、「個性ある地域の発展」「知恵と工夫の競争による活性化」という新たな方向性が示された。

経済財政諮問会議に臨む小泉首相(左)と竹中経財相

第3は、政策決定プロセスについての新しい仕組みを積極的に活用したことだ。その典型が経済財政諮問会議だ。この会議体は、橋本行革の成果として01年1月の省庁再編の際に誕生したものだが、特に小泉内閣の下で竹中平蔵経済財政担当大臣が諮問会議を担当していた時には、その機能がフルに活用された。具体的には、まず諮問会議の民間議員が、かなり踏み込んだ内容の「民間議員ペーパー」を出して、議論を意図的に紛糾させる。竹中大臣は、記者会見でその議論を紹介しながら世論形成も含めて目指す方向に誘導していき、最後は総理の裁断を仰ぐというやり方を取った。

■三つの改革
小泉改革の姿を見るために、三つの具体的な改革の歩みを紹介しよう。一つは、懸案がきれいに片付いた例として不良債権の処理を、二つ目は、改革が道半ばで息切れとなった例として財政の改革を、そして三つ目は、改革は行われたものの、(小泉内閣後に)骨抜きになったものとして郵政民営化を取り上げよう。

小泉内閣の経済政策のハイライトは、バブル崩壊後、長い間日本経済の重荷であった不良債権問題にメドを付けたことであろう。その重要な契機となったのが、02年10月に策定された「金融再生プログラム」である。これは、内閣改造で金融担当大臣となった竹中平蔵氏のリーダーシップで進められたものである。このプログラムでは、当時8.7%だった主要銀行の不良債権比率を04年度に半分程度に低下させるという数値目標が示された。その上で、資産査定の厳格化、自己資本の充実、ガバナンスの強化についての厳しい方針が示され、不良債権処理が具体化されていった。その結果、目標年度までに当初の数値目標は達成され、日本経済はようやく不良債権の呪縛を逃れることができたのである。

小泉政権は財政構造改革についても熱心だった。そのゴールとも言うべきものが、06年の骨太方針で示された財政再建方針である。ここで「まずは歳出削減、それでもどうしても残る部分は増税で対応する」という基本方針が示されたのだが、それを具体的に数値で示したのが画期的だった。まず11年度までにプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化を達成するために対応すべき額(歳出削減または歳入増が必要な額)は、16.5兆円程度とし、その上で分野別に歳出削減を積み上げていった。その歳出削減総額は5年間で11.4兆~14.3兆円。つまり、対応すべき額の7~9割は歳出削減で、残り1~3割を増税で賄うという計画を立てたのだ。

その後、この計画に沿って歳出の削減が進められたのだが、結局この計画は、その後の麻生内閣の時に挫折した。その一つの理由が、社会保障費削減への批判だった。前述の計画で、社会保障費については毎年度2200億円削減することとされていたのだが、これが「毎年、社会保障費を機械的に削減する血も涙もない政策」という批判を浴びたのである。

郵政民営化を巡る展開もドラマチックだった。小泉総理はかねて郵政民営化を「改革の本丸」と呼んで重要視していた。郵政事業を市場での競争にさらすことによって、良質で多様なサービスが国民に供給されることになるし、郵便貯金などの資金を経済の活性化に生かすことができると考えたからだ。しかし、これを実現しようとすると各方面から反対意見が続出した。小泉内閣が提出した民営化法案は、衆議院はきわどく賛成多数で通過したものの、参院では否決され一旦は廃案になってしまった。

郵政民営化は反対のデモも巻き起こった

ここで小泉総理は驚きの作戦に出た。参議院で否決されたことを理由に衆議院を解散したのである。この前代未聞の作戦は大成功を収め、自民党はこの選挙で圧勝、その後の特別国会で民営化法案は両院を通過した。郵政3事業は民営化され、07年には日本郵政グループが発足した。

その先は小泉政権以後のことになるのだが、この時決着したはずの民営化は骨抜きになっていく。09年に民主党政権は、郵便、郵便貯金、簡保の3事業は全国あまねく公平にかつ一体的に利用できるようにするとし、当初予定されていた郵便局ネットワークの民間開放は行われないこととなった。

■今に生きる教訓
我々は小泉構造改革のドラマチックな展開から何を学ぶべきだろうか。私の場合は次の三つである。

第1は、日本において小さな政府、市場原理中心の考え方を貫くことの難しさである。エコノミストである私の眼には、小泉改革の基本思想は自然に映る。しかし、実際にそれを適用しようとすると、「格差の拡大を放置するのか」「地方を見捨てるのか」という批判が高まり、それが民主党への政権交代を生む一つの素地とさえなってしまった。日本のような横並び重視型の社会で市場主義、自己責任を主張するのは無理なのだろうか。

第2は、社会保障問題の扱いが厄介だということだ。小泉財政改革プランが行き詰まったのも、社会保障費の削減がきっかけだった。どうやら、日本では改革が社会保障に及んでくると、急にハードルが高くなるようだ。これは、これからの社会保障改革の難しさを物語るものだ。

第3は、制度的な仕組みは、作っただけではだめということだ。例えば、経済財政諮問会議は、小泉内閣の時にはその潜在力をフルに発揮して、経済政策の議論を大いに活性化したのだが、その後はすっかり影が薄くなってしまった。また、郵政民営化は一時国民的な議論が盛り上がったにもかかわらず、その後急速に熱が冷めてしまった。制度は、改革する時だけではなく、その後の運営ぶり、事後検証が重要であることが分かるだろう。

=つづく』

金融危機とデフレの発生

金融危機とデフレの発生
学び×平成の経済史(2)小峰隆夫・大正大学教授
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62966740U0A820C2I00000/

『第2回は1990年代後半の時期を扱う。バブルの後遺症が不良債権、金融危機、デフレとなって牙をむき始めていたのだが、多くの人はその深刻さに気が付いていなかった。

■遅れた不良債権への取り組み
バブルが崩壊すれば、必然的にバランスシート調整問題が発生し、金融機関には不良債権がたまる。この不良債権の存在は、金融機関の体力を低下させ、経済の回復を阻害する。したがって、税金を使ってでもいいから早めに処分してしまった方がいい。しかしこれは後知恵であり、当時はこうした点が全く分かっていなかった。そのことを示す例を二つ挙げよう。

一つはやや時間が遡るが、92年夏の宮沢構想の挫折だ。株価の下落を危機的にとらえていた宮沢喜一総理は、金融機関の不良債権を処理するために公的資金を投入すべきだと考える。ところが誰もこれに賛同しない。政治家は「税金で銀行を助けたりしたら、国民から大批判を浴びるだろう」と逃げ腰であり、当の金融機関も、税金を投入すれば経営陣の責任が問われ、「日本の金融機関はそんなにひどい状況なのか」と思われてしまうと乗り気ではなかった。この時思い切って不良債権を処理していたら、その後の金融危機もなかっただろうし、公的資金の投入金額そのものもずっと少なくて済んだはずだ。

もう一つは、95年の「住専問題」だ。住専(住宅金融専門会社)は、70年代以降、大手金融機関が母体となって設立された住宅ローン専門会社である。当初はうまく機能していたのだが、銀行本体が住宅ローンに力を入れ始めたために、行き場を失った住専は、住宅開発、不動産向け融資に向かい始めた。これがバブルの崩壊で不良債権化し、住専の経営は急速に悪化した。結局、母体行が債権を放棄することによって処理することになるのだが、農林系金融機関がどうしても負担できないとされた6850億円は公的資金(つまり税金)を投入することになった。この公的資金投入は各方面から強い批判を浴びた。要は、銀行と大蔵省(現財務省)の責任で起きたことに税金を使うのはけしからんという理屈である。この6850億円という金額は、その後の公的資金の投入が数十兆円に上ったことを考えるとまったく小さなものだったのだが、この時の騒ぎは、政府、政治家に大きなトラウマとして残り、97年秋に金融危機が起きるまで、公的資金の投入はほとんどタブーとなった。

■金融危機の発生
金融機関は相互信用で成立しているので、その信頼関係が崩れると取り付け騒ぎが起きたり、資金繰りに窮した金融機関が立ち行かなくなったりする。教科書には書いてあるが、まさか日本で本当に金融危機が発生すると予想した人は少なかった。

きっかけはアジア通貨危機だった。タイから始まった通貨危機(通貨の大幅な下落)は、またたく間に周辺諸国に波及していった。このアジア通貨危機によって、日本の株価は急落し、輸出の減退で景気も悪化した。ただでさえ大量の不良債権を抱えていた金融機関の財務状況は急速に悪化した。97年11月、ついに準大手証券会社の三洋証券が破綻した。このため(金融機関が資金を融通し合う)コール市場から三洋証券が調達していた資金の一部(わずか10億円)がデフォルト(債務不履行)となった。疑心暗鬼となったコール市場は大混乱となり、これが次の北海道拓殖銀行の破綻を招く。そして四大証券会社の一つであった山一証券も破綻した。この廃業を発表する記者会見で最後の社長となった野沢正平氏は、号泣しながら「社員は悪くない。善良な社員が再就職できるようにこの場を借りてお願いします」と訴えた。この涙の訴えの場面は、その後当時の金融危機を象徴する映像として、繰り返し放送されることになる。

■デフレ議論前史
平成時代を通して日本経済の頭痛の種となったのが、デフレ(物価の持続的な下落)問題である。これも後知恵で考えれば、デフレの進行は、名目賃金の上昇を抑制し、実質金利を引き上げる。インフレも良くないが、デフレも良くない。しかし、当時このことに気がついていた人は少なかった。気が付くどころか、当初は「物価の下落は望ましい」と考えていたほどだ。その例を二つ挙げよう。

一つは、内外価格差是正論だ。80年代後半の円高の進展により、日本の物価は(ドルベースでみると)海外に比べて相対的に高くなった。この内外価格差を是正すれば、国民生活も豊かになるという考えが広がり、これが90年代前半の物価政策の大きな目標となったのである。もう一つは、94年4月に成立した羽田内閣のもとでの「実質所得倍増計画」である。羽田孜総理は、これからは高成長を求めるのではなく、物価を下げることを目標にすべきだと考えたのである。ただし、これは官僚サイドの反対もあって、現実の政策には結びつかなかった。

いずれの政策も、日本の物価が下がれば、消費者の実質所得が高まり、国民生活は豊かになると考えた。しかし、物価が下がれば賃金をはじめとした名目所得も減るのだから、これは全く無理筋の政策だった。その無理筋の政策は、デフレへの取り組みを遅らせることにより、逆に国民生活をより厳しいものとしたのである。

■橋本内閣の構造改革への挑戦
96年1月に発足した橋本内閣は、いくつかの思い切った構造改革に取り組んだ。そのうちのあるものは現在に至るまで継続しており、あるものは道半ばで挫折している。

2001年、省庁再編で誕生した国土交通省の看板を披露する扇千景国土交通相ら

改革の枠組みが持続しているものとしては、省庁再編がある。橋本内閣は、99年に大規模な中央省庁の再編を行った(発足は2001年1月)。それまでの1府22省庁は、1府12省庁に再編され、内閣機能の強化が図られた。その後、小泉内閣の下で大活躍する経済財政諮問会議が登場したのもこの時である。

途中で挫折したものの代表が財政構造改革である。橋本龍太郎総理は財政再建に執念を燃やし、97年に「財政構造改革法」を成立させた。これは、具体的な財政改革の措置を法律に書き込む(例えば、「05年度までに財政赤字のGDP比を3%以下にする」)というもので、橋本総理の並々ならぬ意気込みが感じられる。しかし、日本の金融危機を経て財政再建ムードは急速に冷え込み、98年に後を継いだ小渕恵三総理は財政拡張路線に転じ、財政構造改革の歩みはとん挫することとなった。

■今に生きる教訓
この時代の経験からも我々は重要な教訓を得ることができる。

第1は、第1回でも述べたことだが、我々の経済認識にはどうしても長いタイムラグがある。不良債権、デフレ、金融危機、いずれも事態が深刻化してからでないと問題を認識できなかった。我々は、現在直面している事態の中に大きな問題の芽が潜んでいないか、常に注意する必要がありそうだ。

第2は、異論を排除することの危険性だ。不良債権への公的資金の投入は、金融危機が発生するまで全く議論の対象にならなかったし、インフレ時代を経験した人々にとっては、物価の下落が問題だという意識は生まれにくかった。

第3は、財政再建の難しさだ。現在の財政を見ていると、政治は常に歳出増・財政赤字拡大に向かっているように見えるが決してそうではない。平成時代の総理のうち、橋本、小泉純一郎、野田佳彦総理は財政再建に真剣に取り組んでいる。それでも現在に至るまで財政再建は進んでいない。我々は改めてその難しさを認識しておく必要があるだろう。

=つづく』

バブル崩壊、失われた20年の始まり

バブル崩壊、失われた20年の始まり
学び×平成の経済史(1)小峰隆夫・大正大学教授
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62891110R20C20A8I00000/

『これから5回にわたって平成時代(1989年1月から2019年4月)の経済について考えていく。平成を振り返ることにはいくつかの意味がある。

まず、平成の日本経済は多くの試練に見舞われた。その中の多くの課題、デフレの克服、財政・社会保障改革、人口減少への対応、地方創生などは、未解決のまま令和時代に引き継がれている。平成の課題は現代に生きる我々自身の課題でもあるのだ。

消費税が導入されたのは平成の初めの4月1日だった

平成時代を学ぶことは、現代経済の新常識を学ぶことでもある。平成時代には、それまでの経済の教科書には書いていなかったようなことが多く起きた。かつてはインフレこそが物価問題の中心だったのだが、今や議論の中心はデフレになっている。マイナス金利やイールドカーブコントロール(長短金利操作)といった平成以前には考えられなかった経済政策も行われるようになった。平成以前の経済常識は大きく書き換えられているのである。

■バブルとは一体何だったのか
80年代のバブル末期にはじまった平成時代は、バブルの崩壊によって一気に苦悩の時代へと突入していく。では、そのきっかけになったバブルとは一体何だったのか。

この時のバブルは、株価、地価などの資産価格が経済の基礎的な条件から大きくかい離して上昇したことを指す。その資産価格の上昇ぶりは想像を絶するものだった。日経平均株価は、1984年年初に1万円台に乗せて急上昇。89年末には約3万9千円と、ほぼ4倍になった。地価の上昇ぶりもすごかった。地域によって差はあるが、東京圏の場合、83年初から91年のピークまでの上昇率は、4.1倍である。

こうした資産価格の上昇は、当然ながら値上がり益(キャピタルゲイン)を生む。そのキャピタルゲインはGDP統計の中の「調整勘定」という項目に集計されている。これを見ると誰もがその規模に驚くことになる。86年から89年にかけての4年間は、毎年、なんと名目GDPに匹敵するか、それ以上の値上がり益が生まれているのである。我々は、経済成長率としてGDPの1%、2%の変化を熱心に観察する。しかしこの時には、GDPそのものが4つ分も現れたのである。

今から考えれば、これほどの資産価格の上昇はどう見ても異常である。しかし、当時はこうした資産価格の上昇をもっともらしく説明する議論が支配的であり、誰も異常だとは思わなかった。バブルの渦中では、人々はそれがバブルだということに気が付かない。だからこそバブルは起きるのだ。

■バブルの崩壊とその後遺症
実態からかい離したバブルは必ず崩壊する。株価は90年初から、地価も91年以降、大都市圏から本格的に下落し始めた。そして今度は資産価格の値下がり損(キャピタルロス)が生まれる。前述の調整勘定によると、株式・土地を合わせたキャピタルロスは、90~2000年の間で総額960兆円にも達した。

バブルの時期の経済は絶好調だった。保有している資産の価値が上昇すると、家計はいつもより贅沢な消費ができるようになり、リスクに鈍感になった企業は、冒険的な投資に乗り出す。その結果、86~89年の経済成長率(実質)は5~6%という高成長となった。税収が増えたので財政バランスは改善し、90年度には特例公債(いわゆる赤字国債)の発行はゼロとなった。輸入が増えて日米摩擦の原因となっていた経常収支黒字は半減し、雇用情勢も大幅に改善した。

バブルが崩壊すると今度は逆のことが起きる。資産価値の減少により、家計の消費活動、企業の投資活動は低迷した。全く逆だけならまだ良かったのだが、バブルには大きな後遺症が残った。これが「バランスシート調整」であり、そのメカニズムは次のようなものだ。バブル期に資産価値が上昇すると、担保価値の増加によって企業の借り入れ能力が高まり、企業のバランスシートは資産と負債が両建てで膨張する。バブルが崩壊すると、資産価値は直ちに減少するが、負債は減らない。高リスクの投資の採算性も怪しくなる。バランスシートが傷つき、その傷はバブルの崩壊が終わった後も残る。その後長く日本経済を苦しめることになる金融機関の不良債権はこうして生まれた。

■財政金融政策の混迷
こうした経済情勢の変化に、財政金融政策はどう対応したのだろうか。まず、バブル期においては、残念なことに、マクロ経済政策がバブルを生む一つの素地を作ったと考えられる。バブル期の80年代後半には、政府全体が内需拡大策を指向しており、経済を刺激しようとした。金融面では、86年1月以降、公定歩合は5回引き下げられ、財政面からも3回の経済対策が決定されている。ではなぜバブルの真っ最中に、さらに経済を刺激しようとしたのだろうか。その理由としては、(1)そもそもバブルだという認識がなかったこと(2)米国との経済摩擦が激化する中で、米国の保護主義を抑える必要があったこと(3)当時進行していた円高が経済にマイナスに作用することを恐れていたこと――などがあった。

バブル末期の89年頃からは、今度は政策的なバブルつぶしが始まる。「地価の暴騰でマイホームが持てない」「金持ちだけが得をしている」という国民的不満が高まってきたからだ。行政指導によって金融機関による土地関連融資自粛が求められ、公定歩合も90年8月までの間に5回引き上げられている。

平成年間は災害も相次いだ(95年の阪神大震災で炎上する神戸市街)

そしてバブルが崩壊した91年以降は、財政金融政策は再び景気刺激的な方向に舵を切る。今度は本物の不況対策だ。公定歩合は91年7月から95年9月までに9回引き下げられ、財政面からは92年3月から95年9月までの間に、8回も経済対策が決定され、公共投資の追加などが行われた。こうして、何か問題が起きると「経済対策」を決めて補正予算を編成するという手法は、日本のお家芸のようなもので、現在に至るまで繰り返されている。

■今に生きる教訓
以上のような経済の経験から我々は何を学べるだろうか。是非、読者の方一人一人に考えてみて欲しいと思うが、私が得た教訓は次のようなものだ。

(1)バブルは、それが崩壊した後、バブルの時のプラスを吹き飛ばしてしまうような長く厳しいマイナス効果を引き起こす。大学でバブルについて話すと「一度そういう経済を経験したかった」という感想を書いてくる学生がいる。私に言わせれば、とんでもないことだ。

(2)我々が直面している経済的課題を正しく認識するには、かなり長いタイムラグがある。バブルだという認識が生まれたのは、バブル末期になってからであり、バブルの崩壊が経済に大打撃をもたらすと気が付くまでにも長い時間がかかった。

(3)我々は、困ったことが起きると、政府の経済政策に頼りがちである。しかし、金利を引き下げ、公共投資を追加し続けても、バブル崩壊後の経済的低迷は続いた。我々は経済政策の有効性をもっと丁寧に吟味すべきだったようだ。

=つづく』

何が本当の問題か 論点をしっかり探り出す3つの条件

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO63174360Y0A820C2000000?channel=DF120320205956

※ 思考方法の話しだ…。

※ また、貼っておくか…。

『御社の本当の問題は何ですか?
会議の生産性を高めたいので、ファシリテーションのスキルを身につけさせたい。私のところに舞い込む研修の依頼の典型です。研修担当者は、会議の生産性が低いことや議事進行が下手なのが問題だと思っているのです。スキルを習得すれば解決できるのではないかと。

そう言われたら、依頼通りに研修をやればお金はいただけます。ところが、そんなことをすると、後で面倒がおきないとも限りません。大抵は問題を見誤っているからです。

先日も同様の依頼があり、会って事情を聞くことにしました。待ち合わせの喫茶店に行ってビックリ、連絡をくれた担当者やその上司を含め5人も打ち合わせに現れたのです。しかも、挨拶もソコソコに、フルカラーの分厚い資料を渡され、なぜこの研修をやることにしたのか、背景やストーリーを説明し出します。ひとりずつ順番に自分が担当するパートを。

あわせて読みたい

誰も遅刻をしなくなる 職場を前向きに変えるHow思考

チコちゃん人気 「問いの深さ」が核心 

ところが、「ここにある〇〇とは何ですか?」「なぜ△△なのですか?」と素朴な質問をするとしどろもどろに。いちいち5人でコソコソと相談が始まります。要は、カタチだけ立派で中身がまったくつめられていない。私は、こういう仕事の仕方を“会社ごっこ”と呼ぶことにしています。

もうお分かりのように、会議で分かりやすく症状が出ているだけで、組織や仕事のやり方そのものに問題があるのです。1回の研修をやったからといって、変わる話ではありません。

結局、それを指摘してしまったために、この話は流れることになりました。早い話、コーヒー代650円で会社の大元の問題を気づかせてあげたというわけです。相手は「さすが先生、とても勉強になりました」と喜んでいましたが……。

事実を元にして適切な論点を見いだす
問題を解決する上で一番大切なことは、真の原因を見つけることでも、優れた解決策を考えることではありません。「何が問題か?」を正しくとらえることです。そこを間違ってしまっては、すべての努力が水泡に帰してしまいます。

物事を考えるに際のテーマ(お題)を「論点」(イシュー)と呼びます。まずは論点が何かをしっかりと吟味して、最善の論点を見いだすのが「論点思考」の考え方です。

論点は問い(質問文)で表すと分かりやすくなります。「どうやったら会議の生産性が上がるか?」「わが社の一番の問題は何なのか?」といった具合に。論点を設定することは、問いを立てることに他なりません。ちょっとやってみましょう。

仮に、「今月の売り上げが前年比50%ダウンした」とします。皆さんは、どのような論点を設定して問題解決を図りますか。言い方を変えると、この会社が解決すべき問題は何でしょうか。

多くの方は、「どうやったら売り上げが回復するか?」を考えると思います。ダメだとはいいませんが、事実の裏返しが必ずしも論点ではなく、他に考えられないでしょうか。

たとえば、「さらなる売り上げ低下を防ぐには?」という論点も設定できます。あるいは、「低成長下で収益体質をつくるには?」「落ち込む分をカバーする新たな事業とは?」でも構いません。いろんな問いが立てられます。果たして、どれが望ましい論点なのでしょうか。

優れた論点を選ぶ3つの条件
残念ながら、適切な論点を導くためのシステマティックな手法はありません。本稿で紹介しているすべての思考法は、論点が定まったあとで活躍するものです。「どう考えるか?」(How)の技法は山ほどあっても、「何を考えるか?」(What)は自分で見いだすしかありません。

センスを磨くための方法はあります。情報収集に努める、幅広い教養を身につける、現場感覚を持つ、いろんなことに疑問を抱くようにするなどなど。だからといって目の覚めるような問いが立てられる保証はなく、試行錯誤を繰り返すしかありません。

とはいえ、立てた問いを評価することはできます。良い問いの1つ目の条件は、論点が本質をついており、「考えるだけの価値があるか?」です。売り上げ低下の話で言えば、それが一過性でないのなら、事業構造の変革そのものを論点にするほうが賢明です。

2つ目に、「新しい視点で物事を問い直しているか?」です。論点がありきたりだと、結論もありきたりになります。マンネリ化した論点だと、取り組むファイトがわいてきません。みんなを「え!」と驚かせた上で、「ナルホド」とうならせる斬新な視点がほしいところです。

3つ目に、「自分事としてかじ取りできる論点になっているか?」です。新型ウイルスのまん延や世界の景気の落ち込みは、個人や一企業がどうこうできる話ではありません。「それらにどう対処していくか?」「苦境を逆手にとった新しい事業とは?」であれば自分事になり、コントロール可能です。たとえ難しくても、自分事として解決できる論点を設定するようにしましょう。

論点が持つパワーを高めるには?
だからといって、3つの条件を兼ね備えた論点が一発で出てくるわけではありません。まずは、思いつく論点を付箋などに書き出して、数を増やすことに専念します。視点を替えたり、抽象度を替えたり、前提を疑ったりしながら。この作業を「クエスチョン・ストーミング」と呼びます。

そうやって100個くらい論点がたまったら、先ほどの基準でふるいにかけていきます。10個くらいまで絞り込めればOK。残ったものをブラッシュアップしていきましょう。問いの文章を洗練させることで、論点が持つパワーが大きく違ってきます。

たとえば、「売り上げが回復できるか?」といったクローズド質問(Yes/No型)と、「何が回復につながるか?」といったオープン質問(5W1H型)を相互に転換する手があります。

文頭に、「我々は」「あなたは」と主体を加えると、考える人の当事者意識を高める効果があります。文末の「できるか?」(Can)「したいか?」(Will)「べきか?」(Should)「ねばならないか?」(must)によっても、問いの意味が大きく変わってきます。

あるいは、「もし(仮に)……」「あえて……」と仮定法を使うと、思考の制約を打ち破ることができます。さらに、「最高の」「究極の」「本当に」「圧倒的な」といったパワーワードを加えると、問いの力が大いに高まります。そうやって、考える意義が最も高く、みんなが心から取り組みたい思える論点をつくることが、優れた問題解決の出発点となります。』

コンビニの支払いでバレてしまう「人としての器量」

『お客は「いい人、悪い人、普通の人」の3種類

先日、神奈川県厚木市のコンビニでアルバイトの男性店員が客の様子を写真に撮り「帰れ、デブ!」「死ね」などのコメントを添え、SNSに投稿して問題になった。客の免許証までアップしたとも報じられた。

「トンデモない、許しがたい!!」

あわせて読みたい

気配りできる人が決して使わない5つの「3文字」とは

すぐ分かる! 飲食店「いい店・悪い店」の見分け方

電話で取材した40代の男性が激しい憤りをぶちまけた。彼はコンビニを数店舗経営している。

「お前のところも大丈夫か? みたいに思われたら売り上げだって、バイト募集にだって影響が出かねない!」

話すうちに怒りが収まったのか、こんな「本音」も漏らすのだった。

「バカすぎて話にならないが、犯行理由を聞かれ『接客のストレスがたまっていた』と答えたというその言葉は、ちょっとだけわからないでもない……」

オーナーではあるが、彼は各店舗を回り、バイトたちと一緒にレジ打ちも行い、時間があれば、店員の声に耳を傾けるよう努めているという。彼の話によれば、自身の体験を含め、コンビニのレジで接客する人間のストレスは想像をはるかに上回るものだった。

「あくまでも私と、うちの店で働く者の感想ですよ。3台あるレジで働く我々は、1日1人当たり200人前後のお客様とやりとりします。ファミレス、居酒屋、美容室など、数ある接客業でもこれだけ大人数を、次々お相手する商売はあまりないんじゃないか。老若男女、客層も様々。正直に言うと、お客さんには、いい人、悪い人、普通の人の3種類いるんです」

1980年代を代表する、萩本欽一さんのテレビ番組名『欽ドン!良い子悪い子普通の子』のようだ。

声を出してくれるのが店員にはうれしい

「いい人の代表は、いわゆる<ガテン系>の皆さんです。こわもてな感じがするかもしれませんが、作業着で来店した方で、嫌な思いをしたことは一度もない。うちのバイトの子たちもほぼ例外なくうなずきます」

店の近所で作業する人たちは、お昼に、そして仕事終わりにと、工事期間中、何度かやって来る。そのこと自体もありがたいはずだが、何よりうれしいのが彼らの「フレンドリーさ」なのだそうだ。

「声を出してくれるっていうのがうれしいですね。<店のなかはポカポカしてていいねえ><このジュースうまい?><へえ、よかった><細かいお金で払っちゃっていい?><ありがとね~>。レジでのわずか数十秒間のやりとりで、こちらの緊張がすっかりほぐれる。新人なんかは特にそうですよ」

「日没が近づくと作業が終わるでしょ? この時期だと4時すぎです。朝が早いみなさんの帰宅時間で、中にはビールを買ってくださる方もいる。そういう時も<こんな時間から飲んじゃって、ごめんね~>なんて笑顔で話しかけてくれる。<とんでもないです、お疲れさまでした! ありがとうございます!>とお声をかけると、<ありがとさん~>と帰っていく。時間に追われる我々にとってホッとできる瞬間ですね」

私「作業員の方の声かけは、ナンパ目的なんじゃないんですか?」

経営者はきっぱり否定した。

経営者「レジ係が女性であろうと男性であろうと私であろうと関係なく、ごく自然にあったかく一言、言葉かけしてくれます」

私「現場の安全確認で、声を掛け合う習慣があるから?」

経営者「うーん、いい汗かいてるからかもしれませんが……」

原因はいまだ明らかになっていないようだが「いいお客さんナンバーワン」が「ガテン系」であることに間違いはない!と彼は力説する。

「悪い人」の代表は、ダークスーツ系の中堅サラリーマン

私「じゃあ、悪い人は?」

経営者「決めつけるわけじゃないですが、大ざっぱに言うとですよ。おおむね、ネクタイを締めた、ダークスーツ系の中堅サラリーマン、ですねえ。例外は、いっぱいあります、ありますよ。でもね、苦手だなあと感じる人の大半が、ネクタイでダークスーツの中堅サラリーマンだとは言えます」

私「例えば?」

経営者「声を全く出さない。イヤホン、ヘッドホンも多いですね。いらっしゃいませ、とかありがとうございますとかお声がけすると、視線を下から上にスッと動かすだけ。それだけならいいんですがね」

私「何か不都合が?」

経営者「例えば最近は電子マネーで支払う方がいるでしょう? あれ厳密に言うと、スイカなんかの交通系とワオンみたいな流通系だと決済が違うんです。<スイカですか?>とか尋ねても無視。分厚い財布を、ドカンと、レジの読み取り版に無言で押し付ける。たまにうまく作動しないこともあるんです。その時<チェッ>と、舌打ちするんです。これが続くと我々でもめげますねえ」

私「でも声を上げて、クレームつけられるわけじゃないから受忍限度じゃない?」

経営者「いきなり声を上げる方もいるんです。例えば、お釣りとともにレシートを渡す、これが原則。<お釣りとレシートです!>と言うんですが、無言で手や眉の動きで<要らない>を表現する人が多い。レジのベテランになると、そういう<ちょっとしたしぐさ>で<要る・要らない>の判断がつくようになるんですが、ごくたまにミスを犯すと、えらいことになる……」

ちょっとしたことでキレる客

事故の起きる様子はこんな感じだという。

レジ係「お釣りが~でございます、ありがとうございます!」

客「レシート?!」

レジ係「あ、失礼いたしました、申し訳ございません!!」

平謝りでお渡しすると、なんと客が目の前でそのレシートをひねり潰して放り投げ、声を荒らげたのだそうだ。

客「要る要らないは、お前が決めるんじゃない! 判断するのは俺だあ!!」

「キレる客」は珍しくないらしい。

コンビニでは切手も扱っている。82円1枚だけだって大事なお客様だから丁重に接客する。

「ここに、貼ってくんない?」と言われればスポンジで指を濡らしてお貼りする。キチンと貼ったから喜んでもらえると思ったら、激怒された!

「おい、ちょっと傾いてないか? ほら! こんなんじゃ大事な取引先に出せないんだよ。貼り直せ!!! 俺は、お前たちのそういういいかげんな態度が許せないんだよ!!!!」

改めて断っておくが、「キレるみなさん」は見た目も普通。キチンとネクタイを締めた30代から40代の、中堅サラリーマン、なのだそうだ。

将来ああいう人にはなりたくない……

でも、なぜこの人たちはレジで代金を支払いうわずか数十秒の出来事に「チェッ」と舌打ちしたり、声をあげたりするのだろう。世代的な立場、職業的役割が特段にストレスフルなのか……? この辺りは社会学者の論文が山のようにあるはずだから深追いしない。もちろん客の大半は「普通の人」なのだ。

とはいえ、1日一人平均200人ほどの接客をする、取材先経営者のコンビニのレジ係たちの「この中の何人かが突然……」と日々おびえる緊張感は想像するに余りある。そりゃあストレスもたまることだろう。

経営者「レジをやっていて思うんですが、お金を払う場面には、人格が現れやすいのではないでしょうか? 昔から『金離れがいい』とは『使いっぷりが見事』とか『金にきれい』とか、人柄を表現する時にお金が登場しますよね。うちで働いているバイトにも、しっかり勉強する将来有望な子がいるんです。彼ら、彼女たちはしっかり見ていますよ、レジでの振る舞いや人柄を。『将来ああいう人にはなりたくない』『ああいう人とは付き合いたくない』、そんなふうに話すのを聞くこともあります」

「どうせ、こんな、たかがコンビニ」などと思って“本性”を表したら、数年後、コンビニでレジ係をしていた若い人が、大事な取引先にいた! なんてことがないとも言い切れない。

コンビニのレジ。数百円の支払いだって「要注意」なのだ。

[2015年12月10日掲載の日経Bizアカデミーの記事を再構成]』

中年ナルシストの道は狭く険しい – シロクマの屑籠

 ※ まあ、そうなんだろう…。

  しかし、人間、そうそう「自分の選択したところに従って」生きられるわけじゃ無いと思うぞ…。

 大体、「何らかの役割」が、振られているもんだ…。その「役割」というものは、別に「自分が望んで」とか「自分が選択して」とかで、そうなったものじゃ無い場合が殆んどだ…。浮世の義理…、というヤツでそうなった場合が殆んどだ…。

 それで、目の前の「振られた役割」を果たすので、四苦八苦して、知らぬ間に「年取った」というのが、殆んどだ…。

 それでもオレは、「死にかけた」んで、「生きてることの有り難さ」「生命(いのち)ということの大切さ」なんかを、知ることができて、幸いだった…。

 「輝かしい人生」「輝いている生命(いのち)」とか、分に過ぎた話しだ…。
 
 今日もまた、おまんま頂いて、死ぬことも無く生きて、何かができている…。それに勝る「幸せ」は、無かろうよ…。