南シナ海着弾と粛正、習近平式「整風運動」の危うさ

南シナ海着弾と粛正、習近平式「整風運動」の危うさ
編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63286020R00C20A9I10000/

『「米軍への警告を意味する南シナ海への『空母キラー』ミサイル発射と、警察権力を完全掌握する儀式が全く同じ日に行われたのは、今後の中国の政治運動を見るうえで気になる」。中国政治に詳しいアジアの識者の見方である。

米側によると、中国人民解放軍が中国本土から「空母キラー」「グアムキラー」と呼ばれる弾道ミサイル4発を発射し、南シナ海に着弾したのは8月26日だ。米軍をけん制する中国のミサイル演習は、偶発的な衝突もありうる危険な領域に入った。

実力を行使する重い決断の前には、中国軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会の承認が必要なのは間違いない。トップは共産党総書記で国家主席の習近平(シー・ジンピン、67)である。

軍事パレードで公開された「空母キラー」とされる対艦弾道ミサイルDF21D(2015年9月3日、北京)=柏原敬樹撮影
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同じ日、習は北京の人民大会堂に全国から警察、国家安全部門の幹部300人余りを招集した。初めてとなる習自らによる人民警察旗の授与には、極めて大きな政治的な目的があった。簡単にいえば、軍に続く警察権力の完全掌握に向けたのろしである。

そもそも中国の公安・警察組織の大半は、国務院(政府)系列に属し、それを共産党の中央政法委員会がまとめてきた。だが、これを壊したのが習だった。警察も共産党が直接、掌握する方向に動いたのだ。

軍と政府にまたがる二重構造だった武装警察は、中央軍事委員会による集中統一指導という形で指揮系統を一本化した。2018年1月には、人民解放軍の軍旗と異なる独立した武警軍旗を習が授与した。

■「延安整風運動」に警戒も

今回、警察に新たにつくった警察旗を授与し、共産党中央による命令への絶対的な忠誠と綱紀粛正を訴えたのも同じ流れにある。旗の上部を占める紅色は、絶対の忠誠を示すと説明されている。授与式の現場にいた最高指導部メンバーは思想・宣伝系を担う王滬寧(ワン・フーニン、64)と副首相の韓正(ハン・ジョン、66)。政府を仕切る首相、李克強(リー・クォーチャン、65)の姿はなかった。

中国人民警察旗を授与する習近平国家主席(中央左)=AP
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数日後には、さらに深い意味が明らかになった。「面従腹背の輩、日和見主義者は徹底的に排除する」。習の長年の側近である公安省筆頭次官、王小洪(63)が機関紙を通じて政治規律に関する号令を発した。「逆らえば切り捨てる」というだけではなく、様子を見ながら勝ち組に乗ろうとする態度さえ許さない、という厳しい姿勢だ。

これだけでは重要性が分かりにくいかもしれない。ポイントはこの王小洪の経歴と現在の職務にある。王小洪は習が福建省時代に知り合った部下で既に30年もの付き合い。福建省の地元関係者は「習主席としては、本当に信頼できる数少ない古い友人だろう」と見る。

昨年、抜てきされたポストは新設である公安省特勤局のトップ。公安省次官との兼務だが、特勤局長の職務の方が注目度は高い。特勤局は習肝煎りの公安・警察再編によってできた組織で、要人の警護を担う。対象は最高指導部メンバーを除く、国家副主席、全人代副委員長、副首相、国務委員、最高法院長、最高検察院長らという。

名目は要人らの安全確保だが、物事には裏と表がある。時の為政者のために要人の動きを見張り、報告する役割もあるとされる。だからこそ、心から信頼できる側近をトップに据えた。刀の刃(やいば)を内に向けざるをえない重要な局面がやってこないとは限らない。それに備えているのだ。

その王小洪が今回、初めて習の意を受けて政治規律に関する発言をしたのは重い。面従腹背を意味する「両面人」といった言葉は、共産党の規律処分条例にも盛り込まれている。習が過去の「反腐敗」運動で繰り返し使ってきた特殊な政治用語なのだ。

■既に上海公安局長を粛正

もう一つ、見逃してはいけない言葉がある。「整風」だ。習近平の指示を受けて警察、検察、裁判所など全国の政法関係機関で「整風の精神」を学ぶ政治学習が本格的に始まっている。そこで強調されているのは、整風の精神で自らの革命を進めよとする「延安整風」である。

延安整風とは、新中国成立前の1940年代前半、陝西省延安にあった中国共産党の革命根拠地で毛沢東が打ち出した反対派を排除する粛正運動を指す。ただごとではない。なぜなら、それは今後、政敵とされた人々が多数、失脚する粛正を予感させるからである。

王小洪の動きは、共産主義青年団(共青団)など習と距離がある勢力からも注目され、交流サイトなどを通じて詳細が広がっていった。そこには警鐘を鳴らす意味もある。「運動が始まるぞ。皆、気をつけよう」。言葉にしない暗示だ。

中国人民警察への旗の授与式に出席した習近平国家主席(中央)=AP
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既に動きはある。8月中旬、政治にはさほど興味を示さない商都、上海の市民でも驚く発表があった。上海市副市長で市公安局トップだった●道安(●は龍の下に共)を重大な規律違反と法律違反の疑いで調査しているという内容だった。

次官級の公安幹部の失脚は今年に入り3人目。しかも、今回は河北省の保養地で現役指導部と長老らが重要課題を巡って意見を交わす「北戴河会議」の時期が終わった直後である。中国の公安は、我々の知る自由主義諸国の警察とは違って、ある意味、全能である。だからこそ為政者は気を抜けない。面従腹背が常態化すれば政権はすぐにがたつく。

その全能ぶりを象徴するエピソードが5年前にあった。2015年夏、中国は株式市場の値崩れによる自殺者の情報が駆け巡るなど不穏な雰囲気に包まれていた。代表的な指標である上海総合指数が一時、8%下がるなど市場はパニックに陥る。すると驚いたことに株価維持政策(PKO)の切り札として習指導部が投入したのは公安幹部だった。

当時の公安省次官が配下の捜査官らを率いて北京の金融街にある証券監督管理委員会に入り、悪質な空売りの厳格な合同取り締まりを宣言。間髪おかず、経済を動かす本丸である上海に飛び、個別の貿易会社などに現物と先物の取引を絡めた違法な株価操作の疑いで調査を始めたのだ。警察組織による市場への「直接介入」は共産党が全てを仕切る習近平時代の中国政治を象徴していた。

■2匹目のどじょうを狙うのか

今後の注目点は、毛沢東式の延安整風を思い起こさせる政治運動が公安や政法関係にとどまらず、周囲に広がっていくのかである。過去を振り返ると、習はトップ就任後、間もない13年から共産党内で「群衆路線教育実践活動」という運動を繰り広げ、苛烈な「反腐敗」運動につなげた。

「グアムキラー」とされる中国の中距離弾道ミサイル「東風26」=共同
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この過程では、ぜいたく禁止、倹約重視も叫ばれた。今、習は再びレストランの注文などで節約を重視するよう訴えかけている。2匹目のどじょうを狙おうというのか。その雰囲気は整いつつある。

前回17年の共産党大会の前には、軍幹部が相次ぎ捕まり、自殺者まで出た。さらに「ポスト習近平」の一角と見られる有力政治家まで失脚したのである。習が狙う軍に続く警察の完全掌握。それでも22年党大会に向けた政治目的の達成に不十分なら、さらなる激動がありうる。

8月末の国営中央テレビのメインニュースでは、なぜか老革命根拠地、延安の暮らしを支えるリンゴ産業まで取り上げていた。そこに延安整風の兆しを感じるのは、うがち過ぎだろうか。南シナ海にミサイルが飛ぶ米中の危機と同時並行で進む中国の政治運動。不気味である。(敬称略)』