スターリングラード(※現ヴォルゴグラード)攻防戦

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E6%94%BB%E9%98%B2%E6%88%A6 

※ 独軍の進路と、前線の推移の様子だ…。これを見ると、クリミア半島がいかに「要衝」であるかが、分かるな…。この地域に軍を送り、その「兵站」を担う…、となると、「黒海」を利用しての「舟運」ということになる。その場合、クリミア半島は、決定的に重要になる…。オレは、ロシアの黒海艦隊が「地中海」に出て行く…、という視点しか無かった…。しかし、「バクーの油田地帯」を防衛する(独軍も、その「油田地帯」を、取りに来た…。それと、この地域は、「一大軍需産業・工場地帯」だったらしい…)、となると、その戦略的な要衝なわけだ…。

※ 初期の段階では、独軍が優勢で、ほぼ市街地を占拠したようだ…。しかし、逆に、その占拠状態から身動き取れなくなったらしい…。

※ そこで、露軍が「大包囲作戦」に出たらしい…。その「身動きとれない」原因が、自分の撒いた種だったらしい…。というのは、「爆撃機」による「大爆撃」「絨毯爆撃」を敢行して、街を徹底的に破壊したらしい…。そしたら、その瓦礫の山のお陰で、ご自慢の「装甲機動兵団」の機動力が、全く使えない状態になったらしい…。それで、「歩兵」「狙撃兵」などによる、「叩き合い」「白兵戦」ということになったらしい…。「装甲機動兵団」は、「市街戦」には、あまり有用でない…、という戦史に残る前例となったらしい…。

『スターリングラード攻防戦(スターリングラードこうぼうせん、英語: Battle of Stalingrad, 1942年6月28日 – 1943年2月2日)は、第二次世界大戦の独ソ戦において、ソビエト連邦領内のヴォルガ川西岸に広がる工業都市スターリングラード(現ヴォルゴグラード)を巡り繰り広げられた、ドイツ、ルーマニア、イタリア、ハンガリー、およびクロアチアからなる枢軸軍とソビエト赤軍の戦いである。』

『スターリングラードは元来ドイツ軍のブラウ作戦における副次的目標の一つに過ぎなかったが、戦略上の要衝の地であったことに加え、時のソビエト連邦最高指導者ヨシフ・スターリンの名を冠した都市でもあったことから熾烈な攻防戦となり、史上最大の市街戦に発展、やがては日露戦争の奉天会戦や第一次世界大戦のヴェルダンの戦いを上回る動員兵力、犠牲者、ならびに経済損失をもたらす野戦に拡大した。

緒戦は枢軸軍側の優位に進み、市街地の90%以上を占領したものの、最終的にはソ連軍側の反攻により、ドイツ第6軍を主軸とする枢軸軍が包囲され、降伏した。独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の全局面における決定的な転換点のひとつとなった。米国の軍史家イヴァン・ミュージカントはこの戦を「ミッドウェイ海戦、エル・アラメインの戦い、第三次ソロモン海戦」と同じく第二次世界大戦の転換点であると位置づけている[5]。

死傷者数はソンムの戦いなどの第一次世界大戦の激戦を遥かに超える規模で、枢軸側が約85万人、ソビエト側が約120万人、計200万人前後と見積もられた。街は瓦礫の山と化し、開戦前に60万を数えた住民が終結時点でおよそ9800名にまで激減。第二次世界大戦最大の激戦、また13世紀の「バグダッド包囲殲滅戦」(モンゴル帝国)などと並ぶ人類全史上でも屈指の凄惨な軍事戦であったと目されている。』