国際社会、中国の脅威認識 G7国安法非難は「日本主導」―米長官

 ※ 日本が、最も警戒する必要があるのは、この辺りだ…。
 対中国の先兵として、前線に投入され、ハシゴを外されて、前線で孤立する…。
 特に、中国は、自ら「超限戦」と称するように、手下やエージェント、シンパを操って「乱戦」に持ち込む策を、得意とする…。
 そういう「攻撃」を受けた時、この日本社会は、持ちこたえることができるのか?政権担当者の苦悩も、そこにある…。
 郡山の爆発事件、緊急地震速報の誤報事件がそれで無いと、どうして言える?
 今また、「謎の種(たね)」をばら撒いて、社会不安を煽っている…、ようにも見える…。
 中東でのクルドを、見たか?蒋介石と毛沢東を、二重に支援して、日本軍に当てた戦略を見たか?ベトナムが泥沼化すると、ソ連牽制のために、頭越しに中共と和解した戦略を見たか?

( ニクソン大統領の中国訪問 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%A8%AA%E5%95%8F 

『毛沢東への四元帥報告
ニクソンが大統領に就任した1969年、中ソの緊張状態は夏から秋にかけて最も戦争の危険性を孕んでいた[注釈 4]。中国の毛沢東は慎重に情勢を見極める中で、当時の人民解放軍の中華人民共和国元帥の10人のうち、文革で一時失脚して地方に送られた陳毅・聶栄臻・徐向前・葉剣英の「四元帥」[注釈 5]に中国の今後の戦略的課題の分析を行うよう指示した[5][注釈 6]。しばらくしてまとめられた報告書ではソ連がすぐに攻めてこない理由として国内での支持の弱さ、兵站の問題と合わせて米国の姿勢への疑念を上げて、「二頭の虎が戦う様子を山頂に座って眺めている」という中国のことわざを使った。この時はまだ大胆な政策転換をめざしたものではなかった。しかしこの当時毛沢東は彼の医師との会話の中で「我々の祖先は近隣諸国と戦う際には遠方の国々と交渉することを勧めなかったか」[6]と語っていた。1969年5月に毛沢東は再び陳毅・葉剣英ら「四元帥」にさらなる検討を指示したところ、6月から7月まで6回の座談会で「戦争情勢についての初歩的評価」を周恩来に提出し、以後7月末から9月中旬までの10回の座談会で「当面の情勢についての見方」の報告を提出した[3]。この中で「四元帥」の議論は「中国がソ連の攻撃を受けた場合に米国カードを使用すべきか否か」という点に議論が集約され、陳毅は第2次大戦直前のヒトラーとスターリンの例を、葉剣英は魏呉蜀の三国時代の諸葛亮の例を出して、毛沢東が同盟関係の逆転につながる戦略的ひらめきを得るために先人たちを調べるように勧めた[7]。しかも「ソ連修正主義者が中国への侵略戦争を開始するかどうかは、米帝国主義者の姿勢にかかっている」[8]として、中国と米国とソ連の三大国の相互関係を分析して、中ソの矛盾は米中の矛盾より大きい、米ソの矛盾は中ソの矛盾よりも大きい、すぐに反中戦争が起こる可能性は少ない、しかし米中でソ連を牽制すること[9]が肝要で米国との大使級会談の再開を進言して、陳毅はまた補足で大使級会談を閣僚級会談に引き上げるべきで、そのために台湾返還の問題などは前提条件にすべきではないとまで書き入れていた。

米国にとって、もし中ソが戦った場合にソ連が勝って米国以上に大帝国になることが一番望ましくないことであり、傍観者の立場に限定することはなく、しからば中国は米国と接触することが中国の防衛には必要なことであるということであった[10]。これは毛沢東がその時考えていたことではあったが、文革派の勢いが強かった1969年当時では毛沢東でさえ党内強硬派に配慮せざるを得なかった[11]。』

『アメリカの戦略見直し
一方、ベトナム戦争の泥沼に嵌まり込み、国内から強い批判を浴びて、再選出馬を断念した民主党のジョンソン大統領の次に、1968年アメリカ合衆国大統領選挙で当選して大統領に就任した共和党のニクソン大統領は、アメリカ軍のベトナム戦争からの名誉ある撤退を選挙で公約しながらもその後北ベトナムとの対話が進まず、兵力を漸次縮小はしていたがカンボジアやラオスに侵攻するなど、インドシナでの戦争を逆に拡大させ、また国連総会で中華民国の議席を守る方針を朝鮮戦争後ずっと続けてきたが、1970年秋の国連総会で中華民国政府を国連から「追放する」(代表権を剥奪する)問題を重要事項に指定する決議案が否決され、中華人民共和国の加盟を認めるアルバニア決議案が多数となり、アメリカ外交の以後の戦略の見直しを模索していた。

ニクソンは単にベトナム戦争からの撤退だけを考えていたわけではない。ただ撤退するだけでは戦後築き上げた世界最強国家としてのアメリカの威信や自由世界の守護神としての重要な位置を失うだけであった。「戦争を終わらせると同時に戦後の国際秩序を一つ一つ構築していくうえでアメリカが力強い役割を果たす」ことが重要であり、こうした考え方の中でアメリカにとって中華人民共和国は「重要な役割を果たすパートナー」として、長期的な平和の見取り図が提示できると考えていた[12]。中ソが緊張関係にあった1969年8月の国家安全保障会議でニクソンは「もし中国が中ソ戦争で粉砕されればアメリカの国益に反する」[13]という主張をしており、ほぼ同時期に米中の最高首脳はまったく同じ方向で外交政策の見直しを行っていた。』

※ こいつら、舌は何枚も持っているし、人を裏切ったり、謀ったりすることは、何とも思っていない…。
 そして、「戦略の変更」は、上記のように、より「高次の見地」からの「大戦略」の決定によりなされる…。


※「周辺国」は、そういう「大戦略」の変更の兆しを、いち早く捉える必要がある…。そうでないと、「亡国」の憂き目を見ることに、なりかねないんだ…。
 日本人なんか、「人」だと思っているのかすら、知れたモンじゃ無いんだ…。