遠心力が迫る野党再編 政権奪取失敗の宿命

※ この人達は、「選挙区の調整」で、当選者数を増大させることしか考えていない…。いざ政権を取ったら、どういう国家戦略で、どう日本国の安全保障を図るのかとか、どう国際情勢を認識していて、それを前提にどういう策を立てて、日本国の国益を最大限に図っていくのか、といった課題については、からっきし企画・立案されてはいない…。

※ それで、「国政の舵取りする」とか、国民がいい迷惑だ…。そこを、見透かされているから、永遠に「政権を奪取する」ということは、無いだろう…。

※ 策としては、ひたすら「敵失」を待つのみだ…。「時が味方する」ということも、無いだろう…。

『衆院議員の任期満了を1年3カ月後に控え、立憲民主党と国民民主党の合流構想が再燃した。権力への固執を求心力に変える与党と違い、遠心力が働きやすい野党は選挙のたびに離合集散を繰り返す。この四半世紀に起きた50回を超える政党の分裂・合併や党名変更の大半は野党である。

■立民と国民、再び

立民と国民民主の合流構想はこれまで何度も協議を重ねながら決着に至っていない。今回も党名や憲法改正への路線を巡る両党の溝が目立つ。次期衆院選を見据えて交渉を再開したものの、具体的な時期が見えず推進力を欠く。

衆院選は1996年に小選挙区制を導入し、1選挙区から1人しか当選しない仕組みになった。野党が勝つには政権批判票を1つの受け皿にまとめるのが有利となる。選挙前に政権交代への道筋を描けそうな政党があれば、他党から駆け込む動きが出るようになった。

支持率が低迷する党からは、泥船から逃げ出すように合流や新党結成を目指す勢力が現れた。選挙で期待した結果が出ないと離散した。政権奪取に失敗した宿命といえる。96年以降の政党再編は主に野党が形作り、多くは衆院選の前後1年以内に起きた。

■選挙前に離合集散

96年の衆院選は象徴的だった。新党さきがけの鳩山由紀夫、菅直人両氏らが主導した新党の動きに社民党の議員らが合流し、選挙の1カ月前に民主党が誕生した。故・仙谷由人元官房長官は生前「社民党やさきがけでは勝てないという理由で若手が合流した」と語った。

98年には他の政党も合流した。自民党に代わる政権政党を目指したことが、それから約20年続く要因となった。96年以降に生まれた新党は短命が多く、民主党は特異なケースだった。

14年9月に結いの党と日本維新の会が合流して立ち上がった維新の党は、同年の衆院選が終わると翌15年末までにおおさか維新の会など3つに分かれた。民主党と維新の党が16年3月に合併した民進党の結成は衆参同日選が取り沙汰された時期だった。

17年衆院選の直前には、小池百合子東京都知事が希望の党を立ち上げた。衆院定数の過半数の候補をそろえたが、政策が合わない議員を排除したこともあり結果は惨敗だった。この時に枝野幸男氏の主導でつくったのが今の立民、選挙後に希望の党から分裂した勢力と民進党が一緒になったのが国民民主党である。

自民党でも分裂がなかったわけではない。郵政民営化の賛否が争点となった05年衆院選では、小泉純一郎首相から「抵抗勢力」との批判を受けた亀井静香元政調会長らが国民新党を結成した。野党時代の10年には進まぬ党勢回復にしびれを切らした平沼赳夫、与謝野馨両氏らが「たちあがれ日本」をつくった。

■自民は党名変わらず、離党者は復党

他の政党と異なるのは自民党は党名も組織も変わらずに残り続け、離れた議員の多くはやがて復党したことだ。現職閣僚のうち武田良太行政改革相、江藤拓農相、衛藤晟一少子化相の3人は郵政民営化時に離党し、その後復党した議員である。

自民党と連立を組む公明党は他党の再編とは一線を画す。野党でもイデオロギーを重視する共産党や社民党は政党再編と距離を置いてきた。

離合集散を繰り返す政党は地方組織が根付かず、知名度も上がらない。与党が支持率を落としても政権批判票の受け皿になりにくい。民主党が09年衆院選で政権交代を果たしたのは結成から13年間の下地があればこそだった。

地方組織の基盤と連立を組む公明党の固定票がある自民党議員は多少の政策の違いや路線対立があっても選挙前に離党しにくい。逆に政党としての基盤が弱い野党は、選挙で党への依存度も低いため離党へ向かいやすい。

一橋大の中北浩爾教授は「英米に比べて特に中道左派の支持基盤が弱く、新党ができやすい」と指摘する。

今回の立民と国民民主の合流協議は、共産党が絡む点がこれまでと違う。立民が選挙協力で共産との距離を縮める一方、国民民主は共産との連携に慎重論がある。

立民も国民民主も結成から3年未満で、地方組織では自公に及ばない。離合集散を繰り返して自前の基盤をつくれていない野党が共産党の組織を頼る構図がある。

■年末に多い合流構想 台所事情も背景

野党の再編は各党の資金力も左右する。総務省の政治資金収支報告書によると、民進党を継承した国民民主党は2018年の繰越金が約108億円だった。新党として結成した立憲民主党の約18億円とは大きな差がついた。

立民は19年の参院選で多額の債務を抱えたとされる。資金力がある国民民主との合流交渉を続ける背景には次期衆院選をにらんだ台所事情もある。枝野幸男代表は立民の債務を国民民主が引き継ぐことが合流の前提だと主張する。

政党交付金は一定の要件を満たした政党に政治活動を助成する目的で国庫から支給する制度だ。年間総額約320億円の半分は1月1日時点の議員数に応じて、残りは国政選挙の得票数に応じて各党に配分される。

政党交付金が決まる基準日が近くなる年末は、政党再編の動きが活発になりやすい。過去には1994年の新進党や2013年の結いの党が12月の結成だった。昨年末に立民と国民民主の合流協議が盛り上がったのも同じ文脈である。

■記者の目 形骸化する「政策一致」

金融市場関係者と政界の話をすると、決まって聞かれる質問がある。「安倍晋三首相は自民党総裁を4選するのか、しなければ後継は誰か」である。野党への関心は低く、話題を振っても「政権交代の勢力としてみてはいない」と冷たい。

原因は民主党政権への失望だけではない。冷淡な反応の後には「そもそも野党がどんな政策を目指しているのか分かりにくい」という指摘をよく耳にする。

残念ながら政党再編に政策や理念の影は薄い。民主党は政権転落後、与党復帰への展望を描けず分裂した。かつて民社党委員長を務めた春日一幸氏は政治の現実について「理屈は後から貨車で来る」と語った。実際の政治は権力闘争であり「政策の一致」は形骸化した方便として使われがちだ。(黒瀬泰斗)』