中高年の活躍阻む3つの壁 テレワークが崩す

中高年の活躍阻む3つの壁 テレワークが崩す
同志社大学政策学部教授 太田 肇
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO6162575017072020000000/?n_cid=TPRN0002

 ※ この手の話は、前に何回も聞いたことがある気がする…。コンピューターが導入され始めた時とか、win95になって、インターネット環境が徐々に構築され始めた時とかにな…。
 その都度、「これで、業務の処理は、画期的に改善される!」と言うんだが、実態はどうだった?
 そういう「機器」を使えない御仁に、「サポート部隊」を付けたり、「お膳立て部隊」を配したり、大変だった…。
 今回のコロナ騒動でも、「テレワーク」に対応できない御仁の「サポート部隊」の割り振りで、右往左往だったんじゃないのか?
 結局、「自律的に」こなせる人材じゃないと、「二度手間部隊」「足手まとい部隊」になってしまうのが、落ち…という気がする…。

『少子化にともなう長期的な労働力不足。それを補う役割を期待されているのが、意欲ある中高年たちだ。

 ところが実際に中高年が継続して働くうえでは、大きな壁が3つある。

通勤こそ最大のネックだった

 1つは能力の壁である。

 ちまたでは、中高年になると創造性や記憶力、判断力など知的能力が衰えると信じられている。創造性が決定的に重要な研究開発の現場では、30代の半ばに峠を越えるという「35歳限界説」まで存在する。

 しかし脳科学者によると、人間の脳は使い続けているかぎりいくつになっても発達するそうだ。実際に作家や芸術家のなかには70代、80代になっても独創的な作品を世に送り出している人が少なくない。定年退職後にパソコンを覚え、80代でゲームクリエーターとして活躍する女性もいる。

 中高年が働き続けるうえでネックのなるのは、むしろ肉体的な衰え、とりわけ毎日の通勤だろう。満員電車に揺られて毎日会社に通うのはかなりの重労働であり、中高年には厳しい。逆にいえばテレワークで自宅にいながら仕事ができるなら、能力的な限界は大幅に遠のくはずだ。

30代、40代で限界がくる日本、いくつになっても限界がこない欧米

 2つ目は制度の壁である。

 つぎの調査結果に注目してもらいたい。日本生産性本部は1988年から90年にかけて日本、アメリカ、イギリス、ドイツ4か国の大手企業の研究所で働く技術者を対象に調査を行った。そのなかで「あなたの周囲を見て技術者として第一線で活躍できるのは、平均的にみて何歳ぐらいまでとお考えですか」と聞いたところ、日本では「30歳台後半」「40歳台」が合わせて6割を占めた。いっぽう他の国では「年齢に関係ない」が7割以上を占め、それに次いで多いのが「50歳以上」だった。

 またアメリカの研究所で実態調査した石田英夫・慶應義塾大学名誉教授によれば、年齢による雇用制限が禁止されているアメリカでは70歳以上の研究者は珍しくなく、90歳以上の人もいるという。特許や論文などの研究成果を見ても、60歳以上の業績は40代、50代に比べ劣ってはいない(石田英夫編『研究開発人材のマネジメント』慶應義塾大学出版会、2002年)。

 要するに欧米では、年をとっても知的能力は低下しないと認識されているわけである。

 日本と欧米との間にあるこのように極端な違いは、いったいどこからくるのか?

中高年の能力低下は、加齢でなく「制度」が原因

 それは、ひと言でいうと制度の違いである。

 年功制が残るわが国では能力と無関係に50歳前後まで給与が上がり続け、60歳の定年まで大きく下がることはない。いっぽう中高年の知的能力は実際に低下しなくても、上昇する給与との間にはおのずと開きが出てくる。給与に見合った貢献ができなくなるのである。つまり絶対的な能力は低下していなくても、待遇との比較によって「能力の限界」とか「能力が衰えた」と見なされるのである。

 要するに能力そのものではなく、制度が限界をつくっていることを意味する。したがってわが国でも、かりに年功制を廃止すれば欧米の中高年と同じように、いつまでも第一線で活躍できるはずだ。

 テレワークはそれを後押しする。』
『大企業を中心に、これまでの伝統的な「メンバーシップ型」雇用から「ジョブ型」雇用への転換が叫ばれている。実際に「ジョブ型」がどれだけ広がるかは疑問だが、いずれにしても一人ひとりの分担を明確にし、仕事のアウトプットで評価する方向に進むのは間違いなかろう。またテレワークとピラミッド型の組織は相性が悪いので、組織はフラットになっていく。すると必然的に部長や課長といった役職も減る。その結果、年齢や勤続年数によって給与や地位が上がる年功制は維持することが困難になるのだ。

テレワークなら年長者への余分な気遣いは無用

 3つ目は文化の壁である。

 「長幼の序」の文化が残るわが国では、年長者の部下は扱いにくいという声がしばしば聞かれる。たとえ部下でも年長者は立てないといけないし、敬語で話さなければならない。いっぽう年長者の側も、年下の上司から指図を受けるのに抵抗を覚える人が少なくない。逆に年下である周囲の人たちに対して過剰な気遣いをする年長者もいる。

 その点、テレワークだと対面的な接触がないので年長者のプライドが仕事の障害になることは少なく、よい意味で対等かつドライな関係のなかで働ける。

 3つの壁の崩壊は、いずれも合理的・必然的な理由によるものである。したがって共同体のなかで一緒に働き、長幼の序に基づいて地位や待遇が決まるという時代に後戻りすることはないはずだ。そうすると60代でも70代でも、能力に応じて第一線で働き続けることが夢ではなくなる。「シニアをどのように働かせるか」といった議論も意味がなくなるだろう。』