コロナ禍で一帯一路に黄信号、遠ざかる「中国の夢」

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『いち早く新型コロナウイルスの感染拡大の第1波を乗り越えた中国社会は平穏な日常を取り戻しつつある。一方で中国国外に目を転じると、広域経済圏構想「一帯一路」などを足がかりに「中華民族の偉大な復興」を成し遂げるという「中国の夢」の実現に黄信号が灯っている。高揚する国内のナショナリズムに後押しされた中国の居丈高な外交路線が、世界中から反感を買う。その強硬な姿勢は「マスク外交」を通じて各国に医療支援しているときも変わらなかった。奇妙な政治理論に支配された一党独裁体制の限界が露呈した。

今春、新型コロナウイルスの感染拡大に苦しむ各国の空港に、中国から医療用マスクや防護服などの医療物資が続々と届けられた。

取材陣が待ち構える中、チャーター機のタラップから降りてきた医療チームを、現地の要人らが拍手で出迎える。その次は横断幕を掲げながらの記念撮影だ。中国を象徴する赤地の横断幕に「ともに乗り越えよう」などとスローガンが書かれているところは、いかにも中国らしい。

耳目を集めようと大々的に執り行われる式典は、これがただの医療支援事業ではないことを物語る。西側諸国はプロパガンダ(政治宣伝)を目的とする、「マスク外交」だとみなす。

■習氏が抱く勢力圏拡大の野望

中国当局が初期対応を誤ったために武漢市で感染が拡大した新型コロナは世界中に拡散した。中国に付いてしまったそんなマイナスのイメージを、「世界に手を差し伸べる責任ある大国」というプラスのイメージに転換するのが狙いだ。

中国が重点的に支援したイタリア、インドネシア、マレーシア、パキスタン、スリランカといった国々を眺めると、ある共通点が浮かび上がる。その多くは「一帯一路」の参加国である。

一帯一路は中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席が2013年に打ち出した広域経済圏構想だ。中国から中央アジアを通って欧州に至る陸路の「一帯」と、海路で東南アジア、インド、東アフリカ、中東、欧州に至る「一路」からなる。沿線国に資金を貸し付けて道路や港湾、鉄道、ダムなどのインフラを整備。人と物の交流を促進して親中の経済圏を構築するという壮大な計画だ。

中国は一帯一路に未参加のフランスやオランダ、スペインなどにも医療支援の手を差し伸べており、「責任ある大国」との好印象を与えることで、参加に向けた下地作りを進めているようにも見える。中国が医療支援した国は全部で150にも及んだ。一帯一路を通じて中国の勢力圏を拡大し、米国を凌駕(りょうが)する超大国としての地位を獲得するという野望が透ける。

ただ一帯一路は計画通りに進んでいるわけではない。

モンゴル、ラオス、パキスタン、キルギスなどでは、中国からの巨額の貸し付けが国の返済能力を大きく超えている恐れがあるなど、問題が噴出している。開発を受注するのは中国企業で資材も中国から購入。中国人労働者が建設に従事し、地元社会の恩恵は少ない。結局は国が借金漬けになるだけとの不満から、一部では中国への反感が高まっている。反中が広がったザンビアでは、現地に進出した中国メーカーの中国人幹部が惨殺される事件が発生した。

そこに追い打ちをかけたのがコロナ禍だ。習政権はピンチをチャンスに変えようと、マスク外交を展開。しかし一帯一路を足がかりとした勢力圏拡大の試みは前途多難だ。

■中国人の本音は「海外の橋より近所の学校」

「一帯一路は中国国内と国外の両方で逆風にさらされる」と語るのは、13~17年に東アジア・太平洋担当の米国務次官補を担ったダニエル・ラッセル氏だ。現在、米アジア・ソサエティー政策研究所の副所長を務めるラッセル氏は、「どの国もそうだが、社会が豊かになって中流層が厚くなると、政府への要求が増えてくる。中国国内でも、昨年ごろから一帯一路を疑問視する声が増えていた」と語る。

「自宅の近くに子どもが通う学校を建設してほしいときに、なぜ遠い国の橋などの整備のために私たちが納めた税金を投じなければならないのか」。そんな不満がたまっているという。

国民の理解を得るのが難しくなってきている上、中国政府はコロナ禍で新たな経済対策に取り組む必要がでてきた。特に痛手を受けているのが中小企業だ。中国で中小企業は雇用の大きな受け皿となっており、失業率を抑えるためにも対策が急務だ。景気の減速で、退職給付や社会福祉などのセーフティーネットも一層充実させる必要がある。

ラッセル氏は「社会不安が政治運動につながり、体制が揺らぐのを共産党は最も警戒する」と解説する。体制を盤石なものとするためにも国内の安定を図る投資を優先し、一帯一路は二の次にせざるを得ない。

一帯一路に参加している国々も、コロナ禍の影響で世界経済が減速し、これから財政が苦しくなると予想される。限られた国家予算を公衆衛生に優先的に回す必要があり、中国に対して巨額の債務を負ってインフラを整備する余裕はなくなる。

よって一帯一路は停滞するというのがラッセル氏の見立てだ。

■親中拡散の努力、居丈高な外交で無駄に

習氏の肝いりで始めたマスク外交も世界から共感を呼ぶには至っていない。医療支援を通じて国家イメージを高めようとする一方で、「戦狼(せんろう)外交」と呼ばれる強硬な外交姿勢で他国を威圧するという、矛盾した行動の結果だ。

在仏中国大使館はウェブサイトで「欧米は中国での感染が分かってから2カ月間、何をしていたのか」と皮肉り、「フランスの介護施設では飢えと病気で死ぬまで高齢者を放置している」などと不正確な情報を基にこき下ろした。

新型コロナの発生源の独自調査を求めたオーストラリアには激怒して、同国からの農畜産物の輸入を制限し、自国民に留学や渡航の禁止を勧告。中国外務省の副報道局長は、「米軍が感染症を武漢に持ち込んだかもしれない」との陰謀論をツイートした。

これら数々の不可解な言動は世界中に報じられ、不信感を生んでいる。

独シンクタンクの欧州外交問題評議会が6月に公表したアンケート調査結果では、ドイツ、フランス、スペインなど欧州9カ国でコロナ禍を通じて中国の印象が「悪化した」と回答した人の比率が平均48%に上り、「改善した」とする12%を大きく上回った。

主要7カ国(G7)で唯一、一帯一路に参加し、中国からマスク外交で大きな恩恵を受けたはずのイタリアですら「悪化」が37%に達し、「改善」の21%をしのぐ。

■「中国の夢」阻む奇妙な政治理論

不用意に諸外国の猜疑(さいぎ)心をあおる習氏は、鄧小平が唱えた国際協調路線を放棄したようだ。中国は1990年代以降、鄧小平が唱えた「韜光養晦(とうこうようかい、強くなるまで爪を隠す)」を外交の基本としてきた。米国をはじめとする各国と協調することで対外的に平和を保ち、国内の経済発展に専念する環境を整える意図があった。

その一方で、鄧小平ら当時の共産党指導部は並行して愛国主義教育を強化した。89年の天安門事件のような動乱を繰り返さないためにも、国民に共産党による統治の正当性を教育で植え付ける必要あると痛感したためだ。

愛国主義教育の結果、ナショナリズムが高揚された。やがて国民は民族の誇りをかき立てるような政策を希求するようになる。それに応えることで求心力を高めようとしているのが現在の習政権というわけだ。

習氏は2012年に総書記に就任した直後に、「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」の実現を国家目標に掲げた。

ラッセル氏は「中国が植民地化されていた1840年のアヘン戦争から第2次世界大戦が終結する1945年までの『屈辱の100年』は終わった。もう誰にも踏みにじられず、皆からリスペクトされる強国に生まれ変わったと習氏は国民に訴えており、そのストーリーに沿うかたちで進める政策の1つが戦狼外交だ」と話す。

中国政府が親中を世界に広げようと一帯一路やマスク外交に莫大な資金を投じる端から、威圧的な姿勢で帳消しにしてしまう背景には、間もなく「中国の夢」が実現するのだという国民の高揚感があった。こうした覇権主義に通じる言動は、他国の警戒心を呼び覚ます。中国と経済的な距離が近かった欧州でも対中政策の見直しが始まるなど、経済発展の阻害要因になりつつある。

米クレアモント・マッケナ大学教授で政治学者のミンシン・ペイ氏は、「中国政府内には傍から見て奇妙と思えるような政治理論が存在し、無謀で逆効果となるような行為がイデオロギー的に正しく、政治的に有効と判断されることがある。誰も政策に異論が挟めない独裁的で中央集権的な体制下においては、しばしばこのようなことが起きる」と解説する。

「中国の夢」を追いかけているようで、実は遠ざかっている。そのことに気がついていないという事実が、一党独裁体制の限界を示している。

(日経ビジネス 吉野次郎)

[日経ビジネス電子版2020年7月16日の記事を再構成]』