〔兵頭二十八氏のサイトからの情報〕

 ※ 相当に参考になる…。
 現代の「戦争」とは、「傭兵戦」になっているのか…。

Mirco Keilberth, Maximilian Popp, Christoph Reuter und Adam Asaad 記者による2020-7-13記事「The Renewed Dependency on Mercenary Fighters」。
https://st2019.site/?p=14577
『リビアで傭兵として戦闘中の兵隊の中にはシリアから来ている者がいる。アサド支持者はロシアに雇われ、反アサドのシリア人はトルコに雇われて、送り込まれる。

 リビア政府は、カリファ・ハフターの軍閥と内戦中である。
 リビア政府の講演者は、トルコである。ハフターのバックにはロシアがついた。

 このほか、UAEやイランも、外国人傭兵をやとって各地で作戦させている。

 政府軍側の傭兵となった一シリア人は月俸2000ドルを得ている。これはシリアにいたときは稼げなかった大金だ。
 トルコは、トルコ航空機を使って、シリアで集めた傭兵たちを、リビア国境のガジアンテプ空港へ運ぶ。

 ことし1月の時点で政府軍は首都トリポリだけを守っていて、他の国土はほぼハフターに支配されてしまっていた。
 シリアで集められた素人たちは、トリポリ市内のアパート街で、トルコの秘密作戦部局であるMITのメンバーから基礎的な軍事訓練をほどこされて、守備陣地へ送り出される。

 エルドアンは7000人のシリア人傭兵を投入することで、リビア政府の滅亡を食い止めたと見られている。リビアの石油埋蔵量は、アフリカ最大だと推定されている。

 ハフター将軍は、トリポリ攻略作戦が失敗したことを認めた。のみならず、サブラタのような海岸の都市をいくつか、政府軍に奪回されてしまった。それが、ここ数週間のリビア戦局。

 『シュピーゲル』誌面が一傭兵から聞き出した話によれば、過去数ヶ月、リビアからは毎日100名のシリア人負傷兵が飛行機で本国に後送されていて、それと入れ替わりに、300人の新傭兵が本国から運ばれてきたという。

 皮肉にも、リビア政府のために戦おうとするシリア人傭兵は、本国においては、反アサドの反政府ゲリラなのだ。
 トルコの雇用主は、傭兵が負傷しない限りは、本国シリアへは送還してくれない。そこで、どうしても帰国したくなったシリア人は、自分で自分の足を撃っているという。
 気軽な独身者のシリア人傭兵だと、難民ボートに紛れ込んで、リビアから欧州潜入を目指すこともある。

 いっぽう、アサド派の民兵から、ロシア雇いの傭兵(ワグナー・グループ)に転職した一シリア人。この男はロシア人上官から、リビアへ行けば月給1000ドル、プラス、年に4回、1ヶ月の休暇をやるといわれて、リビア行きを決心した。

 UAEやエジプトも、ワグナー・グループからロシア系傭兵を有償で借りている。

 ワグナー・グループの出張所のようなオフィスがシリアの複数の都市に存在する。そこにリクルーターが常駐している。もしリビアに行ってもいいというシリア人が応募してくれば、リクルーターは1人について200ユーロのコミッションを手にすることができる。

 応募者は、アラビア語とロシア語で書かれた契約書にサインする。最低でも3ヵ月、従軍する――という誓約書でもある。

 採用されるのは30歳未満が多い。50人くらい集まると、まずラタキア近くのフメイミム基地に移送され、そこでロシア人の軍事教官から、2週間の基礎訓練を受ける。

 傭兵たちは「ロシアの友」と書かれたIDカードを支給される。これがあると、リビア領内のハフター支配区の検問所を無事に通過することができる。

 そして傭兵たちはシリア航空機によってダマスカス空港からベンガジまで空輸される。

 ハフター軍閥の軍服に着替えるのは着陸後である。彼らはただちに、ワグナー・グループの士官たちの指揮下に入る。
 『シュピーゲル』が電話取材した男は、トリポリ南郊でも、海岸部でも戦い、過去セベラル週は、東部で戦闘しているという。
 ようするに、ハフター=ロシア軍はリビアにおいて押されており、それを挽回するために必死だ。

 国連によれば、ワグナーグループに雇われてリビアで戦闘しているシリア人は5月の時点で2000人ほどだと。
 しかしこのたび『シュピーゲル』が聞いた話では、5000人はいそうである。
 アサド政権は、刑務所の囚人もリビアに送り込むようになったという。

 ワグナーグループに雇われたシリア人たちは、昼間に睡眠をとっては夜間に作戦するという日常なので、疲れ切っている。給与はトルコ側傭兵の方がずっと良いという噂も届いており、加わる陣営を間違えたと感じている。

 アサド政権が倒壊しないで済んだのも、イランが雇って派遣した5万人の傭兵のおかげだった。それを組織したのが、この前爆殺されたソレイマニであった。

 リビア政府の刑務所(ミスラタ市)には、スーダンやチャドから雇われてきた反政府ゲリラ軍の捕虜400人が収監されている。
 その一人に取材したところ、彼はもともスーダン解放軍という反政府ゲリラに所属していたが、3年前にUAEの斡旋でハフター軍閥の傭兵になったという。UAEもこのようにして、他国の兵隊を使って自国の国益を追求しているのだ。

 ハフター軍閥側の、スーダン人の傭兵も、出世すれば、月給は3000ドル近くなり、部下450人を指揮するようになる。
 作戦途中で住民から略奪した物品は、トラックで集荷して、ダルフールへ後送したという。スーダンとリビアは陸続きなので。

 ただしUAE系傭兵は、ワグナー・グループよりも情報収集力が弱く、退却が遅かった。それでトルコ系傭兵=政府軍が攻勢に出たときに、UAE系傭兵ばかりが逃げ送れ、大量に捕虜にされてしまったのだ。

兵頭二十八の放送形式』

民間軍事会社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%96%93%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E4%BC%9A%E7%A4%BE

 ※ こっちも、相当に参考になる…。
 「会社軍」というものが、母体になっているんだな…。
 皮肉にも、「冷戦の終結」が、多くの「退役軍人」を産み出し、それが巨大な「傭兵軍団」を産み出す原因になったわけか…。
 昔(むかし)も今も、荒くれ者を操る道具立ては、金(かね)と酒(さらには、違法薬物…)と女だ…。
 そういうもののお膳立ては、誰が、どうやって実現・供給しているのか…。
 その巨大傭兵軍団を養う金(かね)は、どこから出ているのか…。頭目への「謝礼」の支払いの、「決済」はどういうシステムになっているのか…。そういうシステムを、誰が支えているのか…。こっちは、「デジタル仮想通貨(ビットコイン、リブラなんか)にも、つながって来る話しだ…。「兵站」は、どうなっているのか…(こっちは、紛争の周辺国の掌握 → ひいては、「世界戦略全体」なんかにも、つながって来る話しだ…)。
 そういうことを、考えておいた方がいい…。
 カルロス・ゴーンのレバノンへの脱出なんかにも、関係してくる話しだ…。


『歴史
登場以前
近代に入り民間企業が巨大化すると、鉱山で起きたストライキの鎮圧など警備員では対処できない事態を素早く解消するため、それまで手配師などに頼っていた傭兵の募集に代わり、会社の一部門として武装組織(会社軍)を編成するようになった。これらは退役した士官などの経験者を指揮官として迎え、グルカ兵やヨーロッパ人などの傭兵を兵としていた。構成は歩兵、騎兵、砲兵からなるヨーロッパの伝統的な陸軍を簡略化した組織であったが、資金力を背景に武装に関しては最新の兵器を揃えており、最新の軍事教育を受けたヨーロッパの将校を指導教官として雇用することもあった。

ジョン・ロックフェラーは鉱山や工場で発生したストライキを鎮圧するため積極的に会社軍を派遣していたが、コロラド燃料製鉄会社のストライキを鎮圧するため30人以上を射殺したことでヘレン・ケラーが新聞で非難記事を連載したことや、社長となっていたロックフェラー2世が対話路線に転向したことでアメリカ国内では交渉で解決し、武力が必要な場合は州兵に任せるべきという風潮となった。また私企業が武力を保有することは次第に問題視されるようになり、欧米では国内での行動に制約が課されるようになった。

国外において、西洋列強は東インド会社のような植民地を統治する勅許会社の会社軍に対し、反乱の鎮圧のみならず周辺にある国を植民地にするための戦争(第二次シク戦争など)を許可していた。自国の軍隊のアウトソーシングであり、これにより遠方に軍隊を派遣する必要がなくなり、低コストで植民地を防衛することが可能となった。特にインドではヴァンディヴァッシュの戦いやプラッシーの戦いのように会社軍同士の戦闘が度々発生した。植民地の会社軍はスィパーヒーなど地元の傭兵が中心で兵の質はまちまちだったが、イギリスはこれらの戦いで活躍したグルカ兵に注目し、イギリス東インド会社軍で積極的に雇用するようになった。

これらの会社軍は指揮官は社員、傭兵はパートタイムで雇用して指揮下に置いているが、第三者へ兵力を提供することはなく、それまで領主が抱える私兵のような自力救済の延長か、政府が植民地を間接的に統制するための組織であった。

民間軍事会社の登場
第二次世界大戦後には各国で法が整備され会社軍のような存在は規制がかかり、治安が不安定な地域での操業する鉱山や油田の警備に支障を来すようになった。

そこで警備会社という名目で設立し、かつて会社軍が担当していた軍事サービスを他の企業に提供する会社が登場した。代表的な会社としてはダインコープやSAS創始者のデビッド・スターリングが経営するウォッチガード・セキュリティかあり、これには自国企業を保護したいイギリス政府も出資していた。民間企業でも自社で直接雇用するのに比べ、必要なときに必要な数の人員を確保できるためメリットは大きかった。

コンゴ動乱やローデシア紛争などでは傭兵が戦闘や護衛にも関わっていたが、1991年のソ連崩壊に伴う冷戦の終結により、アメリカ合衆国を中心とした各国は肥大化した軍事費と兵員の削減を開始し、数多くの退役軍人を生み出した。冷戦終結以降の世界では超大国同士がぶつかりあう大規模な戦闘の可能性は大幅に少なくなったものの、テロリズムや小国における内戦、民族紛争など小規模な戦闘や特定の敵国が断定できない非対称戦争が頻発化、不安定な地域で行動する民間人を護衛する需要も増加した。

優秀な軍歴保持者は有り余り、軍事予算の大幅な削減に伴い軍隊のコスト面での効率化が求められ、そして小規模の紛争が頻発する。この3つの要素が民間軍事会社を生み出す土壌を与える事となった。まさに戦争のアウトソーシングである。

こうして、民間軍事会社の元祖とも言える「エグゼクティブ・アウトカムズ」が誕生し、既存の軍関連会社も次々と民間軍事会社化していった。

1990年代

シエラレオネ軍とグルカセキュリティー社
1989年に南アフリカ共和国で誕生したエグゼクティブ・アウトカムズ(Executive Outcomes,略称EO)社は、フレデリック・ウィレム・デクラークやネルソン・マンデラ政権下で行われたアパルトヘイト政策の廃止や軍縮によって職を失った兵士を雇用することで、優秀な社員を多数有する会社となった。

特に第32大隊などの精鋭部隊に所属していた黒人兵士を多く雇用していたが、彼らはアンゴラ内戦で家族や財産を失い、逃げ延びた先の南アフリカでは白人達に周辺国への軍事介入や同じ黒人の弾圧に動員され、アパルトヘイト廃止後行き場を失った者達だった(EO社の解体後はポムフレットなど辺境の町で貧しく暮らしている)。

EO社はアンゴラ内戦中の1993年にアンゴラ政府と契約を結び、正規軍の訓練と直接戦闘を実行。結果アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)に壊滅的被害を与えることに成功し、20年続いた内戦をわずか1年で終結させた。その後、国際社会の圧力でアンゴラ政府はEO社との契約を打ち切り、国連が平和維持を行うことになったが平和維持部隊は任務に失敗し、アンゴラは内戦に逆戻りした。

また、シエラレオネ内戦では、残虐な行動と少年兵を利用することで知られた反政府勢力革命統一戦線(RUF)の攻勢で、先に展開したグルカ・セキュリティー・サービス社は司令官であったロバート・C・マッケンジーが殺害されるなど大きな被害を出し撤退、首都フリータウンも陥落寸前の状態であったが、EO社はわずか300人の部隊でRUFに壊滅的被害を与え、RUFが占拠していたダイヤモンド鉱山を奪還することで和平交渉の席に着かせることに成功した。しかし、こちらもアンゴラと同様に内戦に逆戻りした。

EO社は次第に肥大化し、戦闘機、攻撃機、攻撃ヘリコプターなどの航空兵器や、戦車、歩兵戦闘車のような強力な陸上兵器、負傷者輸送用のボーイング707なども運用するようになったが、危機感を抱いた南アフリカ政府によって1998年に解体された。しかし、内戦の戦局をも変えてしまう民間軍事会社の登場は世界に衝撃を与えた。

パプアニューギニアでは、ブーゲンビル紛争(英語版)において、政府が同国のパプアニューギニア国防軍(英語版)よりも民間軍事会社のサンドライン・インターナショナルを重用したため、国軍によるクーデターが発生している。

詳細は「w:Sandline affair」を参照
2000年代

元グルカ兵のコントラクター(アフガニスタン、ナンガハル州)
1990年代に登場した民間軍事会社は、その後急速に業務を拡大していき、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降からはイラクやアフガニスタンでの活動が注目を集めるようになった。しかし、急速な組織拡大から法規の作成が追いつかず、管理する法律も組織も無い無法状態が続いたため、殺人や虐待など数々の不祥事を起こしてきた。

2001年にはアメリカで民間軍事会社の管理組織であるInternational Peace Operations Associationが発足、2006年にはイギリスでアメリカとは異なる民間軍事会社管理組織であるBritish Association Of Private Security Companiesが発足した。イギリスの場合はアメリカよりも非常に厳格で、民間軍事会社にISOやBSの取得を義務付けておりプレゼンテーションにおいてもイギリスの民間軍事会社はアメリカのそれとは違うことを強調している。

イラクにおける管理組織は連合国暫定当局が行ってきたが解体にともない2004年8月に連合国暫定当局から分離したNPO法人としてPrivate Security Company Association of Iraqが発足した。イラクでは連合国暫定当局が最後に発行したCPA Order17という規定に基づいて行動していたが、この規定は大変に問題のあるもので、民間軍事会社はイラクの法律に従う必要が無く、あらゆる免責特権を認め、税金も免除するなど民間軍事会社を完全に治外法権化する物であった。

2007年9月にはブラックウォーターUSAのコントラクターがイラクで輸送部隊の護衛中に市中で無差別発砲を行いイラク人を17人射殺するという事件が起きると、イラク政府も厳しい措置を取らざるを得なくなり、2009年1月1日でCPA Order17の無効を宣言し、民間軍事会社から免責特権を剥奪した。これ以降、民間軍事会社はイラクの国内法に従う義務が生じPrivate Security Company Association OF Iraqは2009年現在は実質的に活動していない。

このような無法状態を改善しようとする動きもあり、2008年9月17日にスイスのモントルーで17ヶ国によって採択されたモントルー文書で初めて国際的な規制が出来た。指針であり条約ではないため、国際法としての拘束力は無いが、新たな条約締結へ向けた活動が行われている。

2010年代
イラク戦争後、民間軍事会社は各地の小規模紛争に派遣されるようになった。リビア内戦においては、イスラエルのグローバルCSTが主にアフリカ系からなる警備要員や東欧・中東系の戦闘機パイロットなど多数のオペレーターを派遣して非武装市民への殺傷を含む過剰な業務を行い、シリア内戦では、アメリカの民間軍事会社が自由シリア軍など反アサド派を訓練するためにトルコで活動していた。一方、シリア政権側もロシア系の民間軍事会社の先駆けで香港[8]を拠点とするスラヴ軍団(英語版)から同様の支援を受けていた。アフリカではブラックウォーター社の設立者だったエリック・プリンスらが中国政府系の香港企業フロンティア・サービス・グループで中国の国家戦略である一帯一路を警備面から支援していた[9][10]。

また2014年以降の騒乱下にあるウクライナにおいても西欧の民間軍事会社[11]の要員らしき外国人が多数確認されたという証言がある。

2015年にはイエメンで、アメリカのスピアー・オペレーションズ・グループがアラブ首長国連邦の依頼により、イエメンにいる政敵の暗殺作戦を実行していた。』